(2017-2-5 投稿)
マウリシオ・ビセンツは1963年生まれのスペイン人。1984年、フランコ後のマドリード、ラ・モビーダと呼ばれる享楽主義的な雰囲気にうんざりしていた20歳のマウリシオは二日酔いのある朝、テレビで「カストロ議長によるとキューバ人の健康状態はますます向上し、そのうちに120歳以上の老人クラブができるとのことです」という言葉に惹かれて、なんとなくキューバに渡る。髭を生やした連中が革命を起こしたという以外には、まるで知らない国だった。
外国人奨学生としてハバナ大に在籍し、学生寮で仲間をつくり、やがてキューバ人女性と付き合いだす。
ガジェゴ(ガリシア男)と呼ばれるようになったマウリシオのハバナでの暮らしを描いたグラフィックノベル。絵を描いているのはフアン・パドロン、キューバのポピュラー文化を代表する手塚治虫並みのエライ人。キューバで『エルピディオ・バルデス』というアニメのキャラを知らない子どもはいない。
描かれているのはマウリシオが奨学生の寮で過ごした5年間、すなわち1983年から89年まで。つまりベルリンの壁崩壊(11月9日)直前の、キューバがソ連依存型の社会主義を曲がりなりにもやっていた、古き良き時代である。今のように観光にも力を入れていない。観光はあくまで必要悪、革命政府は外資獲得手段とは考えていなかった。観光客より多かったのがソ連系の外国人と奨学生。マウリシオが暮らす寮も外国人、といってもラテンアメリカやアジア・アフリカのような第三世界の出身者がいっぱい暮らしていて、マウリシオと相部屋だったのはモザンビークや西サハラやベネズエラから来た連中。マレコン通りに面していたビルをリサイクル利用していたその寮は「ミルクの宮殿」と呼ばれていた。そこらじゅうでセックスをしている奴らばかりだったせいらしい。
ハバナの空港で入管職員に7回見られた(ソ連流の入国管理方法だそう)のに始まり、マウリシオが体験した生活のアレコレがつぶさに描かれている。最初に宿泊したのはハバナ・リブレ・ホテル。これはかつてヒルトンだったのを革命後に改名したもので、外国人が決まって泊まるホテル。彼はキューバに親戚がいる人たちから託された山のような土産物を渡し歩くうちにハバナ市内のいろいろな側面を知ることになるが、生活するうえでいちばんの風物詩ともいえるのが配給。
とにかくどこにでも列ができる。
ある列を待つ列までできたりする。
その日に物資がもらえないと列の順を記録したリストが配られるが、それを書き換えてずるする奴がいたり、手持ちの物資をぶつぶつ交換する風習があったりと、このあたりは絵があるのでとても分かりやすい。いちばん深刻な列がラブホテルの順番待ちというのも面白い。
マウリシオはガルべというキューバに暮らしてもう長いスペイン人の先輩に会いに行く。1940年からキューバに暮らしている共産主義者のスペイン人…というのは、要するに内戦による亡命者。革命政府の要職について外交官などもするまでになったガルべは、いわばゴリゴリの左翼。そのガルべに誘われるがままに、マウリシオはハバナ大の奨学生として心理学専攻に潜り込み、寮で暮らし始めることになる。
ガルべの他にも面白い人物がいっぱい。酒場で出会ったフランクという怪しげな男はブラックマーケットを介して売春の斡旋までしているような奴だった。マウリシオは彼にチョピンという場所に連れていってもらう。チョピンはショッピングがなまったキューバ語で外貨使用店を意味している。ここには米国から一時帰国した奴ら、米国のアイコンをいっぱい身に着けたヤな奴らが上限500ドルまで買い物できる。米国ではしがないブルーワーカーの彼らが親戚たちにカラーテレビを買ってやる、ということがあるらしい。外貨をどこかで得た地元のキューバ人が外国人を雇ってチョピンで買い物をするのも黙認されているとか。また外国人には外国人専用のマーケット、ディプロメルカドがある。外人専用の散髪屋ディプロペルケリアまであるそうな。
ガルべにはカンポアモールという口の悪い親友がいる。ラムに詳しく、ラム酒の本まで書いたインテリだが、ガルべと違って革命政権には辛辣なタイプだ。この二人が喧嘩しながらも仲がいいというのが面白い。
大学には青年共産党員団(Unión de Jóvenes Comunistas)なる組織があるが参加は義務ではない。でも将来国の中枢に入るエリートはみなこれに入会するのだとか。この人たちが主導する学業外のアクティビティには積極的な参加が求められる。例のチェ・ゲバラが提唱した自発的労働というやつだ。マウリシオは心理学の文献をロシア語で読むのに苦労する。寮にある本も多くはロシア語。文学もロシア文学。翻訳文献なら英語で読みたいところなのだが島内にないので、しかたなくロシア語を学ぶもしんどく、結局テストでカンニングをしたりする。
アクティビティの一環でエスカンブライ地区にも実習に出かける。ここはゲリラ戦の聖地で、今はコーヒー農園が広がっている。そこで労働をしながらいろいろ学ぶというわけだ。ここではキューバでもマチスモが大変で、若い世代を中心に避妊の教育をするのが大変であることが明かされる。コンドームも配給制なので、なかなかいいもの(このときは中国製)が手に入らない。マウリシオも参加して地元民に避妊を教える芝居をしたりする。ああ、キューバ社会主義…という心慰められる場面。
キューバではラブホの確保が難しい。
セックスをどこでするか。
これって現代人類の消費行動においてもけっこう大切なポイントである。世界の文化を知る、スペインの文化を教える、とかオメデタイことを言うのなら、スペイン人がどこでセックスするのかも教科書に書くべきと私は思いますけど。日本では3500円もあれば列を作る必要はないが、もちろんそうはいかない国もいっぱいある。見られるということに対する羞恥心の有無も関係してくるだろう。旧ソ連などでは公園で平気でしていたというし、アパートの一室を私的にセックス用に貸している年寄りも多かったと聞いたことがある。社会主義キューバにおけるラブホの実態をこれほど分かりやすく描いてくれた本は滅多にないのでは。
ある日、恋人(サンティアゴ・デ・クバ出身のキューバ人の大学生)の元カレが公安警察の人間で暴力的なマチスタであると知ったマウリシオは、常に尾行されているというノイローゼにかかってしまう。見かねた仲間に連れていかれたのはサンテリーア教の呪い師。鶏を2羽もってこいというので持っていくと、その場でスパッと首を切って血を振りかけられる。サンテリーア教が民間では生きているというのも面白い国だ。
やがて卒業が近づくが、結婚を決めた恋人が、所属していた青年団から追放されてしまう。外人と交際していたというのが理由らしい。青年団は話し合ったすえに、やり過ぎだったと謝りに来るが、彼女は「もう遅い」とはねつける。このあたりは時代の変化も感じさせる。他にも同性愛者や、思想的な逸脱、政府が diversionismo ideológico(ラウルが使い始めた用語らしい、思想的享楽主義とでもいうのだろうか)と定義した趣味に耽る人間は矯正キャンプに送られるといった、キューバのもつディストピア的側面もちらほら見えるが、あまり強調はされていない。
最後は結婚式。
ソ連崩壊で物資がない。なんとか集めてハバナ・リブレの結婚専用ホールで盛大に。そしてジャーナリストになる決意をするマウリシオ。
実際、彼はその後、スペインの新聞の特派員として正式にハバナに留まって、2006年までその職を果たし続けた。学生時代に知り合ったフアン・パドロンとも交際が続き、そして自らの回想録をこうして漫画にして出すことになった。
次に読みたいのはこの続編。
1990年代のハバナ。
オバマ・ラウル会談+フィデルの死までの21世紀ハバナ。
キューバ万歳!でもなく、独裁国家打倒!でもなく、こういう「仕方がないけどここで暮らしていくしかないからな」的な目線の物語が私は好きかな。
Mauricio Vicent, Juan Padrón, Crónica de La Habana. Un gellego en la Cuba socialista. Astiberri, 2016, pp.263. (キューバ語の語彙集あり)