さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴15年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

あっけなく割れたガラスの仮面

2007年04月23日 22時19分49秒 | MM闘病記
「紅天女」を演じられると思った私がバカでした。

昨日はPAL勉強会。
その後、松尾さんと、松尾さんを紹介してくれた親友のYちゃんと再会。
宇宙会談とも言うべき3人の会話はとても心地よく、
幸せいっぱいで、身体の苦痛なんて取り去られていました。

しかし、家に帰り床につく頃にはすっかり現世的。
実家に帰ったために、泣き叫ぶ事もできず、
布団にうずくまり、ただただ涙。
市販の鎮痛剤も胃痛発生薬にしかならず、
頼りの綱のマイスリーもフリスクほどの効果もありません。

一睡も出来なかったはずなのに、
明けつつある闇に安心したのか、
目覚まし時計の記憶もなく、しばらくぶりに味わう(母親の)肉声での覚醒。
例によってタクシーで出勤したものの、
起されてから職場に着くまでの記憶は全くありません。
それに勝る苦痛で一睡も出来なかったのかと思うと、
結構可哀想な私。

それはさておき、
さて仕事、
とは到底至らず、何もせぬままに職場のベッドに横たわる。
今日の午後は外来の予約。
主治医に連絡して、午後一番で診察してもらう事になりました。

採血の結果→特別問題になるもの無し
まあ、そうだろうと思っていました。

どうせデータしかみてくれない、
という思い込み半分と、実際にストレスと片付けられてしまっていたので、
本当に、ただただ痛いということを徐々にメール等ですり込み。

一見、分ってもらうのは大変、と思うのですが、
そもそも「ベルケイド止めて1ヶ月以上経ってからこんなに痛くなるのはなぜ?」と、自分自身が納得できてないだけ。
だから、自分自身の確認がメイン。
思い込みじゃないよね?って。
目で見てわかる傷口があるとか、
触ると痛いとか、動かすと痛いとか、
そういう痛みじゃないと、結構自分自身の納得度が低いというのが不思議。

だから、
すり込みが功を奏したのか、
今日は「どうして?」とか「本当に?」
とかって言われなかった事が、すごく嬉しくて。

自覚的な「痛み」さえも他者評価してもらえないと不安な私って…

とにかく、
オキシコンチンをメインにいくつかの鎮痛薬を処方してもらいました。
ところで、このオキシコンチンって実は良く知らなかったのですが、
2003年7月から日本での使用が可能になったようで、
経口の麻薬というとMSコンチンしか思い浮かばなかったのですが、
こたんこナース、病棟勤務は2002年まででしたから…

薬局で薬をもらって、師長に連絡して…
内線の電話で事足りるかと思ったら、わざわざ薬局にいる私に会いに来てくれて。
なんだかとっても嬉しくて、例によって涙。
働けないナースの危機かと思っていましたが、
そこは、がん看護CNSでもある我が看護師長はいち患者さんとしてもフォローしてくれました。
・・・。
私は、もう少し人を信じるというか、頼ることをしなければなりません。

はらはらと一通り涙し、
さて帰ろうと、病院を出ようとしたら、職場のH部長ともばったり。
隠しようもない大泣き状態のままなので、更に涙。
ヨチヨチ歩く駅までの道のりも、
電車の中でも、
なみだなみだ。
よく泣くものだ。

公衆の面前で大の大人が大泣きしているにもかからず、
というよりは、泣けるにもかかわらず、
やはり、親の前では泣けない、と思い誰も待つことのない自宅を目指す。
これはこれでいい。

待ちに待った薬を飲んで、
効いてくるまでの間、
思いっきり泣き叫んでみて、
ふと気付く。

やっぱりストレスなのかも。

今の職場をはじめ自分を取り巻く人間関係は、
不満どころか、なんて恵まれているのかと思うのだけど。
仕事も、PALを始めとしたいろんな勉強や行動も
精神的に何の苦痛もないのだけれど。
だからこそ、ストレスがあるわけない、と思っていたけど。
自分の身体的、精神的キャパシティーを超えているストレスなんだと思う。
無意識のうちにできると思っていることが、ストレスなんだと思う。

私の中で、ストレスというと身体的でも精神的でも、
自分にとっての不平不満、ネガティブな感情や感覚に限定していたのかもしれない。
だから、
「ストレス発散のために飲みに行こう!」
とか言われると、
ストレスなんて溜まってないのに、何でそう言われるの?
こんなにハッピーなのになんでそう思われるの??
って思っていた。

やっと地に足が着き始めて、
前を向いて歩き始めている今の自分を、
なんだかとっても否定されているように感じていた。

でも、
さんざんさんざん、
このブログのメッセージで、実際の言葉で、
声にならない・言葉にならないいろんな人の想いで
「無理しないで!」
と言ってくれている意味が、
少し分った気がします。

相当頑固だし、
かなり忘れやすいから、
すぐにまた、
「まだまだ」「でもでも」
って思ってしまうと思うけど、

さっき書いた記事と同じだけど、

この感覚は、忘れないようにしたいし、
経験した事、
少なくとも、いま、感じる事ができた事に感謝し、
繰り返し・・・

もっと楽に生きられるようにしたいと思います。

明日は、また、休みをくれました。
みんなに感謝し、
頑張ってくれている自分自身に感謝し、
自分自身を大切にする事、
自分自身を愛する事。
そうそう、それが私のテーマ

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (さなえ)
2007-04-25 10:29:00
痛みは辛いね。すべての気力を無くしてしまうね。
私も1年以上前から痛みが取れずなんで私なん?みんな元気にしてるのに。生きるってつらいなぁ、死んだほうが楽かもと色々悩んだけど家族の事を思うと今を精いっぱい生きるしかないよね。
返信する
>さなえさんへ (さゆり)
2007-04-25 21:11:22
そうですよね。
生きるのって辛いこと。そして、きっと死んだ後は楽な世界なんだと思う。
だから、少しでも楽しく生きる。
ですね!
返信する

コメントを投稿