今日も元気さんぽ俳句メシ

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猫の妻

2021-02-19 08:40:01 | 日記



              爪とぎの日々怠らず猫の妻


犬は飼い主に似るとよく言われるが、猫は飼い主に似るというのは聞かない。
でも、猫も長年飼われていると飼い主に似てくるように思う。散歩などでいつもの町内を歩いていると出くわす家猫の姿、顔つきを見ているとそう思えるようになった。飼い主の顔は見ることがなくても想像できる。人柄が猫に移るように思えるんだ。
 通りの家の、玄関の内側で何かしているお婆さんの後ろ姿が見えて、二匹揃って居るのを何度か見かけたことがある猫のこと。
外へ出ているのは見たことがなかった。開け放たれていても出ないのはしつけられていたからだと思う。
ところが、一昨年の晩秋の頃だった。その家の近くへ来ると、散歩させてる犬が盛んに吠えていて、その吠えてる先を見ると、その家の二匹の猫がびっくりした顔つきを並べて固まってしまっていた。
チワワの飼い主を見ると、気は良さそうでけしかけることまではせずリードを引いていたが笑ってる顔は、猫のおびえてるのまではわからなかったようだ。
僕は、後ろ髪を引かれる思いで(後ろ髪は無いが)「早よ行かんか。この親父は。アホンダラ!猫が怖がっとるのがわからんか!」と心でつぶやきつつ通り過ぎた。
 その後、二匹もお婆さんも見かけない。
よく通る道なので一年以上も見かけないということはないはずだ。玄関が半開きになってて、覗きながら通ったことも数度ある。なのに、お婆さんも猫の影も見かけないままだ。
これはどういうことだろうと親父探偵の人並み外れた洞察力で推理してみた。その結果はこうだ。
おそらく、お婆さんが亡くなったのだ。亡くならずとも、病気か何かで家に居なくなったのだ。
それで猫嫌いの鬼嫁がこれ幸いとばかりに二匹一緒に追い出したのだ。
何故そう言えるかというと、通りかかったあの日の玄関は閉まっていたのだ。

証拠、その二。
どんな顔をしてるのかと、家の前を通る度に僕は嫁の顔を見ようと注意していた。
そしてついにある日、近所の人と立ち話をしてるところに出くわした。一目でわかったその顔は案の定、猫嫌いの般若の相が表われていた。人相を見る僕は一目で見抜けるのだ。
まあ、いい死に方はしないだろう。リュウマチ煩ってバナナの皮に滑って転んで犬の糞に顔から倒れるのだ。