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旅日記

望洋−7(様々な入隊)

(第2章 海上挺進戦隊発足)

 

5.様々な入隊

                                                            
5.1.中村文雄

中村文雄は、陸軍船舶特別幹部候補生の公募に応募し、入隊試験を受けて陸軍船舶特別幹部候補生隊に入隊した。

後に、海上挺進戦隊が発足すると、海上挺進第四戦隊に編入された。 

 

若鷲の歌

若い血潮の 予科練の
七つボタンは 桜に錨
今日も飛ぶ飛ぶ 霞ヶ浦にゃ
でっかい希望の 雲が湧く

「若鷲の歌」は、戦意高揚映画『決戦の大空へ』の主題歌で、日本の軍歌で、別名「予科練の歌」ともいう。

昭和18年(1943年)9月に日蓄レコード(現日本コロンビア)より発売され、大ヒットした。

作詞は西條八十、作曲は古関裕而である。

戦後西条八十は、歌謡曲の作詞家としても活躍し、「青い山脈」、「誰か故郷を想わざる」「ゲイシャ・ワルツ」、「王将」などのヒット曲の作詞をおこなった。

古関裕而の曲は気品ある格式高い曲風で知られ、現在でも数多くの作品が愛されている。

「長崎の鐘」、「イヨマンテの夜」、君の名は」、高原列車は行く」などのヒット曲を出した。

他方で、早稲田大学、慶應義塾大学、中央大学、東京農業大学、名城大学等の応援歌、 全国高等学校野球選手権大会の大会歌「栄冠は君に輝く」、阪神タイガースの球団歌、読売ジャイアンツの球団歌、中日ドラゴンズの旧球団歌などを作曲している。

また、東京五輪(1964年)入場行進曲「オリンピック・マーチ」、NHKスポーツ中継テーマ「スポーツショー行進曲」などを手掛けている。

 

中村文雄は岐阜県岐阜市の生まれである。

中村は、この若鷲の歌が好きだった。

この歌を歌うと、意気軒昂となり、自分が飛行機に乗って空を飛雄する様が浮かんでくる。

中村は飛行機乗りになって、お国のために役に立ちたいと思っていたが、思うばかりで、だからどうこうしよう、ということまでは考えなかった。

自分が飛行機乗りになることは、具体的なイメージを持てず、遠い世界のことであった。

昭和18年、中村は中学校を卒業すると、名古屋陸軍造兵廠理化学研究室に軍属として勤務した。

昭和18年11月に日本陸軍は下士官養成の制度として、「陸軍船舶兵特別幹部候補生」略して特幹の制度を創設して、公募を行なった。

 

5.1.1.船舶兵特別幹部候補生の公募

日本陸軍は、入隊し甲種幹部候補生に合格した者から、特に船舶の幹部将校教育のため、宇品に船舶幹部候補生隊を設け、教育を始めたが、その数は少なかった。

しかし、戦時状況から船舶軍としてはこれらの船舶幹部候補生隊のほかに、ある程度専門的な教育に応えうる能力あるものを、相当数を緊急に求める必要に迫られていた。

そこで、早急に下級幹部を有効的に養成するために陸軍は、少年兵の採用基準よりも、学力、智能において若干高い程度の基準で志願者を採用し、兵技専門に速成の教育を施し、速かに進級させて一年半程度で下士官に任官させる方法を採ることにより、人員を確保することとした。

こうして「船舶兵特別幹部候補生」 略して「特幹」制度を創設することになった。

そして、昭和18年12月から翌年1月にかけて、昭和19年の4月及び9月に採用入隊させる特幹の公募を行なうのである。

なお、船舶特幹と同時に航空特幹も募集されている。

この特幹制度の概要は次の通りである。

中学三年修了以上の学力を有する者で、満15歳以上20歳未満を対象とし採用試験を行う。

入隊(入校)後修学に要する費用は総て官給とし、また毎月階級相当の手当が支給される。

採用者は入隊と同時に陸軍一等兵の階級とし、爾後半年毎に進級させ、一年半後に 陸軍伍長 (成績特に優秀なものと、特殊技能のある者については、 直ちに軍曹に)に任官させる。

これは一般の少年兵が満14歳以上の者を採用し、これは生徒として二等兵から始め、伍長の階級に達するまでには、2年半ないし3年が要求 されるのに比べると、極めてスピード進級であることになる。

このスピード進級の魅力と、また昭和18年(1943年)に決定された徴兵年令が一年引下げられて、満19歳になったことも影響し、昭和19年(1944年)に徴兵年令に達する大正13年(1924年)4月以降、14年生まれの者は、この特幹を集中的に志望することになった。

 

<昭和42年(1967年)に船舶特幹隊関係者が設立した「若潮会」の会報第2号に記載されている、募集要項の内容>

この主なところを以下に記す。

ニ 志願者資格 

年齢
志願者は大正13年(1924年)4月2日から昭和4年(1929年)4月1日迄に出生の者

採用者セザル者
イ、妻アル者
ロ、破産宣告ヲ受ケ復権ヲ得ザルモノ
ハ、禁錮以上ノ刑ニ処セラレタル者
ニ、素行修マラザル者

身体検査不合格基準ノ主要ナルモノ
イ 、身長一五〇米(四尺九寸五分) 未満
(他 略)

三 出願ヨリ受験迄

1、志願票請求(第六様式)
 志願票ハ教育総監部、陸軍航空本部、船舶司令部、各地聯隊区司令部、各市町村役場及所要ノ学校等(朝鮮、台湾、関東州、満洲国、又ハ支那ニ在リテハ兵事部、其ノ他ノ帝国外ノ地域ニ在ル者ニ在リテハ其ノ地域ニ在ル最高指揮官ノ部隊本部)二請求スべシ(郵送希望者ハ封筒二自己ノ住所氏名ヲ記入ノ上四銭切手添付同封スべシ尚照会ニ際シテモ亦同ジ)

(他 略)

四 採用検査

採用検査ヲ分チテ身体検査、口頭試問及学科試験トシ学科試験ハ身体検査合格者ニ付之ヲ行フ 

1、検査場 (省略)

2、身体検査及口頭試問 
昭和19年2月上旬ヨリ同年2月15日迄ノ間ニ於テ検査官ノ指定スル日ニ施行ス

身体検査期日、場所、集合時刻等ハ各所管ノ検査官ヨリ通達セラルル外検査場所在地ノ市、区、町村役場及聯隊区司令部ニ検査ノ五日前ヨリ掲示セラルルモノトス

3、学科試験
昭和19年2月16日身体検査合格者ニ対シ之ヲ行フ身体検査合格者ニハ其ノ検査場検査官ヨリ試験ノ場所、集合時刻等ヲ通達シ同時二学科試験受験者心得ヲ交付ス
学科試験ハ概ネ中等学校第三学年第二学期程度ニ於テ左ノ科目二付之ヲ施行ス
算数 作文

4、学科試験停止
左ノ各号に該当スル者ハ試験ヲ停止ス
イ、試験ノ際不正ノ所為アリタル者
ロ、試験室ニ規定以外ノ物品ヲ携ヘタル者
ハ、試験ニ欠席又ハ遅刻シタル者
ニ、言語所為真面目ヲ欠ク者

5、受験心得

服装 洋服、和服何レニテモ可、 和服ノ場合ハナルベク袴ヲ着用スベシ

身体検査際ノ際ノ携行品
イ、新ニ撮影シタル単独半身脱帽ノ手札型写真一葉差出スべシ
ロ、差出シタル写真ハ身体検査不合格ニハ返戻スルモ学科試験受験者ハ持チ帰ルコトヲ許サズ
ハ、昼食

6、学科試験ノ際ノ携行品

イ、「ペン」(若クハ万年筆)、黒又は青「インク」、吸取紙、鉛筆、小刀、消「ゴム」、三角定規
ロ、昼食

   (中略)

六 生徒ノ待遇及将来
 
1、入隊(入校)後修学ニ要スル費用ハ総テ官給トシ尚ホ毎月階級相当ノ手当ヲ支給ス

2、終業年限ハ概ネ一年六ヶ月ニシテ陸軍伍長ニ任官ス但シ中等学校以上ノ課程ヲ終了シ又ハ特殊ノ技術ヲ修得シタル者ニシテ技能特二優秀ナル者ハ直二軍曹ニ任ゼラレル

3、伍長又八軍曹任官後ハ逐次進級シ准尉ニ達ス 

4、軍曹、曹長、准尉ハ己種学生採用試験受験ノ資格ヲ有シ己種学生卒業者ハ陸軍少尉二任官ス

(以下 略)

 

5.1.2.入隊試験

昭和19年(1944年)の初め、中村の同僚が陸軍船舶兵特別幹部候補生に一緒に応募しようと、中村を誘った。

「おい中村、陸軍が船舶兵特別幹部候補生というものを募集しているが一緒に応募しないか?」

「船舶兵特別幹部候補生?それは一体どんなものや?」

「なんでも、下士官を養成するための制度で、ここに入隊すると、いきなり一等兵になるそうだ」

「そんなうまい話があるのか?興味がわくなぁ」

「そうさ、俺らも来年は徴兵検査を受けて入隊せんといかん。そうすれば二等兵から出発となる。どうせ入隊するなら、しかも一等兵で入隊できるなら、早く入って、任期を全うして早く退役した方が良い」

「でも、試験は難しいだろうなぁ」

「今から集中して、猛勉強だ」

 

中村は、同僚7人と応募した。

全国の応募者数は約2万あったといわれており、採用予定数の40倍を超えていたという。

昭和19年1月31日に応募が締切られた。

その後、2月15日までの間に、全国各地で応募者に対し身体検査を実施した。

中村ら7人は全員身体検査に合格した。

検査の合格者には、2月16日全国各地で一斉に中学三年二学期程度の算数と作文の筆記試験を行なった(なお所属学校長の証明書を提出した者は 学科は免除した)。

 

試験当日の中村は、兎に角慌てないように心がけた。

中村は試験問題用紙を目の前にして、目を閉じて深呼吸をした。

慌てず落ち着こうとしたのである。

算数の試験の問題は意外と簡単であり、スムーズに解答でき、解答が終わった時は時間も大分余っていた。

だが、中村は書き上げても答案を見直し、検算を何度もやった。

やはり、うっかりミスが見つかり修正した。

これで、ヨシと思ったが答案の見直しは落ち着いて時間いっぱい使って行った。

作文の試験はテーマが三つあり、どれかを選択して作文するものだった。

「国防」と「志願の動機」と「社会と自分」がそのテーマだった。

中村は躊躇せず「国防」をテーマに選択した。

中村は作文が苦手であった。

そのための対策として作文のテーマを数点想定して、実際に作文していた。

その想定したテーマの中に「国防」が含まれていた。

勿論、想定したテーマなので、細かに内容や文章を見直すことはしなかったが、実際の試験中に書き下すには十分役に立った。

しかも、短時間で書き上げることができたので、推敲することもできた。

落ち着いて読み直すと、分かりにくい文章や変な表現があることに気づいた。

それを、書き直す時間は十分あった。

中村は、作文を書き直しながら、落ち着いて対応することの大切さを実感していた。

作文を書き直し、再度読み返した時に、時間終了となった。

中村にとって十分自信のもてる作文の出来栄えだった。

苦手の作文も無事終えた中村は、満足感に満たされていた。

試験が終わると、皆は簡単な試験だったと、自信たっぷりに言っていた。

「案外、簡単な問題だったなぁ。これなら満点取れたとよ。

中村、お前はどうだった?」

「猛勉強した甲斐があったと思う。だが算数などは慌てると間違えやすい問題だったと思った」

と答えた。

 

入試試験から2週間後の3月の初めに、広島の船舶練習部から合格通知がきた。

合格したのは中村だけだった。

他の同僚達は、悔しがっていた。

彼らは、問題がやさしいということで、答案の見直しや算数の問題でも検算をして、確認をしなかったらしい。

 

3月下旬に中村に入隊通知書が届いた。

香川県三豊郡豊浜町の​​船舶兵特別幹部候補生隊に4月10日着隊せよとの指示が記されていた。

 

中村は、自分の歩む道が決まった、と思った。

その先に、何が待っているか分からないが、強い意志と覚悟をもって責任を全うしなければならないだろう。

そう思うと、心が勇み立ち、体がふるえた。

これが「武者震い」か、と思った。

 

<続く>

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