小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

ブログの老後をユラユラ楽しむ悦楽ブログって言ったけどさ、もう一発くらい狙ってもいいのかな。やってもいいかな?

一ヵ月後に振り返る3.11帰宅難民ドキュメント(その1)

2011-04-12 10:42:32 | 千葉ロッテマリーンズ
※予めお断りしておきますが、当エントリの性質上、東日本大震災発生当時の記憶が生々しく脳裏を駆け巡る可能性が大いにございます。
つきましては、未だに当日のダメージが深刻だとおっしゃる方は、どうぞ別エントリで力をほぐされますようお願い申し上げます。

本当であれば、震災当日の出来事は震災当日か翌日の近いうちにまとめておけば、記憶も直近で鮮明だけに、記憶があやふやなところはそれほど出ずにすらすらと書き連ねることができただろう。
それはおいらも、実際に帰宅難民者となって、道をとぼとぼと歩いている時にはそう思っていたのだが。

無事に帰宅して家でぱったりと倒れた瞬間、何もする気が起きなくなってしまった。
決して何か大きなことをしたわけではない。家にも無事たどり着けたし、部屋の蔵書類がひどいことになっていたり、本棚や机があり得ない距離で動いていたりはしたけれど、物的な被害は奇跡的に何もなかった。
それなのに…である。
家に帰るや否や、歩いていたときに断片的に聞いていた情報が、テレビの前で一気に映像となった時。

情報という大波は、一気においらの精神的なバランスをも、決壊させてしまった。

身体のダメージも残る中、福島では原発が危機的な状況という情報がもたらされ、目に見えない恐怖と闘う日々。
こちらから頼んでもいないのに、我々と仲良くなったかのごとく毎日毎日ご挨拶にやってくる余震。
数々の有象無象の流言飛語。
ガソリンや牛乳など、断続的に首都圏を襲い来る物資不足。
エネルギー源である電力の安定した供給が行えず、計画停電に振り回されては、ストレスを着実に蓄積させる日々。
計画停電の煽りを食って、社会の重要なインフラであるにもかかわらず、十把ひとからげの扱いを受けて、満足な輸送すらさせてもらえない鉄道会社。

翻ってみれば、千葉県内も津波や液状化現象で、深刻なダメージを受けた場所もいっぱいある。
それなのにおいらときたら、日々溢れる地震情報や、余震、計画停電に対するストレスを抱え込み、どうにも表に出る気力すら枯渇していった。

あの日を、しっかりと記録しておかねばならないはずなのに。

結局、震災から一月を越えたこのタイミングで、もし書く気力があれば書こうということに決めた。
気力がわいてこないものを、無理に引っ張り出してくる必要など更々ない。
書く事自体がフラッシュバックとの戦いになってしまうのか、少しでも後々の為に体験記を世に残しておくべきと考えられるように回復するのか。

書こう。
思えばおいら、こうしてブログを持っている身であるはずなのに、震災当日のダメージからなかなか回復できず、震災前後の貴重な記録すら残すことができなかったではないか。
ならば、せめて帰宅難民者として自宅にたどり着いた記録くらい、後々に役立たせるためにも、書いて記録を残しておくべきだ。

一月が経過した4月11日。
夕方にも強烈な一発が、福島県浜通りを震源としてやってきて、その後もこの地震の余震とみられる小さな揺れは、遠く離れた関東地方を、数分ごと、数十分ごとに揺らしている。
「余震死ね!!」
その気持ちで、書き連ねようと思います。

………

あの日。
午前中に用事が終わり、そのまま帰宅するのももったいなかったので、西武ライオンズとの教育リーグが行われているというロッテ浦和球場へ足を運ぶことに。

ロッテ浦和球場についたのは、午後2時過ぎくらいだったかと思う。
ゲームを見たら4回裏くらい。

ド平日なのにそれなりに客がいて立ち見になった。3塁側最後列の土手の階段の、2段目だか3段目だかが空いていたので、そこを立ち見スポットとして観戦していた。
この日のゲーム展開がどうであったかは、あいにくながらメモを取っていたわけでも写真を撮っていたわけでもなかったから、よくは覚えていない。
ただ、怪我で出遅れていた晋吾が、怪我明けでどうやら初登板で1イニングをなげ、降板後ブルペンで「投げられたのがなによりじゃないか」とねぎらわれていたのは覚えている。


※だめぽな写真でほんと申し訳なし(´・ω・`)

試合は6回裏、相手投手を捕まえて一挙に5点を入れ、8-5と勝ち越しに成功。

そして、14時46分。

立っていても明らかに分かるほどの横揺れが、20秒ほど続いただろうか。
ちょっと強めかなこりゃ。
一瞬グラウンドに目をやったら、この時点で選手も審判も周囲を見回していたので、この時点で試合がストップしていたことになる。
そして、ちょっと強めの横揺れが20秒ほど続いたころ。
おそらく誰もが、「やれやれ、これでおさまるか…」と思った、その瞬間。

更に強さを増して、地面という地面を揺らす。

この時、さすがに命の危険を感じた。
もし、球場を覆っている防球ネットが折れて倒れてきたら。
もし、そばの新幹線や埼京線の高架線が倒れてきたら。
もし、そばを渡る高圧電線の鉄塔が倒れてきたら。
もし、そばにある、新しく建てたであろうロッテ浦和工場の建物が倒れてきたら。
一気に嫌なことばかりが頭の中を駆け巡る。
頭の中を駆け巡ってもなお、地面は揺れ続ける。長い!!
とにかく、今まで体験したことがない大きな揺れにおののいているその瞬間、揺れを顧みずに球場スタッフが声を上げた。

「皆さん、落ち着いてグラウンドの方に避難してください!ここ(3塁側ブルペン入口)から入れますから!!」

この的確な誘導が、我々を助けて下さった。
地面が未だに揺れの矛を納めない中、グラウンド内へ気持ちは歩いて避難しても、おそらくは小走りになっていただろうか。
スタンドにいるより、グラウンドの真ん中まで入ってしまえば、仮に防球ネットの支柱が折れて倒れかかるような状況になったとしても、難を逃れることができる。

揺れは2分くらい続いただろうか。
どこが震源だとか、どこが最大震度を記録したとかは、この時点ではどうでもよかった。
とにかく、経験したことのない強い揺れが、長時間続いた。それだけで、事態は一筋縄ではいかないということは容易に想像がつくのだから。

この日はツイッター仲間が複数観戦しに来ていた。
本当だったら、試合が終わって軽く挨拶してそそくさと帰ろうかと思っていたのだが、もうそんなことは言ってはいられない。
「無事かおい!?」とあいさつすると、みな一様に目を丸くしてご挨拶。そりゃそうだ。浦和に行くだなんて一言も言ってないのだし。

これだけ大きな揺れが、しかも長時間続いたのだから、もともと沼地を開発して建てられた我が家のエリアは一体どうなったのかが、途端に心配になってきた。
おかんも友人と都内に出かけているはずで、家にはおとん一人。
当たり前の話だが、おかんのケータイに電話をしても通じるはずがない。むろんおとんのケータイにも。
そこで一計を案じ、どうやらメールは遅配ながらも届いているような気配だったので、所在確認のメールをおかんのケータイあてに送信し、家の固定電話へかけてみると、おいらの端末がPHSだったということもあって、2、3度鳴らしたら無事おとんが出て所在確認。とにかく恐ろしく揺れたと。家は形は残っているがお前の部屋はかなりひどいことになってるぞということと、この時点で、国道沿いに面している家の近所の家具屋の外壁が崩落して車2台が押しつぶされていることと、近所で火事が一件発生していることが伝わったが、自宅までの延焼の心配はまるでないとのこと。
おとんと会話が終了してすぐ、同じPHS使いの兄からも無事との連絡。おとんと連絡が取れないというので、こちらは連絡してあるから心配なし、おかんとはメールで連絡がついたのだそう。
これでひとまず安否確認だけはできた。

…さて。

おいみんな。

歩いて帰るぞ。

あれだけ強い揺れが来たのだから、鉄道など動くであろうはずがなかった。
となると、埼玉から千葉へ脱出する手段は、誰かの車に乗せてもらうか、歩くしかない。
車で浦和球場まで乗り付けていれば、ツイッター仲間を一人ずつ落として走ることもできるだろうが、それも叶わぬし、第一身の危険を感じるほどの揺れでは、道路、特に川を渡す橋がどうなるかすら想像できないし、そういった情報が入ってくることもないだろう。幹線道路を走れば、鉄道が不通になったことで大渋滞が予想されるし、満足に走れることすら想像するのが怖い。
…となると、もはや歩くしか手段が残されていない。
これがおいら一人であったなら、川口に母方の親戚がいるので、武蔵浦和から川口なら、「この状況下では」歩いてもナンボのものでもないので、ひとまずそこに身を寄せることが考えられたが、ツイッター仲間4人を前にして、いくらなんでも「じゃあ俺川口の親戚宅に行くわ」だなんて、口が裂けても言えない。
武蔵浦和といえば、中学時代からの盟友Fumi氏宅がある場所だが、あいにくFumi氏は海外出張中。
こうなったら、歩いて少しでも千葉県に近づく事を考えた方がよさそうだ。

…とか考えていたらまたでかいのがきやがった…。

さっきほどではないかもしれないが、この揺れもまた強烈。
ネット裏にある管理棟そばにいたおいら。思わず大声で、
「危ない!建物から離れろ!!」と、他の客と同じくもう一度グラウンドへ避難。
小走りになりながらも揺れる地面の、あの恐ろしい感触は、おいらは一生忘れることはないだろう。
本震からは30分近く経過していたので、シャワールームで身支度を整えていたライオンズの選手だかコーチだかが、慌てて腰タオル一枚で飛び出してきたほど。



この時に、やっと「ジャーナリストに徹して」撮った浦和球場グラウンドからの写真は、2枚しかない。
撮れる状況ではなかった。
撮っていられるような状況ではなかったし、嬉々として撮るように思われるのも困るし。

でも、そんな異常時においてさえも、マウンド周辺に避難している選手たちを、目の前で見られるとばかり、バシバシ写メで写真を撮っていたバカ女3人組には、野球ファンとかマリーンズファンとかを抜きにして、人として心底軽蔑する。
そのバカ女3人組は、普通だったら親戚家族の安否が心配で、試合打ち切り後そそくさと球場を後にする選手だか関係者だかを捕まえてはプレゼントを渡し、大きな余震に周囲の客がおののいているのも知らぬ顔で、選手をつかまえて笑顔で話しかけているその姿は、人間としてのおぞましさを感じずにはいられなかった。
で、そんな奴らに限って、浦和だろうとどこだろうと、試合なんぞろくすっぽ見ずに、クラブハウス前とブルペンを行ったり来たりするのである。目の前で試合が行われているにもかかわらず…である。
お前らを、俺は人として心から軽蔑する。
顔は覚えているからな。
恥を知れ。


さて。

ここで帰宅する方面を確認しよう。
B君は松戸、F君は検見川。この二人は野郎だしB君はおっさん、F君は大学生。まあこの3人は問題なし。
S君とMちゃんは高校生。体力はありそうだから問題なし。
S君は川口。道がわからない?埼京線の線路沿いを歩けばなんとかなるだろwww
問題はMちゃんで、我々とは全く逆方向の栗橋方面。
むう。
ただ、いくら逆方向だとはいっても、このまま彼女一人を武蔵浦和だ大宮だへ誘導するわけにはいかないだろう。
なぜならば、今から武蔵浦和に出たところで人があふれているだろうし、ターミナル駅である大宮などへ行けばなおさら。家と連絡がつけば親御さんの送迎も期待できるだろうが、それも大宮駅あたりへ行ってしまったら、送迎もへったくれも車が大宮駅に近づけないことは、容易に想像できること。
ならば、途中まで我々と一緒に歩き、国道4号のバイパスあたりまで歩ければ、もし親御さんの送迎が期待できるならば楽だろうし、栗橋方面に歩くにしても、4号なら方向は一緒だから道に迷うことはない。
本当なら、Mちゃんについてしっかり最後まで送迎するのが年上の男としての道筋だろうが、クルマならまだしも、徒歩でしか移動できない状況下で、千葉を目指すのに栗橋に寄るのはあまりにもリスクが高すぎる。っていうかどう考えても体力がもたないだろww
というより、我々は千葉県まで歩くとして、Mちゃんをどうすべきか、これ以上の答えが想像できなかったというのが事実。
おそらくよりベストに近い答えは、明日親御さんの迎えを期待して、千葉まで保護することだったろうが、その答えも思い浮かばなかった。
そしてルート。
鉄道駅には、絶対に見向きもしてはならない。見向きをすれば運転再開をどこかで期待してしまうが、これだけの揺れでは動くのは期待してはいけない。
本当ならば、どこかの鉄道駅近くのネットカフェなりホテルなりにビバークすればそれもよかったかもしれないが、今の時間から出発して、まず空きを確保するのも至難の業だったろうし、それ以前に「なんとしても千葉へ帰るんだ」という思いが3人とも強かったから、見向きもせずに外環下の298号をひたすら進むことしか考えられなかった。もちろん、武蔵浦和から千葉県を目指すなら、それが最短ルートだったという事情もある。

さあ、歩こう。

(あまりにも長くなりそうなので、この項続きます)

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3 コメント

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余震は怖いっす… (小馬太郎兵衛)
2011-04-13 22:40:30
>とおるさん
あの家具屋さんは、どうやら建物自体にもかなりの被害が生じているようで、営業再開は難しそうですね…。
どうやら上から順繰りに解体しているようですが…。
ご自宅と職場が比較的近くてなによりでした。
これが東京都内から帰らざるを得ないと考えると心底ぞっとします…。

>開運skylinerさん
実はあの本震で、もともと地盤が良くない場所に自宅が建てられておりますので、倒壊したかと思いました。逆にいえば、あの程度の揺れまでだったら、周囲の一軒家もなんとかもつんですね…。
ただ、直下型が来たら間違いなく我が家もひとたまりもないと思います。

今回の地震は、原発は別として、どこまでが防災の基準点とするべきかがとても難しいと思います。地震はともかくとして、津波のパワーはまさしく桁違いで、今回発生した津波を基準にした防災対策も、果たしてどこまでやればいいのか、どこを線引きすればいいのか、予算配分などの線引きにも戸惑うことになると思います。
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余震続きが一層不安 (開運skyliner)
2011-04-13 06:41:19
だいたい一度地震が来たら暫くは揺れないだろうと思っていたものですが、あの巨体な地震の後は余震として毎日の様に揺れているのが一層の不安がありますよね!地震で怖いのは何かと言うと、家具等が落ちてくるのは序の口だと思います。では、何が怖いかは家が潰れてしまう事ではないかと思います。だって住む家が失われるのだから、これだけは無い様に祈るしか無いのです。津波の映像を見た時には我が家は海沿いに建ててなくて良かったものですが、直下型が来てしまうと…と思いますが!最近では耐震性に優れた家が売れていて、要するに揺れても揺れに弾力性を付けるので震度8?程度では潰れないとの見方ですが、今回の東日本大震災の様に想定外の地震もあるので今後はどこまで基準を高めるか本当に難しいものです。
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Unknown (とおる)
2011-04-12 12:47:04
国道沿い家具屋のつぶれた車は僕も見ました。約10年前そこで家具を購入したので、ショックはでかかったです。当日は村上から徒歩約1時間で八千代台へ帰宅。途中のスーパーで食料は全て売り切れでした。帰宅の前はこんな日に会社の飲み会。幹事が予約した店にキャンセルを打診したら、しゃぶしゃぶの肉仕入れちゃったんだからと逆切れされ、キャンセル不可で渋々参加。さすがに途中で帰ったけど。
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