最近、警察小説が続いていたのでなんとなく曖昧な題名も手伝って、警察小説のノリで読み始めた。
ところがどうも勝手が違う。戦時中の描写、そして「ゼロ戦」の物語だと気づくのにしばらくかかってしまった。
主人公である「僕」は出版社勤務の姉から持ちかけられたあるミッションを引き受けてしまう。それは血のつながりがある「実の祖父」の素性を調べること。祖父について分かっていることは特攻攻撃で亡くなったという一点のみ。はるか昔に亡くなった祖父について、数少ない生存者に順に話を聞いていくことでその全貌が浮かび上がるというストーリー。
複数の人の視点から複眼的に祖父を描き出す手法はミステリを読み慣れた現代読者の要請に応える手法だろう。とはいえ、この物語はミステリではないから「最初にひどい人物像を描写し、最終的には信念に生きた侍」を描くことによるカタルシスという流れはすぐ見えてくる。
にもかかわらず読んでて面白いのは、作話手法を超越した物語性があるからだろう。
本筋以外のノイズ、例えば姉の同僚である男性記者の「特攻はテロである」というイライラさせられる言説や垣間見える企て、姉の恋愛など読者を退屈させない工夫も随所に見られる。
でも、こういったことはこの小説を語る上ではささいなこと。もちろん、これも大事なことですが。
この小説が語りたかったことの第一は「祖父が持っていた気高い精神」だろう。多くの現代人が失ってしまった(かのように見える)それが、脈々と息づいている世界が、戦争という舞台で描かれている。
「生きて帰ること」という特攻とは真っ向から対立する信念が、思考停止している軍人の中で悲しい光を放っている。
書名にもあるように日本が生み出した傑作機「零戦」についても詳しく述べられ、自分にとっては新知見もあって興味深く読んだ。
それは人命軽視による歴戦の操縦士たちの損耗がいかにゼロ戦を悲劇の傑作機に仕立てあげることになったか、戦術、戦略の欠如した精神論や楽観論に立脚した現状認識でいかにチャンスをつぶし、多くの人命や艦船を失ったかなどの点。
ビジネスマンの持つ知識体系に沿った合理的な批判が読みやすい。
その過去の悲劇を現在の糧として生かそうとするとき、私たちはまた同じ蹉跌を繰り返そうとしているのではないか、そんな自問自答まで呼び起こす佳作である。
このようなことを述べると説教くさい小説と思われるかもしれないがそうではない。クライマックスでは何が起こるか分かっていながら涙をこらえることができなかった。
悲劇を描いてはいるが、悲劇に終始していない、悲劇を超越しているのが大きな魅力だ。
現代社会では他国の脅威や自衛隊、兵器の開発などついて語る時、それが語られた文脈から切り離され、ばらばらの単語に腑分けされて直ちに「右翼」というレッテルを貼られてしまう。
そこで思考停止するのではなく、人間を生かすためにもその先の議論が必要である。
本作はそんな視程まで与えてくれる傑作である。
最後に余計なひとこと。
帯やあとがきに顔を出している児玉清さんが本当に残念。文芸評論などせず、俳優業に専念して頂きたいと思うのは自分だけ? (^^;
| Trackback ( 0 )
|