花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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シャクヤクの花が咲きました。

2024年06月15日 | 日記
今から30年も前のことです。

  北海道の北、、、名寄の町に、サンピラーという


     域と氷の中で、点が描く光の芸術が あらわれるというので

          サンピラーと会いたくて、、、北の冬の光を探して歩いたことがありました。

    その夏の日にも、、、名寄に教務が湧いて

   生薬を研究して、山に入る大学関係の人たちや

             名寄の山なら、、、自分の庭だという、、、
                  アイヌの青年も一緒に

                     探索登山をしたことがありました。

   その帰り道、、、研究会の人たちが集う、、、学会がありましたので

      公園を聞きに、、、立ち寄りました。

        そうした一連の、、生薬を生業とされている、、、

           ニッポンの南のほうの大学から来たという学生や
              東京や京都から、、はたまた
                        九州は、熊本から来たという学生たちと合流して

   名寄の知る人ぞ知る、、「本間先生」が丹精込められた植物園に、、みんなで行きました。

      そこには、、一重の赤紫の花弁で、真ん中には黄金のめしべと、、蝶々の舞う光と陰で

        妖艶な美しさの芍薬が、、、咲いていました。

           印象的な芍薬でした。

         その次ぐの都市の夏に、、、

          生薬学会の地方会で、、、中国の生薬を基にした「漢方薬のことを書いた本」の

        「地黄、」という植物が

       西暦500年ごろの、ソンシバク医師の使っていたものと
       日本で、現代、、「漢方薬の材料として使っている地黄」が、まったく別の植物だということを

       中国の、薬王山の生薬探索で、「根がひげ根の地黄」が、当時の文献のままに

       いまだに保存されている薬王山の博物館のように岩屋のある当時の診療所に保管されていたことを

       地方会に発表したことがありました。

       私の演題には、、だれも興味を持ってくれないのは、、、当然だと思いながらも

       貴重な体験だったので、、報告をしておけば、、、という軽い気持ちで、、、

         発表したのでした。

         去年、、名寄で、、、あの、、単衣の花弁の、、、芍薬の原種を咲かせていた本間先生が

     私の、、趣味の域の報告に、興味を持ってくださり、、、

        報告書を一部 受け取っていただいたことがありました。


         翌年の、、、漢方薬の製薬会社の山の寮で、北海道の漢方学会があり、、、

         何か、、参加する以上、、演題を出そうと思って、、

          中国の4大中医学院の ゼミに出た時の、、

            太古から伝わって、、現代にいたるまでの、、古典に近い漢方学の本を 

         年代別に分類して、、、数枚の表にして、、、抄録ととして

        興味があるという方に、持って行ってもらいました。

         地方会といっても、、、泊まり込みの実地の見学会や植物探索買いがセットになっていたので

       一覧ンお会のイベントには、全部出席しました。

        その時、、名寄の本間先生が書かれた本を学会上で手にすることができて

            北大の、、植物園の実学の大家だった「吉田先生」や。

           北海道にゲンチアナの植物を根付かせた学問的な世界のお人ではないが

          学者から、、生薬の栽培の師匠のように尊敬されていた翁の方の

     「麻布でできた、、、生薬植物として大上段に構えないスタンスで

         学会に、功労をもたらした、、翁のが像が、、山の中の量の畑近くに立っていました。

        息子が、、薬剤師になったこともあって、、、母親の私も

           忘れたはずの大学時代の生薬に、、いつの間にか、、、でっぷり、、つかりこんでいたのですね。

        ちょくちょく、、生薬の探索で、、、
         本間先生とおっしゃるお方は

         学者の先生でいらっしゃり、、、
         北海道の現役の薬科大学のPF..の先生方が

          師と仰ぐ、、、生薬植物の世界の、実力者だとわかってきたころは、、

         今更、、敬語も使えなくて、、、
         自分の不用心な態度のまま、、
          気楽にもろもろの植物の話を雑談するような気楽さで

          貴重な「教え」をいただいていたのも、、気が付かないで

           先生から、、芍薬の苗をいただき、、、庭に,、植えたのでした。


           「シャクヤクの原種だから、、、貴重な研究材料だった羅貴志のある花だから、、」

          会場の、、何人かの人に、、分けてくださった、、、貴重な社規約の花でした。

         あれから、、30年以上過ぎました。

          チョウも,ハチもやってくる、、、芍薬が、、いつしか、、近所の芍薬の花と混ざり

         濃い紫赤の、、単衣の花は、、八重咲きの雑種となり、、、

             純粋に、植物を、、見つめてきた、、本間先生の芍薬はほとんど、、雑種になりました。


        たった、、一鉢だけ、、、根っこから、、増えていたシャクヤクの花が

           まさに、、中国の、、、楊貴妃の庭に咲いていた花のように

               一重の花びらの真ん中に、、黄色いめしべの花粉が


              長と戯れながらも、、、鉢の中で、、、30年以上咲き続けたシャクヤクだけは

          本間先生の、、名寄の植物園でいただいた時のまま

         原種のまま、、、今年も、、一重の花が美しく咲き

           楊貴妃の世界の入り口を思わせる、、、薫り高い花を、、、

                      80歳のばあちゃんの庭先で

                          貴重な生薬学はそっちのけで、、

                       ただ美しく、、

                        ただ麗しく、、、

                          鉢になじんで、、ちっさな花になって

                            j東熱だけがつた和手来るのです。

               歳をとったことに、、、何の公開もありませんね、、、

             楊貴妃の庭にあったという芍薬は

           ばあちゃんの、、ちっちゃな庭で、
        小さな鉢植えの花になって、、、30年以上も

        その美しさを、、、歴史のかなたからやってきて、、、

           陶酔してしまうような、、、香りの中に

                  今は亡き、、、本間先生や、、、生薬探索でご一緒して方々のお顔が

               笑顔になって、、浮かんできますね。

             庭を歩いてきましたから、、、自分にだけわかる、、日記帳の分になりました。



          
         

        

          

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