私の町 吉備津

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“栄西は賀陽氏の出”

2015-05-21 11:29:49 | 古代吉備国
 昨日の「吉備津栄西茶会」で、栄西は賀陽氏の出身だと説明しました。それを受けて、ある御婦人から
 「賀陽氏って何??」
 という、質問がありました。それに対して、私は
 「賀陽氏と云うのは朝鮮半島からの渡来系の人ではないでしょうか」
 と、説明しました。
 家に帰ってから、『吉備津神社記』を読み返してみました。すると、私が御夫人にしたご説明が間違っていることに気がつきました。

 今、このブログで「兄媛と応神天皇」について書いております。応神天皇が吉備に行幸された時に、その膳手として大いに天皇の為に働いた兄媛の兄「御友別」の一族に、天皇は恩賞として吉備の国を別けて「縣<アガタ>」を安堵しております。書紀には、この「賀陽」こと「香屋」について、次のように書いておると、この本に出ております。
 
 “御友別の中子の「仲彦」に対して上道縣を封<ヨサ>す。是は上道臣、香屋臣等が始めの祖<ミオヤ>なり。”

 と。(「封」を「よさす」と読ませ、「任務を授ける」「お任せになる」と云う意味です。)
 
 すると、栄西は渡来系からの出ではなく、大吉備津彦の弟である若日子建吉備津日子命の子孫であることが分かります。

 大変な間違いをしてしまいました。何時かの機会にその誤りを正さなくてはと思っております。