見出し画像

今日のころころこころ

2021・5・5 長野市立博物館分館戸隠地質化石博物館企画展「戸隠の森のヒミツ・その1・奥社の杉並木」。謎の火之御子神社。

昨日は戸隠高原へ行ったついでに長野市立博物館分館戸隠地質化石博物館へ寄った。
2005年に長野市と上水内郡戸隠村が合併した。
廃校となった旧戸隠村立柵小学校の校舎を利用した戸隠村立だった化石博物館は、長野市立博物館分館戸隠地質化石博物館となった。
2008年には茶臼山自然史館と統合され、廃校舎利用はそのままに自然史系博物館として再スタートした。











この博物館のユニークなところは、ミドルヤード。
通常の博物館はフロントヤードとバックヤードがきちんと分かれている。
ミドルヤードとは、フロントヤードとバックヤードを融合させた活動領域。来館者が資料を介して能動的な発見探求を行う実践学習の場。



この博物館のツボはやはりこれ。
ホネベヤ。



骨を学ばないことには発掘はできないのだな(*^^)v
今回の企画展は「戸隠の森のヒミツ・その1・奥社の杉並木」。



戸隠神社は、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子神社の五社で構成される。
戸隠神社の本社は奥社。中社と宝光社は門前。
杉並木で有名な戸隠の奥社の参道は江戸時代初期に造成された。
なのであるが・・・
奥社の横にある九頭龍社は、849年に学問行者によって開山されたとされ、江戸時代までは戸隠信仰の中心だった。
火之御子神社は、宝光社と中社の間にある目立たない小さな謎の神社。
舞楽・芸能の神とされる。
明治17年に再建。平成17年に修復。
神仏習合時代に奉仕していた神職は栗田家。
徳川家康から戸隠神社に与えられた千石のうち二百石はこの神社へ配分されたという。


今回の企画展では、この謎の火之御子神社にはかつて奥社の参道より立派な参道があり両脇には奥社の杉並木より見事な杉並木があったらしいということを示唆しているのだ。
ということは、もしかして奥社より火之御子神社が先の創建で格式が高かった可能性が出てくるんだな。。
なかなかにエキサイティングな謎解きになる。
あまり暑くならないうちに幻の杉並木跡をたどってみよう。


コメント一覧

kinntilyann
ぽてと先生
こんばんはでございます(^^)/
戸隠は赤蕎麦ではありませぬ(^^:
あれ南信(^^)b
あと青木村のタチアカネ(^^)b
子孫は何も直系でなくとも。
信州から養子(^^)b
atcchin
こんばんは。
赤蕎麦が戸隠高原でしたかね?
わが家の赤蕎麦は息も絶え絶え状態。
果たして子孫を残せるか?
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「博物館・美術館・動物園・植物園・ギャラリーなど」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事