三崎道のなもた坂付近。

県道216号線(油壺線)に面した真光院脇の道を入って行くと、うっそうとした坂道があります。当時、鎌倉と新井城の行き来には、この道が使われました。永正15年(1518)油壺の新井城は、北条早雲の大軍に攻められて落城しました。その時、戦火を逃れてきた身重の三浦道寸の側室がこの坂を下り、南無阿弥陀仏と唱えながら、自らの命を絶ったという悲しい話が伝えられています。一説にその南無阿弥陀仏がなまって『なもた』になったといわれています。三浦道寸義同の辞世の句、『討つものも討たるるものもかわらけよ くだけて後はもとの土くれ』
ふむふむ( ..)φ
JR・東神奈川駅から京急・仲木戸駅に乗り換え。いつも不思議だが、車内アナウンスは両社とも乗り換え案内をしない。?。

京急・三崎口到着。



バスに乗る。


小網代下車。

スマホのナビで歩きだそうとしたら、通りかかり御婦人がすぐそこだからと案内してくださった。ありがとうございました!

三崎口に少し引き返す。



お!真光院様があった。






その横の道か。


ここが起点。



そして終点。

来てみれば、真光院様は、三浦義同・義意親子が深く帰依していた寺院だという。その寺院の横で側室とはいえ義同の子を宿した身重の身で自害せざる得なかったとは、よほどに戦況が切迫していたのであろうな・・・哀れな話だな・・・

