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 この物語は、題名の通り「リトル・チルドレン」がきっかけで始まり、「リトル・チルドレン」が大ごとになっていく契機をつくり、「リトル・チルドレン」によって落ち着くべきところへ落ち着く、という筋立て。

 サラは、苦手にしている近所の主婦たちと、近所の公園で娘を遊ばせている。そこへ、息子を連れた男性がやってきて子供をブランコで遊ばせ始める。彼は主婦たちの注目の的。彼の方をちらちら見ながら噂をする主婦たち。
 サラの娘ルーシーもブランコに乗りたいと言い出し、付き添って行こうとするサラに近所の主婦はこう声をかける。「電話番号聞き出せたら5ドルあげる。」
 男性の横でルーシーの乗るブランコを押す続けながら、サラはトッドと名乗る男性と話し始め、主婦たちの目を意識しながらハグ、そしてキスまでしてしまう(子どもの教育に悪いといって帰り支度をする主婦たちにニヤリ)。
 この後、二人は徐々に親密になり不倫の関係に・・・

 二人を取り巻く環境は、単純ではない。サラもトッドもお金はあるが夫婦間がしっくりいっていない。閑静なこの町にはつい最近、小児性愛事件で入獄していた男が刑期を終えて戻り、彼の在住に反対する人々の中には過激な活動をする者もいる。そのリーダー格がトッドの友人で、彼も「子どもを守る会」への参加を呼びかけられる。一方、小児性愛者ロニーには年老いた母親がいて、自分亡き後の息子ロニーの心配をしている。
 つまり、平穏な町に見えるが、現実社会と同様、悪い方に転がると事件が発生する要因を多分にもった町なのだ。

 こんな映画を見ると、つくづく人生は自分の意思次第だということを思い知らされる。人生の目的をどこに据えるか、そこを見据えて立ちはだかる壁を乗り越えられるか。人は目先の楽な方、楽しい方へと流れてしまう。
 目の前の藁にすがると、後で本当に溺れることになる。
 もちろん本作は道徳を説く映画ではない。2時間20分程度という長めの尺とあいまって、散文的な映画。ストーリー優先の人には少々つらいかも。

 自分は、悪い結末を予想しながら「どこかで歯止めがかからないか」と淡い期待を抱きながら見た。その期待は最後の最後、これ以上悪くなりようが無い、というぎりぎりのところでかなえられる。まさに首の皮一枚で繋がった感じ。そこにカタルシスがあった。

 この映画が終わった後を生きる、彼らの人生に乾杯。

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