(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−90(延喜・天暦の治−1 清和天皇)
31.延喜天暦の治 後醍醐天皇は念願の鎌倉幕府滅亡を果たし、150年ぶりに政権を取り戻すと、元弘3年/正慶2年(1933年)に元号を「建武」と改める。 この「...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−89(後醍醐天皇−17 鎌倉幕府滅亡、集団自決)
30.3.元弘の乱 30.3.15. 鎌倉幕府滅亡、集団自決 鎌倉幕府滅亡に際して行われた、北条氏一族の集団自決は数百人が切腹して果てた。 切腹するとは、自殺す...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−88(後醍醐天皇−16 足利高氏)
30.3.元弘の乱 30.3.14. 足利高氏 正慶2年/元弘3年(1333年)閏2月、隠岐の島を脱出した後醍醐帝は、伯耆国(現在の鳥取県西部)の「船上山」に籠も...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−87(後醍醐天皇−15 長門探題討伐)
30.3.元弘の乱 30.3.13. 長門探題討伐 長門探題北条時直 正慶2年/元弘3年(1333年)正月、長門探題北条時直は護良親王・楠木正...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−86(後醍醐天皇−14 船上山)
30.3.元弘の乱 30.3.12. 船上山 隠岐を脱出した後醍醐帝は、伯耆国名和(鳥取県西伯郡大山町名和)名和の湊にたどり着いた。 名和の地の地頭であった名...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺 目次−1
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺 目次−1(1〜49) 1.(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−85(後醍醐天皇−13 後醍醐帝隠岐脱出−2)
30.3.元弘の乱 30.3.11. 後醍醐帝隠岐脱出(続き) 私本太平記から(その2)阿野廉子 黒木御所の警固は、能登ノ介清秋という男であった。 この男は、佐々木判官清高...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−84(後醍醐天皇−12 後醍醐帝隠岐脱出−1)
30.3.元弘の乱 30.3.11. 後醍醐帝隠岐脱出 幕府軍が千早城に大軍を貼り付けにしながら落とせずにいる、との報は全国に伝わり、各地の倒幕の機運を触発することとなった。 ...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−83(後醍醐天皇−11 千早城の戦い)
30.3.元弘の乱 30.3.10. 千早城の戦い 千早城の戦いは、正慶2年/元弘3年(1333年)に後醍醐天皇の倒幕運動に呼応した河内の武将である楠木正成と、鎌倉幕府軍との間...
(物語)民話と伝説と宝生山甘南備寺−82(後醍醐天皇−10 吉野城の戦い)
30.3.元弘の乱 30.3.9. 吉野城の戦い 元徳3年/元弘元年(1331年)の赤坂城の戦いで落ち延びた護良親王は吉野城で挙兵する。 吉野城は吉野山一帯をさしていう中世山...