TVに田中真紀子さんが出てくると、何時も昔の事を思い出す。
昔、私が勤めていた、建築会社の社長は、田中角栄さんと親しい友達だった、
たまに片手を振りながら、会社に見え、こちらからは、時々目白の屋敷に伺った。
小さい会社だったものだから、運転手兼秘書役をやらされ、行く時はいつも御供だった。
目白に着くと2重の門の奥の門は何時も閉じられて、門と門の間に警護係りが3人、顔を確認しないと開けてくれない、最初はなかなか厳しかったが、その内、社長の顔を見なくても開けてくれるようになった。
角栄さんの御母さんが亡くなった時は、車で新潟まで行った、途中2階堂さんと、他何人かの議員の車を追い越した。まだ若い時で、飛ばしたくって、飛ばしたくって・・・関越道はまだ無かった。
ご焼香の時真紀子さんが、こじんまりとした、着物姿がまだ、目に浮ぶ、
御母さんの顔見てやって下さい、ナンテ云われ
ご焼香した。
あの頃の真紀子さんと今の真紀子さんの違い!
人間は生活環境でこんなに変化するものかと、
改めて感心する。
あのチョコとした、こじんまりした、真紀子さん、何処へ行ったのだろう、
昔、私が勤めていた、建築会社の社長は、田中角栄さんと親しい友達だった、
たまに片手を振りながら、会社に見え、こちらからは、時々目白の屋敷に伺った。
小さい会社だったものだから、運転手兼秘書役をやらされ、行く時はいつも御供だった。
目白に着くと2重の門の奥の門は何時も閉じられて、門と門の間に警護係りが3人、顔を確認しないと開けてくれない、最初はなかなか厳しかったが、その内、社長の顔を見なくても開けてくれるようになった。
角栄さんの御母さんが亡くなった時は、車で新潟まで行った、途中2階堂さんと、他何人かの議員の車を追い越した。まだ若い時で、飛ばしたくって、飛ばしたくって・・・関越道はまだ無かった。
ご焼香の時真紀子さんが、こじんまりとした、着物姿がまだ、目に浮ぶ、
御母さんの顔見てやって下さい、ナンテ云われ
ご焼香した。
あの頃の真紀子さんと今の真紀子さんの違い!
人間は生活環境でこんなに変化するものかと、
改めて感心する。
あのチョコとした、こじんまりした、真紀子さん、何処へ行ったのだろう、