Crónica de los mudos

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ボーダーランズ(3)

2024-07-01 | 北中米・カリブ
 我々メキシコ人が血のなかにもっているあの反抗心は血管から怒涛のようにあふれ出す。そして、人に従い、黙り込み、受け入れるというあの奴隷根性をときに発露させる我が民族と同じように、私のなかにも血肉を越えた反抗心がある。私の卑屈な眼の内側にはいつ爆発してもおかしくない生意気な顔がある。私にとって反抗はとても高くついた――不眠と疑念にとらわれ、自分が役立たずで愚かで無力だと感じた。
 私は人から――母でも教会でもアングロ文化でも誰でもいい――こっちの気持ちもお構いなしに、あれをしろ、これをしろ、と言われると、とにかく腹が立つ。私は拒絶した。人に背を向けて話した。うぬぼれていた。自分のカルチャーの多くの価値に無関心だった。男を相手にしても引き下がらなかった。善良でも従順でもなかった。
 しかし私は成長した。自分の足を引っ張る習慣や文化価値を足蹴にしてばかりいるわけではない。時間の経過のなかでその正しさが証明された習慣、女性に対する尊敬の習慣を拾い集めてもいる。しかしそうした大人として身につけた寛容さにもかかわらず、私のようなチカーナにとって独立戦争はいまなお継続中なのだ。

 上に訳した37ページのイタリック体の部分は著者アンサルドゥーアの強い意志の表明になっている。スペイン語にはアクセント記号がなかったり、口語をそのまま表記(pa’’tras)していたり、英語表現のパラフレーズがあったりと、いわゆる「正しい」スペイン語とは程遠いが、序文(p.20)にあったようにそれ(様々な言葉の融合)も含めての本書。
 上の第四段落でアンサルドゥーアは自らの戦いを独立戦争になぞらえている。米国にとっての独立戦争は1776年以降のそれを指し、メキシコの独立戦争は200年前のいま、すなわち1820年に進行中だった。しかし1章でもあったようにこの地域には様々な独立と独立の前提となる支配が存在する。1836年に独立したテキサス共和国のもとでは、もともとあの地に住んでいたメキシコ人、ネイティブ・メキシカン・テクシャンが農奴のような立場に置かれることになった。1848年にメキシコ・アメリカ戦争が終結し、グアダルーペ・イダルゴ条約が結ばれ、今度はテキサスからカリフォルニアまでの南西部四州全域に住むスペイン語話者がアングロ人の支配下に入った。独立戦争が継続中、というのは、もちろん本章におけるアンサルドゥーアの実人生のそれを指すわけだが、1章で語られていた歴史とも呼応していくと考えられる。
 米国における子どもの成長の証は leave home というバロメータで計測される。家を出ること。家族から、両親から離脱すること。10代でこの儀礼を済ませていないと大人としての扱いを受けない国、というのはイタリアやスペインのような南欧地域のいつまでも家に留まる子どもの文化圏とはかなり異質だ。
 メキシコにはそこまで強固な社会習慣はない。
 女性の場合はquinceañosという風習があるが、これは15歳で社交デビューすることを意味し、どちらかというと性禁忌、すなわち婚約者以外の異性[+同性]との性的関係とは無縁だが結婚後の性的関係を結ぶ相手はいることを社会に証明する、自分は同性愛者でも娼婦でもなく、ヘテロなセックスをするつもりはあるし、ちゃんと生物学的にもできる、と公言する機会。
 こういうメキシコ的な家族と社会のあり方は、個人の自立を重視する米国型の家族と社会のあり方とは衝突する可能性がある。面白いのはメキシコの文化に強い帰属意識をもっているアンサルドゥーアが個の自立という米国型の成長規範を強く内面化している点だろう。38ページの第一段落にある I had to leave home so I could find myself というくだりは、実にアメリカンな感覚である。
 質問が多かった38ページの第二段落を訳してみよう。

 私は一家の六世代目にしてはじめてヴァレーを出ていく女になった。一族ではじめて家から出ていった女だ。でも自分のすべてを捨てたわけではない。自分という存在の根っこのところは保ち続けた。その根っこの上を、つまりテキサスのヴァレーという大地を内側に抱いたまま私は出ていったのだ。私は自分のカミーノを見つけて出ていった。まったく腰の落ち着かない子だねえ。私が自らの意志で出ていったものだから、こう言われたりする。そんなふしだらな生き方をしてと。

 アンサルドゥーアがイタリック体のスペイン語を用いるときは、本人の発話であったり、あるいは記憶のなかの誰かの発話であったり、あるいはなにかの引用である。andariego は「放浪癖がある」くらいの意味だが、メキシコの社会習慣的には「若い者が婚約者も決めずにボケッとしている」というニュアンスのほうが強い。mala vida はもっぱら女性にのみ使用されるスペイン語で、そのものずばり「ふしだらな暮らし」であって、これもやはり「若い女に決まったノビオがいない」状況を指すと考えてよい。メキシコ的な社会関係における性禁忌コードはとても根強く、これをあまり束縛と考えないうちは苦労しないが、アンサルドゥーアは「人から、こうしろ、ああしろ、と言われたらムカつく」人なので、ダメだったのだろう。 第三段落の最後の文で<私は(メキシコ的)伝統の彼岸にいた>と述べているが、その内実は上のような性禁忌の社会規範にどうしてもなじめなかったということであろう。
 38ページのいちばん下の段落では文化支配に関する基本的理念が語られている。ここでは男性のつくるカルチャーが大文字で書かれていて、先を読む限り、彼女の根っこにあるメキシカン・テクシャンの文化風習、もう少し大雑把にメキシコ的な文化と考えてとりあえず問題ないだろう。
 39ページの第一段落は「文化とカトリック教会」となっているので、やはりこれはメキシコ的な家族観を形成している男性中心主義の文化ということだろう。
 これは個人的体験だが、昨年のゴールデンウィークにスペインのバスク地方を旅行した。サンフェルミン祭(牛追い)で知られるパンプローナに一泊、そこからバスでサンセバスティアンを目指したが、バスの前の席に、メキシコ人の老夫婦が座っていた。オジサンは引退した学校の先生のようだった。
 夫婦は外を見ながらくだらない話をしていた。
 牛がいれば「牛だ!」と言ったり、木があれば「木だ!」と言ったり、なんとなく素朴な人たちで、仲睦まじかったのだが、あるときふとしたことで言い合いになり、大げさな感じではなかったが、最後にオジサンのほうが不機嫌そうな声でこう漏らしていたのを覚えている。
 No me digas que no cuando te digo que sí.
(こっちがイエスと言うときにノーと言うな)
 メキシコでは男女が飲みに行って女性のほうがお金を払おうとしようものなら大騒ぎになるという。笑い話のレベルで済めばいいが、根底にあるのは男の側の「俺が黒と言ったら黒なんだ、赤とか二度と言うな」というマインド。彼らはそのことを悪いとも思っていない。なぜなら「それが文化だ」と言われて育ってきたからである。
 こうした言説は扱いづらい。
 日本でも九州方面などで「男子を大切にする文化」が根付いていると聞く。これもひとつの文化である以上は否定がしにくい。欧米でイスラム系の女性がマスクで顔を覆っていることを人権思想の立場から否定する際に生じるジレンマがここにも観察できる。文化のもつ支配力の妥当性に関しては、当事者性の外側から客観的な指標をもってその善悪を定義することは、できれば避けたい。いっぽう、そうした支配力に直接的に向き合っているひとりの人間にとっては、ときとしてそうした文化自体が毎日のように立ち現れる暴力にもなり得ることは容易に想像がつく。
 アンサルドゥーアにとっては家族から投げかけられる言葉がそうだったに違いない。39ページの真ん中。

 「それで、グロリア、いつになったら結婚するの? ぐずぐずしてると行き遅れちゃうわよ」。そこで私はこう答える。「あら結婚くらいするわよ、でも男とはしない」。するとみんなが黙り込む。そう、私はラ・チンガーダの娘なのだ。私はずっとあの女の娘だった。なめんじゃない。

 メキシコでは hijo,ja de la chingada といえば hijo, ja de la puta と同じ罵倒語になる。最後に用いられている動詞形の chingar もメキシコ語。なので、普通に読めば<私はひどい女なのだ。私はずっとひどい女だった。「馬鹿言ってんじゃないわよ。>というふうになって、最後の一文は「男とは結婚しない」と言ったアンサルドゥーアに対する母親か誰かの言葉だと解釈できる。いっぽう、これを文字通り解釈すれば、実は過去分詞化している la chingada とはある歴史上の人物を指すことになる。この「ラ・チンガーダ」とはマリンチェのことだ。仮にそうだとすると「私はずっと彼女の娘だった」というのも単に「イハ・デ・ラ・チンガーダ」を言い換えているのではなく、自分はマリンチェの子孫であるのだという歴史上の立場表明としての解釈が可能になる。そして最後の一文もアンサルドゥーア自身の台詞となり、直訳すると「チンガールしてるんじゃないよ(現在進行形の否定命令文 No estés chingando)」となり、さらに突っ込んだ訳をするなら「女をレイプしてんじゃないよ」ということになる。
 39ページから40ページにかけては「女性/母親」というひとつの文化的な足かせの窮屈さが様々な角度から語られる。なんでもかんでも家族ありきというメキシコ的風習をアンサルドゥーアは英語で focuses on kinship relationships 家族関係へ焦点を絞ること、としています。日本風に言うなら「家族の絆」というやつだろうか。絆がいい意味で用いられるようになったのがいつからかは知らないが、これはもともと「束縛」を指す。
 個の自由より家族の絆=他者の束縛が優先されるメキシコ的な人間関係がアンサルドゥーアはとことん苦手だったのだろう。そこでは少しでも目立つと「te crees grande(ひとより偉いと思ってる)」とみなされる。アングロ人のあいだでは評価される「野心をもつこと」が卑しいこととされる。そして彼女にとってもっとも切実なことは40ページの一番下、性的マイノリティがこうしたスタティックな(静的で文化支配力が強固な)文化で徹底的な排除の対象とされることだった。
 41ページの第一段落で紹介されている両性具有者は実話なのだろう。アンサルドゥーア自身がこのことをどう考えているかが第二段落で語られる。質問が出ていた箇所でもありますので、いちおう和訳をしておく。

 男でもあり同時に女でもあること、両性の世界に足を突っ込んでいることは素晴らしいことだ。ハーフ・アンド・ハーフ、いわゆる「あいのこ」たちは、心理学の仮説で言われているのとは異なり、性的同一性の混同、いやジェンダーの混同にすら苦しんだりしていない。私たちが苦しいのは、選択肢がひとつしか与えられない専制的な二者択一の文化である。そうした文化は、人間の本性には限界があり、よりよいものに進化することはできないと断言する。だが、ほかの多くのクイアたちと同様、私は体のなかに男性と女性のふたつの人格を併せ持つ。私という人間がヒエロス・ゴモス(聖なる結婚)の具現なのだ。対立する二つの資質の合体なのだ。

ここを見る限りアンサルドゥーアはホモセクシャルというよりバイセクシャルなのかという気もしてくる内容だが、そこは先を読まねばわからない(読んでも聞いても直に会ってもこの種のことは永久に分からないものだ)。卑近な例で恐縮だが、ロングセラーの劇画『ゴルゴ13』の主人公は両性具有の殺人者と対峙したことがある。女となって相手をたぶらかし、男になって殺すという類の。その殺人者は最後は自らに対して「自分とは誰なのか?」という悲痛な問いを残し、まるで自殺するようにして殺されてゆく。両方になる人間、は、このように表象の世界ではしばしば「アイデンティティを喪失している精神疾患者」という物語を形成されがちなのだが、アンサルドゥーアは、それは違うだろう、と主張しているわけだ。
 その次の段落では駄洒落が出てくる。
 ホームフォビアとホモフォビア。
 いっぽうではメキシコ的でカトリック的な風土、あるいはアングロサクソン系でも東部エスタブリッシュメントのようながちがちのプロテスタント系の保守的風土、いまふうに言えばトランプ支持層で中絶や同性婚に強固に反対し続ける米国人の保守派層のあいだには、根強いホモフォビア(同性者嫌い)がある。しかし、そうしたホモフォビアによって排除されてきたアンサルドゥーアのようなクイアたちにとってみれば、暴力的で排他的なホームのほうがよっぽど怖い、ホームフォビア(家が怖い)だと。これが駄洒落の真相である。
 あるいは、上述したleave home が大人の通過儀礼となっている米国人にとっては、大学進学などでいったん下宿生活を送ったあとにhomeに戻るのは、実際、本当に怖いのかもしれない。いま下宿を離れてstay homeされている方もおられると思うが、いかがだろう。
 質問があった第二段落を訳してみる。

 母なる文化から疎外され、支配文化のもとで「よそもの化された」肌の黒い女は自らの内面においても安心を得られることはできない。自分が生活する異なる二つの空間のあいだの「隙間」に顔を挟まれ身動きできない彼女には反応しようもない。

 ここのwoman of color はアンサルドゥーアのようなメキシコ系に限らず有色人全般に拡大できるかもしれないが、文脈を考えると彼女自身のことだろう。上の「彼女」も著者自身と考えていい。こういうドツボにはまってしまった女には二択しかない。諦めて自分をこんなにさせた社会に文句を言って泣くか、強くなるか(feel strong)。
 43ページの第三段落からがその強さのメカニズムになっていく。ここも質問があったので訳しておく。

……ヨローナのように、先住民女性にとって唯一の抵抗手段は、声をあげて嘆くことだった。だから母さん、民族、ラサって素晴らしいわね、このことは誰にも説明なんてする必要はないのよ。私はいつだって自由に反抗できるし、自分の文化に背くこともできる。それが自分のなかの一部を裏切ることだとも思わない。白人のように育てられてから元の文化的なルーツに戻ったチカーナやほかの有色人種の女たちとは違って、私は自分の文化に浸って育った。高校へ行くまで白人なんか見たこともなかった。大学の修士課程で教鞭をとるまで、白人とは手の届く範囲に近づいたことすらなかった。私はメキシコ的なもの……にどっぷりつかって育った。

やはり段落代わりのsoは「だから」でいいんじゃなかろうか。スペイン語版でもasí que となっているし。さて、このようにしてメキシコ的なホームとの強固な関係性を確認したアンサルドゥーアがまとめに入っていくが、ここは課題にしているのでそちらを参照されたし。

(注:当時は遠隔授業だったので、あらかじめテクストを読んでもらって質問を受け付け、それにこたえる形で私が書き、それを読んでもらって、最後の数ページを手掛かりにペーパーを提出という段取りだったようだ。なんと面倒なことをしていたのか……。)
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