切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

安楽寺・・・安楽上人        京都市左京区    2024.5.29 訪問

2024-06-22 23:04:26 | 撮影


『安楽寺

 住蓮山安楽寺と号する浄土宗の寺院である。
 鎌倉時代の初め、現在地より東に約一キロメートルあたりに、法然上人の弟子、住蓮上人と安楽上人の二人が鹿ヶ谷草庵を建てて人々に念仏を布教していた。たまたま、後鳥羽上皇の官女の松虫姫と鈴虫姫が教化を受けて、密かに出家する出来事があった。上皇の立腹を受け「專修念仏停止」の宣下によって、両上人は死刑、法然上人は讃岐国(現在の香川県)に、親鸞聖人は越後国(現在の新潟県)に配流された。これがいわゆる建永二年(一二〇七)の法難である。  
 下って室町時代の末、天文年間(一五三二〜一五五五)に、両上人の供養のため、この地に伽藍が再興されたのが当寺である。
 本堂には阿弥陀五尊像を安置し、傍らに住蓮・安楽両上人と松虫・鈴虫両姫の座像や法然 上人張子像などを祀っている。
 毎年、七月二十五日に「中風まじない鹿ヶ谷力ボチャ供養」が開催されることでも有名である。
  京都市』  (駒札より)

 

 安楽寺は左京区の大文字山の麓にある。白川通りとの間に、この周辺には多くの著名な寺院が集中している。このすぐ北側に法然院があり、両寺との関連は非常に強いものがある。 由緒については上記駒札の通りだが、安楽寺は浄土宗系の単立寺院となっている。

 平安時代が終わり鎌倉時代になると、仏教の権力との融合及び堕落等により新たな仏教の創設が相次ぎ、そのうちの一つが法然による浄土宗だ。「専修念仏」による 誰にも分かりやすい念仏を唱えることによって、往生極楽を実現しようとするこの動きについては、当時はまだ天皇や上皇らの十分な理解を得られていたとは言えず、いわば新興勢力の仏教であったところが、その浄土宗に感化された後鳥羽上皇の女官である松虫と鈴虫が出家するという行動に出て、上皇が激怒し専修念仏の停止。そして法然の弟子である十蓮及び安楽が処刑されるという事態になった。この両者が安楽寺の元になる草庵の創建者であった。

 

 こうして草案は荒廃し没落していくが、流刑の扱いを受けた法然が戻ってきて、草案を再建し正式に現在地に安楽寺として再興された。室町時代後期のことだ。

  訪問したこの日は特別公開の日ということで訪れたが、なぜか人がおらず門はしまっていた。受付の場所を示す張り紙があったので、通用門を開けて境内に入る。しかし受付らしきものもなく、理由がわからなかった。とりあえず境内の端から写真を撮影させていただき、早めに出ることにした。後に調べて分かったことだが、特別公開の日は連続しているのではなく、途中で非公開日が設けられておりちょうどそこに当たってしまったということが分かった。残念。

 

 境内はそこそこ広く緑で覆われているという感じだった。非常に落ち着いた雰囲気で、場所がら山麓にあるということで、さらに風情がますような感じだ。まるで本堂などの建物がそういった緑の中に埋没してしまうような感覚になる。長い歴史を持つ由緒のあるお寺であり、公開日などには訪れる人も非常に多い。この場から北へ行くと法然院となる。

  
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