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 「事件のあった日も夕食のカレーを父親と一緒に作り、家族で食べるなど親しそうにしていた」若干言葉は違うかも知れないが、こんなふうにアナウンサーが読み上げていたと思う。
 引っかかったのは「親しそうに」という言葉。これ変じゃない? 自分の感覚が変なのか?

 赤の他人同士が「親しそうに」しているのは構わないけど、親子だよ。親子が「親しそうに」するかなあ。この場合「仲の良い親子」でいいような気がするがどうでしょう? それとも「刺殺してしまうほどだから、娘は父親のことを心の底から慕っていたわけではない」ということを忖度してこういう表現になった?
 そうだとしたら、心の底から信頼しあっている親子はどのくらいいるんだろう。ましてや、その信頼が片時も崩れない・変わらない親子って?
 「親しそう」という言葉遣いはそんな空気を読んだ婉曲表現?ってことはないだろう。親子関係って、子供の成長や親の状況で親密さの濃淡が変わるものだと思う。親密さの密度が変わらないってのが逆にありえない気がする。定数じゃなくて変数。
 そういうことで言うなら、親子問題は現代に限らず昔からあったと思う。家族の形態も様変わりしてるから、表出する形はは今とは違うけど。

 「親子」っていうのは、「親しい・親しくない」という次元を超えた関係だと思うんだよね。子は親を選べないし、親も子を選べない。そういう縁のものなのに「親しそうにしていた」ってしっくりこない。

 かなり前から「日本語が乱れてる」と言われてて、確かにそうだと思う。でも自分が気になるのは若い子たちの言葉遣いじゃなく、「言葉のプロ」あるいはそれに近い人たちの言葉遣い。積もり積もった思いがあったから、このことについて書かずにいられなかった。もちろん、事件の真相も気になっている。


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