ミニョンとユジンは深夜になってようやくスキー場にたどり着いた。ミニョンが着きましたよ、と言うためにユジンを見ると、月明かりに照らされて、疲れ切った表情で眠るユジンの顔が見えた。ミニョンはその色の白い顔や、長いまつ毛や、赤くふっくらとした唇をゆっくりと見ていた。こんなにまじまじと近くで見たのは初めてだった。まなじりが泣き疲れて赤くなっているのを見ると、かわいそうでもう一度抱きしめたくなった。
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「ユジンさん、あなたが僕のことを好きだと信じたらいけませんか?」寝ているユジンにそっと問いかけた。
さっきソウルで抱きしめたユジンの柔らかな身体を思い出すと、せめて髪の毛に触れたいと手を伸ばして触れてみた。ユジンの髪の毛は柔らかく、ふんわりとスミレの良い香りが漂ってきた。すると、ユジンはゆっくりと目を開き、澄んだ瞳でミニョンを見つめた。
「すみません。わたし、寝てしまったんですね。」ユジンは恥ずかしそうに、慌てて髪の毛を整えてシートベルトをはずした。
ミニョンはまだユジンと過ごしたくて、コーヒーを買いますから、と告げて自販機に向かった。しかし、帰ってくると、ユジンの姿は消えていて、車の窓ガラスに
「今日はありがとうございました。ユジン」と言うメモが貼られていた。まるで、今日のことが幻だったかのように、ユジンは煙のように消えてしまった。ミニョンは夢を見ていたのではないかと思った。しかし車を開けるとほのかにユジンの残り香が漂った。ミニョンはフッと微笑んでコーヒーを一口飲んだ。
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ユジンは部屋に帰り、今日のことを静かに思い返していた。サンヒョクとの一連の出来事がもう彼とは無理だと告げていた。サンヒョクのせい、と言うよりも、自分の気持ちがミニョンに向いている、さっき抱きしめられたときに、はっきりとそれを感じた。しかし、まだサンヒョクに自分の気持ちを伝えていない。もう少し気持ちが収まったら二人ともにきちんと話をしなければ、と思った。鏡の中の自分が、まるで違う人間に見えた。私は誰だろう?
ユジンは今日のことを全て洗い流すように、熱いシャワーを浴びて、ひたすら身体を石鹸でこすった。今日起こった全てがなかったことになればいいのに、と思った。
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次の日、ミニョンが仕事をしていると、キム次長がニヤニヤしながら近づいてきた。
「理事、昨日ユジンさんと夜中に2人で帰って来たそうですね。お出かけでした?」
「違います。ただ帰りが遅いユジンさんを迎えに行ってきたんです。」
「ふーん。で?何があったんです?ユジンさん、一日中元気がなかったですよ、、、。」
「そうですか、、、」
ミニョンはそのあと、ずっとユジンの事を考えながら仕事をしていた。
ようやく日が暮れてから、ぼんやりとベンチに座るユジンを見つけた。ユジンは魂が抜けた人のように生気がなかった。外は極寒なのに、まるで気にする様子もなく、鼻の頭や頬を真っ赤にしたまま、虚な目をしていた。
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ミニョンは、先日南怡島でユジンに着せたサングラスフード付きのパーカーを羽織って、ユジンの前に立った。難しい顔をしていたユジンが、思わず微笑んだ。そして声をかけて一緒に歩いた。
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ユジンのあまりに寒そうな様子に、自分の身につけていたマフラーを巻いてあげた。ユジンは少し抵抗する様子を見せたが、やがて大人しくミニョンのなすがままになった。
「首が暖まると、身体も暖まるでしょう?」ミニョンの優しい笑顔に、ユジンの凍りついた心と身体が少しずつほぐれていった。
「ユジンさん、人生には必ずぶつかる多くの分かれ道があります。あなたが今その分かれ道に差し掛かっているんです。迷っているなら、思い切って手を差し伸べて、導いてくれる方に進んでみるのもいいですよ。」
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ミニョンは何もかも包み込むような笑顔で近づいて来て、ユジンの手を握りしめた。ユジンは慌てて後退りして、手を引っ込めようとしたが、ミニョンの力強い手に握りしめられ、力を抜いた。2人は見つめ合い、しばらく黙っていた。ミニョンの手は暖かく、いつまでも離したくないような優しさ満ちていた。指先から深い愛情が伝わってきて、ユジンの心を震わせた。二人は手を絡ませて、スキー場を静かに歩いた。やがてミニョンは手をゆっくりと放し、一礼すると去っていった。ユジンはその後ろ姿を見ながら、ミニョンにありがとう、と呟いた。マフラーから香るミニョンの匂いがユジンを包みこみ、穏やかな気持ちでいっぱいになった。
ユジンは、サンヒョクときちんと話そう、と心に決めた。
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カンミヒは久しぶりに春川に帰ってきた。
春川の家は何一つ変わっていなかった。古くて暗くて、嫌な思い出につつまれている。しかし、不思議と懐かしい気持ちにもなる。
ここは10年前、チュンサンを亡くして、ピアニストとしてアメリカに渡る決意をして出た時のままだった。全てがグレーに見えていたあの頃。
しかし、今は違う。自分はピアニストとしてアメリカでも成功して、愛する夫もいる。ここは良い思い出に変わるはずなのだ。
ミヒは、ピアノの蓋を開けると、お気に入りの曲を片手で弾き始めた。ピアノは調律していないので、少し音が狂っていたが、物悲しい優雅な音色を響かせてくれた。ふいに、ミヒの耳に声が聞こえた。
「母さん、僕の父親は誰なの?」
はっと振り向くと、18歳のチュンサンが、凍るような冷たい瞳で自分をじっと見つめていた。
「母さん、今度はいつ帰るの?」
また振り返ると、ホコリがついたイスにチュンサンが悲しげな目をして座っていた。
また声が聞こえた。
「どうして僕には父さんがいないの?」
ピアノの横にチュンサンが立って俯いている。そして憎んでいるような燃えるような瞳で自分をじっと見つめた。
ミヒは心の中で叫んだ。
お願い、わたしをそんな目で見ないでちょうだい。チュンサン、あなたはもう死んだのよ、いい加減にわたしを許して、と。涙は止めどなく流れた。
ここに戻ってくると、あの世の中を憎んだような、いやミヒを憎みきったようなあの眼差しを思い出してしまう。ミヒはあまりの罪悪感に耐えきれず、静かに家を後にした。扉が重い音を立てて静かに閉まった。