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GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊

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 もちろんこの十数年にCGはすさまじい進歩を遂げたから、映像表現に物足りない部分がないわけではない。しかし、1982年公開の『ブレードランナー』を今見ても古びていないように、このアニメもまた時代を超越する力を持っている。
 ブレードランナーといえば、その世界の造形が本作に与えた影響を見てとれるが、その点でいうと本作が「マトリックス3部作」の世界観、映像に与えた影響は多大。「参考」どころではなく、これはもう「パクリ」だろうと(^^; いや、オマージュです(キッパリ)!
 これだけ多くの表現者がひしめいている現在、まったくの「オリジナル」というのはあり得ないし、あったとしても理解されないだろう。要は、「オリジナルとパクリのブレンドの巧みさ」ということだと思うのだが、そういう意味でも「マトリックス」は傑作である。

 さて主人公の草薙素子(少佐)は、脳などの一部を除き、体を機械化したサイボーグ。体表の光学迷彩装置により、自分の姿を消すこともできる。脳を含む生体機能のことを「ゴースト」と呼ぶが、この用語は自我・意識だけでなく、人間の持つ動物的な直感、第六感といった幅広い概念を包括している。
 もちろん「電脳」はネットワークと接続しており、ありとあらゆるものに接続でき、ハッキングを行うことも可能。おもしろいのは、ネットワークに接続した他のサイボーグなどをハッキング(「ゴーストハック」と呼ばれる)することもできる点。その能力を有する者は「人形つかい」と呼ばれる。

 サイボーグといえば石森章太郎の『サイボーグ009』が有名だが、この作品との最大の違いはネットワークで世界と繋がっているかどうかという点。サイボーグがどんなに優れた身体的特性を持っていても、それだけでは物理的制約を越えることはできず、必然的に物語の地平もその枠内に納められる。
 それを打破するためかどうか、石森は001というエスパーを登場させる。確かに当時は「超能力」という言葉が輝きを放っていたが、「テレパシー」「サイコキネシス」によって、001は自らの「赤ん坊」という物理的制約を軽々と越えてみせ、仲間の危機には超常的な力を発揮して彼らを救うのだ。オンリーワン。

 一方、「攻殻」のサイボーグはネットの海を瞬時に泳ぎ、神出鬼没、世界を納めたデータベースにアクセスできるどころか、ゴーストハックにより他人を意のままに操り、記憶や意識を操作することも可能。中でも少佐はナンバーワンだ。
 石森が描いたサイボーグたちの究極の敵は、人類を生み出した「神」なのだが(天使編)、士郎正宗原作のサイボーグは神となった。同じサイボーグでも表裏を成しているのはおもしろい。

 主人公が全能感を持ったままでは物語は終われない(マトリックス・レボリューションのラストを思い出そう)。主人公が壊れ(壊され)、そこから再生の物語が始まるのはある意味必然か。

 劇場版の続編は「イノセンス」になるが、この物語は「スターウォーズ・エピソードIV・V・VI」3部作に喩えるでと間違いなくエピソードV。ハン・ソロがカーボン冷凍状態にされ、ルークも手首を失うあれ。一応、完結はするものの最終地点ではない踊り場。

 そういう意味では、早く劇場版第3作が見たい。ひょっとして10年後? (^^;
 (なお、「サイボーグ009」、「イノセンス」については、また別のエントリを起こそうと思う。)


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