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 竹内薫氏は著書『99.9%は仮説』のP199でこう述べている。
『近頃は、子供に短時間で大量の単純計算をさせるような教育法が流行っていますよね。そういうことに慣れてしまうと、たしかに脳の計算処理能力は上がるでしょうが、いちばん大事な「疑問に思う能力」は衰えてしまうと思うのです。』
 以前新聞のオピニオン欄で、どこかの大学教授が同じことをとうとうと述べていたのを見てイカンなと思った(^^;)。

 「思考する」ことと「操作する」ことは別。

 筆者の言うように「1+1はホントに2なのか? この疑問について、一時間みっちり考えてみてください。」というようなことがあってもいい、初期段階では。何かの知識を使えるレベルで身につけるために、理解が大きな力になることはもちろんあるだろう。だから、その理屈をとことん考え抜くことは、どこかの段階で必要だと思う。
 しかし、理解してしまったことを利用して問題を解く、思索してみる、という段階で必要なのはただの「操作」なのだ。だから、早く正確に計算ができる能力を育てたからといって、「疑問に思う能力」が衰えてしまうことはない。それは「疑問に思う」トレーニングをすればよいだけの話だから。
 具体例をあげよう。「九九を覚える」ことと「掛け算の意味を考える」ことを同列に捕らえる人はいないでしょう。
 正方形の4辺の長さの和を求める時に、一辺を4回足す代わりに一辺を4倍しても正解が得られる、なぜか? ということを考えることと、実際に九九を用いてその答えを出すということは全然別の話。前者が「思考」で後者は「操作」。
 筆者の頭にある「大量の単純計算をさせるような教育法」とは、おそらく「百マス計算」のことを指していると思われるが、毎日20分を百マス計算に費やしたとしても問題ないどころか、子供にとっては大いにプラスになると思う。
 実際、確かな計算力に支えられて次の思考段階に進めるということは少なからずあると思う。

 責めを負うべきは、経営の観点から効率よく入試問題にのみ対応しようとし、そのために解法を丸暗記させるような一部の塾・予備校にあるのではないか。

 もうひとつ。どこの国か失念して申しわけない(たしか東南アジアだったような気がする)が、「九九」に相当するものとして「二十の段」までを暗記必修とした国があると聞いた。ひょぇ~、18×17なんてのが瞬時に出てくる。近い将来、この国から理数系の優秀な人材が輩出する予感がある。

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