目の中のリンゴ

20年ぶりにオペラ座熱が再燃!!

まだまだ真田丸ロス 「英雄たちの選択」

2016年12月31日 | 舞台・音楽・テレビ
「真田丸」が終わって早2週間。
まだまだ真田丸ロスの私です。
本日は総集編もあり・・・
大掃除しながらつい見入ってしまったという・・・。

そんな中、録画していた真田丸関連
いろいろ見てるんですが
2014年にNHKで放送された
「英雄たちの選択 大阪の陣400年・決戦のジレンマ 真田幸村」
すごく面白かった!
2回見たわ!

歴史家の磯田さん、脳科学者の中野さん、
その他歴史家、政治学者、などなどが分析する。

”英雄たちの「脳内」に深く分け入り、
選択の崖っぷちに立たされた英雄たちが体験したであろうかっとうを、
専門家の考証に基づいて厳密に復元。
複数の選択肢を、独自アニメーションなどを駆使してシミュレーション”
・・という番組。

九度山で蟄居する幸村が、豊臣秀頼に請われて
大阪城入城。
(中野さんによると、人間、強いストレス下で頭を使わないでいると
海馬がどんどん衰えてダメになるそうな。
でも、幸村は、いざという時のためにずっと、
合理的思考のトレーニングを続けていたのだろう、と!)

冬の陣のあと、徳川との和議で堀を埋められ
もはや裸同然となった大阪城。
そして起こる夏の陣。

とうてい勝ち目のないと思われる戦を前に
幸村はなにを思い、決断を下したのか。
他の選択肢はなかったのか?!

夏の陣を前に幸村の考えうる選択肢は

1.大阪城を退去
(恩義ある秀頼を裏切れない)

2.秀頼に徳川への恭順を進言(幸村にそこまでの政治力はなかった。
秀頼を、そして牢人たちを説得できるか?)

3.家康と決戦(家康の首さえとれば!
秀忠は大名たちに嫌われていたらしいし
秀頼の出陣で、寝返る徳川方の者もいるはず。
しかし、作戦通りにいくのか、中枢の者は戦知らず・・・)

幸村は政治的センスがなかったのが弱点、
無能な人への対処のトレーニングができていなかった、
というのはものすごく説得力があるなーーー!

戦の経験のない無能な大阪城の中枢。
幸村の考えだす策はことごとく否定され
手をこまねいて見ているのみ。

でも、秀頼が敵と戦う、討ち死にする!と言ったから
幸村は家康の首をとるために戦う決断を下した。

そして・・・
幸村は家康の本陣に分け入り、
家康に自害を覚悟させた。
なのに、作戦は計画通りにはいかず、
秀頼は出陣を止められ、戦場に出ることはかなわなかった。
のちに、徳川方の記録には

”秀頼が出馬していれば豊臣方の士気は上がり
勝敗はわからなかった。
秀頼が出陣しなかったことが
豊臣滅亡の原因である”
と書かれている。

幸村の最期について
徳川の兵に見つかり、自ら首をさしだした、と
いわれているが、近年みつかった文書には
最期まで槍を交えて戦い戦死した、とある。

磯田さんによると、それを聞いた家康は
ものすごくイヤな顔をして
”早朝から戦って、最後まで戦う体力があるわけがないだろう”と
言ったとか。
幸村のカッコイイ話を残したくなかったんだねー。
でも、幸村は兵士たちに体力を温存させる策をとっていたから
最期まで戦ったに違いない、と。

さいごに、磯田さんによる
”もしも、恭順策をとっていたら”のシュミレーション。

家康は夏の陣の1年後に亡くなる。
秀忠の治世になると、それに反発する大名も現れる。
秀忠の死後はさらに徳川家の内部でもいざこざになり
朝廷は豊臣家との結びつきが深いので
徳川追放・・・とするかも。
そうなると日本の中心は大阪・・・になっていたかも・・・

このことを、家康は考えていたから
恭順させず戦を始めたのだろう、という。
それが勝者だ、と。

実力や策があっても、政治力や実績がなく
上に発言が認められなかった幸村。
今の日本の社会もそれとあまり変わっていないのかも。

豊臣の世は安定・安心ではないけれど
いい夢を、見たことのない世界を見せてくれる。
いわば”アメリカンドリーム”のようなもの。
そういう豊臣や幸村たちが滅んでしまったから
今のような面白みのない日本になったのかも、
という磯田さん。

今あらためてこの番組を見ると、
よーくわかるし、面白かった。
(磯田さんってすごいよねー!
どんだけ古文書読んでるの!)
滅びの美学、というか 判官びいきをくすぐる
悲運のヒーロー真田幸村なんだよなぁ!!

どこかで見れたら、是非見てみてください。
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