kinuko画廊

子供の頃のように無邪気に、心に浮かぶ絵を描いていきたい
溢れ出すコトダマたちとともに・・・

四国に行ってきた☆

2007-08-18 12:27:57 | 旅行&お出かけ
一泊二日の旅行してきました!(^^)!
メンバーは、主人の母親とその子供家族13人!!!
スケジュール的にはすごくヘビーでしたが、充実した楽しい旅でした。

まずは、義母のリクエストのお遍路さんの札所のひとつ、横峰寺。
http://www.taihodo.co.jp/88/tem/060.html

義母は四国八十八ヶ所札所巡りが、あと3ヶ所で制覇するらしい。
そのひとつが横峰寺なんだけど、ここがまた石鎚山の山奥に位置していて、
難所のひとつといわれている。

今は、車でお寺の近くまでいけるようになっていたが、
その道が細くて険しくてめちゃ怖かった!!!!!
今年の3月に行った、熊野の玉置神社もたいがい怖かったけど、
その上をいく怖さだった(>_<)





ご本尊は『大日如来』

   たて横に 峰や山辺に 寺建てて
           あまねく人を 救うものかな



なんとなく凡字にも見える空

そう言えば、玉置神社にも空海さんの修験道があったっけ。
私、そういうのに関係してたのかな?
実家は真言宗だし・・・
いつか私もお遍路さんにチャレンジしてみようか。


高いだけあって、絶景が広がっていた駐車場


山を下りて、次は一路、高知の海へと南下。

国民宿舎 土佐

ここからの景色は半端じゃなく綺麗だった。
国民宿舎だけに、設備とか部屋とかはいまいちだけど、
それを帳消しにするくらいの絶景!!!!!


部屋からの眺め!!!!!

少し高台にあるから、周囲が一望できる。
今はリゾートヴィラが隣接してあり、(お値段は比べ物にならないくらい高い)
地中海風のイメージに仕上がっている。

          
          美しい景色に心は癒されます(ウットリ)

夜は子供たちは花火(持ち込み)を楽しみました。
写真は撮れなかったけど、星空がまたとても綺麗!!!
たくさんの星が瞬く空。そういえば、いつからみてなかっただろう。。。


翌日は、朝から近くの海へ。
海の家とか売店がない、プライベートビーチみたい。
でも、シャワーとかはなかったよ。
ビーチの砂は細かくて、さらさら。
水は透き通ってた!!!


次に向かったのは桂浜。
坂本竜馬さんのゆかりの地。


陽を浴びて、誇らしげな竜馬像

空の色が澄んだ水色。
まるでクレパスの水色だった。




それから『はりまや橋』を見てから食事。
その後『高知城』まで足をのばした。

すご~く、盛りだくさんだった四国の旅。
めっちゃ疲れたけど、めっちゃよかったです!!!!!





光と闇

2007-08-10 12:52:04 | 降りてきたコトノハたち
  
 光ばかり追い求めるもの 光の道を一向に見い出せないであろう
 なぜなら すぐそこにある光をみないからだ
 
 闇、闇と騒ぐもの 闇からは逃げられないであろう
 なぜなら 闘いを挑んでいるからだ

 光と闇は表裏一体
 光あるところに闇あり
 闇あるところに光あり

 人一人の中にも光と闇は存在するではないか
 それさえ認めぬというのか


 相反する二つから選択させられ、
 闘わされていることに気づかぬか

 誰もが平和を望むのに、いつも相手を探して闘っておる
 おかしいと気づかぬか

 勝つか負けるかがそんなに大事か
 何が勝ちで、何が負けなのだ

 勝ったものは、一時嬉しくてもまた虚しくなる
 だから、また闘うのだ

 負けたものは、次は勝つと
 復讐心に燃える
 だから、また闘うのだ

 平和のために戦うのか 神のために戦うのか
 そして平和を勝ちとろうと言うのか
 そうして勝ち取った平和は実に脆いものだろう

 なぜならば、いつでも相手の反撃に怯えなければならん
 その状態を維持することを考えなければならん
 それで心の平安がいつ訪れるのか
 
 誰もが、我が方を白、他方は黒だと思っておる
 いつまでこれを繰り返すのか
 
 正義とはひとりひとり違うものだ
 それをひとつにまとめようとするからおかしくなる
 互いが当方が正しいと押し付け合う
 それが通らねば力で捻じ伏せようとする
 
 考えは主張しあえばよい
 けれど、そこから闘いに転じることはない

 闘いを挑まれた時、
 それ以上の力で押し返そうと思うな
 それが終わりのない闘いのはじまりだ

 違う方法を見つけ出すのだ
 それは個々の心の中の分厚い本に書かれてある
 真心を使うのだ
  
 
 人に恐れを注ぎこんで操ろうとするものがおる
 それらは集団と集団を闘わせることに長けておる
 そこら中に闘いの種を仕込んでおる

 そのものたちは、恐れや怒り、憎しみ、罪悪感といった気を糧にしている
 闘いに心が向くのは、自らの闇がそれに同調していると思えばよい
 
 しかしながら、これらのものにも働きがある
 闘いの全てが悪いのではない
 時にそれは、大きなうねりを以て目覚めを誘引することがある
 同じ過ちを繰り返すのが愚かなのだ

 闘いの気持ちは恐れから生まれる
 そなたたちの中の恐れの根源を見い出すのだ
 自分が何に恐れているかを探すのだ

 それは自らの闇に光を当てていくことだ
 一見して簡単なことに思うが、他人に光を当てるよりも困難なことだ
 人は見たくないものには目をつぶり、ないものとするからだ
 また多くの学びも必要となろう

 だが、これを丹念に行うことにより、
 恐れの多くは幻影であるということに気付くであろう
 この作業はそなたたちの守護者に協力を願い出でればよい
  

 恐れに取り込まれないようにするには、
 ひとりひとりが目覚めることだ
 そなたたちの魂は、それを今か今かと待っておる


 綺麗な言葉を並べるばかりが神ではない
 惑わされるなよ


ちょっと威圧感のある存在からのメッセージでした
思いっきり叱られてる気分・・・(;_;
でも、一昔前の怖いお父さんのような、深い愛も感じられました

やっと描けた!

2007-08-03 20:47:47 | イラスト&メッセ
●天照大神●

ようやく描けました!!

メッセージは、私には無理のようです(^_^;)

ただ、描きながら得たインスピレーションだけ、
シェアします。


*『和』とは、統一することではなく、
 個々の個性を活かしながら、共に在ること

 違いを善しとし、受け入れ、認める

 これは人に限らず、自然との関わりも同じ

 和+の縦線は天と地との繋がり
 和+の横線は人と人との繋がり
 このバランスが大事


*鏡について
 
 もし鏡が、見た目の姿形だけでなく心の中や行いのすべて映すならば、
 その鏡に映る自分は美しいですか
 鏡が映す自分を見ましょう
 
*剣について

 剣は勇気のしるし
 困難に立ち向かう勇気を持ちましょう
 切り開いていく勇気を持ちましょう

*勾玉について

 命の尊さ


あ~、もっと勉強しなくては訳せないみたい。。。
 

日本人としてのトラウマを癒す

2007-07-28 13:09:44 | ちょっとお堅い話
自分が何故、突き動かされるように『日本』という国を振り返っていたのか、
その理由がわかった。

今『天照大神』を描いている。
ミルさんから、ドリーン・バーチューさんのカードのイラストを募集してると
教えていただき、10日くらいから描き始めていた。

当初、締め切りが7月20日となっていたので、余裕をかましていたのが間違い。
きっといい作品が見つかったのだろう、10日過ぎには早くも締め切りを
打ち切られていたみたい。


ま、しょうがないよねぇぇぇ(>_<)


でも、どうやら私にとって『天照大神』を描くことは、別の意味があったらしい。

岩戸開きで有名な『天照大神』は、日本人にとっては日の神であり、
皇祖神ともいわれる。
真実は様々な説があって謎だけれど(なんせ神代のことなんで(^_^;))
描くことを通じて、日本を見直すことが求められた。

細胞に刻まれている『和の精神』を呼び起こすために、
日本人としてのトラウマを手放すこと。
私の場合、このプロセスはどうしても必修だったのだと思う。


ここ何日か、これまで教えられなかった事実を知り、かなり泣いた。
これほど涙が出るものなのかと思うほど、滝のように溢れ出る。

『反日マスコミが伝えない親日の話』

http://mikomo.hp.infoseek.co.jp/index.html


これらのすべてを鵜呑みにしてはいけないと思う。
それだと、今までとなんら変わらない。
それでも、話半分にみたとしても、知らなかった。知らな過ぎた。
自分の無知さ、無関心さ、情けなさを反省するとともに、
英霊たちに対する申し訳なさが胸に広がる。。。

その時代を、祖国のために一生懸命戦ってくれた人たちがいる。
祖国のため、アジアの独立のため、自らを犠牲にしてくれた先祖たちがいる。
「靖国でまた会おう」を合言葉に。。。

私はその人たちを貶めるようなことをしていた。
活動や運動こそしていないけど、日本の批判ばかりしていた。
欧米と比較し、ここがダメ、あそこがダメとやっていた。
これじゃ、まるで日本人の反日だよね。

私のようなタイプが多い中、本人たちよりもずっと日本人を評価し、励まし、
応援してくれている他国の人たちがいた。
その中には、日本が迷惑をかけた国の人たちもいるのだ。
当事国でありながら、過去の罪を「許す」器の大きさをみる。
それも、先人たちの優れた精神性のおかげなのだと思う。

こういったことを書くと、右だとかなんだとか言われてしまうかもしれない。
また、過去を美化する行為だと言われるかもしれない。
人によっては、とても不快に感じることだろう。

そういった批判も受け入れつつ言わせてもらえば、
例えば、喧嘩したときに、どちらか一方の言い分しか聞かないのはおかしい。
これまで一方向からしかみていなかったものを、
あらゆる方向から眺め、検証することに、何か問題でもあるだろうか。

問題があるとすれば、そこから先。

伝えられてきたこと以外の側面を知った人たちが、今後とる態度だ。
抑えられていた反動が出るかもしれない。

そもそも、こういったことがなぜ明るみになってきたかといえば、
戦後何十年もの間、極悪非道で残忍な帝国軍のイメージを刻まれ、
ごめんなさいと言っても、多額の資金援助しても、
反日の様子をメディアで見させられ、外交のカードとして使われ、
謝罪せよ、賠償金、慰謝料を払え、あげくの果てには大使館まで攻撃されて、
それでも日本が過去にしたことからすれば仕方ないとまで言われる。
それに対し、「一体何があったのか?私たちの先祖はそんなに悪かったのか」
という疑問を誰もが持ったからである。
真実を追求したくなるのは、ごく自然な流れだと思う。

いずれにせよ、、、
いままで隠されていたことが、どんどんと明るみになっていく。
手付かずだった闇に光が当たる。
いいことも、嫌なことも。
それから目を背けることなく、向き合わなくてはならない。

どんな真実が浮かんできても、冷静に過去を手放していこうと思う。
トラウマを開放し、心の輝きを取り戻していきたい。

卑屈に頭を垂れているばかりではなく、凛としていよう。
酷い言葉に対して、酷い言葉で返すことはしないで、
毅然とした態度でいよう。

それでも日本の特徴でもある、謙虚さは忘れてはいけない。
相手を尊重する気持ちを忘れてはいけない。

『己の欲せざる所は、人に施す勿れ』
(自分がいやだと思うようなことを、人にしてはいけない)
孔子の珠玉の言葉。

憎しみの気持ちは、また新たな憎しみの気持ちを生み、
不幸の螺旋へと嵌っていく。
それは一種の罠のようなものだ。

右か左か、私はそういうのはもういい。
右じゃなければ左か?左じゃなければ右か?
これも戦いのひとつの構図。
どちらか一方が正しいというのはありえない。

私は中庸でいたいと思う。
バランス感覚を大事にしていきたい。
ここは、和の精神で乗り越えていくべき一番のポイントだといえる。



『天照大神』を描くということ。
それは、私にとっては日本人としてのトラウマを手放し、
日本の心を思い出すことだった。

描くことを勧めてくれたミルさんに感謝します。
ありがとうございました。
・・・でもすんごく難しい!!!
できたらUPしますね(^^♪

日本という国

2007-07-19 13:20:43 | ちょっとお堅い話

何故か今書いておかなければと感じ、

重いテーマですが取り上げてみました。


************
 

私は、自分が住んでいるこの【日本】という国が

ずっと好きになれませんでした。

自分が住むこの国をどこかで卑下していたのです。

日本は世界中の人から嫌われてる。

そう思っていました。


その理由のひとつに、

日本が戦争で、他の国に大きな迷惑をかけたことがあげられます。

なんて酷い国だろうって。

いろいろな戦後保障の問題も、他国の反日感情も、

日本に浴びせられる蔑視の言葉も、

「そんなん日本が悪いねんから当たり前」と

何の疑いもせずに、普通に思っていました。

そういう風に教えられてきたし、マスコミにしてもたいていの場合、

そういう報道の仕方だったからです。


けれどこの戦争、別の視点からも捉えられることを昨年初めて知りました。


《私たちの先人は大東亜戦争を戦ったのです》

http://nandakorea.sakura.ne.jp/html/daitoua.html

日本人の発言ではなく、外国の人達がこの戦争についての発言したことや、
書物からの抜粋で構成されています


  先の大戦について肯定的に語ることがタブーのような空気に包まれている
  日本に於いては、日本人自身のそういった発言はすぐに色眼鏡で見られ、
  レッテル張りされてしまいます。
  そこで外国人の意見を集めてみました。

   H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)

  「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等を
   もたらし、世界連邦の礎石をおいた。」


   他多数・・・・


《嗚呼大東亜戦争》

http://www.senyu-ren.jp/AA/AA.shtml

これは、鄭春河さんというの台湾人の方で、志願して日本兵となり、
大東亜戦争を戦った人がまとめられた文です。
長いですが、とてもわかりやすく書かれています。

前がきより抜粋します

  「しかし台湾同胞よりも日本同胞に一人でも多く読んでいただきたい。
   何故ならば、日本同胞の中には戦後の誤った教育を受けて、歴史の流れや、
   歴史上の真実を知らず、自分の祖国日本を嫌悪する者が多い。
   これでは将来が思いやられる。これらの人々に正しい歴史観と自信を
   取り戻して貰い、世界に冠たる日本精神―――大和魂の振作復興を
   図るのは私個人の望みとする所ばかりではなく、日本に於ける刻下の
   急務で有る外、指導者並びに教育者の使命とすべきではなかろうか」



当事者どうしでは見えないことも、第三者の目で冷静に分析したとき、

単に「被害者と加害者」や「戦勝国と敗戦国」という構図とは

また違った見方がされているのです。


そう、、、よくよく考えれば、それまで原住民から国を奪い、

植民地化してきた欧米各国が何の裁きも受けず、

日本だけが裁かれたということのはおかしな話です。


アジア各国が欧米大国に次々と植民地化されていくのを目の当たりにし、

明日はわが身と、先に手を打つのは無理ないことなのかもしれません。

最後の最後には、黙って強国の植民地になるか、分が悪い戦いに挑むか、

それしか選択の余地が残されていなかったようです。


こういった事情も知らず、悲しいことに私たち日本人は、

長きに渡り自国を愛することが許されない風潮があったのです。

自分の国を腐し、まるで他人ごとのように国の批判し続けたのです。

少なくとも私はそうでした。


このことは、東京裁判でただ一人、日本は無罪であると主張したパール判事が、

後に日本人へ贈っていただいたメッセージどおりなのです。


「欧米諸国は、日本が侵略戦争を行ったということを歴史に
とどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、
日本の十七年間の経緯を、罪悪と烙印することが目的であったに
違いない・・・・・・・・・・

私は一九二八年から四十五年までの十七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。
この中には恐らく日本人の知らない問題もある。それを私は判決文の中に綴った。
この私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることが
わかる筈だ。それなのにあなた方は、自分等の子弟に

「日本は犯罪を犯したのだ」
「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」と教えている。

満州事変から大東亜戦争に至る真実の歴史をどうか私の判決文を通じて
充分研究して頂きたい。
日本人の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流れて行くのを、
私は平然と見過ごすわけにはいかない。
あやまられた彼等の宣伝の欺瞞を払拭せよ。
あやまられた歴史は書き改めねばならない。」

このように、パール判事が危惧したとおりではないでしょうか。


とはいえ、こういったことを知ったからといって、

私はこの戦争を美化しようとは思っていません。

如何なる大義名分を掲げても、戦争をしかけてはいけないと思っています。

他国を我がものにすることなど、あってはならないのです。

また、ナショナリズムを煽るつもりもありません。

自国を愛し誇りに思うことはいいことですが、

それが他国への攻撃に繋がっているとすれば、とても愚かなことです。


私は、迷惑をかけた国のみなさん、痛みを与えたみなさんに対しては、

日本人として申し訳なく思う気持ちは変わりません。

事実、苦しんだ人はたくさんいるのです。

いかに正当性をあげ連ねても、

直視すべき事実は、直視しなければなりません。


ただ、やはりこういった側面があることを知ってよかったと思います。

おそらく、インターネットがなければ一生知らなかったことです。

古傷に触れたくないので、本当は何があったのか振り返ることなく、

目をそむけ続けたと思います。


でも、私たちの子孫のためにも、この姿勢を続けていてはいけないと

思っています。

どこかで断ち切る必要性をひしひしと感じます。

自分の国を愛していると、堂々と言えない国。。。とても悲しい話です。

自分の国を愛しているとしか言ってはいけない国もありますが。。。

それと同じくらい悲しいことだと思います。


ひとつのものごとでも、、それぞれの立場や事情によって、

善にも悪にも、正にも邪にも変わります。

私たちは、ヒーローが悪役を最後に叩きのめすという単純明快な

ストーリーに慣れ親しみすぎているのです。

当たり前の基準も、しきたりも思想も違う国どうしの争いで、

一方的に悪役を押し付けるのは、とても不自然なことです。

この辺りに物語としてのデフォルメを感じます。

演出が上手い側が、悪役をやっつけるヒーロー役を演じたり、

悪役に打ちのめされる悲劇のヒロイン役を演じる。

逆に演出が下手なものが、悪役としてのレッテルを貼られている

ように見えてきます。

ちなみに私たち日本人は、間違いなく後者です。

それが日本人の不器用さであり、よさでもあるのです。

長年、外国から馬鹿にされ続けてきた日本人ですが、

この混沌の時代に来て、(外交はともかく)一般人の間では、

日本の歴史や文化、日本古来の考え方などが注目されはじめています。

彼らが見ているのは、今の日本ではなく、私たちの祖先が世界に示した

『大和魂』とか、『武士道』といったものです。

私たちは、もう一度その心意気を、見直さなければならないのかもしれません。



、、、長きに渡るコンプレックスから幾分開放された今、私は思います。

本当は、どこの国の人かなんて関係ないのです。

日本人だから駄目というのもおかしいし、

また、日本人だから良いというのも、

選民意識の表れのようで、私自身は違和感を持ちます。


私たちはみんな、地球に住む地球人です。

そして、この宇宙の住人である宇宙人です。

他人や、他の国や、他の星と比較して、卑下する必要はないのです。


   
   おっと、、、どなたかがバトンタッチして下さるようです
   勝手に言葉が出てきました・・・


力が強く、戦に長けている者が偉いのではありません

先頭に立ち、旗を振るものが偉いのではありません

巨万の富を持つ者が偉いのではありません

膨大な知識を持つ者が偉いのではありません

奇跡の力を持つ者が偉いのではありません

そこに真心というものがなければ、

どんな宝を手にしたとて、ただの亡者です


神より与えられたそれぞれの賜物を、

地位や権力や名誉のためではなく、

愛と真心をもって使うこと

みなと共に分かち合うこと

それができる者こそ、真の偉人と言えましょう


分かち合うこととは

【和】というあり方です

違うものを否定したり、非難したり、排除したりするのではなく、

尊重し合うという姿です

損得など関係なく、ただ純粋に、調和していこうという心根です


みながこの心を持つことで、一体どれだけの変化が起こせるかわかりますか

これには、地位や権力やお金や知識は必要ありません

誰もが今この瞬間からできることなのです


人がよすぎると騙されるというなら、喜んで騙されて下さい

騙す方ではなかったことを喜んで下さい

誰が見ておらずとも、天にはすべてが届いております


救い主を外に求めないでよいのです

神は、誰一人欠くことなく賜物を与えられています

だからあなた自身が偉人となって下さい

あなたが知らずとも、あなたの魂はそうなれることを知っています

魂の叫びを聞くのです

内なる光としっかりと繋がるのです

そうすれば、あなた自身の中に宿る叡智を見出すことができるはずです

何事も心で見て、心で聞いて、心で読むのです

そうすれば、起こる出来事の、流れる情報の真意が

透けて見えてくるはずです




・・・なんか、多少ズレたようにも思いますが、
自然と浮かんだ言葉なので、きっとこれでよいのでしょう・・・(^_^;)


とーっても長くなりました!!!!!ごめんなさい
ここまで読んで下さった方に心から感謝いたします(ペコリ)