※引き続いてのお願いですが、当エントリの性質上、東日本大震災発生当時の記憶が生々しく脳裏を駆け巡る可能性が大いにございます。つきましては、未だに当日のダメージが深刻だとおっしゃる方は、どうぞ別エントリで力をほぐされますようお願い申し上げます。
さあ、歩こう。
浦和球場出発は、午後3時20分くらいだっただろうか。
外環下を進むなら、ルートには困らないが、食糧などはかなり困る(^^ゞ
浦和球場を出発し、まずは食糧を確保すべしとコンビニへ立ち寄る。
埼京線高架下をくぐり、並行して流れる川向こうにセブンイレブンがあったので立ち寄り。高架下のゲーセンからは、おそらく営業続行不可能と判断されて追い出された高校生共が多数路頭に迷っていた。おまいら自転車があるんだからとっとと家に帰りなさいw
セブンイレブンに立ち寄ると、お昼の配送が終わった直後だったのか、品ぞろえは豊富にあり、銀行のATMも問題なく使えるようだったので、当座の資金をおろして、長期戦を予想の上でパンやらおにぎりやら、移動中でも楽に食事が取れそうなものを中心に買いこんでレジに渡すと、ここで後々に大問題となる光景に出くわす。
買い物かごにありったけの食糧や水を詰め込んでレジに渡しているおばちゃん…。
この時点ではおばちゃんの行動は、おそらくはだれも責められまい。
各地の道路状況が分からない段階では、今は良くても明朝からの物流に支障をきたすことは大いに考えられ、もしかしたら日頃の生活すら往生することだって考えられたわけで、年の頃から言って、おそらくは戦火をくぐりぬけてきた世代、食糧は見つけた時点で即座に買う癖は、頭以上に体にしみ込んでいることだろう。
まあ、問題はそんだけの量を本当に消費できるのかということだと思うけど(^^ゞ
買い出しを終了して、川べりを298号方面に南方向へと歩き出す。
…普通に車は走っているし、高架線から電車が走る音が全く聞こえない他は、とても大きな揺れがあったとは思えないほど、ぱっと見は日常生活そのもの。
っていうかちょwwwww足場を組んで家を建てている大工さんwwwww
もう足場によじ登って作業を再開してるwwwww
あれだけ大きな揺れに見舞われたにもかかわらず、工期はカットできないと、懸命の作業続行。強いぞ大工さん。
通りの並びには浦和南高校があったのだがちょwwwwwおまいらwwwww
部活動とかやってる場合じゃないってばwwww自重wwwww
…とこの時は思ったが、おそらくは教職員判断で、むやみに直ちに下校させても交通障害で帰宅できないだろうから、状況が分かるまでは部活動を続けなさい…という判断だったのだろう。それはそれで賢明な判断だったと思う。
さて、298号にぶつかったので側道をひたすら東方面に歩くだけの簡単なお仕事。
さすがに外環道は地震ですぐさま通行止規制がかかったようだが、298はなんでもなく動いている様子。
PHSではこのような緊急時には連絡がとりやすいことが改めて証明されたわけだけれど、こと情報に関してはケータイの足元にすら及ばない。
浦和球場を出る段階で、宮城県北部が震度7を記録したとか、太平洋沿岸の広い範囲に大津波警報が発令されたのは情報を得ていたから、これはもしかすると、三陸あたりはリアス式海岸で過去にもたびたび大津波でやられているから、もしかして…とは思ったが…。
歩いている中でも、お台場で火災が発生しているとか、市原のコスモ石油で火災が発生したとか、悪い話ばかりが入ってくる。
いや、お台場や市原あたりの火災は、マスコミがヘリを飛ばして絵になりそうな被害を探して映し出しているだけのことだから、大きな被害は他の地域、或いは東京湾沿岸一帯でも出ているに違いない。
翌3月12日には、千葉マリン、いやQVCマリンフィールドでお披露目のオープン戦開催、そして昨年まで現役だった堀幸一もと選手の引退セレモニーが予定されていたので、翌日の列整理の貼りに出かけていた観戦仲間がいて、ひとまずの安否情報が入った。
それによると、
・無事です。
・球場スタッフの誘導でスタジアム内に避難しています。
・スタジアム周辺は液状化現象に見舞われ、敷地内各所で地割れが発生している。
という旨のツイートが寄せられ改めて身震い。
千葉マリン周辺でこれだけやられているのだとすれば、同じ地域に住宅街がある千葉市や浦安市は、どんな被害が発生しているのか…。
1987年12月の千葉県東方沖地震では、千葉市磯辺地区だったかの学校の校庭が、液状化現象でぱっくり口を開いて泥水が噴出した映像を見て、当時中学校1年の身で驚愕したことを思い出した。その時の記憶や、磯部を含む海浜地区に当時住んでいた奴らから当時の話を聞いていたから、これはもしかして、湾岸ベイエリア地区は…。
いかんいかん。
とにかく無事に帰ろうぜ。
当たり前の話ですが。
どこかへ出かければ歩くのが当たり前になっていたので、4~5キロくらいなら歩いても全然問題ないと思っていたおいら。
まあ、それくらいだったら平気で歩けましたわ。確かに。
防災頭巾をかぶって一斉下校する小学生と混じって、「俺も発言内容が小学生だから一斉下校させてください、いやむしろ奥さん避難させて(ry」とか、素で冗談を言える体力は悠々のこっていた。

東北本線の線路を跨ぐあたりは体力はかなりの余裕があり(逆にこのあたりでへばったらやばいww)、もしかして「松戸」と紙に大書きして待っていればどこか1台くらい乗せてくれるクルマがあるかもしれなかったが、気持ちがどうしても千葉県へ千葉県へと急いてしまうので、あえてやらずにひたすら歩く。
さいたま市浦和区から川口市に突入するまでは、かなり体力に余裕はあった。
298号は、外環道が通行止めになっている影響で、それなりに交通量があったものの、現段階ではどこかでクルマが動かないなどの災害に伴う交通障害は起こっていないと見え、クルマもそれなりに動いていた。
トラックも頻繁に通るそばの歩道をずっと歩いていても、どうもたびたび地面からは揺れを感じる。
それがトラックが通るからなのか、本当に大地震から来る余震なのかは、あいにくと歩いているからには判断がつかない。
本当はこんな状況下で、高架道がそばにそびえたつ沿道を延々と歩く事は、ある意味自殺行為なのだけれど、千葉県松戸市方向へ入る道が、このルートが最短最速である以上、このルートをとぼとぼと歩かざるを得ない。
さっきの本震以上に大きい余震が来れば、外環道が崩れることも考えられない状況ではなかったが、もし仮にそれで死ぬのなら俺の運もそれまで。川口へ帰るのに浦和球場近くで別れたS君を除いた他の3人、B君、F君、Mちゃんには大変失礼な話だとは思ったが、ロッテファンと一緒に死ねるなら本望と言っておかなければ、自分自身の気持ちが家へ家へと急く気持ちを抑え込むことはできなかったのだ。それこそ今にでも急く気持ちを、全女式押さえ込みで必死に押さえつける以外、自分の気持ちをコントロールする術が見つからなかったのは確かだ。
いや、多分若いMちゃんにしろ、彼女がいるF君にしろ、絶対にこんなところで俺と死ぬわけにはいかないんだろうな…とは思いつつ、この3人の命運は、事実上俺のさじ加減が握っている状況。俺はロッテファンと死ねればそれはそれで本望だろうが、だからこそ、こんなところで4人もろとも死ぬわけにはいかない。
俺が本望なのは、もう一度みんなで、マリンで野球を見ることなんだから。
さいたま市と川口市の境に流れる川べりに、大地震を知ってか知らずか三々五々集まっている鳥たちに、しばし身体と目と気持ちを休ませる。
真ん中のでっかい彼は、周りからいじめられたりせんのかね?

298号のこの道は幾度となく走っているから分かるけれど、とにかく川口市を抜けるのが長い長い。
298号自体が、主要道と交わるたびにアップダウンを繰り返しているから、実際の地形を感じる機会はそうそうないのだけれど、このあたりは川口市内でも丘陵地帯が続くので、アップダウンを幾度となく繰り返す。
上り坂、下り坂の障害のほか、東北道川口ジャンクションあたりは、歩行者は北側を300メートルほど大きく迂回して東北道と122号をくぐらなければならず、実際の見た目よりかなりの迂回を強いられる。そして繰り返される上り坂、下り坂で、思いのほか体力を消費させられる事実が発覚。
最初はバカ話に花が咲いていた口数も、距離を稼ぐごとにだんだん少なくなってくる。
っていうか、川口ジャンクションの北側に、千葉県では京葉道原木インターそばや、昔なら東千葉駅前などでもおなじみ、いわゆる「石のお庭のお船」があったのね。
「石のお庭のお船」っつったら、このCMだわさ。
'78-91 関東ローカルCM集vol.6
※当該CMは1分58秒あたりから。
まあ、この段階で「股関節を少々痛めました」だなんて、口が裂けても言えないんだけどさあ(;_:)
そして、明らかに298号を歩く格好ではないスーツの方々が、どんどんうちの集団を追い抜いていく。間違いなく、武蔵野線などの鉄道機関が動かず徒歩移動を強いられた人たちの姿が、ここかしこに見られる。近隣住民でもない限り、298号の側道部分を歩くなんて、いつもは想像すらつかない世界である。
やたらと広い川口市を抜け草加市に差し掛かる頃には、日もとっぷり暮れていた。
もうそろそろ、国道4号のバイパスに差し掛かるはずである。
4号バイパスまで来れば東武伊勢崎線の駅も近い位置まで来たはずで、栗橋方面へ帰るMちゃんともお別れすることになる。
ふと交差点に差し掛かると、298号西行き車線の向こう側にスーパーが見えたので、休憩がてら少々の買い出し。
食糧や飲み物自体には困ってはいないけれど、春まだ浅い関東平野の3月の夜は冷える。
スーパーの奥のドラッグストアに、手袋の在庫がまだあると聞いて押さえておく。
確かに、手袋があるのとないのとでは大きな違い。
おそらく一晩は続くであろう行軍に、防寒具がなければ、外を歩くのは自殺行為。
スーパーの店内はBGMが止められ、NHKラジオが流されていて、家庭での防災情報が放送されていた。
どうやら三陸から千葉県九十九里沿岸にかけて、極めて広い範囲で大津波の被害を受けたことを知る。
東京湾は内海だから大丈夫だろうと思っていたのだが、1ヶ月後に報道で知った話では、木更津でも2メートルの津波を観測し、ノリなどの養殖がひどい被害を受けたと知った時は、改めて心底ぞっとした。
どうやらスーパーの次だかその次だかの交差点が、Mちゃんとのお別れポイントになる国道4号バイパス。
…と、国道4号バイパスの沿道を見やると、近所にマクドナルドがあるではないか。
更に手前にはサイゼリヤがあるではないか。
さらにさらに地図を見たらば、どうやら東武伊勢崎線新田駅も近いではないか。
時計を見ると19時半ごろ。とりあえず、午後3時半前から歩きづめなので、サイゼリヤに行っていったんビバークしよう。
本当は温かいものを摂りたいけれど、この先の行軍を考えると、トイレ問題はひじょーに切実であるため、コーヒーやお茶類はできるだけ我慢。
とりあえずミラノ風ドリアとドリンクバーで一息つく。
うん。
建物の中に入ると、余震が活発なのがよく分かるね(:_;)
座っていれば揺れは分かるし、座って揺れを感じなくても、照明が揺れていてよ~くわかる。
ここでF君が近所の家電屋にケータイの充電器を買い出しに行ったので、休憩がてら4号バイパスを眺める。
…上り方向が全然動かないね(´・ω・`)
おそらくは東京都内に向けて、週末+普段の車+送迎の車でびっしり動かないのだろうと思っていたのだが、実際はそれほど甘くはなく、この時点で、東京都内につながる道路という道路は、各所で大渋滞が発生していた。
他の道路がどれだけ込んでいるのか、草加市新田あたりのサイゼリヤではむろん知る由もなかったのだが、大量の帰宅難民者が主要道路にあふれかえり、交差点ごとに歩行者が溢れていてクルマの右左折すら難渋するほどで、それが主要道路の各交差点で繰り広げられているものだから、各所でクルマの動きが滞り、それが連鎖して放射状に各所に伝搬するという事態が起きていたのだ。
帰宅難民を体験しての総括はのちほど総括でじっくり語ることにしているけれど、さしものおいらも自分自身と仲間のことで頭がいっぱいで、各所で溢れた帰宅難民者がどういった動きをするのかまで思いを巡らせるのは、この段階では不可能だった。
対する下り方面の車の流れは順調だが、この時間にしては歩行者がやたら多い。やはり電車が動かず徒歩で移動してきた人達である。
そしてたまに下り方面へ走り去るタクシーはみな実車。そしてやたらめったと個人タクシーが多かった。
個人タクシーが集まる場所はだいたい官庁街などが多く、そのあたりで運よく捕まえたか、日頃個人タクシーと契約している人たちが急いで帰宅するために呼び出したものと推測できる。
あらかじめ聞いておいた野郎ども3人の財布の中身は、3人総勢で3万円は超えていたので、ともすれば流しのタクシーを捕まえられれば千葉まで帰れるか…とも思ったのだが、4号バイパス上りのクルマの動きをみる限り、ちょろちょろと動くには動くけれど、298とてどこまで動くのかすら想像駅内状態だったので、タクシーに手を出すのもギャンブルといえばギャンブル。このあたりを「空車」表示で走っているタクシーを運よく捕まえられたとしても、そのタクシーが都内に帰る車だったら、おいらたちを客扱いすれば営業区域違反になる。或いは煙突運転で「これだけ出すからここまで走って」と言えば乗せてくれないこともないだろうが、さすがに今の時代、その話が漏れたらまずいでしょ。
この手の話でしばしばトラブルになるのは県境近い都市、手近なところで言えば浦安市。
たとえば、空車表示で新浦安界隈を流していても、それが都内の車だったら、たとえ走る方角が浦安橋を越えて葛西方面へ一緒だとしても、「地下鉄の浦安駅まで」という乗車申し込みには応じられないのである。むろん、これが「葛西駅まで」という話ならOK。
…そこへF君が帰って来た。
なぜか自転車つきでwwww
聞けば、近所の家電屋はこの地震で棚が倒れたりしたらしく営業不可能になっており、申し訳なく思った店員さんが、乗り捨てられたままずっと放置されている自転車を、「これ持ってきな」といって差し出してくれたのだそう。
この自転車を使って、ここでお別れになるMちゃんをF君が近所の新田駅まで送迎。帰ってくるまでまたしばしの休憩になる。
ここでMちゃんとお別れになるのは忍びないが、帰る方角が全く逆である以上どうしようもなかった。
Mちゃんの無事を願いつつお見送り。
…ところが、このF君がなかなか戻ってこない。
ここまで帰ってこないということは、おそらくは新田駅ではなく、さらに北側の越谷駅か新越谷駅まで向かっているのではないか。
新田駅では降りたことはないけれど、越谷や新越谷へ行った方が駅の規模が大きいし、なんとなれば夜を明かす施設もそれなりにあるだろう。
更に1時間か1時間半ほど経過しただろうか。
ようやくF君が帰って来た。新田駅で降ろそうと思ったけれど、神殿の駅前が本当に何もない場所だったらしく、越谷駅まで出たのだそう。さすがF君、賢明な判断。
充電することしばし、いざ出発。
足りないのは俺の体力とケータイの充電orz
この先、F君がもらってきた自転車が、体力維持という面でも八面六臂の活躍を見せてくれることになる。
サイゼリヤをリスタートしたのは、夜9時過ぎだったろうか。さすがにこの行程の詳細をメモする気力まではなかった(^^ゞ
体力は若干は回復したものの、痛いところは痛いままで、万全とは言い難い。そんな隊長をおしてもなお、こちとらはまずは埼玉県を脱出し、旧松戸有料の松戸橋を経由して、千葉県にたどり着かなければならぬ。
そこで役に立ったのが自転車。
時間ごとに区切って3人で交代で乗ったのだが、なにせ歩くより座って漕いでいたほうが断然楽という事実に、今更ながら気がついた。
ちょっとずつ乗るだけでも、体力、ことに足にかかる負担は全然楽。
さあ、がっつんがっつん千葉県を目指そうぜ。
草加の住宅街を抜けると、沿道は急に何もなくなる。
と同時に、だんだん冷えてくるのが体感できる。これが身体にボディーブローのように効いてくるのである。
まさしく一発カウンターのストレートを食らったらKO負け必至。
ストレートを食らわないように食らわないように神経を張り詰めていると、えてして灯台もと暗しのごとく見えなくなるのは足元。
歩道の段差に気がつかずに、腰とひざをガクーンとやっちゃった(:_;)
都市部の夜道に仕掛けられた罠、すなわち歩道の段差。疲れて状況判断が鈍っているところに段差があり、それを気がつかずに踏み越えてしまうと、疲れ切った足腰に絶大なダメージを負ってしまう。
っていうか、2度も同じことするなよ俺。
もうね、疲れとかじゃなくって、完全に年をとっている証拠だろこれ。
一度は歩道と車道の段差、一度はレンガ敷きの歩道と植え込み予定地の足元が不安定な場所に足元を取られダメージを食らう。
そして、これが後々に後遺症をもたらすことになるとは、さすがにおいらもこの時は想像し得なかった。なにせ気力と体力勝負なのだから、体力を消耗していては、身体の各所にダメージが蓄積されるのは当然。すなわち各所の痛みも、疲れが抜ければ自然と治癒するものだとばかり思っていたのだが…。
草加を抜け、三郷市に突入。三郷市を抜ければ、旧松戸有料を通って千葉県まではもうすぐだ。頑張れ俺たち。
時間は夜11時近く。武蔵野線も通っていないというのに、駅方向に向かう車か、或いは中川を渡ろうとする車なのか、こんな時間でも三郷市内の狭い道路も、中川を渡る市内の橋も渋滞でびっしりだ。

記念というわけではないけれど、外環三郷西インターで災害発生を伝える高速道路の掲示板の、やたら上から目線な指示も撮っておこう。「ここで降りろ」だもんね。

三郷ジャンクション近くを歩いていても、298を逆方向の埼玉方面に向けて歩く人を、この時間でも見かける。
時計は12時近かっただろうか。ようやくつくばエクスプレスの高架線が現れた。
ここからなら三郷中央駅が近そうだ。
自転車を使いつつとはいえ、内陸部に差し掛かって急激に冷え込んできたこともあり、3人の体力も、もはや限界に近付きつつあった。
なにせ、こんなことは冗談でも言いそうではないキャラのおいらでさえ、江戸川の橋の真ん中で、3人でおちんちんぴろーんしようぜwwwwwなんて言っていたほど。それくらいの冗談を言っていなければテンションが保てないほど、3人の体力は追い込まれていた状態にあったのだ。
周囲に住宅やマンションが中途半端にしか立ち並んでいないこともあり、遠くに見える三郷中央駅には、煌々と明かりが照っているマルエツの看板が見える。
マルエツがまだ営業しているなら、ここで少し休めるかもしれない。
まずはひとまず三郷中央のマルエツで休むという話をしたところ、2人のうちのどちらかが、ツイッターを見て画面を興味シンシンで覗き込んだ。
「T君が、つきあっているAちゃんを迎えに吉川までクルマで行くんだって。もしかしたら俺たちも拾ってもらえるかもしれない。ダメもとで『俺たち野郎ども3人も拾ってもらえないか』ってツイートしてみましょうか?」
そして待つこと数分後。吉報が入って来た。
「やった!迎えに来てくれるって!!」
しゃああああああああああああああああ帰れるぞおおおおおおおおおおおお
もちろん発案はダメもとである。せっかくの二人の時間を、3人でおしかけるのは確かに忍びない。そしてこれは、今いる野郎3人とT君とはそれぞれに面識があり、かつおいら以外の二人とAちゃんも面識があり、AちゃんとF君は高校時代の同級生というつながりがあるからこそ頼めたという一面も存在しよう。いくらツイッター上で絡みがあるとはいえ、全く面識もない人に、いきなり送迎を頼みというのは、それが死中に活を求むとはいえ、さすがに遠慮するし、それくらいならなんとかタクシーの1台くらい見つけてやりたいというものである。
2人とは三郷中央駅で待ち合わせることにして、まずは三郷中央駅のマルエツに向かうと、どうやら三郷市役所の方が「避難所をご利用になりますか?」と声をかけてきてくださった。

聞くと、マルエツ三郷中央店のご厚意で、帰宅難民者の一時避難場所として店内の休憩スペースが割り当てられているのだそうで、毛布の割り当てがあったので、T君たちと落ち合うまでの間、温かい毛布にくるまることにする。
店内に入れば暖かいし、なによりトイレがあるので温かい飲み物も取れるが、この先の渋滞を考慮して、飲み物は買っておいたミネラルウォーターで過ごし、暖はあくまで毛布でとることにした。

そして待つこと小一時間。
迎えに来てくれたT君の顔を見た瞬間…。
涙は出なかったなあ。
でも、これほど「繋がり」がありがたいと思ったことはない。
これで無事、他の2人も無事に帰れることができる。
そして草加のサイゼリヤで別れたMちゃんも、無事学校の友人宅に泊まることができたとの報を受けて一安心。
みんな、無事でよかった…。
そう思った瞬間、身体が途端に悲鳴を上げだしたようで、今まで動いていた下半身、特に両ひざの関節が、今まで経験したことがないような悲鳴を上げていて、歩くのもガニ股でモソモソという感じで、なんともみっともない姿をT君とAちゃんにお見せしたのは恥ずかしい限りだが、疲れが溜まりにたまったものであって、恥ずかしいだのなんだの言っていられる場合ではないだろう。
車内でAちゃんからもらったお茶の温かかったこと!
揺れる車の中で何度かこぼしたけど(^^ゞ
Tくんの車から見た光景。
どこで越えたかは分からないけれど、午前1時だか1時半くらいの段階でさえも、6号の東京方面はびっしり大渋滞。
ただし、松戸市内の他の道は概して空いていた。
松戸市内でB君とお別れ。カーナビの道から察するに、どうやら高柳方面から16号へ出るようだ。
6号の上り方向はびっしり大渋滞だったが、東京方面への各道路を放射状に結ぶ16号は、普段よりトラックの数が多いなとは思ったが混んではおらず、すいすいと地元八千代市まで運ばれた。車の中から「八千代市」の看板を見た瞬間、さすがにこみ上げるものがあった。
で、16号から296号に入った瞬間、この時間としてはあり得ないほど上り車線が渋滞していた。やはり都内へつながる道は、どこへ行こうと渋滞しているのだった。
オヤジから聞いていた通り、近所の家具屋の崩落した外壁を見ながら、T君とAちゃん、そして検見川方面に帰宅するF君に改めて謝意を伝え、ここでお別れ。
296がえらく混んでいたので、検見川方面は今来た16号を回って行った方がいいことも伝えて、ここに一人の帰宅難民の一日が終わった。
帰宅すると、まあ確かにひどい有様…。

本棚から本は崩れ落ちているし、部屋の角にぴたりとつけていたはずの机が、あり得ない距離まで移動していたんですけど…(・・;)

下のリンクは今回の徒歩のルート図です。多少のルートの違いはありますが。
http://maps.google.co.jp/maps?f=d&source=s_d&saddr=%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%86%E6%B5%A6%E5%92%8C%E7%90%83%E5%A0%B4&daddr=%E6%B5%A6%E5%92%8C%E5%8D%97%E9%AB%98%E6%A0%A1+to:%E4%B8%89%E9%83%B7%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E9%A7%85&hl=ja&geocode=FVnVIgIdRONSCCkd13tcX-oYYDHr5EFehY_n-Q%3BFYjEIgIdhwBTCCkRodNR-uoYYDFduoEQF4YZ8A%3BFSajIgIdrF9WCCmZLpla6poYYDFXLjGA8LNGFQ&mra=ls&dirflg=w&sll=35.852048,139.728756&sspn=0.076664,0.181103&brcurrent=3,0x6018948a0c9ceef7:0xb7b232bac1bbd9a0,0&ie=UTF8&z=12
今回、帰宅難民者を経験して、改めて気がついたこと。
1.基本的に長距離通勤者は、とどまる場所があったら動くべからず
これは震災当日の午後五時過ぎ、枝野官房長官が「長距離通勤者のみなさんは、帰宅を控えてなるべく会社にとどまるように」との声明を発表したが、歩いて分かったけれどこれは結果的にこの声明通り。
大量の歩行者が主要道路の歩道にあふれた結果、主要道が軒並み大渋滞を引き起こしたことは、緊急車両の通行を阻害することにもなりかねない。
また、余震が続く中での長距離の歩行での移動は危険極まりなく、文中でもおいらは「ロッテファン同士で死ねれば本望」などと書いてはいたけれど、本当に何らかの二次災害に巻き込まれていたなら、どう責任を取ったというのか。
確かに「家族が心配」とか、気が急く理由はいろいろある。
家族の無事が確認できて、どうしても急いで帰る理由がなく、一時的にとどまる場所が確保できているのなら、なるべくなら移動するべきではないということは、今回嫌というほど痛感した。
上記に関連して言えることだが、
2.夜の移動は大変危険です。
足元が悪くても、疲労の蓄積により注意力散漫になり、思わぬ怪我をすることだって大いにありうる。
また、三郷付近に差し掛かった時に書いている通り、夜は急激に冷え込むので、昼間以上に体力を消耗する。場合によっては急激に体調を崩すことも考えられる。
実はおいら、恥ずかしながら、この移動中に段差に足を取られて腰とひざに衝撃を受けた際に、左ひざを痛めてしまった。
今でも少しの疲労の蓄積だけで、左ひざの可動部がある角度に達すると痛みを感じるようになってしまい、先月下旬の旅行の際に大いに難儀した。すなわち、座る分には全く痛くはないのだが、歩いたり、階段の上り下りをする時などに痛みが走るようになってしまったのだ。
これはおそらく、今後一生付き合っていかなければならない傷になってしまったかも。
3.帰宅ルートの確認を
そりゃあ、テレビショッピングなどでお勧めされているように、ポータブル型のカーナビを常日頃地図代わりに携帯している人は楽だったろうけれど、そうでない場合は、コンビニで売られている地図でいいので即座に買い求めて、なるべく大きな道を選んで歩くのが吉かと。
といっても、今回のおいらの経験のように、自動車ばかりが通る道を最短距離としてトレースするのは、その道の状況を知っていない限りお勧めしません。
今回の場合、298号を延々と歩くとはいっても、コンビニやスーパーどころか自動販売機すら見つけるのも困難という場所を切り開いて通っているような道を、ましてや歩行で通るとなると、食糧水分の補給に重大な支障をきたす恐れがあります。今回は俺が通る道の状況を知っていたからいいようなものの、知らない人は水分補給さえままらなかった人も多分出たと思います。
もし会社から徒歩で帰らざるを得ないケースが発生した場合、最短距離はどのルートか、その道は歩行帰宅に適しているかどうか、一度ご自身で確かめてみることをお勧めします。
4.連絡先や避難場所の確認は大切に。
家族や親せき同士が、お互いに一度の連絡で安否確認ができるような体系を作っておくと安心ですね。
ケータイ同士だと繋がりにくいので、家の固定電話や災害用掲示板、場合によってはツイッターなどの簡易ブログのツールを利用するのも手ですね。
mixiのように、言葉のやり取りはしづらいかもしれないけれど、ログイン履歴で安否を確認する手立てもある。
これに関連して、
5.ツイッターは強かった。
災害情報からデマコギーまで、あっという間に情報が氾濫したツイッターだが、ワールドカップのような世界規模のイベントではなかったので、若干繋がりにくくなることはあっても、ツイッターのサーバーが落ちることはなかったので、知っている者同士の安否確認は即座に出来たのは、間違いなくツイッターのおかげだった。
こうした時、世界クラスで利用されているコミュニケーションツールは強いな…と肌で感じた次第。
みんな。
生きような。
頑張って、千葉を、茨木を、東北を、日本を、再生させようぜ。小さな力だけど。
そして、当日行動を共にしたB君、F君、途中でお別れしたS君、途中で放り出す形になってしまったMちゃん。
三郷中央まで迎えに来て下さったT君、温かいお茶を用意して迎えて下さったAちゃん。
三郷中央駅前マルエツさん、三郷市役所の方々。
迅速な避難誘導をしてくださった、ロッテ浦和球場のスタッフの皆さん。
あのときは、本当にありがとうございました。
改めましてこの場をお借り致しまして、厚く厚く御礼を申し上げます。
そして、当エントリを最後までご覧いただいたすべての皆様。
長々とお付き合いいただきまして、まことにありがとうございました。

さあ、歩こう。
浦和球場出発は、午後3時20分くらいだっただろうか。
外環下を進むなら、ルートには困らないが、食糧などはかなり困る(^^ゞ
浦和球場を出発し、まずは食糧を確保すべしとコンビニへ立ち寄る。
埼京線高架下をくぐり、並行して流れる川向こうにセブンイレブンがあったので立ち寄り。高架下のゲーセンからは、おそらく営業続行不可能と判断されて追い出された高校生共が多数路頭に迷っていた。おまいら自転車があるんだからとっとと家に帰りなさいw
セブンイレブンに立ち寄ると、お昼の配送が終わった直後だったのか、品ぞろえは豊富にあり、銀行のATMも問題なく使えるようだったので、当座の資金をおろして、長期戦を予想の上でパンやらおにぎりやら、移動中でも楽に食事が取れそうなものを中心に買いこんでレジに渡すと、ここで後々に大問題となる光景に出くわす。
買い物かごにありったけの食糧や水を詰め込んでレジに渡しているおばちゃん…。
この時点ではおばちゃんの行動は、おそらくはだれも責められまい。
各地の道路状況が分からない段階では、今は良くても明朝からの物流に支障をきたすことは大いに考えられ、もしかしたら日頃の生活すら往生することだって考えられたわけで、年の頃から言って、おそらくは戦火をくぐりぬけてきた世代、食糧は見つけた時点で即座に買う癖は、頭以上に体にしみ込んでいることだろう。
まあ、問題はそんだけの量を本当に消費できるのかということだと思うけど(^^ゞ
買い出しを終了して、川べりを298号方面に南方向へと歩き出す。
…普通に車は走っているし、高架線から電車が走る音が全く聞こえない他は、とても大きな揺れがあったとは思えないほど、ぱっと見は日常生活そのもの。
っていうかちょwwwww足場を組んで家を建てている大工さんwwwww
もう足場によじ登って作業を再開してるwwwww
あれだけ大きな揺れに見舞われたにもかかわらず、工期はカットできないと、懸命の作業続行。強いぞ大工さん。
通りの並びには浦和南高校があったのだがちょwwwwwおまいらwwwww
部活動とかやってる場合じゃないってばwwww自重wwwww
…とこの時は思ったが、おそらくは教職員判断で、むやみに直ちに下校させても交通障害で帰宅できないだろうから、状況が分かるまでは部活動を続けなさい…という判断だったのだろう。それはそれで賢明な判断だったと思う。
さて、298号にぶつかったので側道をひたすら東方面に歩くだけの簡単なお仕事。
さすがに外環道は地震ですぐさま通行止規制がかかったようだが、298はなんでもなく動いている様子。
PHSではこのような緊急時には連絡がとりやすいことが改めて証明されたわけだけれど、こと情報に関してはケータイの足元にすら及ばない。
浦和球場を出る段階で、宮城県北部が震度7を記録したとか、太平洋沿岸の広い範囲に大津波警報が発令されたのは情報を得ていたから、これはもしかすると、三陸あたりはリアス式海岸で過去にもたびたび大津波でやられているから、もしかして…とは思ったが…。
歩いている中でも、お台場で火災が発生しているとか、市原のコスモ石油で火災が発生したとか、悪い話ばかりが入ってくる。
いや、お台場や市原あたりの火災は、マスコミがヘリを飛ばして絵になりそうな被害を探して映し出しているだけのことだから、大きな被害は他の地域、或いは東京湾沿岸一帯でも出ているに違いない。
翌3月12日には、千葉マリン、いやQVCマリンフィールドでお披露目のオープン戦開催、そして昨年まで現役だった堀幸一もと選手の引退セレモニーが予定されていたので、翌日の列整理の貼りに出かけていた観戦仲間がいて、ひとまずの安否情報が入った。
それによると、
・無事です。
・球場スタッフの誘導でスタジアム内に避難しています。
・スタジアム周辺は液状化現象に見舞われ、敷地内各所で地割れが発生している。
という旨のツイートが寄せられ改めて身震い。
千葉マリン周辺でこれだけやられているのだとすれば、同じ地域に住宅街がある千葉市や浦安市は、どんな被害が発生しているのか…。
1987年12月の千葉県東方沖地震では、千葉市磯辺地区だったかの学校の校庭が、液状化現象でぱっくり口を開いて泥水が噴出した映像を見て、当時中学校1年の身で驚愕したことを思い出した。その時の記憶や、磯部を含む海浜地区に当時住んでいた奴らから当時の話を聞いていたから、これはもしかして、湾岸ベイエリア地区は…。
いかんいかん。
とにかく無事に帰ろうぜ。
当たり前の話ですが。
どこかへ出かければ歩くのが当たり前になっていたので、4~5キロくらいなら歩いても全然問題ないと思っていたおいら。
まあ、それくらいだったら平気で歩けましたわ。確かに。
防災頭巾をかぶって一斉下校する小学生と混じって、「俺も発言内容が小学生だから一斉下校させてください、いやむしろ奥さん避難させて(ry」とか、素で冗談を言える体力は悠々のこっていた。

東北本線の線路を跨ぐあたりは体力はかなりの余裕があり(逆にこのあたりでへばったらやばいww)、もしかして「松戸」と紙に大書きして待っていればどこか1台くらい乗せてくれるクルマがあるかもしれなかったが、気持ちがどうしても千葉県へ千葉県へと急いてしまうので、あえてやらずにひたすら歩く。
さいたま市浦和区から川口市に突入するまでは、かなり体力に余裕はあった。
298号は、外環道が通行止めになっている影響で、それなりに交通量があったものの、現段階ではどこかでクルマが動かないなどの災害に伴う交通障害は起こっていないと見え、クルマもそれなりに動いていた。
トラックも頻繁に通るそばの歩道をずっと歩いていても、どうもたびたび地面からは揺れを感じる。
それがトラックが通るからなのか、本当に大地震から来る余震なのかは、あいにくと歩いているからには判断がつかない。
本当はこんな状況下で、高架道がそばにそびえたつ沿道を延々と歩く事は、ある意味自殺行為なのだけれど、千葉県松戸市方向へ入る道が、このルートが最短最速である以上、このルートをとぼとぼと歩かざるを得ない。
さっきの本震以上に大きい余震が来れば、外環道が崩れることも考えられない状況ではなかったが、もし仮にそれで死ぬのなら俺の運もそれまで。川口へ帰るのに浦和球場近くで別れたS君を除いた他の3人、B君、F君、Mちゃんには大変失礼な話だとは思ったが、ロッテファンと一緒に死ねるなら本望と言っておかなければ、自分自身の気持ちが家へ家へと急く気持ちを抑え込むことはできなかったのだ。それこそ今にでも急く気持ちを、全女式押さえ込みで必死に押さえつける以外、自分の気持ちをコントロールする術が見つからなかったのは確かだ。
いや、多分若いMちゃんにしろ、彼女がいるF君にしろ、絶対にこんなところで俺と死ぬわけにはいかないんだろうな…とは思いつつ、この3人の命運は、事実上俺のさじ加減が握っている状況。俺はロッテファンと死ねればそれはそれで本望だろうが、だからこそ、こんなところで4人もろとも死ぬわけにはいかない。
俺が本望なのは、もう一度みんなで、マリンで野球を見ることなんだから。
さいたま市と川口市の境に流れる川べりに、大地震を知ってか知らずか三々五々集まっている鳥たちに、しばし身体と目と気持ちを休ませる。
真ん中のでっかい彼は、周りからいじめられたりせんのかね?

298号のこの道は幾度となく走っているから分かるけれど、とにかく川口市を抜けるのが長い長い。
298号自体が、主要道と交わるたびにアップダウンを繰り返しているから、実際の地形を感じる機会はそうそうないのだけれど、このあたりは川口市内でも丘陵地帯が続くので、アップダウンを幾度となく繰り返す。
上り坂、下り坂の障害のほか、東北道川口ジャンクションあたりは、歩行者は北側を300メートルほど大きく迂回して東北道と122号をくぐらなければならず、実際の見た目よりかなりの迂回を強いられる。そして繰り返される上り坂、下り坂で、思いのほか体力を消費させられる事実が発覚。
最初はバカ話に花が咲いていた口数も、距離を稼ぐごとにだんだん少なくなってくる。
っていうか、川口ジャンクションの北側に、千葉県では京葉道原木インターそばや、昔なら東千葉駅前などでもおなじみ、いわゆる「石のお庭のお船」があったのね。
「石のお庭のお船」っつったら、このCMだわさ。
'78-91 関東ローカルCM集vol.6
※当該CMは1分58秒あたりから。
まあ、この段階で「股関節を少々痛めました」だなんて、口が裂けても言えないんだけどさあ(;_:)
そして、明らかに298号を歩く格好ではないスーツの方々が、どんどんうちの集団を追い抜いていく。間違いなく、武蔵野線などの鉄道機関が動かず徒歩移動を強いられた人たちの姿が、ここかしこに見られる。近隣住民でもない限り、298号の側道部分を歩くなんて、いつもは想像すらつかない世界である。
やたらと広い川口市を抜け草加市に差し掛かる頃には、日もとっぷり暮れていた。
もうそろそろ、国道4号のバイパスに差し掛かるはずである。
4号バイパスまで来れば東武伊勢崎線の駅も近い位置まで来たはずで、栗橋方面へ帰るMちゃんともお別れすることになる。
ふと交差点に差し掛かると、298号西行き車線の向こう側にスーパーが見えたので、休憩がてら少々の買い出し。
食糧や飲み物自体には困ってはいないけれど、春まだ浅い関東平野の3月の夜は冷える。
スーパーの奥のドラッグストアに、手袋の在庫がまだあると聞いて押さえておく。
確かに、手袋があるのとないのとでは大きな違い。
おそらく一晩は続くであろう行軍に、防寒具がなければ、外を歩くのは自殺行為。
スーパーの店内はBGMが止められ、NHKラジオが流されていて、家庭での防災情報が放送されていた。
どうやら三陸から千葉県九十九里沿岸にかけて、極めて広い範囲で大津波の被害を受けたことを知る。
東京湾は内海だから大丈夫だろうと思っていたのだが、1ヶ月後に報道で知った話では、木更津でも2メートルの津波を観測し、ノリなどの養殖がひどい被害を受けたと知った時は、改めて心底ぞっとした。
どうやらスーパーの次だかその次だかの交差点が、Mちゃんとのお別れポイントになる国道4号バイパス。
…と、国道4号バイパスの沿道を見やると、近所にマクドナルドがあるではないか。
更に手前にはサイゼリヤがあるではないか。
さらにさらに地図を見たらば、どうやら東武伊勢崎線新田駅も近いではないか。
時計を見ると19時半ごろ。とりあえず、午後3時半前から歩きづめなので、サイゼリヤに行っていったんビバークしよう。
本当は温かいものを摂りたいけれど、この先の行軍を考えると、トイレ問題はひじょーに切実であるため、コーヒーやお茶類はできるだけ我慢。
とりあえずミラノ風ドリアとドリンクバーで一息つく。
うん。
建物の中に入ると、余震が活発なのがよく分かるね(:_;)
座っていれば揺れは分かるし、座って揺れを感じなくても、照明が揺れていてよ~くわかる。
ここでF君が近所の家電屋にケータイの充電器を買い出しに行ったので、休憩がてら4号バイパスを眺める。
…上り方向が全然動かないね(´・ω・`)
おそらくは東京都内に向けて、週末+普段の車+送迎の車でびっしり動かないのだろうと思っていたのだが、実際はそれほど甘くはなく、この時点で、東京都内につながる道路という道路は、各所で大渋滞が発生していた。
他の道路がどれだけ込んでいるのか、草加市新田あたりのサイゼリヤではむろん知る由もなかったのだが、大量の帰宅難民者が主要道路にあふれかえり、交差点ごとに歩行者が溢れていてクルマの右左折すら難渋するほどで、それが主要道路の各交差点で繰り広げられているものだから、各所でクルマの動きが滞り、それが連鎖して放射状に各所に伝搬するという事態が起きていたのだ。
帰宅難民を体験しての総括はのちほど総括でじっくり語ることにしているけれど、さしものおいらも自分自身と仲間のことで頭がいっぱいで、各所で溢れた帰宅難民者がどういった動きをするのかまで思いを巡らせるのは、この段階では不可能だった。
対する下り方面の車の流れは順調だが、この時間にしては歩行者がやたら多い。やはり電車が動かず徒歩で移動してきた人達である。
そしてたまに下り方面へ走り去るタクシーはみな実車。そしてやたらめったと個人タクシーが多かった。
個人タクシーが集まる場所はだいたい官庁街などが多く、そのあたりで運よく捕まえたか、日頃個人タクシーと契約している人たちが急いで帰宅するために呼び出したものと推測できる。
あらかじめ聞いておいた野郎ども3人の財布の中身は、3人総勢で3万円は超えていたので、ともすれば流しのタクシーを捕まえられれば千葉まで帰れるか…とも思ったのだが、4号バイパス上りのクルマの動きをみる限り、ちょろちょろと動くには動くけれど、298とてどこまで動くのかすら想像駅内状態だったので、タクシーに手を出すのもギャンブルといえばギャンブル。このあたりを「空車」表示で走っているタクシーを運よく捕まえられたとしても、そのタクシーが都内に帰る車だったら、おいらたちを客扱いすれば営業区域違反になる。或いは煙突運転で「これだけ出すからここまで走って」と言えば乗せてくれないこともないだろうが、さすがに今の時代、その話が漏れたらまずいでしょ。
この手の話でしばしばトラブルになるのは県境近い都市、手近なところで言えば浦安市。
たとえば、空車表示で新浦安界隈を流していても、それが都内の車だったら、たとえ走る方角が浦安橋を越えて葛西方面へ一緒だとしても、「地下鉄の浦安駅まで」という乗車申し込みには応じられないのである。むろん、これが「葛西駅まで」という話ならOK。
…そこへF君が帰って来た。
なぜか自転車つきでwwww
聞けば、近所の家電屋はこの地震で棚が倒れたりしたらしく営業不可能になっており、申し訳なく思った店員さんが、乗り捨てられたままずっと放置されている自転車を、「これ持ってきな」といって差し出してくれたのだそう。
この自転車を使って、ここでお別れになるMちゃんをF君が近所の新田駅まで送迎。帰ってくるまでまたしばしの休憩になる。
ここでMちゃんとお別れになるのは忍びないが、帰る方角が全く逆である以上どうしようもなかった。
Mちゃんの無事を願いつつお見送り。
…ところが、このF君がなかなか戻ってこない。
ここまで帰ってこないということは、おそらくは新田駅ではなく、さらに北側の越谷駅か新越谷駅まで向かっているのではないか。
新田駅では降りたことはないけれど、越谷や新越谷へ行った方が駅の規模が大きいし、なんとなれば夜を明かす施設もそれなりにあるだろう。
更に1時間か1時間半ほど経過しただろうか。
ようやくF君が帰って来た。新田駅で降ろそうと思ったけれど、神殿の駅前が本当に何もない場所だったらしく、越谷駅まで出たのだそう。さすがF君、賢明な判断。
充電することしばし、いざ出発。
足りないのは俺の体力とケータイの充電orz
この先、F君がもらってきた自転車が、体力維持という面でも八面六臂の活躍を見せてくれることになる。
サイゼリヤをリスタートしたのは、夜9時過ぎだったろうか。さすがにこの行程の詳細をメモする気力まではなかった(^^ゞ
体力は若干は回復したものの、痛いところは痛いままで、万全とは言い難い。そんな隊長をおしてもなお、こちとらはまずは埼玉県を脱出し、旧松戸有料の松戸橋を経由して、千葉県にたどり着かなければならぬ。
そこで役に立ったのが自転車。
時間ごとに区切って3人で交代で乗ったのだが、なにせ歩くより座って漕いでいたほうが断然楽という事実に、今更ながら気がついた。
ちょっとずつ乗るだけでも、体力、ことに足にかかる負担は全然楽。
さあ、がっつんがっつん千葉県を目指そうぜ。
草加の住宅街を抜けると、沿道は急に何もなくなる。
と同時に、だんだん冷えてくるのが体感できる。これが身体にボディーブローのように効いてくるのである。
まさしく一発カウンターのストレートを食らったらKO負け必至。
ストレートを食らわないように食らわないように神経を張り詰めていると、えてして灯台もと暗しのごとく見えなくなるのは足元。
歩道の段差に気がつかずに、腰とひざをガクーンとやっちゃった(:_;)
都市部の夜道に仕掛けられた罠、すなわち歩道の段差。疲れて状況判断が鈍っているところに段差があり、それを気がつかずに踏み越えてしまうと、疲れ切った足腰に絶大なダメージを負ってしまう。
っていうか、2度も同じことするなよ俺。
もうね、疲れとかじゃなくって、完全に年をとっている証拠だろこれ。
一度は歩道と車道の段差、一度はレンガ敷きの歩道と植え込み予定地の足元が不安定な場所に足元を取られダメージを食らう。
そして、これが後々に後遺症をもたらすことになるとは、さすがにおいらもこの時は想像し得なかった。なにせ気力と体力勝負なのだから、体力を消耗していては、身体の各所にダメージが蓄積されるのは当然。すなわち各所の痛みも、疲れが抜ければ自然と治癒するものだとばかり思っていたのだが…。
草加を抜け、三郷市に突入。三郷市を抜ければ、旧松戸有料を通って千葉県まではもうすぐだ。頑張れ俺たち。
時間は夜11時近く。武蔵野線も通っていないというのに、駅方向に向かう車か、或いは中川を渡ろうとする車なのか、こんな時間でも三郷市内の狭い道路も、中川を渡る市内の橋も渋滞でびっしりだ。

記念というわけではないけれど、外環三郷西インターで災害発生を伝える高速道路の掲示板の、やたら上から目線な指示も撮っておこう。「ここで降りろ」だもんね。

三郷ジャンクション近くを歩いていても、298を逆方向の埼玉方面に向けて歩く人を、この時間でも見かける。
時計は12時近かっただろうか。ようやくつくばエクスプレスの高架線が現れた。
ここからなら三郷中央駅が近そうだ。
自転車を使いつつとはいえ、内陸部に差し掛かって急激に冷え込んできたこともあり、3人の体力も、もはや限界に近付きつつあった。
なにせ、こんなことは冗談でも言いそうではないキャラのおいらでさえ、江戸川の橋の真ん中で、3人でおちんちんぴろーんしようぜwwwwwなんて言っていたほど。それくらいの冗談を言っていなければテンションが保てないほど、3人の体力は追い込まれていた状態にあったのだ。
周囲に住宅やマンションが中途半端にしか立ち並んでいないこともあり、遠くに見える三郷中央駅には、煌々と明かりが照っているマルエツの看板が見える。
マルエツがまだ営業しているなら、ここで少し休めるかもしれない。
まずはひとまず三郷中央のマルエツで休むという話をしたところ、2人のうちのどちらかが、ツイッターを見て画面を興味シンシンで覗き込んだ。
「T君が、つきあっているAちゃんを迎えに吉川までクルマで行くんだって。もしかしたら俺たちも拾ってもらえるかもしれない。ダメもとで『俺たち野郎ども3人も拾ってもらえないか』ってツイートしてみましょうか?」
そして待つこと数分後。吉報が入って来た。
「やった!迎えに来てくれるって!!」
しゃああああああああああああああああ帰れるぞおおおおおおおおおおおお
もちろん発案はダメもとである。せっかくの二人の時間を、3人でおしかけるのは確かに忍びない。そしてこれは、今いる野郎3人とT君とはそれぞれに面識があり、かつおいら以外の二人とAちゃんも面識があり、AちゃんとF君は高校時代の同級生というつながりがあるからこそ頼めたという一面も存在しよう。いくらツイッター上で絡みがあるとはいえ、全く面識もない人に、いきなり送迎を頼みというのは、それが死中に活を求むとはいえ、さすがに遠慮するし、それくらいならなんとかタクシーの1台くらい見つけてやりたいというものである。
2人とは三郷中央駅で待ち合わせることにして、まずは三郷中央駅のマルエツに向かうと、どうやら三郷市役所の方が「避難所をご利用になりますか?」と声をかけてきてくださった。

聞くと、マルエツ三郷中央店のご厚意で、帰宅難民者の一時避難場所として店内の休憩スペースが割り当てられているのだそうで、毛布の割り当てがあったので、T君たちと落ち合うまでの間、温かい毛布にくるまることにする。
店内に入れば暖かいし、なによりトイレがあるので温かい飲み物も取れるが、この先の渋滞を考慮して、飲み物は買っておいたミネラルウォーターで過ごし、暖はあくまで毛布でとることにした。

そして待つこと小一時間。
迎えに来てくれたT君の顔を見た瞬間…。
涙は出なかったなあ。
でも、これほど「繋がり」がありがたいと思ったことはない。
これで無事、他の2人も無事に帰れることができる。
そして草加のサイゼリヤで別れたMちゃんも、無事学校の友人宅に泊まることができたとの報を受けて一安心。
みんな、無事でよかった…。
そう思った瞬間、身体が途端に悲鳴を上げだしたようで、今まで動いていた下半身、特に両ひざの関節が、今まで経験したことがないような悲鳴を上げていて、歩くのもガニ股でモソモソという感じで、なんともみっともない姿をT君とAちゃんにお見せしたのは恥ずかしい限りだが、疲れが溜まりにたまったものであって、恥ずかしいだのなんだの言っていられる場合ではないだろう。
車内でAちゃんからもらったお茶の温かかったこと!
揺れる車の中で何度かこぼしたけど(^^ゞ
Tくんの車から見た光景。
どこで越えたかは分からないけれど、午前1時だか1時半くらいの段階でさえも、6号の東京方面はびっしり大渋滞。
ただし、松戸市内の他の道は概して空いていた。
松戸市内でB君とお別れ。カーナビの道から察するに、どうやら高柳方面から16号へ出るようだ。
6号の上り方向はびっしり大渋滞だったが、東京方面への各道路を放射状に結ぶ16号は、普段よりトラックの数が多いなとは思ったが混んではおらず、すいすいと地元八千代市まで運ばれた。車の中から「八千代市」の看板を見た瞬間、さすがにこみ上げるものがあった。
で、16号から296号に入った瞬間、この時間としてはあり得ないほど上り車線が渋滞していた。やはり都内へつながる道は、どこへ行こうと渋滞しているのだった。
オヤジから聞いていた通り、近所の家具屋の崩落した外壁を見ながら、T君とAちゃん、そして検見川方面に帰宅するF君に改めて謝意を伝え、ここでお別れ。
296がえらく混んでいたので、検見川方面は今来た16号を回って行った方がいいことも伝えて、ここに一人の帰宅難民の一日が終わった。
帰宅すると、まあ確かにひどい有様…。

本棚から本は崩れ落ちているし、部屋の角にぴたりとつけていたはずの机が、あり得ない距離まで移動していたんですけど…(・・;)

下のリンクは今回の徒歩のルート図です。多少のルートの違いはありますが。
http://maps.google.co.jp/maps?f=d&source=s_d&saddr=%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%86%E6%B5%A6%E5%92%8C%E7%90%83%E5%A0%B4&daddr=%E6%B5%A6%E5%92%8C%E5%8D%97%E9%AB%98%E6%A0%A1+to:%E4%B8%89%E9%83%B7%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E9%A7%85&hl=ja&geocode=FVnVIgIdRONSCCkd13tcX-oYYDHr5EFehY_n-Q%3BFYjEIgIdhwBTCCkRodNR-uoYYDFduoEQF4YZ8A%3BFSajIgIdrF9WCCmZLpla6poYYDFXLjGA8LNGFQ&mra=ls&dirflg=w&sll=35.852048,139.728756&sspn=0.076664,0.181103&brcurrent=3,0x6018948a0c9ceef7:0xb7b232bac1bbd9a0,0&ie=UTF8&z=12
今回、帰宅難民者を経験して、改めて気がついたこと。
1.基本的に長距離通勤者は、とどまる場所があったら動くべからず
これは震災当日の午後五時過ぎ、枝野官房長官が「長距離通勤者のみなさんは、帰宅を控えてなるべく会社にとどまるように」との声明を発表したが、歩いて分かったけれどこれは結果的にこの声明通り。
大量の歩行者が主要道路の歩道にあふれた結果、主要道が軒並み大渋滞を引き起こしたことは、緊急車両の通行を阻害することにもなりかねない。
また、余震が続く中での長距離の歩行での移動は危険極まりなく、文中でもおいらは「ロッテファン同士で死ねれば本望」などと書いてはいたけれど、本当に何らかの二次災害に巻き込まれていたなら、どう責任を取ったというのか。
確かに「家族が心配」とか、気が急く理由はいろいろある。
家族の無事が確認できて、どうしても急いで帰る理由がなく、一時的にとどまる場所が確保できているのなら、なるべくなら移動するべきではないということは、今回嫌というほど痛感した。
上記に関連して言えることだが、
2.夜の移動は大変危険です。
足元が悪くても、疲労の蓄積により注意力散漫になり、思わぬ怪我をすることだって大いにありうる。
また、三郷付近に差し掛かった時に書いている通り、夜は急激に冷え込むので、昼間以上に体力を消耗する。場合によっては急激に体調を崩すことも考えられる。
実はおいら、恥ずかしながら、この移動中に段差に足を取られて腰とひざに衝撃を受けた際に、左ひざを痛めてしまった。
今でも少しの疲労の蓄積だけで、左ひざの可動部がある角度に達すると痛みを感じるようになってしまい、先月下旬の旅行の際に大いに難儀した。すなわち、座る分には全く痛くはないのだが、歩いたり、階段の上り下りをする時などに痛みが走るようになってしまったのだ。
これはおそらく、今後一生付き合っていかなければならない傷になってしまったかも。
3.帰宅ルートの確認を
そりゃあ、テレビショッピングなどでお勧めされているように、ポータブル型のカーナビを常日頃地図代わりに携帯している人は楽だったろうけれど、そうでない場合は、コンビニで売られている地図でいいので即座に買い求めて、なるべく大きな道を選んで歩くのが吉かと。
といっても、今回のおいらの経験のように、自動車ばかりが通る道を最短距離としてトレースするのは、その道の状況を知っていない限りお勧めしません。
今回の場合、298号を延々と歩くとはいっても、コンビニやスーパーどころか自動販売機すら見つけるのも困難という場所を切り開いて通っているような道を、ましてや歩行で通るとなると、食糧水分の補給に重大な支障をきたす恐れがあります。今回は俺が通る道の状況を知っていたからいいようなものの、知らない人は水分補給さえままらなかった人も多分出たと思います。
もし会社から徒歩で帰らざるを得ないケースが発生した場合、最短距離はどのルートか、その道は歩行帰宅に適しているかどうか、一度ご自身で確かめてみることをお勧めします。
4.連絡先や避難場所の確認は大切に。
家族や親せき同士が、お互いに一度の連絡で安否確認ができるような体系を作っておくと安心ですね。
ケータイ同士だと繋がりにくいので、家の固定電話や災害用掲示板、場合によってはツイッターなどの簡易ブログのツールを利用するのも手ですね。
mixiのように、言葉のやり取りはしづらいかもしれないけれど、ログイン履歴で安否を確認する手立てもある。
これに関連して、
5.ツイッターは強かった。
災害情報からデマコギーまで、あっという間に情報が氾濫したツイッターだが、ワールドカップのような世界規模のイベントではなかったので、若干繋がりにくくなることはあっても、ツイッターのサーバーが落ちることはなかったので、知っている者同士の安否確認は即座に出来たのは、間違いなくツイッターのおかげだった。
こうした時、世界クラスで利用されているコミュニケーションツールは強いな…と肌で感じた次第。
みんな。
生きような。
頑張って、千葉を、茨木を、東北を、日本を、再生させようぜ。小さな力だけど。
そして、当日行動を共にしたB君、F君、途中でお別れしたS君、途中で放り出す形になってしまったMちゃん。
三郷中央まで迎えに来て下さったT君、温かいお茶を用意して迎えて下さったAちゃん。
三郷中央駅前マルエツさん、三郷市役所の方々。
迅速な避難誘導をしてくださった、ロッテ浦和球場のスタッフの皆さん。
あのときは、本当にありがとうございました。
改めましてこの場をお借り致しまして、厚く厚く御礼を申し上げます。
そして、当エントリを最後までご覧いただいたすべての皆様。
長々とお付き合いいただきまして、まことにありがとうございました。






膝の方は大丈夫ですか?
皆さんが無事に帰れて何よりです。
またこの様な事があれば(あってほしくないですが)、何か出来る事で手助けさせてください。
ご覧いただきましてありがとうございました。
本当にみんな、無事に帰ることができてよかったと思います。
…膝は時折痛み出すんですよ。
この痛みは、君の年齢なら味わってはいけません(^^ゞ
こうした災害に出くわすことは2度とあっては困るのですが、万が一こうした災害に出くわしたらば、S君がこの日の経験を生かして、立派な「率先避難者」になってください。
あなたが率先して誰かを避難させれば、人は自然とついてきますから。
球場からは目と鼻の距離に自宅があるにもかかわらず、なんの助けも出来なかった事が残念でなりません。。。
でも、浦和球場の屋外であれだけ怖い思いをしたのに、近所のご自宅がほとんど被害がなかったのがむしろ驚きです。
やはりしっかりした地盤にしっかり建てられているところは違いますね(^^ゞそれに、おいらの部屋と違って、余計なものを置いていないというのもあるかと。
小馬さん、本当に本当に、ありがとうございました。小馬さんが、それに二人がいなかったら。お兄がチャリで私を送ってくれなかったら。私はあの日、一人でどうなってたかわかりません。
いっぱい迷惑かけてごめんなさい。一番若いはずの私が、たぶん一番早くへばりました。靴擦れしたって、何度も立ち止まって困らせました。草加の薬局でも、絆創膏貼るって、寒い中待たせちゃいました。
それなのに、皆さん本当に気遣ってくれて、それぞれがそれぞれ辛かったはずなのに、私のこと思いやってくださって…本当に嬉しかったです。
ありがとうございました。あの日のご恩は忘れません。
別れた後の話はあまり詳しく知りませんでした…膝お大事になさってくださいね(´;ω;`)(´;ω;`)
Tくんが迎えに来てくれるって、電話越しに泣いてたお兄の声は忘れられませんw
私も心底安心したんですよ。友達の家でさんざん泣きました。皆さん無事に帰れて、本当に良かった……(私は次の日帰宅して、両親にめっためたに怒られました(実はあれ家出だったんですよね笑))
色々あったけど、大切な思い出です。
一人にしないでくれて、ありがとうございました。
またお会いできるのを楽しみにしております。みんなで、ロッテの応援しましょうね^^
よろしくお願いします。
小馬さん大好きです!
気づくのが遅いぜw
でも、一年後に気づいてくれてありがとう。
一緒に歩いていて、歩こうぜと決めたのも僕なら、ルートはこれしかないだろうと決めたのも僕だし、あの中では一番の年寄が僕だったから、まあ僕がリーダーシップを取らなければいけない状況だったわけですよ。
それでいてどうやって帰したらいいか…と思うわけですよ、方向逆だし距離あるし。
でも、あとから状況を聞いたなら、あのまま千葉まで連れ帰った方がよかったかもね。前後の状況といいなんといい。
あの時は無事で本当によかった。
極限状態だったのはみんな同じだったから、あの時はあまり感慨はわかなかったけれど、今こうして記事を読まれて「目から汗が出てきた」なんて言われたら、こっちも目から汗が出てくるじゃねーかバカヤローww
…でもよかったな。
本当によかったな。
またスタジアムでお会いしましょう。