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ご隠居さん:自我や世間の枠にとらわれず、社会の潤滑油となりたいものです。 AI時代は 人間らしい自由な発想がカッコいい

年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

ささやかな幸せ

2007年06月29日 | Weblog
梅雨とはいえ、今朝も快晴、ふと2階の窓から電線の鳥に気づく。
さえずりながら、せわしく毛づくろい、何となくユーモラスな感じで見ていても楽しい。
そのうち、もう1匹が来て、並んでダンスでもするように懸命に動いている。
すると、急に2匹そろって飛び立って行った。

自分たちだけの小さな世界、あるのは朝の冷気と木々の緑、そして仲間の鳥とのコミュニケーション・・・そんな感じだろうか。
見る者も、ささやかだが、幸せなひととき。

今、身の回りの生活は、外部からの刺激が多すぎて、じっくり我が身を振り返ることが余りにも少ない。新しい物が次々と開発され、それがまた新しい楽しみを生み出す。
芸能、文化、スポーツ、政治など世界の情報が、net、TVなどを通じて否応無くなだれ込んでくる。
日常生活も自動化が進み、自分の五感を感じる機会を奪われているような気がする。
・・・エアコン、自動ドア、掃除機、車、医薬品etc.etc.

自分の20代の頃を思い出す。
会社の独身寮・・・自分だけの時間と空間の中で、じっくりと自分の世界を味わえた時代。2階の部屋から、中学校とその前に広がる池を眺めて、早朝にあれこれ空想する至福の時間が懐かしい。
“断ちモノ”という訳ではないが、車・golf・TVの3種の神器には手を染めない、と何となく誓いを立てていたような気がする。
断てば、ほんとうに欲しいものが見えてくる・・・
野山や街中を歩き回ること、いろんなジャンルの本で知的好奇心を満たすこと、見知らぬ土地の風土と人情に直接触れること、若者はみな、Wander Vogel(ワンゲル)
とかユースホステルにあこがれ(ロマン)を抱いて旅に休暇を癒していた。豊かではないが、そんな自分中心のわがままが許された時代でもあった。

今の若者、子どもたちは、何とせわしい環境におかれているのだろう。
遊びも勉強も情報の洪水の中で、自分の好奇心を育む余裕もなく、先へ先へ、広く外へ外へと追い立てられる。
大人から見ると、どうしてもそんな気になってしまう。

でも、そんなに心配することはないのかもしれない。
まだ経験していないことは、それなりに新鮮で感動的、一段一段と成長する中で、自分なりに取捨選択が出来る、いつの時代も人間は、そんな歴史を繰り返しているとも考えられる。
「今の若い者は○○・・」は古代から変わらない言い草、というではないか。

もしかしたら、これも“老婆(爺)心”に過ぎないのだろうか。


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