



いやはいやはや・・・やっぱ凄いよな!
按針なおじさまたち( ^^)
かながわの古道50選・浦賀道十三峠付近を歩いていた。

三浦按針の墓に立ち寄った。裏側から・・・


正面はこちらから。





供養塔(墓ではないと調査で判明してる)の前に立ったら、草取りをしていたおじさまが話しかけてくる。按針だよ~!(^^)!というノリである。吉沢先生( ^^)

話しだしたら、もう止まらない!!!ひたすら熱くひたすら按針按針である。日本国で一番の按針を研究してると自負しておられる。かなり、面食らった。三浦按針の名前は聞いたことはあるが、なにをした人だったかは知らない。ぼんやりと、幕末に来日したお雇い外人さんだったかな?船造ったんだっけ?という程度である。浦賀道の途中にあったから寄ったに過ぎない。
それが、熱い熱いマシンガントークである。タジタジとしながらお話をうかがう。
地元有志で『按針のまち逸見を愛する会』を結成して活動しておられるとのことであった。
三浦按針についても愛する会についてもすぐに検索できるから省く。
が、とにもかくにも、熱い!NHKの大河ドラマと目標は高い!熱い!
青い目をした武士。徳川家康に見込まれて250石を与えられ逸見の領主として仕えた旗本。元々はイングランドの貧しい出自の大航海時代の一発狙いの船乗り。確かに、波乱万丈の人生ではあるが・・・
浦賀道に戻る。按針塚に裏から登らずに、素直に右。


これは後でおじさまたちから教えていただいたが、そこから大楠山を越えて木古庭に出るという。そういえばこの間バス停で、田浦から歩いてきたという女性グループ会ったな。そうか。ここから入ったんだ。


按針塚をくるりとまわる。



トイレはラストだよ( ^^) と言われていたから、寄る。

きれいだった。トイレがきれいだと、本当に気持ちが良い。いつだったかなんて、トイレが汚過ぎて印象がトイレばかりだったもんな。これも皆様が頑張っておられる賜物だな。ありがとうございました!


歩く。


本町山中有料道路が見えてきた。

ん?案内板。


そっち行くのね。



とおおお!西逸見吉倉隧道じゃないの(T_T)

ここを通り抜けてこなければならないはずなのに、前に出ちまった。あそこの分岐は真っすぐだったな。たぶん。

ま。いっか。


お!京急のガードが見えてきた。


その先の鹿島神社様は、按針の屋敷があったと伝えられてる。


その先の浄土寺様は、按針の菩提寺。愛する会の事務局がある。

その先が終点。

吉沢先生の本を買うべく、(有)按針さんに向かう。


LPガス販売店さんである。

会長は按針の旅に出てますという。

幾星霜を経てなおかつ熟年おじさまたちをここまで傾かせるなんて、ウィリアム・アダムズとは、いったいどんなお人だったんだろうか?
・・・そうか。そりゃそうだ。かの徳川家康が惚れ込んだほどの男前だもん!(^^)!
熱い熱い男たち頑張れ!!!
帰ろう。

そうだ。永島家の赤門に寄っていこう。
県立大学下車。

駅前の道を登る。



くぐれば、お!




道は続く。

ちなみに。
浦賀道は2本あったそうな。
東ルートがうらがみち。
西ルートがうらがどう。
私は、東ルートだったようだ。