朝から、 「子どもクラブ」の総会で小学校へ行く。子どものいない自治会も発生してきているが、子どもの数が少なくなって、子供会が減ってきて、「子どもクラブの活動が維持できなくなり、今年の行事で終わり来年度は解散するという話があった。
「子どもクラブ」は、佐保川小学校区域の子ども会の連合組織で、過去には、他の団体とも協力しあって、「年末のお餅つき大会」や「とんど」の行事を運営してくれていた。メンバーの中心は小学校のPTA卒業者が引き続きイベントの運営者となってくれていた。
最近は、PTAのなり手も中々ないらしいが、若い女性がパートにでていくことが多くなり、担い手がいないらしい。また、他人の世話をやくのが嫌で役員にならない人が多くなっているそうだ。
絆の必要性が求められているときに、「縁をしたくない」「関わりたくない」という無縁社会を求める人や男女平等社会を求めて、女性の社会進出の増加や全般的に自己主義、利己主義の人が多くなってきた。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の中のサソリの話を思い出した。
小さな虫を食べて生きてきた1匹のサソリ。ある日、イタチに襲われ井戸に飛び込んだ。溺れゆく中でサソリは思った。「自分は今までいくつの命をとったのか。なのに、イタチに潔く身をささげられず、むなしく命を捨てるとは。
そして祈った。「この身を皆の幸せのために使いたい」。さそりは真っ赤な火と燃え、闇を照らす星となった。
この話は、全ての命は、他の命とのつながりの中で生きていることを言っていると思うが、誰かの役に立ちたいと願い、それを喜びとする心は、この命の在り方に深く結び付いているのだろう。
自分の子供の世話を他人に任せるのは、小さな虫を食べるサソリのようなもので、自分の身に負担がかかってきて逃げるのは、『虚しく命を捨てること』ではないか。
私の好きな言葉に「人の前にあかりを灯せば、我が前、明らかなり」のように、「この身を皆の幸せのために使いたい」。と星になって、闇を照らしたサソリ。
こんなサソリのような人が、一人でも増えてくれるといいのだが。
また、こんな言葉を思い出す。「喜とは自他共に喜ぶ事なり」
自分の本当の幸福(喜び)は、他者に尽くし、分かち合った喜びの中にこそある。こんな生き方をしていきたいものだ。
連合自治会では、今年の取り組みとして、「地域の子どもは、地域の財産」「子供会に任せるだけでなく自治会で育んでいこう」と呼びかけさせていただき、そして、ふれあい会館では、子どものイベントを多く開催していくとこにした。
ありがたいことにこの話をしたとき、高齢者の方が、「子どもが大きくなって学校とは縁がなかったが、孫ができて、また学校に関心を持ってきたので応援します」と言ってくれた。
午後から、奈良市自治連合会の定例会があった。その中で、会長が、斎場の件やクリーンセンターが一向に進展しないことに対して、奈良市連合会として、市民が困っている問題なので、市長や議会議員に対して、真剣に課題と取り組み、推進をして欲しいという趣旨の要望をしていきたいと提案をすると、元市議会議員の連合会長は血相を変えて反対をしていた。(もともとなんでも反対の党の人だが!!!)