花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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父の日の2本のホームラン!

2024年06月18日 | 日記
今更、、父の日なんて、、、と

   80歳過ぎた、、、ダンナさんの。。テレビを見ている、、夢中な顔。

      結婚以来、、お互いにプレゼントらしいことは、、、何もしなかった。

          戦後の、、、復興の時期だっただけに、、、

                 何が真実で、、、何が実質的で、、、何が「愛なのか?」

                   見当もつかないまま、、

          戦争で失った人間だけは、、取り戻さねばと、、、

              昭和20年過ぎから、、、出産ブームが起きました。

                  

         戦争が終わって3~4年、、、、日本中で、、、ベビーが誕生!!
           

     一気に、、戦後のベビーブームが起きました。

         まさに、、、父の日が できたのは、、、わかるような、、、気がします。
            

         戦中に生まれた私は、、目の前に、、、80歳が見えています。

          兵隊として、、軍医として、、、日本の玉砕が、、、軍医の出番がなくなったのか?

            出兵するトラックが来なかったという、、、昭和19年、、、、夏。

              軍医を運ぶトラックの、、、たった、、、一台にも事欠く終戦まじか、、、

            ウメヤふやせよ、、、人間爆弾、、、肉弾参銃士?、、、
            アメリカ側は、通信技術も進んでいた。
                    頼みのゼロ戦は、研究されつくされて。

                  ヒコーキの上からの攻撃には弱いと判明。

              ミッドウエーの海戦では、、、通信技術の遅れていたニッポンンは
               雲の上のアメリカの、、、
                飛行軍団を、レーダーで捉えることさえできなかったという。
                  
                    、、、科学力のお粗末さ!!

           短期決戦なら、、居合抜き剣豪は、骨川筋衣文でも、勝因は一瞬ということもあろう。

             日本は、フジヤマノボレの暗号で、、玉砕していった大将は、、

               ハーバード大学で、、、アメリカを内部から見ていた。

                  勝てるとしたら、、短期決戦のにらみ合いの瞬間であり
                     長引けば、、、エネルギー戦、、、科学力の違い
                       日本のように、、一部の人間の、、トップダウンとは違う国民性。

             上司の前での
               カチン子チンの
                  緊張したエネルギーの、、、
                        無駄な放失の少ない合理性。

                 300年間の徳川幕府の鎖国のもたらした、、、
                    お山の大将という、、、島国根性の将校。

                 実力主義のアメリカの合理性とは違う、、、

                    トップダウンの軍隊の、、視野狭窄が、、、特攻隊や、、人間爆弾や

                   女性群の竹やり軍団など、、、

                 長期戦に至った大東亜戦争は、、、、エネルギーの違いが、、、

                    竹槍軍の女性兵士の本土に、、、原子爆弾が2発も落ちたのだから、、、

                      無条件降伏という、、、気迫だけでは戦えなかった結果になった。

                ロシアと、、、ウクライナの戦争が、、、終わってくれることを祈っています。

                北朝鮮も、、、リーラインができない時代は、、同じ民族で
                 東南アジアに至るまで、、東シナ海の結束を持って、、、

                 アジアは、、アジアの自治ができることを、、、死守したいという発想の
                   日本の国が、、時代の流れで、今のウクライナのような、、、

                       立場だったのかもしれないと、、、思ったりしながら

                     ばあちゃんの想像だけでは、、、戦争の原因なんてものは、、わかるわけはない。

                 ただ、、、今、、アメリカとしっかり話のできる、、、外交力のない政治家が

               国内の正義だけを振りかざして、、、外交力を欠落させるような大臣を選んでしまうと

                 手術は成功したが、、、日本という、、患者は死んだ、、、という、、剣が峰にいることだけは感じるね。

                 共産党の行き着くところは、、ロシヤに様な、、武力革命、、

                 中国のように、、、中央集権の極端な、、トップダウン。

             日本は、政治資金も白日にさらさないと、、、喧々諤々、、、

                   東京が、、、政治政権交代で、、、

              生涯をがんの先進発見の「CTやMRIや、ペットCTの開発で早期発見の研究にかけていた
               国立がんセンターに、、、新政権の短期間のうちに

                今までの苦労を貫いた古参が一掃されて、、、愛知県から、、乗っ取り屋のように

               新メンバーが送り込まれ、、、東北から、、学者とは思えない壊し屋が

              がんセンターの50周年の集大成の結果の発表を
                    研究予算をカットし、退職金を半分にして、、

                    早期退職だけが、、、退職金のhン額になるのを未然に防げるというので

               粋な場ならない研究者の多くは、退職して、、、

              愛知県からの、、がん船t-には功績もない若手が大量に流入して

                   それがいつの間にか、、、東京大学の実力組にとってかわられて、、

                    学問戦争も、、世界池泉のミニバンだと思いながら、、、傍観していた。

                  国立がんセンターができたころは、、、父は東京で開業しながら
                 戦争で仕事を失った親類を引き取って、、、
                雇用の促進を目的に、、、初めての開業に、、40過ぎてから、、踏み切った。

                軍隊のように、、、トップダウンだった医療界も

                研究と、臨床と、病理と、、新薬の開発と
                がンンお発生部分に、集中して治療薬を送る研究など

               世界的な「頭脳が集まり始めていた。

                 医療面で、、世界がつながろうという方向が、、見えてきていた。

                 そのころ、、私は、、赤ちゃんの頭の大きさほどもある卵巣腫瘍で

                 がんセンターのかんじゃさんでもあった。

               私の主治医は、、弟であった。

                先生としての弟は、ハーバードにも、、ロチェスターにも

                  ヨーロッパの医療G'7の一員として、世界を飛び回っていた。

                 バングラデイシュにも、、何度か,、講演に行っている。

                中国にも、アメリカにも、、CTの普及や、がんの早期発見の公園に呼ばれて

              客員として、、渡航している。
                そのたびに護衛がつくそうで、、、ホテルの部屋からは出ないようにして

                 学会場とホテルの行き来だけで、、出る気もしないので、、

                 街の様子は現地のTV放送で見るしかなかったと、、言いながらも。

              医学交流で、、世界の平和な交流になっていければと、、

              北海道にも、、へき地の医師の学問の孤島にならないように、、、

                オンラインで、、中央の医師たちの仲間になりながらの
                 へき地勤務をできないかなどと、、、

                医療の世界平和に向けての、、ダイナミックな構想を持っていた。

             しかし、、日本は、、どの山にも、、「小山の大将」がいて、、、

              東京都の地面に、、千葉大学の市川平三郎先生が、、、がんセンターの基礎を築城!!
              弟が呼ばれて、、市川先生のもとで、、日本のCTの開発をした昭和~平成の時代に

              50周年を機に、、、東京の築地は、、千葉大から、、東大に、、入れ替わったようである。

              学問や臨床の世界にも、、、東大の支配下、、千葉大の支配下、、、があるのかもしれない。

              学会は、そうした場所の統括はともかくとして、日本全体の統括をしているのだろうか???

             男尊女卑の日本では、女性は、、、、権力の田んぼの案山子にはなれるけど、、、
              本当の実力者は、、、どこにいるのか、、、さっぱり見当がつかないのが、、、

                 日本の政治の、、、よくわからないところでもありますね。

              ばあちゃんは、、まるっきり、、政治音痴なので、、、

                野球や、、サッカーや、、医学の世界が、、、
                  世界平和の貢献が 、できるように思っています。

              北海道でも、、アメリカと交流していた病院が

             ロシヤと交流したいという自治体の意向で、、、
                国立大学と、、、札幌医科大学の意向とが、、、二本立てになって

               両方とも、、うまくいかないということも、、起きてしまうだろうから、、、

                自治体の独立も稚拙だが、、根本のところで、、、国とつながっていかないと

               一部の地域密着型の政治家の独断場になれば、、、

              ある日、、北海道は、、ロシアに名ているということがおきて、、

                自治体は、、好ましがらざる集団、、、として、、、

                   何をやっていたのかわからにという、、、政治閣下に終わるから

                まず、、、日本は、、
              アメリカと、、ロシアと、、ヨーロッパと
               野口秀雄が住んでいたアフリカと、、オーストラリアと、、中国の
                緩衝帯として、、地球環境保護国の呼びかける国になれないものだろうか? 

              核戦争になりそうな気配の中、、、人間の思い上がりが、、、万人の母体である地球と

              地球環境を、、住めない国々にしてしまう、、核戦争を、、やめる方向に導かないと、、

               人間の頭脳がもたらす、、、氷河期のように、、、

              地球は、、長い長い、、沈黙の星になる日が来てしまうのではないだろうかね^^^

              ばあちゃんは、、、戦争中に生まれたけれど、、、戦争が起きなかった時代を生きて

               幸せといえそうですが、、、

               孫子がいるだけに、、、 世界の結束で、、地球環境を守れるような、、、

               戦いにしてください。

            人種を超えて、、戦いを楽しむ野球を、、、今はいちばん、、、

              男女平等を、、実践した、女子サッカーも、、、すごい、、道しるべ!

               バスケットも、、、バレーも、、、

               東洋の魔女にっ時代に育った、、、この日記の主の、、、ばあちゃんは

               ありのまま尾の心を書いていますが、、、

                政治資金というのは、、、表にガラス張りにはできない要素があることだけは感じますね。

              政治家にとれば、、、「金のないのは、、、首のないのと同じだろうと、、推察できますね。」

                医師という仕事は、、お金持ちに間違う人がいるけど、、

                 学会という、、パーティにも似た機能が、医学の徒を支えているような気もしますね。


            ダンナさんも、、、30個以上の医学の学会や地方会、、、なんやらカンやらの、、、会合の

               長や、、会員や、、、参加者で、、、家計は、女房側の負担も大きいのが

                   医学の世界のようですね。

             みんな嫌気がさして、、、地域医療の貢献の開業に走ってゆくのかもしれませんね。

                結局、、、税金を納めると、、、ぼろ屋になった自宅と

                   閉じこもりと間違われるほどの、、どこにも出れない家内と、、、

                       
               老老介護の、、、年金暮らしの、、現代版、、「ならやまぶしこう」の山中で

                 地球平和を祈りながら、、
            、孫子の平和な日本を祈っているのが、、、ゴールでしたね。

            
           これからお戦争は、、、、「核の稼働」かもわからないが

            八〇年前の戦争は、、、「人間が弾丸」のように使われていた戦争だった。

                   七つボタンの若者、、、特攻隊員の飛行服、、、肉弾三銃士の、、、ただ、、涙!

           資本も、、自然の恵みも、、、
              エネルギーとなる石炭や石油や、、金属鉱山や、工場力

         すべてにおいて、、
             エネルギー戦では「始まる前に敗北」の、、小さな島国は

                気迫だけで、、、よく戦ったと、、思いますよね。

                   私のお爺ちゃんは、、「アメリカと戦争するなんて、、、日本は馬鹿だと、、。」

             女性の青春も、、人生も、、、
             
                 「苦労をするため、、、に生まれてきたような、、、お母さんばかり。」

        、原子爆弾、、、長崎と、、広島に、、弐発、、、きのこ雲!!!


           町ごと吹っ飛ぶ威力に、、、

           オッペンハイマーは

           物理の実験の成功を喜ぶが如く、、、人の国の不幸は、、、実験材料のうちだった。

          「ノーベル賞」といえば、、、学者が最高の栄誉として

             ご婦人と同伴で、、スエーデンに、、、ノールウエーに、、、北欧に、、、と

           一生分の苦労を掛けても、、、ご婦人に、ノーベル賞の同伴で、、、

           どんな苦労も帳消しにしてしまうという、、、

           科学は...魔法使いのようですね。

           そして、、ついに、、、人工元素も、、、ミサイルも、、、

              核爆弾も、、多く設備したほうの国が、、、強い??

            女性からは、、、考えられない、、、角を突き合せた猛獣のように

           アメリカも、、ロシヤも、、5000~5500~~北朝鮮は500~、、、

             何の数字かと思えば、、、原子爆弾だとか??爆弾搭載のミサイルだとか?

            どの国が勝っても、、、地球がダメになってしまっては

            放射能で、、野菜も魚も、、、パンを作る、、小麦だって

           汚染されて、、、場後子の代には、、、一つ目小僧のような、、、

                かわいそうな子供や、、、

                 脳のない、、、人間としての判断のない孫子の時代が来たら

                        原子爆弾のせいですよね。

                プーチンさんには、、、広島の原爆が、、どれだけ多くの

                   かわいそうな、、、五体満足でない人間を、、、生まれさせる結果に至ったかを、、

                 一度平島に見に来ていただきたいと思いますね。


                ダンナさんのような戦中に生まれた男の子の特徴は


                  生き残るための選択を身に着けているため、、、

                 家族がバラバラにならないですんだ家庭の女子とでは

                   生き残りへの執着度が違うことに気が付きますね。

               「戦後、、無理してお菓子など買ってきて、

                      良いお茶と、、お出しするが、、

                  お客のほうも、、全部は食べないで、、いくつか、、残して

                     「充分、、いただきました、、、」と、暗黙の礼儀の時代がありました。


                   、昭和15年に東京に帰ってこれて、、、

                    

                       やっと、、一緒に集合できたそうです。

                    お世話になった、、、先輩の訪問を受けた時

                      無理して、、上等のお菓子を買ってきて、

                   お出ししたそうです。


                     5歳ぐらいだった、、、ダンナさんンは、、

                       お客が、お菓子を残してくれないかと、、、、期待していたそうです。


                     客が帰った時、、お菓子は確かに,、、一個、、残っていたそうです。


                    しめた!!、、、お菓子を取りに行く前に、、、

                   「親父がね、、、戻ってきて、、たった一個しかないお菓子を、「パクッ」って

                   食っちゃったんだよね、、、」


                  「 僕は、、、悲しくて悲しくて、、、泣いたんだ!!、、、

                          いつまでも、、いつまでも、、、涙と鼻水が、、止まらなかった、、」
                    母が、決めたような結婚だったけれど、、、この話を聞きながら
                    結婚という、、大上段に構えたアレルギーが消えていって

                   人生は、、一人でいるより、、二人で行くのも、、悪くないかな、、、と。

                    一度結婚してみて、、だめなら、、、別れればよいと、、

                      戦後になっったばかりの、、昭和21年の、、日本に帰還できた家の風景ですよね。

                    それを聞いたとき、、、母の進める縁談ではありましtが、、、

                        私としては、、、、、思いっきり、、すきっ腹の経験の思いをした人のほうが

                    頑張りが聞くのではないかと思い、、、

                    いまだに、、、どんな人なのか?わかりませんが

                      生きようとして、、、連休も、正月も、、、人の嫌がる仕事も

                       チームが点になると思えることは、、、

                     ホームランを狙ってゆかないで、、、バンドをするように、、、

  
                   病院の成り立つことを考えているようだし、、、

                   若手の先生が働きやすいように、、、助手に回るとか、、、
                         チームワークに価値を見出しているようだった。

                     生きようとする、、、本能が、、、チームの勝利に関する方向のことなら、、

                    20日間家に帰ってこなくても、、、連日緊張と激務も、こなしてゆくという

                    家庭には、、ありがたくないタイプのダンナさんでした。
                   しかし、社会の組織で生きてゆくには、頑張りの強いタイプかもしれないと思ったりしていた、「

                    医学の世界は10年たったら、、、若手に、、新しい医学をこなす先生が出てきてしまいます。

                    大学も、、講師で去り、、、新しい総合病院では、、
                     アメリカで、臨床医をしていた先生が、、入ってくると
                   アメリカ帰りの腕が振るえるようにと、、、自分は助手に回る。

                     現役の外科医でいることが夢だったのに、、、

                    前院長が辞めるとき、、「君が次期院長をやってほしい」、、と

                    みんなの前で言われたことを、、、断れないで、、、

                    現役の医師で居たい!!と一度は断ったのですが

                     若い、、腕のよい外科医がどんどん現れてきて、、
                        現場のオペから押し出されて
                            60歳過ぎてもできるというのは院長になるしか道はなかったのかもしれません。

                  働きやすい環境のセットアッパーとして、、、会議会議の連続で、、、

                        病院の知名度を、、全日本に知ってもらうという企画などもあり

                       「クリニカルパス学会」を主宰するという、、会長を引き受けたり、、

                   家庭がおきさられてしまい、、さみしかったですね。

                  とんぼ返りの中国しゅうちょうや
                     アメリカの外科医のとの会合や、
                     研修医の研修の環境を考えたり
               外科医が、、メスを茂谷仕事が増えてきた。
                 父が急逝して、、そのあとに来てくれるという外科医だった北大の大学院生。

                    見知らぬ、、付き合ったこともない、、、北大での外科医が

                     旦那さんになるなんて、、、考えたこともなかっただけに

                      現役の薬剤師の勤務を辞めて,、
                友達も、親類も,、知人も一人もいない北海道にやってきて、、、

                    初めての冬を留萌で迎えたときは、、、東京に、逃げ帰りましたね。

                       別れようと思って、、外国で暮らそうと思いましたね。

                         第二の人生は、、、ハワイが良いと思ったりして

                        大学時代の友人と、独身人生決め込んで、、、

                   結婚なんて、、最悪な環境に甘んじなければならないと、、、

                      自己正当化に夢中でしたね。


                      「医師の娘に育っているから、、、

                     留萌はお隣には、、奥さんも、子供も住んでいるのでしょう!!」

                      「こんなことで別れるというのなら、、、それは、、わがままというものだから

                     一人の真面目に努力した医師を傷つけて

                           このまま離婚するなら、、慰謝料いただきます、、、」

                      お姑さんは、、、かんかんに怒っているのが、、、わかりましたね。


                       寒い、、零下、、マイナス、、20度の留萌に、、、

                        私は、、凍りつくような、、孤独な心で、、戻ったのでした。


                      あれから、、、55年たちましたが、、、

                         ダンナさんのことを、、、愛するという感情になれませんでしたね。

                      4年も留萌にいると、、、愛も恋も育たなくて
                        ひたすら、、時間が無駄に流れてゆくようで、、、

                     逃げ帰りたかったですね、、、そのころは、、実家が東京にありましたから、、

                     駿河台の知人友人が、、思い出されて、、、何もない宿舎の時間を
                    囚人になったような気持ちでしたね。
                       眼だけ出して、、
                         雪の中に消えてゆく、、、
                              勤務のことしか考えてない
                              駆け出しの医師を見ながら

                      「人生生き残りの、、、相棒」と割り切って、、、

                      「医師を実行する旦那さん、。。。

                         その舞台裏を引き受ける、、仕事の相棒として、、、」


                        男になったつもりで、、、「子育」てと、、「医師をする者の」

                         「仕事人の相棒」として、、、子供を育てる、、という仕事に徹して

                   幼稚園もない、、テレビもない、、共同キッチンには
                     もちろん、、冷蔵庫などありません。
                     洗濯機は、、身にミニで、、手回し、、脱水で、、、ボタンが割れてしまう、、、

                   床を拭いたら、、、スケートリンクになってしまう、、、

                       家庭はなかったですね、、、
                         
           
                     母が死んだときも、、たった一人で、、

                  その時は、ハハノためにと、、兄が開業していたから
                        東京の実家はまだ有った、、、

                            実家に帰り

                      ひっそりと、、母を送ってきましたね。

                      ダンナさんは札幌の病院の仕事のほうに出席して

                      病院からも、、、一輪の花も、、、弔電も届きませんでしたね。

                    一時間以内に来れる、、ダンナさんの御兄弟や

                      弟さんのご家庭の人も、、親類の方も、、、

                    主人も私も、、知らせなかったので、、、

                     母の葬式には、、主人側の方は、、、
                        どなたも来てくれませんでしたが、、、

                    母はピアノの現役の先生だったこともあり

                        お弟子さんだった方が親となり、、
                              お子様も弟子という方々が

                        お寺の境内に、びっしりお集まりになり

                      弟の勤務先のドクターだけでも60人もいらしてくれて

                     中学校の時に、、家に遊びに来ていた弟の友人で

                   慶応大学を卒業して、、社長さんになっていられる知人が

                     昔話をしながら、、、

                      「姉さんの出してくれた、どんぶり飯、、うまかったですよ~~~」

                       4~5人の弟の幼い時の知人に囲まれて、、、

                    母が会わしてくれた、、、
                    にぎやかで、、、
                    笑い声さえ聞こえる通夜を過ごしました。

                   帰託すると、、、母の葬式の日には、、、
                   病院のスタッフの結婚式があり

                    ダンナさんは、、仕事と割り切って、、
                    そちらに出席していました。

                  病院の、誰にも、母のなくなったことは知らせませんでした。

              大きな総合病院なので、、、
               内内のことで、、、お知らせするという立場でもありませんでしたので、、、

                   旦那さんは外科医師の宿命ですが

                   手術場の第一線で、、、手術ができなくなってきて、、、

                   院長という、、院内の環境係になって

                  若い先生方の手術や、診断のダブルチエックや、、 。。マンモグラフィの検診で

                  若いお母さんはじめ、、、がんの多くなる70台のおばあちゃんや

                  35以上前から、、毎年検診に見えられるという
                       おばあちゃんが、、、先生来年も来ますから、、生きててくださいよ!!(^0^)

                  ダンナさんの検診を受けると、、安心なんだというファンが居てくれるらしくって

                 病院が、、仕事を頼んでくれます。 
                      一日20人前後の患者さんを検診しながら、、、

                      やっと、、家庭人一年生の風格が出始めてきました。

                  医師や、院長や、、教授の体験者は

                  普通の家庭人の感覚になれる人は少ないと思いますが、、、

                 札幌市の地区の地域への健康を守ってきた性格上、、、患者さんと話す機会が多かったせいか、、

                 80過ぎても、、孫子と会食に行ったり、、、
                頭の回転は50歳代の息子と意気投合していましたね。

                   ドジャースの話で盛り上がったり、、、

                  庭で、、メダカを飼ったり、、、

                     草花の名前や、、庭の小石の名前を憶えては、、、
                   洗って集めて、、池に入れたり

                   今日は、何曜日?というと、、、
                  18日だよ!!と、、、はっきり言えるし

                    台所に入ってきて、、、目玉焼きは作るし、、サラダは作るし、、、


                    レトルトカレーは自分でチーンして、、、昼食しているし、、、

                  紅茶は、、、「杉下さんの影響」で、、、
                  アールグレイ、、、を 熱湯で入れては

                     ご機嫌になっているし、、、

                  旦那さんより、、長生きするのは、、、
                   私も、、気合入れて、、わがまましないと、、

                  後片付けばかりしていたら、、、
                  こちらのほうが、、先に参ってしまいそうですね。

                     ぴんぴんころりを目的として、、、

                       毎日、、仕事を、、無料筋トレジムと考えて

                        ありがたく、、仕事を探しても、、、一日、、1メート四方の

                      就活をはじめながら、、、永遠に生きる気持ちの若さと

                      孤独に強くなる心がけを初めて、、久しくなりますね。

                            ダンナさんの、、家庭人一年生を、、、どのように導くか

                   すっかり錆びついた「教職免許を見つめながら、、」

                   家庭人としては幼すぎる、、ダンナさんの前に立ちはだかって

                     家事のうんちくをたれないようにしないと、、、

                       3日坊主は、、目に見えるから、、、

                        材料の良いものを買ってきて、、

                         洗って、、っ下準備をして、、、

                台所仕事をしたくなるように誘導して、
                一定の筋肉運動にいざなっているつもりですが、、、
                     本人に任せるのが、、一番マスターしやすいかもね。

                 とりあえず、、、片付けだけは。。。させないようにして、、、
                      
                 台所の滅菌法や、、、
                       黴菌経路断ちを、、
                            洗剤の薄め方、、
                                つけ置き方、、、
                    
                                    すすぎ方を

                          折に触れて、、間違いのはっきりしている時は指摘して

                       中毒を起こさない、、台所を目標に、、

                     食事は、簡単なものを、、自分で作れるようにして、、、
                   男の自給自足を推進しないと

                      家内としては、、風邪をひいて、、
                                ネルことだってあるでしょうからね。

                   「 男台所に入るべし、、、」
                         これを実行で来たら、、、

                          男尊女卑も 、、、
                          男女同権にむかうかもしれないと、、、

                        ひそかに期待しているんですよね。





                     大谷選手のホームランは、、、我が家の夫婦の、、一番の話題になっているこの頃ですね。

                        

     


                   

                       年、、をとったのか、、、旅行もしたく ないし、、

                    買い物も興味がなくなって、、、
                  
                     わくわくするのは、、、大谷選手のホームランだけになりました。
              
                    父の日のプレゼントを買い忘れた私ですが、、、

                         大谷選手が2本ホームランを打った!!!

                   私も、、旦那さんも、、、野球バカになっているせいか。。。

                    大谷選手のホームランのおかげで、
                          、、最高の、、、

                    「父の日のプレゼント」のホームランがあって、、、盛り上がりました。

                    夜は、、、「海鮮丸さんの出前」を頼んで、、、

                        旦那さんが、、久しぶりに、、ブレンドしたコーヒーを

                           薫り高く入れてくれて、、

                      よい「父の日」となりました。
             

                   一日早いけど、、、と、、息子や孫から届いた、、アップルパイとコーヒ^と

                        何よりも、、大谷選手の2本のホームランに

                          夫婦は、、最高に盛り上がって、、、幸せな、、家庭ができてきましたね。
     

                     歳をとって、、、仕事に全力で打ち込まなくなってから、、、

                      家庭人としての、、ダンナさんが出発し始めるのかもしれませんね

                                  
              でもね、、仕事に出かけてゆく時が、、、一番張り切っているから、、、

                  医師という職業芸術科のような心は、、、

                        雀100まで、、踊り忘れず、、、という、、、ことかもしれないし。

                日本の男尊女卑の,、震源地は、、日本男子の、、仕事バカ、、仕事熱心、、仕事生き甲斐が

                   大きな原因か見知れませんね。働き方改革なんて、、病院には通用しませんからね。

                       過程を守る家内は、、男尊女卑を脱ぎ捨てると、、
                          男の仕事は成り立たなくなるのが

                           日本の男たちの現状でしょうね。

                      お母さんのおなかの中に、、置き忘れて生まれてきたばっかりに

                             社会参加は、、、難しい日本女性の共通の悩みですね。

                     父の日ね^^~~~~我が家は、、、毎日、、父の日ですよね。
 

                   大谷選手の日本の「ホームラン」!!

                    日本の父親族は、、、最高にうれしかったのでしょう!!

                           一日中、、メジャーの話、、大谷選手の話で
                                  ご機嫌でしたね!

                 もちろん、、、こんなに元気をもらえる父の日は、、、初めてですよね。

                   
                   

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