北朝鮮が、グアムに向けたミサイル発射実験を予告したことに対し、トランプ大統領の報復宣言!
今年の終戦記念日は、例年以上に戦争の実感が強い。
この時期には、新聞、TVでも大戦の番組が多く、戦争の悲惨さを改めて教えてくれる。
NHKスペシャル「なぜ日本は焼き尽くされたのか」では、戦後初めて米空軍関係者の証言テープ(米空軍士官学校に眠っていた207本、計300Hr.分)を基にした解説に、新たな気づきを得た気がする。
① 1941/12月、真珠湾攻撃による日米開戦 ⇒②陸・海軍力中心の南方戦線と空軍力の増強⇒③B29による精密爆撃と限界⇒④米空軍のメンツをかけた東京無差別攻撃⇒⑤それに続く日本本土大都市壊滅攻撃⇒⑥非人道攻撃に対する米国内の批判と原爆投下⇒1945/8/15終戦、という経過が、米統合参謀本部から戦地指揮官までのリアルな証言によって編集されている。
① から⑥までのそれぞれのプロセスでの戦況の変化とこれに対応した人間ドラマは、“戦争”という不条理と狂気をいやというほど思い起こさせる。
以下、とくに感じたこと:
① :米海軍基地の真珠湾を空爆することで、日本が短期勝利をもくろんだことは、米空軍力の弱点を突いた作戦だったようだ。1941年開戦時の軍用機保有数:ドイツ8000機、日本4000機、英3900機、伊3000機、仏2000機、アメリカ1200機(陸軍の下部組織)とくに、米最新鋭機は、わずか14機で世界5番目に過ぎなかった。
② :1944年米軍はマリアナ沖海戦でサイパン、グァムを奪還、空軍力の増強とB29の開発にも成功し、日本を空爆範囲に収めた。
米航空戦略の創始者といわれたミッチェル司令官、その部下アーノルド司令官→ルメイ将軍(日本の焦土化作戦の実行者)という空軍力信奉者たちの執念はすさまじいものがある。
ルーズベルト大統領は、1943年、空軍予算を100倍(3年間で4兆円)にし、開発プロジェクトにより高度10,000m、航続距離5,000km超という大型戦闘機B29の開発に成功。

これにより、ゼロ戦など高度5,000mクラスの反撃を受けることなく、日本→サイパン間2,400km攻撃を手にした。
③ :1944年秋、B29の高性能照準器を武器に、日本の軍事基地(中島飛行機など)をピンポイント攻撃する精密爆撃を開始、しかし命中率が数%と低く見直し。10,000m高度のジェット気流の存在が、命中率低さの主な原因だったという。
④ :陸軍大将マッカーサーからの「戦争を早く終わらせろ」という圧力、海軍の硫黄島攻略成功によるB29指揮権の要求など、空軍は追いつめられる。最年少将軍ルメイは、アーノルド司令官に焼夷弾作戦を白紙委任され、ついに1945.3.10東京無差別攻撃を実行。B29計352機、2Hr.半の攻撃で、25万発、計1600tonの焼夷弾を投下し、東京の人口密集地の下町を‘火の海’にした。(死者10万人超)
焼夷弾作戦は、1943年から、木造家屋で延焼実験を繰り返し、毒ガス攻撃(カスタード他)の詳細計画と共に周到に準備されていた。
⑤ :1945/6月、米陸・海軍による沖縄大勝利の後、九州上陸作戦に合わせ、航空軍は全土に亘る大都市攻撃(180都市)を敢行。10日間で150万発の爆弾を投下、死者46万人超。
⑥ :この無差別攻撃に対し、米国内でも非人道だとして批判が増大し、焼夷弾攻撃を中断。7月原爆実験の成功により原爆投下へと流れていった。

彼ら米統合参謀も前線指揮官も、戦後のインタビューで、「無謀な戦争(パールハーバー奇襲開戦)だから、ある程度の犠牲は止む負えない」「戦争とは破壊することである」などと、正当化して述懐している。
戦後、アーノルド司令官は空軍独立と共に元帥に、ルメイ将軍は15年後空軍参謀長に昇進。ルメイは、ベトナム戦争でもナパーム弾の使用を決行した。また、日本自衛隊創設への功績で、小泉政権の時、旭日大綬章。
今年の終戦記念日は、例年以上に戦争の実感が強い。
この時期には、新聞、TVでも大戦の番組が多く、戦争の悲惨さを改めて教えてくれる。
NHKスペシャル「なぜ日本は焼き尽くされたのか」では、戦後初めて米空軍関係者の証言テープ(米空軍士官学校に眠っていた207本、計300Hr.分)を基にした解説に、新たな気づきを得た気がする。
① 1941/12月、真珠湾攻撃による日米開戦 ⇒②陸・海軍力中心の南方戦線と空軍力の増強⇒③B29による精密爆撃と限界⇒④米空軍のメンツをかけた東京無差別攻撃⇒⑤それに続く日本本土大都市壊滅攻撃⇒⑥非人道攻撃に対する米国内の批判と原爆投下⇒1945/8/15終戦、という経過が、米統合参謀本部から戦地指揮官までのリアルな証言によって編集されている。
① から⑥までのそれぞれのプロセスでの戦況の変化とこれに対応した人間ドラマは、“戦争”という不条理と狂気をいやというほど思い起こさせる。

以下、とくに感じたこと:
① :米海軍基地の真珠湾を空爆することで、日本が短期勝利をもくろんだことは、米空軍力の弱点を突いた作戦だったようだ。1941年開戦時の軍用機保有数:ドイツ8000機、日本4000機、英3900機、伊3000機、仏2000機、アメリカ1200機(陸軍の下部組織)とくに、米最新鋭機は、わずか14機で世界5番目に過ぎなかった。

② :1944年米軍はマリアナ沖海戦でサイパン、グァムを奪還、空軍力の増強とB29の開発にも成功し、日本を空爆範囲に収めた。
米航空戦略の創始者といわれたミッチェル司令官、その部下アーノルド司令官→ルメイ将軍(日本の焦土化作戦の実行者)という空軍力信奉者たちの執念はすさまじいものがある。
ルーズベルト大統領は、1943年、空軍予算を100倍(3年間で4兆円)にし、開発プロジェクトにより高度10,000m、航続距離5,000km超という大型戦闘機B29の開発に成功。


これにより、ゼロ戦など高度5,000mクラスの反撃を受けることなく、日本→サイパン間2,400km攻撃を手にした。
③ :1944年秋、B29の高性能照準器を武器に、日本の軍事基地(中島飛行機など)をピンポイント攻撃する精密爆撃を開始、しかし命中率が数%と低く見直し。10,000m高度のジェット気流の存在が、命中率低さの主な原因だったという。
④ :陸軍大将マッカーサーからの「戦争を早く終わらせろ」という圧力、海軍の硫黄島攻略成功によるB29指揮権の要求など、空軍は追いつめられる。最年少将軍ルメイは、アーノルド司令官に焼夷弾作戦を白紙委任され、ついに1945.3.10東京無差別攻撃を実行。B29計352機、2Hr.半の攻撃で、25万発、計1600tonの焼夷弾を投下し、東京の人口密集地の下町を‘火の海’にした。(死者10万人超)
焼夷弾作戦は、1943年から、木造家屋で延焼実験を繰り返し、毒ガス攻撃(カスタード他)の詳細計画と共に周到に準備されていた。
⑤ :1945/6月、米陸・海軍による沖縄大勝利の後、九州上陸作戦に合わせ、航空軍は全土に亘る大都市攻撃(180都市)を敢行。10日間で150万発の爆弾を投下、死者46万人超。
⑥ :この無差別攻撃に対し、米国内でも非人道だとして批判が増大し、焼夷弾攻撃を中断。7月原爆実験の成功により原爆投下へと流れていった。


彼ら米統合参謀も前線指揮官も、戦後のインタビューで、「無謀な戦争(パールハーバー奇襲開戦)だから、ある程度の犠牲は止む負えない」「戦争とは破壊することである」などと、正当化して述懐している。
戦後、アーノルド司令官は空軍独立と共に元帥に、ルメイ将軍は15年後空軍参謀長に昇進。ルメイは、ベトナム戦争でもナパーム弾の使用を決行した。また、日本自衛隊創設への功績で、小泉政権の時、旭日大綬章。

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