12月19日火曜日
今日はアサンガの命日。
偶然、アサンガのドイツの友人"ハンス”と”ニハリカ”がプネー郊外でパンチャカルマ(アーユルヴェーダ浄化療法)
を受けている。
アサンガに縁のあるそのパンチャカルマの病院にアラディカと一緒に行く約束をしていた。
1時半にアラディカの家に車が迎えにくることになっていたので昼食をはやめにすませて、
急いで向かった。
ぎりぎり間に合ったかなと心配しながら、1時半に玄関のチャイムをならした。
しかし、アラディカはまだ着替えてないからゆっくりしててという。
そして、ソファでくつろいでいるうちに2時に。
2時になっても車の気配がない。
市内の交通渋滞がすごいので、そのせいだろうか、と話しながらお茶を飲む。
インドで遅れることは本当にしょっちゅうなのであらかじめ十分な時間を
見越して頼まないといけない。
それにしても遅いなあ、と思い始めた頃
1時間もすぎて、ようやく車がきた。
郊外のアーユルヴェーダ病院まで約40分。
病院の敷地はかなり広い。
バス停から遠くに緑色の建物が見える。
アーユルヴェーダ大学だ。
一番、手前に食堂がある。
横には、牛小屋。
私が付属のアーユルヴェーダ大学に留学していたころは一頭しかいなかったが、今は牛小屋も
大きくなって牛も増えている。
食堂の裏に大きなニームの樹。
樹の下には、暑い陽射しから守られた黒いHONDAのバイク。
舗装されていない砂利道を10メートルほど奥にすすむと、オレンジ色と白色の建物がある。
一棟に二部屋。
間にパンチャカルマの施術室をはさんで、一部屋に一人ずつ、たったふたりのための
パンチャカルマ棟だ。
ここには、5棟ある。
入院患者は2週間から4週間のパンチャカルマを受ける。
ハンスとニハリカは3週間の予定。
笑顔のニハリカに歓迎されて、彼女の部屋にアサンガの写真を飾る。
たまたま、日本から女性がひとり入院していたので彼女も誘う。
サダナンダ先生が他のドクターたちと一緒に入ってこられた。
アサンガのかかりつけのドクターがサダナンダ=サラデシュムク先生の父、マハラジだった。
ドクターといっても学校で学んだ知識ではなく、あらゆることを知っていて、
脈診から、音楽やいろんなことに才能があって多くの人に頼りにされていたそうだ。
晩年、このアーユルヴェーダ病院と大学をつくって、サマディに入った。
その後、サダナンダ先生がアサンガのかかりつけの医師となり、私が
アーユルヴェーダに興味をもつきっかけとなった。
現在、サダナンダ先生はここの大学、病院、それからエイズ、癌研究所にくわえて、
ボンベイの診療所の所長を兼任している。
そのうえ、日本、オーストラリア、ヨーロッパを訪れて、アーユルヴェーダの魅力を
多くの人に伝えている。
東京で初めてお会いしたのは、10年前。
その後、3年間、このアーユルヴェーダ大学に留学した。
本当にとてもお世話になった。
アサンガの写真に花を飾って、お線香をあげる。
わたしは日本からもってきたみかんをお供え。
先生がお経を唱えたあと、若いドクターや初めての人に、アサンガを紹介。
それから、アーユルヴェーダの”アーチャーリアラサヤナ”についての話を若いドクターが
古典を引用しつつ話してくれた。
”アーチャーリアラサヤナ”とは良い行い、良い考え、すばらしい人のことを心にとめておくこと
などが、精神的にもひいては、身体的にも健康を保つ秘訣である、、というようなことだ。
アサンガの亡くなったときの様子をニハリカが話す。
こうして、今日このような時間がもてたことは決して計画していたわけではなく、
ニハリカがパンチャカルマを受ける為にインドを訪れたのは、突然決まったことだった。
私がインドを訪れることもニハリカたちは知らなかった。
でもこのような場がもてたことは、いろんなことがおこることにオープンである
ことのおかげだ、と喜んだ。
そのあと、先生からインドのおやつが振る舞われて、みんなでいただいた。
アサンガの話や、おたがいの近況など、のんびりとチャイをのみながら楽しんだ。
アサンガがいるときは、いつもみんなが打ち解けていろんな話をした。
甘いものも大好きだったので、チョコレートやクッキーをたべながら一緒にみんなで
楽しく過ごすことが多かった。
まるで、今もアサンガを囲んでいるような感じだ。
あっというまに、楽しい時間はすぎて、帰る時間になった。
案の定、帰りの道は大渋滞。
夕飯を食べる時間もない。
とてもラッド先生のクリニックに間に合いそうにもなく、今日だけは、お休み。
昼2時をすぎても車が来なかったので、もうその頃から、今夜のクリニックは
無理かもしれないと覚悟をしていた。
無理をしようとするとイライラするけど何の助けにもならない。
あきらめることもインドで気持ちよくすごす一つの方法。
アラディカの家で夕飯をいただいた。
プネー市の位置するマハラシュトラ州は、辛い味つけが伝統的だが、
アラディカは辛くないカレーを用意してくれていた。
今日は、疲れると思ったから昼食を多めにつくっておいたの。
といって、プーラオというたきこみごはんにカレースープ。
手作りのヨーグルト、人参のピクルスをごちそうになった。
冬といっても昼間は半袖でもすごせるほど陽射しはつよい。
郊外まで行くとやはり疲れる。
夕食のあと、テレビをつけた。
今、インドではやっているという、呼吸法の番組をみた。
何百人もの人をまえに、白い服をきたひげ面の男性が呼吸法を紹介している。
毎日、テレビ体操ならぬテレビ呼吸法の番組は各地で収録されているらしい。
アラディカいわく、プネーにも来たことがあるそうだが、すごく大勢の人が
訪れたのだと言う。
ほかにもテレビで面白いことはあったのだけど、今日はこの辺で。。。
今日はアサンガの命日。
偶然、アサンガのドイツの友人"ハンス”と”ニハリカ”がプネー郊外でパンチャカルマ(アーユルヴェーダ浄化療法)
を受けている。
アサンガに縁のあるそのパンチャカルマの病院にアラディカと一緒に行く約束をしていた。
1時半にアラディカの家に車が迎えにくることになっていたので昼食をはやめにすませて、
急いで向かった。
ぎりぎり間に合ったかなと心配しながら、1時半に玄関のチャイムをならした。
しかし、アラディカはまだ着替えてないからゆっくりしててという。
そして、ソファでくつろいでいるうちに2時に。
2時になっても車の気配がない。
市内の交通渋滞がすごいので、そのせいだろうか、と話しながらお茶を飲む。
インドで遅れることは本当にしょっちゅうなのであらかじめ十分な時間を
見越して頼まないといけない。
それにしても遅いなあ、と思い始めた頃
1時間もすぎて、ようやく車がきた。
郊外のアーユルヴェーダ病院まで約40分。
病院の敷地はかなり広い。
バス停から遠くに緑色の建物が見える。
アーユルヴェーダ大学だ。
一番、手前に食堂がある。
横には、牛小屋。
私が付属のアーユルヴェーダ大学に留学していたころは一頭しかいなかったが、今は牛小屋も
大きくなって牛も増えている。
食堂の裏に大きなニームの樹。
樹の下には、暑い陽射しから守られた黒いHONDAのバイク。
舗装されていない砂利道を10メートルほど奥にすすむと、オレンジ色と白色の建物がある。
一棟に二部屋。
間にパンチャカルマの施術室をはさんで、一部屋に一人ずつ、たったふたりのための
パンチャカルマ棟だ。
ここには、5棟ある。
入院患者は2週間から4週間のパンチャカルマを受ける。
ハンスとニハリカは3週間の予定。
笑顔のニハリカに歓迎されて、彼女の部屋にアサンガの写真を飾る。
たまたま、日本から女性がひとり入院していたので彼女も誘う。
サダナンダ先生が他のドクターたちと一緒に入ってこられた。
アサンガのかかりつけのドクターがサダナンダ=サラデシュムク先生の父、マハラジだった。
ドクターといっても学校で学んだ知識ではなく、あらゆることを知っていて、
脈診から、音楽やいろんなことに才能があって多くの人に頼りにされていたそうだ。
晩年、このアーユルヴェーダ病院と大学をつくって、サマディに入った。
その後、サダナンダ先生がアサンガのかかりつけの医師となり、私が
アーユルヴェーダに興味をもつきっかけとなった。
現在、サダナンダ先生はここの大学、病院、それからエイズ、癌研究所にくわえて、
ボンベイの診療所の所長を兼任している。
そのうえ、日本、オーストラリア、ヨーロッパを訪れて、アーユルヴェーダの魅力を
多くの人に伝えている。
東京で初めてお会いしたのは、10年前。
その後、3年間、このアーユルヴェーダ大学に留学した。
本当にとてもお世話になった。
アサンガの写真に花を飾って、お線香をあげる。
わたしは日本からもってきたみかんをお供え。
先生がお経を唱えたあと、若いドクターや初めての人に、アサンガを紹介。
それから、アーユルヴェーダの”アーチャーリアラサヤナ”についての話を若いドクターが
古典を引用しつつ話してくれた。
”アーチャーリアラサヤナ”とは良い行い、良い考え、すばらしい人のことを心にとめておくこと
などが、精神的にもひいては、身体的にも健康を保つ秘訣である、、というようなことだ。
アサンガの亡くなったときの様子をニハリカが話す。
こうして、今日このような時間がもてたことは決して計画していたわけではなく、
ニハリカがパンチャカルマを受ける為にインドを訪れたのは、突然決まったことだった。
私がインドを訪れることもニハリカたちは知らなかった。
でもこのような場がもてたことは、いろんなことがおこることにオープンである
ことのおかげだ、と喜んだ。
そのあと、先生からインドのおやつが振る舞われて、みんなでいただいた。
アサンガの話や、おたがいの近況など、のんびりとチャイをのみながら楽しんだ。
アサンガがいるときは、いつもみんなが打ち解けていろんな話をした。
甘いものも大好きだったので、チョコレートやクッキーをたべながら一緒にみんなで
楽しく過ごすことが多かった。
まるで、今もアサンガを囲んでいるような感じだ。
あっというまに、楽しい時間はすぎて、帰る時間になった。
案の定、帰りの道は大渋滞。
夕飯を食べる時間もない。
とてもラッド先生のクリニックに間に合いそうにもなく、今日だけは、お休み。
昼2時をすぎても車が来なかったので、もうその頃から、今夜のクリニックは
無理かもしれないと覚悟をしていた。
無理をしようとするとイライラするけど何の助けにもならない。
あきらめることもインドで気持ちよくすごす一つの方法。
アラディカの家で夕飯をいただいた。
プネー市の位置するマハラシュトラ州は、辛い味つけが伝統的だが、
アラディカは辛くないカレーを用意してくれていた。
今日は、疲れると思ったから昼食を多めにつくっておいたの。
といって、プーラオというたきこみごはんにカレースープ。
手作りのヨーグルト、人参のピクルスをごちそうになった。
冬といっても昼間は半袖でもすごせるほど陽射しはつよい。
郊外まで行くとやはり疲れる。
夕食のあと、テレビをつけた。
今、インドではやっているという、呼吸法の番組をみた。
何百人もの人をまえに、白い服をきたひげ面の男性が呼吸法を紹介している。
毎日、テレビ体操ならぬテレビ呼吸法の番組は各地で収録されているらしい。
アラディカいわく、プネーにも来たことがあるそうだが、すごく大勢の人が
訪れたのだと言う。
ほかにもテレビで面白いことはあったのだけど、今日はこの辺で。。。