Crónica de los mudos

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小説からグラフィックノベルまで

マリナ・コチェー、フアン・セプルベダ・サンチス、アントニオ・サントス・メルセロ『ビオレタ』

2019-02-20 | グラフィックノベル

1955年から73年まで、つまりフランコ時代のスペインを舞台に当時はビオレタ、菫男、と呼ばれて蔑まれた男性同性愛者を主人公とするグラフィック・ノベル。オールカラー。といっても表紙で分かるように全体に暗めのトーンで年寄りの目にはきつい。漫画を読み慣れた人間にとってグラフィックノベルのカラーはややウルさく映る。たいていのグラフィックノベルはギオニスタとイルストゥラドール(ーラ)の分業体制になっていて、ギオニスタの手を離れた段階で描き手の創作が始まってしまうのだろう。そこに欠けているのは編集者の目だと思われる。売ることを考えないでいい商品である以上、作り手の自由な創造性が尊重される、と言えば聞こえはいいが、それは裏を返せば、読み手側の最大公約数的ニーズを無視することでもあるので。

 話はいたって深刻。

 スペインでこういうことがあったのは、正直、私はあまり知らなかった。男性同性愛者を社会的矯正するという発想はキューバを連想させるが、この本を読む限り、スペインであったことはキューバのそれをはるかに上回ってひどい。あとがきを見る限りオートフィクション系ではないので、どこまでが事実なのかは分からないけれど。スペインやチリの場合は性的少数派=共産主義者で、キューバでは性的少数派=資本主義の毒の染まった享楽主義者、まさに右を向いても左を向いても地獄。

 おばの菓子店で働く青年ブルーノは、週末になると同性愛者の集まる映画館にたむろしている。父は20年前から行方が知れず、母は精神病院で死亡していた。ある日、悪徳警官のマルコスに捕まったブルーノは、同性愛者仲間らと一斉逮捕され、恋人のフリアンとともに社会的逸脱行為(conductas desviadas)の罪で刑務所送りになる。3年間の刑務所暮らしのあいだに筋金入りの反体制派で同じく同性愛者のアグアドらと知り合うが、ある日、理由も分からぬまま釈放される。刑務所の外で待っていたのは20年ぶりに姿を現した父だった。

 ブルーノの父は秘密警察の大物になっていた。息子がホモだと知ってショックを受けた父は、彼を「立派な男」にすべく知り合いの警察学校長に手をまわして入学させる。こうしてブルーノは国家に忠実な男として再教育されていく。そして、校長の娘とほぼ無理やり結婚させられ、やがて子どもも生まれる。ブルーノの妻は夫の性的指向を知りつつ結婚していた。

 やがて、かつて自分を逮捕したマルコスの同僚となり、ひげもたくわえ、もはやすっかり普通のマッチョなスペインの親父になったブルーノに昇進の話が舞い込む。昇進の条件は、引退した父と同じ秘密警察の下で働き、バレンシアに潜伏中の危険分子をひとり抹殺することだった。そして、その危険分子とは、強制収容所に送られた後で行方不明になっていた、かつての恋人フリアンだった…。

 アルタリーバの『空を飛ぶ話』にもあったノイローゼ妻がここにも出現。私はむしろそっちが気になって仕方がなく、嫁になって(結婚前にふつうに付き合うこともないまま)子供を産み、その後は冷え切った関係を生きていくしかない……みたいな悪夢のような人生を送っていた女たちの話のほう。そっちはそっちで無数の話があるのだろうが、たぶん死ぬまで読み切るのは無理だと思う。20世紀のスペイン文学って、最後はやはりそこに行くんじゃないでしょうか。

 話を戻すと、絵の色付けの感じがシツコイと思う以外は、比較的よくできた作品。吹き出しの文字が綺麗なのもよかったです。せめてこれくらいの読みやすさにしてくれないと。版元の案内で中身が少しだけ見られます。

Marina Cochet, Juan Sepúlveda Sanchis, Antonio Santos Mercero, El Violeta, 2018, Drakul, pp.104.

 

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