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Crónica de los mudos

現代スペイン語圏文学の最新情報
スペイン・米国・ラテンアメリカ
小説からグラフィックノベルまで

ピエール・ヴェイス、カルロス・プエルタ『バロン・ルージュ』

2018-11-23 | グラフィックノベル

マンフレート・フォン・リヒトホーフェンは2回映画になっている。1971年のハリウッド映画『レッド・バロン』はB級の巨匠ロジャー・コーマン最後の監督作で、本人いわく、最後の騎士道精神の時代と大量虐殺兵器時代との転換点を描いたとのこと。リヒトホーフェンを演じたのはジョン・フィリップ・ロー、あの『バーバレラ』の鳥人間で覚えている人も多いと思う。なんだかヨーロッパ人のような印象(だからこの映画でもドイツ人を演じた)だがれっきとしたアメリカ人。れっきとしたアメリカ人って、実は、ちょっとおかしな表現なのですが。

 いっぽう2008年のドイツ映画はまるで違う内容。こちらのリヒトホーフェンはどんどん真面目になって、最後は野戦病院で目にした光景から人生観まで変わってしまうのだとか。

 もともと敵兵を助けたとか、敵の優秀なパイロットが死ぬと敬意を表しに近くの空を飛んだとか、ちょっと「まさかね」と思わせるエピソードばかりに包まれていたこの天駆ける騎士。こういう人物に限って実際のところはよくわからないものである。

 ハリウッド流の単純な撃墜王でもなく、ドイツ流の悲しき戦士でもなく、このフランス人脚本家とスペイン人イラストレーターが描いたレッド・バロン(仏語でバロン・ルージュ)は、生まれついてのテレパスに近い超感覚の持ち主で、そしてその能力がもっとも発揮されるのが嗜虐性をむき出しにしているとき、という、これまでとは正反対のサイコパスだった。ドイツ人が怒らないのだろうか、こんな猟奇的なグラフィックノベルにしちゃって。

 通説ではオーストリア機の放った銃弾が致命傷になったといわれているリヒトホーフェンだが、このGNでは同じ部隊で飛行中だったドイツ人の宿敵に後ろから攻撃され、何者かに尾翼をいじられていた結果、空中分解して墜落死する。

 まあ、こういう人物って、いかようにでも解釈しなおすことができるので、遺族が訴訟でも起こさない限り許容範囲なのでしょう。

 絵はリアリズム。

 複葉機と軍服マニアなら楽しめるかも。

 いっぽう、人物の顔の造形が特定のハリウッド俳優(特にクリスチャン・ベールとベネディクト・カンバーバッチ)をトレースしすぎで興ざめ。写真風のリアルに凝るスタイルは、コミックを読みなれている日本の読者にはこざかしく見えるかも。また、戦闘場面は徹底したリアリズムで描かれていて、血や肉片が飛び交うから、お子様向けではない。

 ところでこの本、てっきりスペイン語かと思いきや、実は翻訳だった。もとはフランスの出版社から出ている。ノルマはスペインを代表するコミック専門社で、近いうちに面白い社長(刊行してきたあらゆる本の宣伝を自分でネットでやってる)を紹介したいです。奥付なんかをぱらぱら見ていると製本は中国。フランス産の本をスペイン語に訳して、それを中国で製本して、スペインで国内向けに売っていたのを、ハポンのオジサンがスペイン産のグラフィックノベルだと勘違いして注文したのが、マドリードからDHLで送られてくる。オジサン、不在配達票を見ながら、はじめてQRコードで再配達を指定する。

 手軽で便利というか、壮大な無駄というか。

Pierre Veys, Carlos Puerta, Barón rojo. Edición integral. Translated by Alfred Sala. 2017, Norma Editorial, pp.176./版元による紹介(スペイン語)

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ハイメ・マルティン『二十歳には絶対ならない』

2018-11-16 | グラフィックノベル

フランスのニュースを見ているとヴェルダンの戦い(1916)の遺骨特定作業が今なお継続中なのだとか。102年前の遺骨。スペインはフランコの墓移転でもめている。この国も20世紀の暗黒時代(1936~1975)の行方不明者の遺骨特定作業が継続中。この時代を扱ったグラフィックノベルがたくさんあって私の家で待機中のものだけで5冊。どれもこれも分厚く、そして文字が小さい。いったい誰が読むんだよ!と怒りたくなるほど字が細かい。それでもなんとか読んで、ちかいうちに全体像を紹介しますが、印象としては文学性に乏しいものが多い。意図的にルポっぽくしている。スペイン人にとっては芸術的な加工を施しにくい記憶なのだろう。

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(2017-7-20  投稿)

ハイメ・マルティンの名前をググると、濃い顔をした歌手の写真ばかりが出てくるが、この人は別人。カンマ打ってから、novela grafica(検索にアクセント記号は不要)と書けばバルセロナ生まれの神経質な作家の写真にたどり着く。1966年生まれ。私の兄と同い年なのです。いろいろなタームがあって揺れているようだが、このインタビューを見ると historieta という語も登場。西和中辞典ではそっけなく「漫画」とありますけど、白水社の大辞典では「(ストーリーのある)漫画」とされている。漫画には高級文学みたいな「ちゃんとしたストーリー」がないことが前提?

 ハイメがイストリエタというジャンルに入るきっかけになったのは2004年に読んだ『アランの戦争』。フランス産のこの種のテクストはバンドデシネと呼ばれ、日本でもいくつか翻訳になって刊行されている。この『アランの戦争』も日本語訳があり、私も読んだが、高度に文学的で深みのあるとても素晴らしい作品だった。

 スペインにもある。

 そしてもっぱら内戦と独裁を扱っている。

 この種の本によくある写真も含めた巻末解説と年表つきだ。それを見ると本書が実録であることがわかる。表紙の絵は、作者本人の祖母イサベル。1916年に生まれた彼女は、内戦が起きたとき、モロッコのメリジャに住んでいた。題名の『二十歳には絶対ならない』は、誕生日を目前にした祖母の感慨(20歳になる前に殺される)を表す台詞から。イサベルはアナーキストの友人たちと劇団をやっていたこともあり、反乱軍の抹殺リストに名が挙がってしまう。といっても、その内実は身近な人間の嫉妬によるものだった。内戦では、実際に、こういう市井の凡人たちの怨念が一気に爆発したのだろう。外敵がいる戦争とは異なり、内戦は「こんな人が敵になるのか」という驚きの連続である。イサベルは、アルジェリアのオラン(カミュ『ペスト』の)に逃れ、親戚のつてを頼ってバルセロナまで流れ着く。

 いっぽう祖父のハイメ(作者と同じ名前)は貧しい家の出で、内戦ぼっ発後に共和国側の民兵になる。ボクサーだった彼はリーダーシップを発揮していろいろな戦線で活躍。そしてバルセロナで危篤の母を世話していた隣家のイサベルと知り合って二人は結婚する。

 前半では内戦ぼっ発直後のイサベルの様子、前線でのハイメの様子が淡々と。

 後半は戦後、というのはスペインでは1939年以降の貧しく暗い時代を指すのですが、この時代をガラス瓶のリサイクル業を営んで乗り切ったハイメ一家の苦闘が。ハイメ夫婦が長女(作者の母だろう)の交際相手をめぐってもめるところが最後に来て終わり。内容としては大人も読める高校生向けの絵本という感じで、実録ものだけに、文学的な深みには欠ける。絵は丁寧で分かりやすく、何より内戦とフランコ時代のスペインがいかに貧しかったか、スペインに残った共和派がいかに暗い暮らしを送っていたか( a las barricadas...というイサベルの好きな共和軍の歌を娘が歌って大変なことになりかける場面とか)、そういった時代の空気をよく理解できる。

 祖母のイサベルは文盲。ハイメとの手紙のやり取りに切ないエピソードが混じる。女が字を習って仕事をするなんてケシカラン、夫や家庭をないがしろにする女やそういう思想を吹聴するバカ…そういう奴らがスペインを滅ぼすのだ…な~んて迷信が本気で信じられていた時代がついこのあいだまであった。ついこのあいだまで。祖父ハイメの貧しさについての記憶も、やはり絵で見ると、衝撃的。スペインという国が20世紀前半にいかに「大量の貧しい田舎」を抱えていたかがよくわかる。末の妹はどうも餓死しているらしく、それでお母さんは頭がおかしくなってしまったようなのだ。餓死ですよ、餓死。

 内戦とその後の暗い時代の話が、ある意味で人間に普遍的な原型であること、内戦とは決して古い話ではないのだということ(現に今もシリアでやってる)、貧しさとか女の生き辛さとかに人が時間を越えて向き合い続けていることを知る。それは文学というより教育だ。教育という観点からすれば、この本はかっこうのテキストである。バルセロナでの国際コミックフェアで賞をもらったのは、そういう意味があったのだろう。

 個人的にはもう少し「文学している」作品が読みたいですけど。

Jaime Martín, Jamás tendré 20 años. Norma, 2017, pp.120./版元の紹介(中身が見られます)

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ニコラス・カステル、オスカル・パントハ『ボルヘス 無限の迷宮』

2018-11-15 | グラフィックノベル

2018-6-29 投稿)

コロンビアのオスカル・パントハはガルシア=マルケスやフアン・ルルフォの伝記グラフィックノベルの原作者。イラストレーターは毎回変えているようだ。今回はアルゼンチンの作家なので1988年ブエノスアイレス生まれのニコラス・カステルが担当。

 ボルヘスの人生の断片をコラージュしつつ、作品そのものもイメージ化しているのが素敵である。大きく分けると子ども時代、そして若いころの報われぬ愛、図書館職員として仲間から疎んじられていたころ、精神的危機に陥ってアドロゲのホテルで自殺寸前までおい込まれる日、そしてついに失明を迎える日、晩年の大学での講義。

 なかでも1926年「トロナド―ル街の屋敷」というのは、リカルド・グイラルデスの誕生日パーティーに出かける話で、ここにノラ・ランゲという作家が出てくる。雑誌『マルティン・フィエロ』を中心とする前衛グループのなかで一種の花形だったこのノラとボルヘスは、いわば「いいお友だち」だった。ところがこのパーティーでノラは詩人のオリベリオ・ヒロンドと出会い、彼と後に結婚することになる。ヒロンドは「ボルヘスがいなければ20世紀を代表するアルゼンチン詩人になっていた作家」という位置づけをされることが多い人で、けっこうおもしろい詩も書いているが、ボルヘスのあのオヤジ臭くインテリっぽい詩に慣れている人からしたら子供だましに見えるかもしれない。私は『かかし』とか『電車で読む20の詩』とかけっこう好きだ。

 ボルヘスは恋愛とは無縁だったとよく言われる。

 日本語で読めるジェイムズ・ウッダル『ボルヘス伝』(平野幸彦訳、白水社)には<ボルヘスは年がら年中恋をしていた。けれどその気持ちが報いられることは、あったとしてもごくまれだったので、生涯苦しみを味わわされていた。もっともその苦しみを口にしていたわけではない。恋愛の話をするのは苦手だったのだ。彼の作品にも恋愛はほとんど出てこない。器質的にはともかく、彼の得意分野ではなかったのである。(p.26)>とある。恋愛に無縁というより、恋や性の話をするのが苦手だったのかもしれない。

 この漫画はそこに突っ込みの手を入れて、ボルヘスがノラに恋をしていたが、オリベリオに奪われてしまって悔しい思いをした、これが「消えない傷」になった、そしてそれが彼を創作に駆り立てたのだ、という、大学生が卒論に書きそうなレベルの見立てをしていて、それがかえって新鮮。

 ボルヘスには妹がいたがこれもノラ。

 二人のノラ。

 まぎらわしい。

 少年時代に書物の世界から二人がイマジネーションを炸裂させるというページがあるのだが、ここのノラ(妹のほうの)が諸星大二郎の描くクトゥルーちゃんに似ているのが気になった。

 アドロゲのホテルで危機に陥ったボルヘスは夢を見る。

 ここに出てくるのが「アステリオンの家」。迷宮の直接的なイメージといえば、やはりこれですか。そして「不死の人」。ここでボルヘスはホメロスに出会う。続いて「バベルの図書館」で車椅子に乗るフネスと出会う。「南部」の決闘を見届けたあと、空に浮かぶノラの姿を見る。要するにダンテの旅をするのである。

 巻末に参考文献リストがあるのが有難い。

 ここには結構な数の映像資料が。

 これからはこういうものも見ながら文学を語らねばならないのでしょうか。

 ノラ・ランゲは私も前から気になっている美しい人。詩はいまひとつ胸に響かないが、写真を見ているだけで、その抒情的な眼差しに憧れてしまう。ノルウェーへの船旅を描いたエッセイが面白い。

Nicolás Castell, Oscar Pantoja, Borges. El laberinto infinito. Rey Naranjo Editores, 2017, pp.156.

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マウリシオ・ビセンツ、フアン・パドロン『ハバナ年代記 社会主義キューバに住んだガリシア男』

2018-11-12 | グラフィックノベル

2017-2-5 投稿)

マウリシオ・ビセンツは1963年生まれのスペイン人。1984年、フランコ後のマドリード、ラ・モビーダと呼ばれる享楽主義的な雰囲気にうんざりしていた20歳のマウリシオは二日酔いのある朝、テレビで「カストロ議長によるとキューバ人の健康状態はますます向上し、そのうちに120歳以上の老人クラブができるとのことです」という言葉に惹かれて、なんとなくキューバに渡る。髭を生やした連中が革命を起こしたという以外には、まるで知らない国だった。

 外国人奨学生としてハバナ大に在籍し、学生寮で仲間をつくり、やがてキューバ人女性と付き合いだす。

 ガジェゴ(ガリシア男)と呼ばれるようになったマウリシオのハバナでの暮らしを描いたグラフィックノベル。絵を描いているのはフアン・パドロン、キューバのポピュラー文化を代表する手塚治虫並みのエライ人。キューバで『エルピディオ・バルデス』というアニメのキャラを知らない子どもはいない。

 描かれているのはマウリシオが奨学生の寮で過ごした5年間、すなわち1983年から89年まで。つまりベルリンの壁崩壊(119日)直前の、キューバがソ連依存型の社会主義を曲がりなりにもやっていた、古き良き時代である。今のように観光にも力を入れていない。観光はあくまで必要悪、革命政府は外資獲得手段とは考えていなかった。観光客より多かったのがソ連系の外国人と奨学生。マウリシオが暮らす寮も外国人、といってもラテンアメリカやアジア・アフリカのような第三世界の出身者がいっぱい暮らしていて、マウリシオと相部屋だったのはモザンビークや西サハラやベネズエラから来た連中。マレコン通りに面していたビルをリサイクル利用していたその寮は「ミルクの宮殿」と呼ばれていた。そこらじゅうでセックスをしている奴らばかりだったせいらしい。

 ハバナの空港で入管職員に7回見られた(ソ連流の入国管理方法だそう)のに始まり、マウリシオが体験した生活のアレコレがつぶさに描かれている。最初に宿泊したのはハバナ・リブレ・ホテル。これはかつてヒルトンだったのを革命後に改名したもので、外国人が決まって泊まるホテル。彼はキューバに親戚がいる人たちから託された山のような土産物を渡し歩くうちにハバナ市内のいろいろな側面を知ることになるが、生活するうえでいちばんの風物詩ともいえるのが配給。

 とにかくどこにでも列ができる。

 ある列を待つ列までできたりする。

 その日に物資がもらえないと列の順を記録したリストが配られるが、それを書き換えてずるする奴がいたり、手持ちの物資をぶつぶつ交換する風習があったりと、このあたりは絵があるのでとても分かりやすい。いちばん深刻な列がラブホテルの順番待ちというのも面白い。

 マウリシオはガルべというキューバに暮らしてもう長いスペイン人の先輩に会いに行く。1940年からキューバに暮らしている共産主義者のスペイン人…というのは、要するに内戦による亡命者。革命政府の要職について外交官などもするまでになったガルべは、いわばゴリゴリの左翼。そのガルべに誘われるがままに、マウリシオはハバナ大の奨学生として心理学専攻に潜り込み、寮で暮らし始めることになる。

 ガルべの他にも面白い人物がいっぱい。酒場で出会ったフランクという怪しげな男はブラックマーケットを介して売春の斡旋までしているような奴だった。マウリシオは彼にチョピンという場所に連れていってもらう。チョピンはショッピングがなまったキューバ語で外貨使用店を意味している。ここには米国から一時帰国した奴ら、米国のアイコンをいっぱい身に着けたヤな奴らが上限500ドルまで買い物できる。米国ではしがないブルーワーカーの彼らが親戚たちにカラーテレビを買ってやる、ということがあるらしい。外貨をどこかで得た地元のキューバ人が外国人を雇ってチョピンで買い物をするのも黙認されているとか。また外国人には外国人専用のマーケット、ディプロメルカドがある。外人専用の散髪屋ディプロペルケリアまであるそうな。

 ガルべにはカンポアモールという口の悪い親友がいる。ラムに詳しく、ラム酒の本まで書いたインテリだが、ガルべと違って革命政権には辛辣なタイプだ。この二人が喧嘩しながらも仲がいいというのが面白い。

 大学には青年共産党員団(Unión de Jóvenes Comunistas)なる組織があるが参加は義務ではない。でも将来国の中枢に入るエリートはみなこれに入会するのだとか。この人たちが主導する学業外のアクティビティには積極的な参加が求められる。例のチェ・ゲバラが提唱した自発的労働というやつだ。マウリシオは心理学の文献をロシア語で読むのに苦労する。寮にある本も多くはロシア語。文学もロシア文学。翻訳文献なら英語で読みたいところなのだが島内にないので、しかたなくロシア語を学ぶもしんどく、結局テストでカンニングをしたりする。

 アクティビティの一環でエスカンブライ地区にも実習に出かける。ここはゲリラ戦の聖地で、今はコーヒー農園が広がっている。そこで労働をしながらいろいろ学ぶというわけだ。ここではキューバでもマチスモが大変で、若い世代を中心に避妊の教育をするのが大変であることが明かされる。コンドームも配給制なので、なかなかいいもの(このときは中国製)が手に入らない。マウリシオも参加して地元民に避妊を教える芝居をしたりする。ああ、キューバ社会主義…という心慰められる場面。

 キューバではラブホの確保が難しい。

 セックスをどこでするか。

 これって現代人類の消費行動においてもけっこう大切なポイントである。世界の文化を知る、スペインの文化を教える、とかオメデタイことを言うのなら、スペイン人がどこでセックスするのかも教科書に書くべきと私は思いますけど。日本では3500円もあれば列を作る必要はないが、もちろんそうはいかない国もいっぱいある。見られるということに対する羞恥心の有無も関係してくるだろう。旧ソ連などでは公園で平気でしていたというし、アパートの一室を私的にセックス用に貸している年寄りも多かったと聞いたことがある。社会主義キューバにおけるラブホの実態をこれほど分かりやすく描いてくれた本は滅多にないのでは。

 ある日、恋人(サンティアゴ・デ・クバ出身のキューバ人の大学生)の元カレが公安警察の人間で暴力的なマチスタであると知ったマウリシオは、常に尾行されているというノイローゼにかかってしまう。見かねた仲間に連れていかれたのはサンテリーア教の呪い師。鶏を2羽もってこいというので持っていくと、その場でスパッと首を切って血を振りかけられる。サンテリーア教が民間では生きているというのも面白い国だ。

 やがて卒業が近づくが、結婚を決めた恋人が、所属していた青年団から追放されてしまう。外人と交際していたというのが理由らしい。青年団は話し合ったすえに、やり過ぎだったと謝りに来るが、彼女は「もう遅い」とはねつける。このあたりは時代の変化も感じさせる。他にも同性愛者や、思想的な逸脱、政府が diversionismo ideológico(ラウルが使い始めた用語らしい、思想的享楽主義とでもいうのだろうか)と定義した趣味に耽る人間は矯正キャンプに送られるといった、キューバのもつディストピア的側面もちらほら見えるが、あまり強調はされていない。

 最後は結婚式。

 ソ連崩壊で物資がない。なんとか集めてハバナ・リブレの結婚専用ホールで盛大に。そしてジャーナリストになる決意をするマウリシオ。

 実際、彼はその後、スペインの新聞の特派員として正式にハバナに留まって、2006年までその職を果たし続けた。学生時代に知り合ったフアン・パドロンとも交際が続き、そして自らの回想録をこうして漫画にして出すことになった。

 次に読みたいのはこの続編。

 1990年代のハバナ。

 オバマ・ラウル会談+フィデルの死までの21世紀ハバナ。

 キューバ万歳!でもなく、独裁国家打倒!でもなく、こういう「仕方がないけどここで暮らしていくしかないからな」的な目線の物語が私は好きかな。

Mauricio Vicent, Juan Padrón, Crónica de La Habana. Un gellego en la Cuba socialista. Astiberri, 2016, pp.263. (キューバ語の語彙集あり)

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サンティアゴ・ガルシア、ハビエル・オリバレス『ラス・メニーナス』

2018-11-08 | グラフィックノベル

2017-9-26 投稿)

スペイン文学概論という講義で今年もベラスケスを語った。今回はパワーポイントというものを使用して実際の絵を見ながら解説することにした。大学ではもはやラテンアメリカ文学のラの字も語らず、絵や正義論の話ばかりしている。なぜ?と自分に問いたい。今回は歴史的背景に焦点を絞り、特にルーベンスとの関係について人体模写のリアリズムという観点から詳しい説明を試みた。かつてはフーコーの『言葉と物』、さらにそれを受けて書かれたダニエル・アラスの『何も見ていない』、あとは雑誌や研究書からとても退屈で地味な宮廷人としての人物像を説明する資料を抜き出し、そこからは想像もつかないほど豊穣なその芸術世界、それは近代的な独創性や芸術というカテゴリーとは違う何かなのだ…と話した記憶があるが、その種のことを学生は記憶にとどめたりしない。絵を見せて語るほうが効果的だ。

 それはともかく、本書は実は、そのフーコーから始まる。フーコーがホテルでベラスケスをめぐるあの文章を書いていた時の描写から。

 原案者のサンティアゴ・ガルシアは1968年生まれ、私が教科書代わりにしているスペインコミックアンソロジーの序文も書いている。いろいろな描き手と組んでいるらしく、このハビエル・オリバレスとも『ジキルとハイド』の翻案に続いて本書が2作目。1964年生まれのオリバレスは『ゼンダ城の虜』、『バスカヴィルの犬』、『野生の呼び声』、ディケンズ短篇集等、文学作品の翻案を手がけてきた。

 ベラスケスをベラスケス以外の人々に語らせるという、どちらかというと教育的配慮の行き届いた構成で、プラド美術館の土産コーナーでも売られているようだ。全体としてはベラスケス自身の人生もコミックとして描き込んでいるのだが、そこには想像がかなり入り込まざるを得ない。なので、事実を提示するというのではなく、同時代の証言者や文学者、あるいは後世の芸術家や思想家たちが、この稀代の天才からいかに影響を受けてきたかという「傍証」を列挙し、それによってベラスケスという歴史的虚構を様々な角度から読み直すというスタイルに仕上げている。

 また、ラス・メニーナスの自画像の赤い十字は、晩年にいたってサンティアゴ騎士団に入会するという念願を果たしたベラスケス自身が描いたとされるが、本書はそこへ大胆な解釈を導入している。あるいは巻末にけっこうな数の研究書が参照文献として列挙されているから、最近の研究で指摘され始めているのかもしれない。ボデゴンと呼ばれる静物画、あるいは矮人等の世俗イメージを積極的に絵画に取り込んだベラスケスは果たして単なる宮廷画家だったのか。二度のイタリア体験は彼になにをもたらしたのか。この辺りにやや近代的な解釈をもちこんで、17世紀に彼が背負ったひとつの宿命を最後にむけて描き込んでいる。

 同時代の証言者にはイタリアの師ともいえるスパニョレットことホセ・デ・リベラ、助手にして弟子のフアン・デ・パレーダ、ベラスケスに題材を得て詩を書いた作家フランシスコ・デ・ケベード、後世の人間では同じ宮廷画家のフランシスコ・ゴヤ、若き頃のパブロ・ピカソ、検閲下でラス・メニーナスをテーマに戯曲を書いたアントニオ・ブエロ・バリェホ、自分と古今東西の画家との勝敗表で唯一ベラスケスに負けを認めていたというサルバドール・ダリ、そして絵画の神学がナポレオン戦争後に辿った数奇な運命。これらが180-181ページのすばらしい見開きに集結する。

 説教臭さがご愛敬だが、文学等も含めた「ベラスケスのスペイン」という大きなイメージを提供してくれたという意味では、とてもありがたい本だ。

Santiago García, Javier Olivares, Las meninas. Astiberri, 2015, pp.192.(英訳あり:The Ladies in Wating. Fantagraphic Books, 2017.)

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