小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

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廃競馬場跡巡礼 - 宇都宮競馬場

2007-11-25 01:15:16 | 競馬の話をしようか
今月4日に宇都宮に出かけた折、餃子とジャズに脳天を砕かれつつも、宇都宮に来たならば、日が落ちるのが早い深秋の折、日没前になんとか出かけておきたかった場所があった。

それが、2005年3月をもって開催を終了した、宇都宮競馬場。
場外発売施設の機能としては、2005年12月まで、主に南関東4場の場外発売所として機能していたが、それも2005年末を持って終了、2006年3月に、正式に廃止となった。

宇都宮競馬場に初めて足を記したのは、1996年9月26日。
たしか新聞で「不慮の事故で急逝した栃木の三冠馬カネユタカオーを偲び、『カネユタカオー記念』というレースが創設された」という記事を見て、そのレースに、当時から既に地元栃木のナンバーワンホースだったブライアンズロマンが出るというので、牛田から延々準急と東武宇都宮線を乗り継いで出かけたと記憶している。
このレースは特別レースだったが、後に地元の重賞競走に格上げされた。

っつーか、ネットって便利ですなあ…。

10年も前の一特別レースの結果が、ネットで見られるんだもんなあ…。

その時のレース結果はこちらから。

当時のレースに出ていたブライアンズロマンは、世紀をまたいだ2001年7月まで現役で、2001年7月8日に行われた引退式にも出かけた。当日夜の川崎競馬場では、佐々木竹見騎手の引退レースがあったというのに…である。こちらが午後、あちらは夜8時なので、時間帯的には当然ハシゴができるということで、宇都宮のブライアンズロマンの最後の勇姿を見届けて、急ぎ川崎へ向かうファンも多かったと聞く。
その後も折りを見つけては、上山やJBCの盛岡の場外に出かけたり、ビワシンセイキが勝ったとちぎマロニエカップを見に行ったり、夜勤明けプラス心療内科明けに、「眠くないから」という理由だけで、四街道インターから一路宇都宮競馬場まで車を走らせたこともあった。これはこのブログを開設した後の話だから、詳細でも書いておけば良かったのに、徹夜明けで車で宇都宮へ出かけたのだから、そうそうダメージが軽いはずもなく、さらりと触れた程度だったような気がする。
結局、開催中の宇都宮競馬へ出かけたのは、2004年12月が最後…ということになる。

宇都宮競馬場は、宇都宮からは東武宇都宮線で3つめ、西川田という駅が最寄りで、徒歩5分という至近にある。



駅自体はなんということはない、郊外の住宅街の駅という印象だが、駅には、まだ競馬場があった頃の名残が見事に残っている。



住宅街から競馬場への道すがら、金網で厳重に囲まれた県所有地がある。



これは元のファン駐車場。



日も落ちかかる頃、閉鎖された当時のままのスタンドが、交差点の角から姿を現した。



閉場されて2年近く。
思えばあっという間の時間かも知れないが、それゆえ、2年という時間が、あっという間に正門を荒れ果てた姿に変える。



秋口の夕暮れ時と相まって、今なお残るロゴマークも、痛々しく、もの悲しい。



少し道路沿いを歩くと、旧パドックが見えてきた。
パドックは荒れていてその姿が見えないが、役目を終えたオッズ表示板が、ひっそりと眠りについている。
競馬場内の敷地は頑丈に金網でガードされ、敷地内の様子をうかがい知ることは、残念ながらできないようだ。



この看板も、もう必要がないものだよね。



宇都宮の特徴としては、競馬場の外周の住宅地に厩舎が点在していて、毎朝調教が行われるたびに、馬たちが周囲の一般道を、厩務員さんに引っ張られながら歩いていたこと。
それゆえ、競走馬と一般車との衝突事故も毎年のように起きている。
宇都宮の三冠馬、カネユタカオーもまた、一般道で車と衝突し、非業の死を遂げた一頭である。

パドック裏手の装鞍所は、すでに厩が取り壊されて更地になっており、事務所だけがぽつんと取り残されていた。



競馬場前の駐車場も、もはや誰も止める車などいない。
住宅街にしては広すぎる土地を、完全に持て余した格好。



この競馬場の跡地を、どう活用するかは、まだ決まっていないようだ。
だからこそ、閉鎖されて2年近くたった今も、ほぼ当時のまま放置されているのだろう。
やがてこの地も、かつてここに競馬場があったことを伝えるものは、頻発する路線バスの停留所だけになるのだろうか。



この場所を、馬が地面を蹴立てて疾走することは、もうない。

  

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