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退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

今つらいならば、よくやっていると言うことだ

2013-05-04 15:57:42 | 韓で遊ぶ

괜찮다 이 또한 지아가리라
大丈夫、これもまた通り過ぎるだろう


涙のあるところには人生があり、涙のあるところに強靭さがある。間違いであれ失敗であれ、機会の剥奪として泣くことができなかったならば、その人は強い人生を生きることができないと断言する。

倒れたら、思いっきり泣きなさい
何年か前に職場の同僚の葬式に参列したことがある。後輩であったが、いつも誠実で、家庭的で、私の話を良く聞いてくれ、とても大事にしていた後輩だった。その年の夏、後輩は家族や親戚と共に休暇に出かけた。子供たちは水遊びをして、大人たちは川辺で休んでいたが、その時後輩の息子が急流に巻き込まれ流された。これを見た後輩はすぐに水に飛び込んで息子を助けたが、自身は力尽きて水から上がることができなかった。弔問に行って家族を慰めたが、父親のおかげで生き残った中学生の息子が、世の中のすべての罪を一人で背負った人のように、片隅に座っていた。自責と恐怖に包まれどうしても泣くこともできず震えている姿だった。湧き上がる悲しみに、息子をぎゅっと抱きしめ、一緒に泣きながら話した。
「泣きなさい。思いっきり泣きなさい。お父さんに聞こえるまで。そして、お父さんが成し遂げられなかった夢まで成し遂げなさい。」
家に帰る途中で、その息子に励ましと慰めのメッセージを送った。
「つらさに耐えたら大丈夫だ。これもまた過ぎていくだろう。」
本を書き始めた今、この後輩の息子が思い出される。どれだけ多くの若者が、つらさを抱え涙をこらえて生きているのだろうか。その者たちの傍で私たち大人は何を話してやることができるだろうか。ただ、涙を拭いてやるしかできない現実の中で、どうすれば共に荷を背負ってやれるのか苦悩した。重い荷を背負い生きていく若者のために分け合う生き方を実践したい気持ちで執筆を始めた。
無限の競争社会を生きながら人々の涙はだんだん干からびている。一度倒れると再び起き上がることができない、永遠の敗者になると言う社会通念に絶叫する。「敗者復活戦はない」と絶望する若者に、この世の中は「倒れても泣くな」と強要する。
もはや、私はこの者達に「倒れたら泣きなさい」と叫びたい。「泣いてこそ、生きる」と言うメッセージだ。そうしてこそ本当に心の傷を踏み越えて再び起きることができると信じる。
自分のせいで父親が死んだという痛みを抱えている息子に、泣くのを我慢しろと言ったならば激しいストレスでその子もまた絶望して挫折するだろう。思いっきりうらみ嘆いて泣いて、限りなく父を恋しく思う時、乱れた情緒が回復して心が自由になる。
なぜこのように心の余裕がなくなっていくのか。過去よりずっと豊かな暮らしをしているのに、なぜ私達の心はより枯れて乾いていくのか。「泣くと弱気になる」と言う認識が私達を捉えているからではないか。泣かなければ強くなれるかどうかは疑問だ。理性が感性を支配してこそ強くなれると信じているが、心の中の深いところの感情が覚悟決めさせ新しい自分を照らすエネルギー源である時がまた、多い。
悲しければ泣かなければならず、うれしければ笑わなければならない。それが自然の道理だ。喜怒哀楽によって生きることができないならば状況に適応する感情がちゃんと作動できない、自分ではない他人の情緒ではないか。つらかったら泣きなさい。人生はスベックではなく純粋であることと悟ることを積み上げてこそ成功するものだ。
私は感情をある程度表出しなさいと言いたい。人間は繁盛の動物ではないか。誰が私達をロボットにしようとするか。情緒が干からびる時は人生も乾燥する。涙があるところには人生があり、涙があるところに強靭さがある。間違いや失敗で機会を失ったことで泣くことができなければ、彼は強い人生を生きることができないと断言する。すべての偉大なことの後ろには涙があるからだ。
職場の生活に疲れたのか。学業がつらいのか。上手くやろうとするがやる事々に上手くいかないのか。だが、今、座り込むには人生はあまりにも長く美しい。
私は30余年組織生活をしながら多様な経験をした。時にはつらくてワンワン泣きたい瞬間、どこかにさっと逃げ出したいくらいつらい事、辞表を出して休みたいときもあった。私が悪いのではないのに上司に怒られ、人々の間で腐っていたら自身がみじめでかわいそうだった。自分がかわいそうだと浸って泣きもした。今考えると大したことではないのに、なぜあの頃は重く手におえなかったのか。人生に対する純粋さがあり、内面の痛みが大きかったようだ。些細なことに共感して反応する感性が「生きていた」からだ。映画「犯罪との戦争」を興味深く見た。慶尚道なまりで唯一繰り返された台詞、流行語になった言葉がある。
「生きているね」
興味深くも、「生きているね」という言葉を言ってみると力がでる。生命が生きているというように私達の言葉と行動、表情が生きていなければならない。つらいということは生きている証拠だ。
疲れて、つらいあなた。つらいならばつらいと思いっきり泣こう。そして思いっきり泣いたら、痛みを振るい捨てて堂々と立ち上がろう。一度の失敗は長い人生において一つの点に過ぎない。
どう見るかの観点が未来をよくもするし悪くもする。つらかったら泣く術を知り、思いっきり泣いたら立ち上がる術を知る、正しい情緒を持つときやっと望むことを成すことができる。

2014,1,3 校正
コメント (1)
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