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ベルト・モリゾ

2012年03月19日 23時20分45秒 | 日記

ベルト・モリゾ。

私の好きな画家の一人である。なぜ好きなのかと言うと、美人、いや、色使いは良い!画風が母親としての愛情がこもったやさしい絵が多いからである。師であるコローも色使いが綺麗で、自然のやさしい絵が多いのでその影響かも知れない。

ベルト・モリゾはブールジュシェール県官吏の子として生まれた。ベルトと姉のエドマ・モリゾは二人とも画家の道を志した。モリゾ家はロココ時代の画家ジャン・オノレ・フラゴナールの家系であると言われている。 20歳の時から姉と共にバルビゾン派のジャン=バティスト・カミーユ・コローに師事。戸外での制作をはじめる。ベルトとエドマは共に画学生として励んでいたが、エドマの方は結婚して子供ができたために画家への道を諦めた。二人の間にやり取りされた手紙には親愛の情があふれ、またベルトの方はエドマが絵を描くことを辞めざるを得なかったことを残念に思う気持ちが読み取れる。エドマはその後もベルトを心をこめて支えた。

1864年、23歳の時に2つの風景画でサロンに初入選する。ベルト・モリゾはその後、1873年に印象派の展覧会が行われるまでサロンに出展し続けた。

1868年、モリゾはエドゥアール・マネに出会う。マネに絵画を学びながら、彼のモデルを多く務め、マネとの恋仲を噂されることもあった。基本的にマネが師でありモリゾが弟子であるとされているが、二人の間にはお互いに影響を与えあうものがあった。また、モリゾはピエール=オーギュスト・ルノワールステファヌ・マラルメとの親交もあった。

1874年、モリゾはマネの弟ウージェーヌ・マネと結婚した。1879年に娘ジュリーを出産。夫婦仲も良く、モリゾは夫や娘を題材にした作品を多く描いている。

モリゾは1895年に54歳で死去するが、マラルメ、ルノワール、エドガー・ドガは16歳で孤児となったジュリーの後見人となる。

ジュリー・マネは日記を綴ったが、そこにはマラルメや印象派の画家たちの日々の様子が描かれている。(訳書は『印象派の人びと ジュリー・マネの日記』、中央公論社)

また没後の回顧展ではマラルメがカタログの序文を書いた。〈ディヴァガシオン〉に収録(訳文は『マラルメ全集 第2巻』所収、筑摩書房)。

マラルメの弟子であるポール・ヴァレリーによる「ベルト・モリゾー」、「ベルト・モリゾーについて」がある。(訳文は『ヴァレリー全集.10巻 芸術論集』所収、筑摩書房)。

1900年にジュリー・マネは、画家エルネスト・ルアール(ドガの弟子でヴァレリーの友人)と、同時にヴァレリーもモリゾの姪ジャニ・ゴビヤールと結婚した。2組の新婚合同記念写真が遺されている。

【主な作品】

ファイル:Berthe Morisot The Harbor at Lorient.jpg

ロリアンの小さな港

 

ファイル:Berthe Morisot 006.jpg

モリゾ夫人とその娘ポンティヨン夫人

 

ファイル:Berthe Morisot, Le berceau (The Cradle), 1872.jpg

 ゆりかご

 

ファイル:Berthe Morisot Reading.jpg

読書

 

ファイル:Berthe Morisot Jeune fille au bal.jpg

舞踏会で

 

ファイル:Berthe Morisot 002.jpg

ワイト島のウジェーヌ・マネ

 

ファイル:Berthe Morisot 005.jpg

穀物畑

 

ファイル:Berthe Morisot 004.jpg

鳥かごと若い娘

 ファイル:Edouard Manet 040.jpg

『すみれの花束をつけたベルト・モリゾ』
エドゥアール・マネが描いたもの。

 

 

 

 



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