ご隠居さん:自我や世間の枠にとらわれず、社会の潤滑油となりたいものです。 AI時代は 人間らしい自由な発想がカッコいい

年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

脳を鍛える

2007年01月09日 | Weblog
IT化で社会のシステムが便利になり、余り考えないでも毎日の生活ができるようになった。ケータイ、Net検索、自動洗濯機・掃除機、クルマ、カード支払いなど自動化がどんどん進んでいる。(技術優先、思想欠如)
朝起きて外出、仕事、帰宅後のTVなどの活動を振り返ってみると、自分自身で深く考えることが如何に少ないことか。

ほとんどのことが、反射的な対応で済んでしまう。
慣れと怠惰。

哲学好みのフランス人は、自動化について一家言を持っているそうだ。
「考える」ということを大切にする国民。
確かにフランスで駐車しているクルマを見ると、ほとんどマニュアル車。(オートマティック車など子供のオモチャ?)

地下鉄のドアもガチャとレバーを回さないことには、外に出られない。
 日本の乗りモノと同じように、ドアの前にジッと立っているだけでは
乗り越してしまう。 少しでも、自分の意志で行動したいという思想が現れているのだろうか。
 大学入試資格試験(バカロレア)でも「哲学」は全員必須、文系はタップリ4Hr、2,3の出題に頭の汗を流すという。(○×式とはエライ違い)

日本人は、自動化には無防備といわれる。
シャワートイレは良いとしても、フタの自動開閉まではどうも・・・
ロボット技術に対する見方も、外国(とくに欧米)とは違い、好意的・楽観的のようだ。

両親の痴呆の問題について、考えさせられることがある。
肉体とくに脳の老化とはどういうことだろうか?
脳という物質(ハード)を駆使して、考える能力=脳力が衰えること、
とすれば、脳力を鍛えることが重要だ。

インプット→脳→アウトプット(表情、言葉、運動などの表現)というプロセスの中で、脳の回路を深く働かせなくても済んでしまう生活・・・
今の日本(とくに都会)での生活は、そんな方向に向かっているように思う。

こういう自動化が溢れかえるわが国において、
あえて「これだけはやらない!」という”断ちモノ思想”を貫く覚悟が必要な段階にきているのではないか。

自分の場合、ささやかに次のことを実践しているくらいでお恥ずかしいが、、
・クルマにはできるだけ乗らない。(1hrくらいなら18年使用のサイクリング車で)
・洗濯は手洗い(時々ですが、運動を兼ねて)
・TVよりもラジオ(ライブのせいか、実に良い番組が多い)
・今後の課題:創造する活動を増やしていくこと
 (今のところ、市民農園、日曜大工(余りうまくできないが)
 








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