そんなわけで皆様、改めましておはようございます。小馬太郎兵衛でございます。
前回は一気に2部構成で苫小牧東港到着までやりたかったんですが、途中でテキスト量と集中力が切れました(・・;)
なので、時間の軸はまだまだ2024年8月9日の朝6時前の秋田港の中でありますw
前回の記事はこちらから↓どうぞ。
そもそもの旅の始まりからをご覧になりたいからは、前書きと目次からお読みいただけると、あたしはとってもありがたく存じます。
さて、秋田港に4時55分に着岸した苫小牧東港行き新日本海フェリー「ゆうかり」は、秋田からも荷物や車をバンバン乗せます。
これは意外だったんですが、徒歩客乗船口が開いた瞬間から、朝6時前だというのにどやどやとお客様が大勢ご乗船になってきまして(・・;)
いやはや、新潟港出港時点でもはやパンパンであったであろうと思われるのに、これ以上パンパンに人を乗せますかというくらい、しかも朝6時の秋田とは思えないほどの人の群れにはびっくりしましたね。
そういえば嫁さんが言っていたんですが、新潟から秋田の間はまだお席に余裕はありますが、秋田からはガチの満席御礼ですよ…とのこと。
朝6時からこれだけどやどや乗ってくる量というか、人の流れと物の流れにもはや圧倒されております。
旅客の乗船が落ち着くまで、しばらく4階フロア後方の展望デッキでぼーっとすることにします。
このぼーっとすることができるのが、船旅の大いなる魅力ですね。
で、ぼーっとすることが許されるんだから、朝6時からいわゆる「ビの字活動」をしたってええじゃないかええじゃないかということで、急いで部屋まで帰って、冷蔵庫の中に冷やしていたこいつを引っ張り出してきました。
それではまいります。
全国1億2500万人マイナス1億2499万9995名の小馬太郎兵衛ファンの皆様ご唱和ください。
朝の6時から、せーの、
ぶはあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁっっっっっ!!
いやー、人がぎょうさん働いている時間に飲むお酒はうまいのう(byマッサン)
で、展望デッキ右舷側に線路が引かれた敷地がだーっと広がっていたのですが、これが昔、秋田土崎港で貨物列車を扱っていた名残りなのかしら。
そういえばここには長期間、JR東日本で廃車になったブルートレインの車両が長期間留置されていて、クラウドファンディングで海外で保存するとかしないとかすったもんだやっていたのは、このあたりだったでしょうか。
クルマを載せる荷役が若干遅れたのか、秋田港出港定刻6時05分より若干遅れた時間に、車両を積み込むランプウェイが切り離されました。
秋田港西側には風力発電の扇がクルクルと回っております。
朝から酒をむさぼりながら、いよいよ秋田港を出港、目指すは北の大地北海道、厚真町の苫小牧東港。
ここから10時間ほどの長い旅路も出港です。
この航海士のやり取りがたまりませんな。船に乗っているんだぞという旅情といいますか、船旅独特の風情がありますねえ。
そして響く出港の汽笛。
動画はツイッターに上げているので、サイズの都合上動画が2分ほどしか撮れないのが玉に瑕。
この旅に出ている時点で、じゃあ動画を撮影するために機材をそろえようなんていう気持ちがさらさらない証拠ですw
いやー、そこまで目指すタマじゃないし、動画撮影で成功するなら、「ブログの老後をゆらゆら漂う悦楽ブログ」なんて書いてません。
やってみようとは思いますが、たぶん使いこなせず持て余すのがオチです(´・ω・`)
ファンネル(煙突)と共にご覧いただきましょう。
ぼーっと出港風景などを見ておりましたら、秋田港出港と同時に船内放送が流れ、団体でご乗船の自衛隊の皆様の朝食の準備ができましたのでレストランへお越しください、その他のお客様は朝7時より準備が整い次第のご案内…である由。
その放送を待たずして、三々五々自衛隊の皆様がレストランに集まってきております。
さて。
朝食まではもう少し時間があるようなので、もう一杯やっちゃいますか。やってみましょうか。
これは新潟港フェリーターミナルで売っていた新潟の名酒「八海山」。
これも部屋から展望デッキへ持っていって飲んでみたんですが。これが美味い。
普段僕はこんなワンカップなんて飲めないと思っていたんですが、ちびちびやればこれがすっと入ってくる。
それでいてアルコール度数は15%もあるのに、全く悪酔いしないんです。
甘口でとても飲みやすい。口当たりが良いお酒には罠がありますが、これはこの一本だけで十分なほど。
朝から新潟のビールも500缶で1本やっちゃってるんでw
これくらいのサイズだからちびちび時間をかけて飲めるのであって、これが一升瓶だったら大変です(・・;)
さて、部屋でひっくり返っていた嫁さんが起きたタイミングでレストランへ行ってみましょう。
朝食へ出かけます。
本当を言えばお酒も空けちゃったから少し間をおいて、カフェで軽食兼朝食にでもしようかなと思っていたんですが、カフェも大混雑だろう、だったらより大行列なレストランでも並んでしまえば回転は早かろうと踏んで、ゆうに30人以上は並んでいたと思われるであろうレストランの行列に並びます。
レストランでは朝カレーもやっており、朝カレーとは別に、これは昼食と夕食限定で寄港地カレーフェアなんてーものもやっておりました。
朝食と昼食のメニューもご紹介。
なんかいろいろあるなあ…。どれにしようかな。
というわけで、日本酒を飲んでしまった後なので選択は珍しくこれになりました。
ごはんと合うのは和定食じゃろということで、和定食になりました。
スマホで撮影したらピントがなかなか合わず、少々ピンボケなのは申し訳なし。
さて、秋田沖に出たら…。
やることがない(・・;)
船旅はこれが魅力。
何もすることがなく、或いは読書、いや読書でさえも今はサブスクで電子書籍の時代。
先にも触れましたとおり、プロムナードで、宿り木で、或いは個室で、もし海風を気にしないというのでしたら、サブスクにあらかじめ映画を落としておいてご覧になるというのも、ネットから断絶された海の世界の醍醐味というものでありましょう。
メールでならされることもない。ラインで呼び出されることもない。課長の呼び出しで試合中の後楽園ホールから突如姿をくらますこともないw
とになく自由。
良俗に反しない限り何をしても自由。
そして海に広がるは水平線。
しかも今まで見たことがない日本海の大海原の水平線。
その先に見えるのは中国か韓国かあちらの国か、或いはロシアなのか。
大海原に消えていく航跡を見ながら、ぼーっとすることが出来る。
アタマを空白にリセットすることが出来る。
これぞ船旅。
…ということで、何をするのかといいますと。飲みますw
こちらは旅行中のエントリでも触れたことがある「男山」のワンカップを売店で仕入れて後部デッキに持ってきました。
これを去っていく航跡と水平線と共に飲むと、余計に味わい深い。
前回の八海山が甘口だったということもあり、この男山は北海道旭川のお酒だったのかな。
辛口だったので選んでみましたが、確かにぴりりと辛口といえば辛口だけれども、これも喉にスッと入ってくる。
本当に辛口だとまずのどでむせてしまうほどなんですが、これはちびりちびりと行けますね。
もうね。
自由です。
ちびりちびりと誰にも迷惑をかけない程度の人口密度でお酒を楽しむ自由。
そしてやがて見えてくる進行方向右手、右舷側に、秋田と青森の県境にある白神山地が見えてまいりました。
白神山地なんて映像と言葉ではよく聞くけれども、実際に見るのなんて初めてだ…。
あんまり朝からお酒ばかり飲んでいても仕方がないので、一旦部屋に戻りましょうw
…その前にひとっ風呂浴びましょう。
これも船旅の大いなる醍醐味。
入った。
出た\(^o^)/
いや~。やっぱり適度な人口密度で楽しめるお風呂場はたまりません。
この船には露天風呂はないんですが、ミストサウナが併設されており、そりゃもう見事に整っちゃいました。
ふう、さっぱり。
部屋で休んで少々、そういえばもう一か所行ってないところがあったので行ってみましょう。
予定ではもうすぐ11時。
船は青森県沖、津軽半島にやってまいりました。
航行予定表ではこんな感じになっていましたな。
新日本海フェリーと東京九州フェリーでは、船首部分がフリースペース「フォワードサロン」になっているので前面展望が楽しめます。
4階には禁煙のフォワードサロン。
3階部分には同じような構造でもタバコが吸える「スモーキングルーム」として開放されています。
利用ルールは東京九州フェリーと一緒で、室内では飲食禁止なので静寂が保たれます。
それを逆手に取ったか、夏休みの宿題に明け暮れ、ちょっと頭安めに海を眺めるという、ある意味一番頭に勉強内容が入ってきそうな勉強方法を取る子供たちもいらっしゃいました。親御さんの教育がいいんですなw
そうかあ。フォワードサロンは図書館か。
ついでに3階スモーキングルームにも行ってみたのですが、うーん、僕はタバコは吸わないので、このスペースにいられるのはもって3分が限度でした(・・;)
それこそこの船が建造された2002年あたりは、まだまだどこでもタバコが吸えた時代、というよりは健康増進法が施行されたのとほぼ
同時だったはずで、この船と僚船「らいらっく」はあちこちに喫煙ルームが備えられているのが特徴。
またこのフォワードサロン、航行の支障にならないよう、夜間はカーテンが引かれ閉鎖されます。
荒天が予想される冬季も、波が打ち付けて窓ガラスが破損しないよう、鉄板を打ち付けられるのだそう。
そんな荒れた航海なんてやだ(・・;)
フォワードサロンでしばし前面展望を楽しんでいると、こんなアナウンスが流れてきました。
「お客様へご案内いたします。ただ今、船の進行方向右側、船の進行方向右側1時の方向、1時の方向には津軽半島小泊港、2時の方向には遠く岩木山が見えております。」
「続きまして反対側進行方向左側、進行方向左側10時の方向、10時の方向には、北海道松前山が見えております。どうぞご覧くださいませ」
いやあ。
こんな旅情あふれるアナウンスが、令和の世にあるなんて思いもしませんでした\(^o^)/
アナウンスはないんですが、小泊港と岩木山、左舷方向には北海道松前が見えてきたというところを、短い拙い動画ではございますが、ご覧いただければ幸いでございます。
青森、しかも津軽半島なんてーのは奥羽本線で辿ったことがあるといえばあるんですが、35年以上前になる1988年、しかも当時はまだ各地で現役だった50系客車鈍行に揺られながら夕方から夜にかけて通り過ぎたもので、ほぼほぼ車窓なんて覚えておりません。
もちろん津軽半島を海側から眺めるなんてーのは初めてだし、小泊港、お岩木山よ花咲くころは~なんてきたらもう、読者の皆様方におかれましてはお察しの通り。JAS○RACさんには絶対に通報しないで下さいよ(・・;)
細川たかしの「望郷じょんから」の世界\(^o^)/
望郷じょんから
僕は実は30年位前から、津軽地方に津軽三味線を聞きに行きたくて聞きに行きたくて仕方ないままに30年も年を取ってしまった人間なんです。
というのは20歳前後だったかな。
当時はこう見えても。ただのしがない演劇青年だったものですから、千葉市内に住んでいた友達に、時折千葉市内の公共施設で開催される発表会ですとか音楽会ですとか、そうした照明のアルバイトをやらないかと誘われておりまして、何度か行った経験がありましてね。
その中に三味線とかお琴ですとか、千葉市内の和楽器のお師匠さんとお弟子さんが一堂に集まって発表会を開くというものがあって、その中で津軽三味線があったのかな。
スポットライトを当てる担当で動きながらやっていたんですが、その音色に痛く感銘を受けましてね。もし行くチャンスがあるのなら、津軽地方の本場の津軽三味線を聞きに行きたいと。これはずーっと思っていたんです。
20歳前後の夢が巡り巡って30年くらいたって、ひょんなことから旅立ちが決まって飛び乗った船で聞いたアナウンスがこれですよ。
こんなに旅情あふれる話がありますか?
このアナウンスを聞いた瞬間に頭の中にばーっと浮かんだのが細川たかしの望郷じょんからと、あの頃照明のアルバイトをしながら聞いていたお師匠さん方の見事な津軽三味線で、なんかもうちょっと涙が出てきちゃうくらい。
そして反対側にはいよいよ見えてきた北の大地北海道。松前さんだから北海道の西の端も西の端だけれども、北海道は北海道。
ああ、とうとう来ちゃったんだなあ…。
これから津軽海峡を渡るのか…というタイミングでこのアナウンスは、旅情なんていう陳腐な言葉では表現できないくらい。これもひとえに僕の語彙力のなさですね。
しかしこの旅情あふれるアナウンスは、比喩も暗喩も何もないのですが、旅情あふれるアナウンスを考えよと広告会社に丸投げしたって、電○通とか博○堂のコピーライターだって考えられませんよ。
船の旅ももちろんいいんですが、各地の民謡を実際に聞いて回る旅行なんてーのもいいかもしれませんね。
これは余談なんですが、某国営放送で毎月1回日曜日の昼下がりに放送されている、城島茂さんがホストをなさっておられるテレビ番組「民謡魂」は、僕は大好きで、仕事場で放送日に当たったら絶対に流してます。
ひとしきりフォワードサロンでむせび泣く不審者を装って部屋に戻ると、今まさに船は津軽海峡にかからんとしております。
そろそろランチの時間ですよ。ついでに間もなく津軽海峡から進行方向右手に青森湾が見えますよ…というアナウンスがあったので、嫁さんに声をかけて景色を見に行こう。
遠くに見えるのは下北半島。ちょうど右舷側3時の方向には、竜飛崎で津軽半島に別れを告げて、青森湾がぽっかり口を開けているのがわかります。
ずーっと右舷側の青森湾を見ていて、左舷側におそらく広がっているであろう函館の街を見ようとしなかったのは失敗したw
時は2024年8月9日。
もうすぐ終戦から79年というタイミング。
波は航海中とても穏やかで、このまま無事の航海を願うや切であります。
その昔、ここで青函連絡船という連絡船はほぼ全滅。船に乗るのも移動するのも、どこからでも艦載機の機銃掃射や機雷に触れて命がけだった時代を、ちょっとだけ胸にしまいこんで、そっと手を合わせました。
こうして僕が何事もなく船旅を楽しめているのは先達たちの辛苦があってこそ。どうぞやすらかにお休みください。
さてランチですが。
これは前回、5月に東京九州フェリーに乗った時に、食べようと思った時には船酔いを起こしてしまい門司港焼きカレーなどの名物料理を楽しめなかった教訓なんですが改めて記しておきます。
食べたいものは食べたいときに食べておけという、なんだか戦いに行くのかとでも言いたげな感じなのですが、選んだのはこちら。
新潟のおろしそばといくらの小さい丼をつけてみました。
このフェリー「ゆうかり」の食堂は、いわば「ややカフェテリア方式」というもので、食事は各メニューからお選びくださいねいろいろ揃ってますというものから、メニューを選ぶ前に3、4種類くらいの小鉢を選ぶことが出来ます。
なので、ついでに小鉢も選んでしまいました。
そしてもう一品、飲み物はこちら。
新日本海フェリー就航50周年記念の日本酒を提供しているのなら、そりゃあ飲まないと損です。
というより「なんとか記念」「限定商品」という響きに、いかに人間の財布のひもが緩くなるかということですw
たださすがに今日は午前中から行き過ぎているので、これはグラスをもう一ついただいて、嫁さんと仲良く折半します。さすがにこのサイズは僕一人では飲み切れません。
たしか「北雪」という銘柄だったと思います。
新潟県佐渡の酒造で作られた大吟醸酒。うたい文句通り和食に本当にぴったりで、口当たりに全くクセがなくて、食中酒にワインをたしなむのと同じような感覚で飲めます。
それでいて本当に悪酔いしないんです。本当においしい。
ごちそうさまでした。
食後の4階レストラン前のプロムナードを遠巻きに1枚。
ここでぼーっと揺られながら読書したかったなあ。暇だからとだいたい本を1冊持ってくるんですが、5月と8月と2回乗って2回とも読んでないw
秋田魁新報は読みましたけどね。
このゆったりした空間と時間の流れは本当にクセになります。これこそが船旅の魅力。
日頃の激務からすべて解放されて、くつろいだりさんざん寝倒したり。
みなそれぞれにリセットできる空間。
本当に語彙力がないんですが、素敵です。
さて、フェリーといえば楽しみなのが、自分自身に買ってきたお土産の数々でございます。
まずは自分用に御船印。
新日本海フェリーの御船印は、1枚1枚に船長さんのサイン付きで販売されております。
そしてこれは新日本海フェリー各航路共通で販売されているオリジナルTシャツ。
各寄港地の地名が背部にあしらわれております。
もう一枚。
これは新潟港からの便限定で販売されていると思われますが、「当船内限定!!」なんて言われたら買っちゃうよこんなのw
新日本海フェリーと新潟Tシャツ協会がコラボして販売しているという、新潟就航50周年記念Tシャツ。
で、これまでご紹介してきた食事やお酒、お土産の数々は、新潟のものですとか、或いは遠く北海道旭川の日本酒ですとかのご紹介が多く、寄港地の秋田では秋田魁新報くらいのご紹介で終わらせてしまうのもいかがかと思いましたので、これは秋田でしか手に入りません。
寄港便名物秋田のお土産も手に入ります。
秋田方言の手ぬぐいもゲットいたしました。
なんてことをご紹介している間に、ようやくというか待ってましたというべきか、津軽海峡を越えて外海へ出た途端に少々揺れだした船内。
そうそうこの揺れを待ってました。酔い止めドロップもばっちりですw
個室のベッドに横たわると、この揺れが心地いい。
日本海を航行している時は本当に揺れがゼロという奇跡的な航海状況でしたからねえ。
さあ、旅はいよいよラストスパート。
これは昼間のうちにあらかじめ何度か船内放送でアナウンスされていたんですが。着岸まであとおおよそ1時間ほどというところでドアがノックされ、係員が一斉に部屋のカギを2個とも回収しに回ってきました。
これが個室が何百もあるもんですから、船員のカギの回収の苦労も並大抵ではありませんな。
しばらくお部屋でくつろいでいたら、いつの間にか遠く左舷の方向には、北海道苫小牧の工業地帯と思しき景色が見えてまいりました。
前回苫小牧に入港したのは10年前の2014年11月の太平洋フェリーで、あの時は苫小牧西港の着岸だったもので苫小牧市街とさほど離れておらず、みなとをちょっと離れたところに苫小牧市街が一望に感じられたのですが、今回新日本海フェリーの寄港便「ゆうかり」が着岸するのは、同じ苫小牧というカテゴリにあっても、苫小牧西港とは直線距離でさえもゆうに20キロ以上離れている、お隣厚真町の苫小牧東港に着岸ということになります。
左舷方向には、工場とも思えないごつい建物がどーっと並んでおり、これがあの有名な北海道厚真町の厚真火力発電所ということなのかしら。。
新日本海フェリーのお客様はとにかくお車やトラックのご利用者が多いため、着岸予定30分以上前から、「お車で下船されるお客様は、本日は同乗者の皆様もお車から下船いただけます。どうぞお早めに3階案内所付近までお集まりください。準備が整い次第車両甲板までご案内いたします」という、ある意味「車の人はとっとと車に戻って降りる準備をしやがれよ」という圧力さえ感じるアナウンスが流れますw
僕たちは徒歩なので、ボーディングブリッジが接続されてから下船すればよいので、そろそろ荷物をまとめて3階乗下船口フロアで待機をしておきましょうか。
苫小牧東港は16時45分の着岸予定。
徒歩客は下船するとターミナル前に南千歳駅前行き送迎バスが待機しており、これが片道1320円、所要時間は45分ほどのお時間がかかります。
まあ、そりゃそうだよねえ。
…ターミナルビルの向こうを見てみたら、あたりは家一軒すらないよここ(・・;)
どうしても連絡バスを使いたくない向きには、日高本線浜厚真駅からなんとか歩いて20分という距離感もございますが、昨今の北海道はいつどこでどんなクマに襲われるかわかったものではないので、この時期の誰も歩いていない道を、荷物をガラガラ引いて歩きたくない。
乗下船口ではすでに「お車のお客様はとっとと車両甲板へお戻りください(意訳)」というある種の圧がかかっておりますw
そうこうするうちにあっという間に18時間、16時45分、徒歩客用のボーディングブリッジが接続されるや否や、近所からかき集められた船内清掃の方々がどやどやと乗ってこられ、各担当ごとに三々五々あっという間に散っていくと、すぐさま徒歩客の下船案内。
この勢いたるや、これはもう寄席が終焉後にお客をてんてんばらばらとっととお帰りくださいとでもいうような、いわゆるハネ太鼓にも似たような状況。
♪出てけ出てけ出てけ出てけてんでんばらばらてんでんばらばら…と聞こえる、あの太鼓が本当に流れているような雰囲気ですな。
方々から船員さんの「ありがとーございましたー」とか聞こえてきそう。そこまではさすがにありませんでしたがね。
寄席のハネ太鼓は、こんな感じですわ。
落語(寄席) - 追い出し(ハネ太鼓)
そんなわけで一晩すごした「ゆうかり」とのお別れもそこそこにターミナルビルをとっとと降りて、ターミナル前に止まっていた道南バス南千歳駅行き送迎バスに吸い込まれます。
このバスはおそらく利用状況の調査も兼ねているようで、乗船を予約した際に、送迎バス利用の際は同時に予約を求められます。
最低限到着当日のお昼ごろまでに案内所に予約すれば乗れるようだし、さすがに南千歳から45分もバスに揺られなければいけないので、バスの乗車率はそこまでではないとは思うんですが、バスで45分も立ちたくはないね。
とっとと送迎バスに乗ってしまいましょう。
ほぼほぼ皆さん車やバイク利用で、ハイシーズン中のハイシーズンとはいえ、バスに乗ったのは12~3人といったところだったでしょうか。
バスの中であわてて、本日お世話になった「ゆうかり」にお礼と別れを告げます。
ところでこの送迎バス。
おそらくどこかで見たことがあるんですよ。
なにせバスの座席のステッカーにこんなステッカーが貼られていたところからして、これはもう千葉県から遠路はるばる出稼ぎに来たクルマ。
本当に何もない場所を30分以上かけて延々走って、苫小牧あたりからようやく国道36号線と合流するとなんとなく人里に触れるような建物が出てきて、やがて今度は新千歳空港から相当距離離れた場所にあるレンタカー屋さんの車の量に圧倒されながら、こんなところのレンタカー屋さんを利用したなら、そもそもレンタカーを借りて旅が始まるまで何時間かかるのかと恐怖におののきながら、17時30分ごろに南千歳駅に到着いたしました。
で、いろいろ乗ってきたバスをちらっちら見てみたんですが、これだけ見てもかなり特徴がありますね。
へえ。
中ドアが4枚折戸のワイドドア。
側面方向幕がトップドア脇の助手席横、というよりいわゆるヲタ席横についているバスねえ。
平成15年式だとか書いてありましたなあ…。
こりゃあれですな。
某浦安市内の事業所のバスが出所じゃねえかなあ…。
はっきりしたことはわからないけれど、これだけの特徴があればねえ。
というわけで、南千歳駅です。
本当に北海道に来てしまいました。
ここから今から新千歳空港へ行って東京へ帰ろうと思えば帰れますが、さすがにそれは帰りませんw
やがて、苫小牧始発の列車が僕たちだけを拾いにやってきた。
宿は一駅隣の千歳に用意してございます。
そんなわけで今回の旅のひとまずの終着点、千歳駅に到着いたしました。
千歳駅から徒歩7分とは書いてあるけれど、どう考えたって10分以上はかかった、国道沿いにあるANAクラウンプラザホテル千歳にようやく投宿いたしました\(^o^)/
お部屋は楽天のバーゲンセールでけっこう広いお部屋が空いていたようで、こんなお部屋でございました。
さあ、そんなわけで今回の新日本海フェリーさんの航海のおさらいを致しましょう。
今回の良かった点。
1・部屋が一部屋だけ空いていた奇跡
これはもうきせきという他ありません。
2・各種お土産類の充実
財布のひもの硬さなんてもう関係ありません。どんどん緩くなります。
3・奇跡的に台風と離合せず海が穏やかだったこと
これはもう荒れやすい日本海と相まって奇跡的とも思えるクルージングとしか思えませんでね。
とにかく揺れなかったから、体調を崩すとかマイナスなイメージが全くわきませんでしたねえ。
そしてこれは船旅を心底お勧めする、どの船旅にも共通して言えること。
水平線は、自由と解放を与えてくれる。
これですよ。
このために我々は船旅に出ているようなものですよ。
もし当ブログをご覧になって少しでも船旅に興味を持っていただいたら幸いですし、実際にお好きになっていただけたとするならば、これ以上の喜びはございません。
以上で3シリーズにわたってお送りいたしました「新日本海フェリー『ゆうかり』を一生遊ぶ」のエントリは終了となります。
実はまたこの翌日、もう一つの僕の真の狙いすました目的地に出かけることになるのですが、それは今しばらくお楽しみにお待ちください。
本日はご覧いただきまして、本当にありがとうございました。
(※この項↓に続く)
前回は一気に2部構成で苫小牧東港到着までやりたかったんですが、途中でテキスト量と集中力が切れました(・・;)
なので、時間の軸はまだまだ2024年8月9日の朝6時前の秋田港の中でありますw
前回の記事はこちらから↓どうぞ。
そもそもの旅の始まりからをご覧になりたいからは、前書きと目次からお読みいただけると、あたしはとってもありがたく存じます。
さて、秋田港に4時55分に着岸した苫小牧東港行き新日本海フェリー「ゆうかり」は、秋田からも荷物や車をバンバン乗せます。
これは意外だったんですが、徒歩客乗船口が開いた瞬間から、朝6時前だというのにどやどやとお客様が大勢ご乗船になってきまして(・・;)
いやはや、新潟港出港時点でもはやパンパンであったであろうと思われるのに、これ以上パンパンに人を乗せますかというくらい、しかも朝6時の秋田とは思えないほどの人の群れにはびっくりしましたね。
そういえば嫁さんが言っていたんですが、新潟から秋田の間はまだお席に余裕はありますが、秋田からはガチの満席御礼ですよ…とのこと。
朝6時からこれだけどやどや乗ってくる量というか、人の流れと物の流れにもはや圧倒されております。
旅客の乗船が落ち着くまで、しばらく4階フロア後方の展望デッキでぼーっとすることにします。
このぼーっとすることができるのが、船旅の大いなる魅力ですね。
で、ぼーっとすることが許されるんだから、朝6時からいわゆる「ビの字活動」をしたってええじゃないかええじゃないかということで、急いで部屋まで帰って、冷蔵庫の中に冷やしていたこいつを引っ張り出してきました。
それではまいります。
全国1億2500万人マイナス1億2499万9995名の小馬太郎兵衛ファンの皆様ご唱和ください。
朝の6時から、せーの、
ぶはあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁっっっっっ!!
いやー、人がぎょうさん働いている時間に飲むお酒はうまいのう(byマッサン)
で、展望デッキ右舷側に線路が引かれた敷地がだーっと広がっていたのですが、これが昔、秋田土崎港で貨物列車を扱っていた名残りなのかしら。
そういえばここには長期間、JR東日本で廃車になったブルートレインの車両が長期間留置されていて、クラウドファンディングで海外で保存するとかしないとかすったもんだやっていたのは、このあたりだったでしょうか。
クルマを載せる荷役が若干遅れたのか、秋田港出港定刻6時05分より若干遅れた時間に、車両を積み込むランプウェイが切り離されました。
秋田港西側には風力発電の扇がクルクルと回っております。
朝から酒をむさぼりながら、いよいよ秋田港を出港、目指すは北の大地北海道、厚真町の苫小牧東港。
ここから10時間ほどの長い旅路も出港です。
8/9新日本海フェリーゆうかり。荷役遅れで若干の遅れで秋田港出港。 pic.twitter.com/7MaMImFyOa
— 日刊こうマロネ@禁酒はとりあえず減酒 (@kouma_tarobee) August 16, 2024
この航海士のやり取りがたまりませんな。船に乗っているんだぞという旅情といいますか、船旅独特の風情がありますねえ。
そして響く出港の汽笛。
動画はツイッターに上げているので、サイズの都合上動画が2分ほどしか撮れないのが玉に瑕。
この旅に出ている時点で、じゃあ動画を撮影するために機材をそろえようなんていう気持ちがさらさらない証拠ですw
いやー、そこまで目指すタマじゃないし、動画撮影で成功するなら、「ブログの老後をゆらゆら漂う悦楽ブログ」なんて書いてません。
やってみようとは思いますが、たぶん使いこなせず持て余すのがオチです(´・ω・`)
ファンネル(煙突)と共にご覧いただきましょう。
ぼーっと出港風景などを見ておりましたら、秋田港出港と同時に船内放送が流れ、団体でご乗船の自衛隊の皆様の朝食の準備ができましたのでレストランへお越しください、その他のお客様は朝7時より準備が整い次第のご案内…である由。
その放送を待たずして、三々五々自衛隊の皆様がレストランに集まってきております。
さて。
朝食まではもう少し時間があるようなので、もう一杯やっちゃいますか。やってみましょうか。
これは新潟港フェリーターミナルで売っていた新潟の名酒「八海山」。
これも部屋から展望デッキへ持っていって飲んでみたんですが。これが美味い。
普段僕はこんなワンカップなんて飲めないと思っていたんですが、ちびちびやればこれがすっと入ってくる。
それでいてアルコール度数は15%もあるのに、全く悪酔いしないんです。
甘口でとても飲みやすい。口当たりが良いお酒には罠がありますが、これはこの一本だけで十分なほど。
朝から新潟のビールも500缶で1本やっちゃってるんでw
これくらいのサイズだからちびちび時間をかけて飲めるのであって、これが一升瓶だったら大変です(・・;)
さて、部屋でひっくり返っていた嫁さんが起きたタイミングでレストランへ行ってみましょう。
朝食へ出かけます。
本当を言えばお酒も空けちゃったから少し間をおいて、カフェで軽食兼朝食にでもしようかなと思っていたんですが、カフェも大混雑だろう、だったらより大行列なレストランでも並んでしまえば回転は早かろうと踏んで、ゆうに30人以上は並んでいたと思われるであろうレストランの行列に並びます。
レストランでは朝カレーもやっており、朝カレーとは別に、これは昼食と夕食限定で寄港地カレーフェアなんてーものもやっておりました。
朝食と昼食のメニューもご紹介。
なんかいろいろあるなあ…。どれにしようかな。
というわけで、日本酒を飲んでしまった後なので選択は珍しくこれになりました。
ごはんと合うのは和定食じゃろということで、和定食になりました。
スマホで撮影したらピントがなかなか合わず、少々ピンボケなのは申し訳なし。
さて、秋田沖に出たら…。
やることがない(・・;)
船旅はこれが魅力。
何もすることがなく、或いは読書、いや読書でさえも今はサブスクで電子書籍の時代。
先にも触れましたとおり、プロムナードで、宿り木で、或いは個室で、もし海風を気にしないというのでしたら、サブスクにあらかじめ映画を落としておいてご覧になるというのも、ネットから断絶された海の世界の醍醐味というものでありましょう。
メールでならされることもない。ラインで呼び出されることもない。課長の呼び出しで試合中の後楽園ホールから突如姿をくらますこともないw
とになく自由。
良俗に反しない限り何をしても自由。
そして海に広がるは水平線。
しかも今まで見たことがない日本海の大海原の水平線。
その先に見えるのは中国か韓国かあちらの国か、或いはロシアなのか。
大海原に消えていく航跡を見ながら、ぼーっとすることが出来る。
アタマを空白にリセットすることが出来る。
これぞ船旅。
…ということで、何をするのかといいますと。飲みますw
こちらは旅行中のエントリでも触れたことがある「男山」のワンカップを売店で仕入れて後部デッキに持ってきました。
これを去っていく航跡と水平線と共に飲むと、余計に味わい深い。
前回の八海山が甘口だったということもあり、この男山は北海道旭川のお酒だったのかな。
辛口だったので選んでみましたが、確かにぴりりと辛口といえば辛口だけれども、これも喉にスッと入ってくる。
本当に辛口だとまずのどでむせてしまうほどなんですが、これはちびりちびりと行けますね。
もうね。
自由です。
ちびりちびりと誰にも迷惑をかけない程度の人口密度でお酒を楽しむ自由。
そしてやがて見えてくる進行方向右手、右舷側に、秋田と青森の県境にある白神山地が見えてまいりました。
白神山地なんて映像と言葉ではよく聞くけれども、実際に見るのなんて初めてだ…。
あんまり朝からお酒ばかり飲んでいても仕方がないので、一旦部屋に戻りましょうw
…その前にひとっ風呂浴びましょう。
これも船旅の大いなる醍醐味。
入った。
出た\(^o^)/
いや~。やっぱり適度な人口密度で楽しめるお風呂場はたまりません。
この船には露天風呂はないんですが、ミストサウナが併設されており、そりゃもう見事に整っちゃいました。
ふう、さっぱり。
部屋で休んで少々、そういえばもう一か所行ってないところがあったので行ってみましょう。
予定ではもうすぐ11時。
船は青森県沖、津軽半島にやってまいりました。
航行予定表ではこんな感じになっていましたな。
新日本海フェリーと東京九州フェリーでは、船首部分がフリースペース「フォワードサロン」になっているので前面展望が楽しめます。
4階には禁煙のフォワードサロン。
3階部分には同じような構造でもタバコが吸える「スモーキングルーム」として開放されています。
利用ルールは東京九州フェリーと一緒で、室内では飲食禁止なので静寂が保たれます。
それを逆手に取ったか、夏休みの宿題に明け暮れ、ちょっと頭安めに海を眺めるという、ある意味一番頭に勉強内容が入ってきそうな勉強方法を取る子供たちもいらっしゃいました。親御さんの教育がいいんですなw
そうかあ。フォワードサロンは図書館か。
ついでに3階スモーキングルームにも行ってみたのですが、うーん、僕はタバコは吸わないので、このスペースにいられるのはもって3分が限度でした(・・;)
それこそこの船が建造された2002年あたりは、まだまだどこでもタバコが吸えた時代、というよりは健康増進法が施行されたのとほぼ
同時だったはずで、この船と僚船「らいらっく」はあちこちに喫煙ルームが備えられているのが特徴。
またこのフォワードサロン、航行の支障にならないよう、夜間はカーテンが引かれ閉鎖されます。
荒天が予想される冬季も、波が打ち付けて窓ガラスが破損しないよう、鉄板を打ち付けられるのだそう。
そんな荒れた航海なんてやだ(・・;)
フォワードサロンでしばし前面展望を楽しんでいると、こんなアナウンスが流れてきました。
「お客様へご案内いたします。ただ今、船の進行方向右側、船の進行方向右側1時の方向、1時の方向には津軽半島小泊港、2時の方向には遠く岩木山が見えております。」
「続きまして反対側進行方向左側、進行方向左側10時の方向、10時の方向には、北海道松前山が見えております。どうぞご覧くださいませ」
いやあ。
こんな旅情あふれるアナウンスが、令和の世にあるなんて思いもしませんでした\(^o^)/
アナウンスはないんですが、小泊港と岩木山、左舷方向には北海道松前が見えてきたというところを、短い拙い動画ではございますが、ご覧いただければ幸いでございます。
2024年8月9日、苫小牧東港行き新日本海フェリーゆうかり。右舷には小泊崎、左舷には遠く北海道松前山。 pic.twitter.com/J2FJBIf63W
— 日刊こうマロネ@禁酒はとりあえず減酒 (@kouma_tarobee) September 6, 2024
青森、しかも津軽半島なんてーのは奥羽本線で辿ったことがあるといえばあるんですが、35年以上前になる1988年、しかも当時はまだ各地で現役だった50系客車鈍行に揺られながら夕方から夜にかけて通り過ぎたもので、ほぼほぼ車窓なんて覚えておりません。
もちろん津軽半島を海側から眺めるなんてーのは初めてだし、小泊港、お岩木山よ花咲くころは~なんてきたらもう、読者の皆様方におかれましてはお察しの通り。JAS○RACさんには絶対に通報しないで下さいよ(・・;)
細川たかしの「望郷じょんから」の世界\(^o^)/
望郷じょんから
僕は実は30年位前から、津軽地方に津軽三味線を聞きに行きたくて聞きに行きたくて仕方ないままに30年も年を取ってしまった人間なんです。
というのは20歳前後だったかな。
当時はこう見えても。ただのしがない演劇青年だったものですから、千葉市内に住んでいた友達に、時折千葉市内の公共施設で開催される発表会ですとか音楽会ですとか、そうした照明のアルバイトをやらないかと誘われておりまして、何度か行った経験がありましてね。
その中に三味線とかお琴ですとか、千葉市内の和楽器のお師匠さんとお弟子さんが一堂に集まって発表会を開くというものがあって、その中で津軽三味線があったのかな。
スポットライトを当てる担当で動きながらやっていたんですが、その音色に痛く感銘を受けましてね。もし行くチャンスがあるのなら、津軽地方の本場の津軽三味線を聞きに行きたいと。これはずーっと思っていたんです。
20歳前後の夢が巡り巡って30年くらいたって、ひょんなことから旅立ちが決まって飛び乗った船で聞いたアナウンスがこれですよ。
こんなに旅情あふれる話がありますか?
このアナウンスを聞いた瞬間に頭の中にばーっと浮かんだのが細川たかしの望郷じょんからと、あの頃照明のアルバイトをしながら聞いていたお師匠さん方の見事な津軽三味線で、なんかもうちょっと涙が出てきちゃうくらい。
そして反対側にはいよいよ見えてきた北の大地北海道。松前さんだから北海道の西の端も西の端だけれども、北海道は北海道。
ああ、とうとう来ちゃったんだなあ…。
これから津軽海峡を渡るのか…というタイミングでこのアナウンスは、旅情なんていう陳腐な言葉では表現できないくらい。これもひとえに僕の語彙力のなさですね。
しかしこの旅情あふれるアナウンスは、比喩も暗喩も何もないのですが、旅情あふれるアナウンスを考えよと広告会社に丸投げしたって、電○通とか博○堂のコピーライターだって考えられませんよ。
船の旅ももちろんいいんですが、各地の民謡を実際に聞いて回る旅行なんてーのもいいかもしれませんね。
これは余談なんですが、某国営放送で毎月1回日曜日の昼下がりに放送されている、城島茂さんがホストをなさっておられるテレビ番組「民謡魂」は、僕は大好きで、仕事場で放送日に当たったら絶対に流してます。
ひとしきりフォワードサロンでむせび泣く不審者を装って部屋に戻ると、今まさに船は津軽海峡にかからんとしております。
そろそろランチの時間ですよ。ついでに間もなく津軽海峡から進行方向右手に青森湾が見えますよ…というアナウンスがあったので、嫁さんに声をかけて景色を見に行こう。
遠くに見えるのは下北半島。ちょうど右舷側3時の方向には、竜飛崎で津軽半島に別れを告げて、青森湾がぽっかり口を開けているのがわかります。
ずーっと右舷側の青森湾を見ていて、左舷側におそらく広がっているであろう函館の街を見ようとしなかったのは失敗したw
時は2024年8月9日。
もうすぐ終戦から79年というタイミング。
波は航海中とても穏やかで、このまま無事の航海を願うや切であります。
その昔、ここで青函連絡船という連絡船はほぼ全滅。船に乗るのも移動するのも、どこからでも艦載機の機銃掃射や機雷に触れて命がけだった時代を、ちょっとだけ胸にしまいこんで、そっと手を合わせました。
こうして僕が何事もなく船旅を楽しめているのは先達たちの辛苦があってこそ。どうぞやすらかにお休みください。
さてランチですが。
これは前回、5月に東京九州フェリーに乗った時に、食べようと思った時には船酔いを起こしてしまい門司港焼きカレーなどの名物料理を楽しめなかった教訓なんですが改めて記しておきます。
食べたいものは食べたいときに食べておけという、なんだか戦いに行くのかとでも言いたげな感じなのですが、選んだのはこちら。
新潟のおろしそばといくらの小さい丼をつけてみました。
このフェリー「ゆうかり」の食堂は、いわば「ややカフェテリア方式」というもので、食事は各メニューからお選びくださいねいろいろ揃ってますというものから、メニューを選ぶ前に3、4種類くらいの小鉢を選ぶことが出来ます。
なので、ついでに小鉢も選んでしまいました。
そしてもう一品、飲み物はこちら。
新日本海フェリー就航50周年記念の日本酒を提供しているのなら、そりゃあ飲まないと損です。
というより「なんとか記念」「限定商品」という響きに、いかに人間の財布のひもが緩くなるかということですw
たださすがに今日は午前中から行き過ぎているので、これはグラスをもう一ついただいて、嫁さんと仲良く折半します。さすがにこのサイズは僕一人では飲み切れません。
たしか「北雪」という銘柄だったと思います。
新潟県佐渡の酒造で作られた大吟醸酒。うたい文句通り和食に本当にぴったりで、口当たりに全くクセがなくて、食中酒にワインをたしなむのと同じような感覚で飲めます。
それでいて本当に悪酔いしないんです。本当においしい。
ごちそうさまでした。
食後の4階レストラン前のプロムナードを遠巻きに1枚。
ここでぼーっと揺られながら読書したかったなあ。暇だからとだいたい本を1冊持ってくるんですが、5月と8月と2回乗って2回とも読んでないw
秋田魁新報は読みましたけどね。
このゆったりした空間と時間の流れは本当にクセになります。これこそが船旅の魅力。
日頃の激務からすべて解放されて、くつろいだりさんざん寝倒したり。
みなそれぞれにリセットできる空間。
本当に語彙力がないんですが、素敵です。
さて、フェリーといえば楽しみなのが、自分自身に買ってきたお土産の数々でございます。
まずは自分用に御船印。
新日本海フェリーの御船印は、1枚1枚に船長さんのサイン付きで販売されております。
そしてこれは新日本海フェリー各航路共通で販売されているオリジナルTシャツ。
各寄港地の地名が背部にあしらわれております。
もう一枚。
これは新潟港からの便限定で販売されていると思われますが、「当船内限定!!」なんて言われたら買っちゃうよこんなのw
新日本海フェリーと新潟Tシャツ協会がコラボして販売しているという、新潟就航50周年記念Tシャツ。
で、これまでご紹介してきた食事やお酒、お土産の数々は、新潟のものですとか、或いは遠く北海道旭川の日本酒ですとかのご紹介が多く、寄港地の秋田では秋田魁新報くらいのご紹介で終わらせてしまうのもいかがかと思いましたので、これは秋田でしか手に入りません。
寄港便名物秋田のお土産も手に入ります。
秋田方言の手ぬぐいもゲットいたしました。
なんてことをご紹介している間に、ようやくというか待ってましたというべきか、津軽海峡を越えて外海へ出た途端に少々揺れだした船内。
そうそうこの揺れを待ってました。酔い止めドロップもばっちりですw
個室のベッドに横たわると、この揺れが心地いい。
日本海を航行している時は本当に揺れがゼロという奇跡的な航海状況でしたからねえ。
さあ、旅はいよいよラストスパート。
これは昼間のうちにあらかじめ何度か船内放送でアナウンスされていたんですが。着岸まであとおおよそ1時間ほどというところでドアがノックされ、係員が一斉に部屋のカギを2個とも回収しに回ってきました。
これが個室が何百もあるもんですから、船員のカギの回収の苦労も並大抵ではありませんな。
しばらくお部屋でくつろいでいたら、いつの間にか遠く左舷の方向には、北海道苫小牧の工業地帯と思しき景色が見えてまいりました。
前回苫小牧に入港したのは10年前の2014年11月の太平洋フェリーで、あの時は苫小牧西港の着岸だったもので苫小牧市街とさほど離れておらず、みなとをちょっと離れたところに苫小牧市街が一望に感じられたのですが、今回新日本海フェリーの寄港便「ゆうかり」が着岸するのは、同じ苫小牧というカテゴリにあっても、苫小牧西港とは直線距離でさえもゆうに20キロ以上離れている、お隣厚真町の苫小牧東港に着岸ということになります。
左舷方向には、工場とも思えないごつい建物がどーっと並んでおり、これがあの有名な北海道厚真町の厚真火力発電所ということなのかしら。。
新日本海フェリーのお客様はとにかくお車やトラックのご利用者が多いため、着岸予定30分以上前から、「お車で下船されるお客様は、本日は同乗者の皆様もお車から下船いただけます。どうぞお早めに3階案内所付近までお集まりください。準備が整い次第車両甲板までご案内いたします」という、ある意味「車の人はとっとと車に戻って降りる準備をしやがれよ」という圧力さえ感じるアナウンスが流れますw
僕たちは徒歩なので、ボーディングブリッジが接続されてから下船すればよいので、そろそろ荷物をまとめて3階乗下船口フロアで待機をしておきましょうか。
苫小牧東港は16時45分の着岸予定。
徒歩客は下船するとターミナル前に南千歳駅前行き送迎バスが待機しており、これが片道1320円、所要時間は45分ほどのお時間がかかります。
まあ、そりゃそうだよねえ。
…ターミナルビルの向こうを見てみたら、あたりは家一軒すらないよここ(・・;)
どうしても連絡バスを使いたくない向きには、日高本線浜厚真駅からなんとか歩いて20分という距離感もございますが、昨今の北海道はいつどこでどんなクマに襲われるかわかったものではないので、この時期の誰も歩いていない道を、荷物をガラガラ引いて歩きたくない。
乗下船口ではすでに「お車のお客様はとっとと車両甲板へお戻りください(意訳)」というある種の圧がかかっておりますw
そうこうするうちにあっという間に18時間、16時45分、徒歩客用のボーディングブリッジが接続されるや否や、近所からかき集められた船内清掃の方々がどやどやと乗ってこられ、各担当ごとに三々五々あっという間に散っていくと、すぐさま徒歩客の下船案内。
この勢いたるや、これはもう寄席が終焉後にお客をてんてんばらばらとっととお帰りくださいとでもいうような、いわゆるハネ太鼓にも似たような状況。
♪出てけ出てけ出てけ出てけてんでんばらばらてんでんばらばら…と聞こえる、あの太鼓が本当に流れているような雰囲気ですな。
方々から船員さんの「ありがとーございましたー」とか聞こえてきそう。そこまではさすがにありませんでしたがね。
寄席のハネ太鼓は、こんな感じですわ。
落語(寄席) - 追い出し(ハネ太鼓)
そんなわけで一晩すごした「ゆうかり」とのお別れもそこそこにターミナルビルをとっとと降りて、ターミナル前に止まっていた道南バス南千歳駅行き送迎バスに吸い込まれます。
このバスはおそらく利用状況の調査も兼ねているようで、乗船を予約した際に、送迎バス利用の際は同時に予約を求められます。
最低限到着当日のお昼ごろまでに案内所に予約すれば乗れるようだし、さすがに南千歳から45分もバスに揺られなければいけないので、バスの乗車率はそこまでではないとは思うんですが、バスで45分も立ちたくはないね。
とっとと送迎バスに乗ってしまいましょう。
ほぼほぼ皆さん車やバイク利用で、ハイシーズン中のハイシーズンとはいえ、バスに乗ったのは12~3人といったところだったでしょうか。
バスの中であわてて、本日お世話になった「ゆうかり」にお礼と別れを告げます。
ところでこの送迎バス。
おそらくどこかで見たことがあるんですよ。
なにせバスの座席のステッカーにこんなステッカーが貼られていたところからして、これはもう千葉県から遠路はるばる出稼ぎに来たクルマ。
本当に何もない場所を30分以上かけて延々走って、苫小牧あたりからようやく国道36号線と合流するとなんとなく人里に触れるような建物が出てきて、やがて今度は新千歳空港から相当距離離れた場所にあるレンタカー屋さんの車の量に圧倒されながら、こんなところのレンタカー屋さんを利用したなら、そもそもレンタカーを借りて旅が始まるまで何時間かかるのかと恐怖におののきながら、17時30分ごろに南千歳駅に到着いたしました。
で、いろいろ乗ってきたバスをちらっちら見てみたんですが、これだけ見てもかなり特徴がありますね。
へえ。
中ドアが4枚折戸のワイドドア。
側面方向幕がトップドア脇の助手席横、というよりいわゆるヲタ席横についているバスねえ。
平成15年式だとか書いてありましたなあ…。
こりゃあれですな。
某浦安市内の事業所のバスが出所じゃねえかなあ…。
はっきりしたことはわからないけれど、これだけの特徴があればねえ。
というわけで、南千歳駅です。
本当に北海道に来てしまいました。
ここから今から新千歳空港へ行って東京へ帰ろうと思えば帰れますが、さすがにそれは帰りませんw
やがて、苫小牧始発の列車が僕たちだけを拾いにやってきた。
宿は一駅隣の千歳に用意してございます。
そんなわけで今回の旅のひとまずの終着点、千歳駅に到着いたしました。
千歳駅から徒歩7分とは書いてあるけれど、どう考えたって10分以上はかかった、国道沿いにあるANAクラウンプラザホテル千歳にようやく投宿いたしました\(^o^)/
お部屋は楽天のバーゲンセールでけっこう広いお部屋が空いていたようで、こんなお部屋でございました。
さあ、そんなわけで今回の新日本海フェリーさんの航海のおさらいを致しましょう。
今回の良かった点。
1・部屋が一部屋だけ空いていた奇跡
これはもうきせきという他ありません。
2・各種お土産類の充実
財布のひもの硬さなんてもう関係ありません。どんどん緩くなります。
3・奇跡的に台風と離合せず海が穏やかだったこと
これはもう荒れやすい日本海と相まって奇跡的とも思えるクルージングとしか思えませんでね。
とにかく揺れなかったから、体調を崩すとかマイナスなイメージが全くわきませんでしたねえ。
そしてこれは船旅を心底お勧めする、どの船旅にも共通して言えること。
水平線は、自由と解放を与えてくれる。
これですよ。
このために我々は船旅に出ているようなものですよ。
もし当ブログをご覧になって少しでも船旅に興味を持っていただいたら幸いですし、実際にお好きになっていただけたとするならば、これ以上の喜びはございません。
以上で3シリーズにわたってお送りいたしました「新日本海フェリー『ゆうかり』を一生遊ぶ」のエントリは終了となります。
実はまたこの翌日、もう一つの僕の真の狙いすました目的地に出かけることになるのですが、それは今しばらくお楽しみにお待ちください。
本日はご覧いただきまして、本当にありがとうございました。
(※この項↓に続く)
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