「明月院」の次に訪れたのは、「建長寺」です。
明月院のブログは。
↑ 何年か前に、泊りがけで北鎌倉に行った時。
明月院を、開門と同時に院内を散策。
開門から、30分くらいは紫陽花が咲く正面参道は通行不可にして写真を撮影できる時間をつくってくれていました。
↑ その時間帯に、訪れていた方が順番に撮影 した写真です。
人物を入れずに、撮影ができました。
カメラの設定は、カメラ任せでした。
待っている方が、大勢いたので。
素早くシャッターを切りました。
↑ 紫陽花の花の季節に「癒しの窓」から見た本堂後庭園。
↑ 秋の紅葉の季節に「癒しの窓」から見た本堂後庭園です。
明月院を後に。
明月院から約8分くらい歩 くと着きます。
鎌倉五山制度が創設され、鎌倉五山第一位の「建長寺」や鎌倉五山第二位の「円覚寺」、鎌倉五山第四位の「浄智寺」などの臨済宗の名刹が次々と創建されました。
↑ 建長寺外門「天下門」。
1253年(建長5年)、時の執権、方丈時頼が宋より「蘭渓道隆(らんけい どうりゅう)」を招いて、我が国の本格的な禅宗専門の道場として創建されました。
三門、仏殿、法堂が一直線に並び、禅宗特有の伽藍様式をいまでも残している、鎌倉が誇る美しい禅刹です。
三門や巨大な「地蔵菩薩坐像」などみどころも多く、北鎌倉を代表する観光スポットに。
↑ 総門。
写真左脇にある建物は、鎌倉学園です。
数年前、全国男子駅伝に参加されてました。
↑ 総門。
建長寺の山号である「巨福山(こふくさん)」が掲げられていることから、別名「巨福門(こふくもん)」と呼ばれ親しまれているそうです。
赤丸の巨に点が付いてある、意味があるようです。
↑ 建長寺配置図。
↑ 受付で拝観料500円を納め、境内へ。
鎌倉の寺院を旅するときは、あらかじめ500円等の硬貨を準備して出かけます。
拝観料とか、お賽銭とか。
↑ 鎌倉の寺院は、紫陽花の季節が過ぎると。
訪れる方が少なくなるので、人物を入れずに撮影が可能になったりします。
↑ 山門。
高さ約30mの巨大な山門。
現在の姿は1775年(安永4年)に第201世住職「万拙硯誼(ばんせつせきぎ)」により再建されたものです。
楼上に五百羅漢などを安置されているそうです。
観てみたい。
↑ 山門と梵鐘。
↑ 山門(三門)の中の一角には、「おびんずるさま」。
「賓頭盧(びんづる)」尊者は、釈迦の弟子で十六羅漢の一人だとか。
体の悪い所を触ると良いそうですが、私はどこもかしこも悪いので限がない。( ;∀;)
↑ 山門の東側には「鐘楼(しょうろう)」を見ることができます。
↑ 遠くに見えるは、仏殿。
↑ その両側には、建長寺の「柏槇(ビャクシン)」の古木7本と若木1本が植えられている様です。
↑ お線香をたいて。
↑ 仏殿。
本尊として禅寺としては珍しく巨大な「地蔵菩薩坐像」が安置されてます。
↑ 地蔵菩薩坐像。 ↑ 仏殿案内板。
↑ 一直線に並ぶ宋風の伽藍配置がとても特徴的です。
手前から仏殿、法堂、大庫裏。
創建当時の伽藍配置は、中国宋時代の禅宗寺院を模したものだとか。
↑ 法堂。
↑ 法堂。
法堂とは法を説くための堂のことなので、こちらには仏像は安置されていません。
しかし、法堂の中は「千手観音像(せんじゅかんのんぞう)」や「釈迦苦行像(しゃかくぎょうぞう)」、「雲龍」など見どころがたっぷり。
↑ 雲龍図。
天井には80畳分もの迫力ある雲龍図が描かれているそうです。
圧巻でした。
↑ 建長寺方丈。
龍王殿ともいわれ、「宝冠釈迦如来」が祀られています。
総門と同じく1940年(昭和15年)に京都の般舟三味院の本堂を移築したものだそうです。
↑ 方丈。
↑ 方丈庭園。
↑ 方丈を出て、方丈の左側の道を上ると。
↑ 建長寺の塔頭のひとつ、正統院。 ↑ 半僧坊(はんそうぼう)。
境内の裏山にある奥座敷には、パワースポットと呼ばれる「半僧坊(はんそうぼう)」が祀られています。
階段は250段近くあるそうです。
私には、訪れるための元気がありませんので断念しました。
↑ 唐門。 ↑ 唐門案内板。
↑ 唐門。
唐門は方丈の正門にあたり、屋根が唐破風になっている門ということから名づけられました。
門の全面には黄金色の飾金具が付けられていてとても豪華です。
↑ この日は、結婚式の前撮り写真の撮影が。
鎌倉では、よく見かける光景です。
↑ あじさいの花のピークは過ぎていましたが。
勢いのあるあじさいを探し。
↑ 梵鐘。
この鐘楼に吊るされている高さ約2メートルの「梵鐘(ぼんしょう)」は、日本で最も古いもので国宝に指定されています。
↑ 勢いのあるあじさいを探し。 ↑ 国家の「さざれ石」とは、こんな石。
↑ 別名。「巨福門(こふくもん)」総門ともお別れ。 ↑ ネットで調べると出てくるお店が目に入りました。
けんちん汁発祥の地とされている、鎌倉「建長寺」でした。