2009年に初版が刊行され、その後2017年のエルパイス紙におけるスペインのグラフィック・ノベル・オールタイムベストに推された書。作者は物語がアントニオ・アルタリーバ、絵がカタルーニャ人のキム。物語はアルタリーバの実の父に関するもので、ほぼ実録といっていい。このコンビでもう一冊こうした身内の実録物を出しているらしく、そちら『折れた翼』は現在取り寄せ中。こんなものを読んでいるのは私だけかと思っていたら、近ごろ宮城のスペイン書房もHP店舗にグラフィックノベルを並べるようになっていた。なんとかビジネスになればいいのだが。
オールタイムベストの評価に恥じない重厚な作品。
スペイン中北部の寒村ペニャフロールに生まれ、サラゴサで内戦に遭遇し、運転手としての腕を買われて共和国と国民軍の両方に加わって戦い、共和国軍兵士としてフランスに逃れ、第二次大戦終結後はマルセイユで様々な闇商売に手を染め、やがて意を決してフランコのスペインに帰国し、結婚して子を設けるも、深い喪失感を抱いたまま老後を迎え、世紀の明けた2001年に老人ホームの屋上から投身自殺をした父。その一生をまさしく「つぶさに」描いてゆく。
最初は字の細かさに呆れる。
そのうち呆れを通り越して怒りがわいてくる。
なにしろこんな感じなので。
試しにここを全訳してみよう。各コマ端の直線枠内は本書の語り手、すなわち作者アントニオとその父(の名前もアントニオ)の独白で、丸い線の吹き出しが人物の発話。そこの判別も慣れるまでシンドイ。吹き出しの順番もよくわからない。それでもなんとか読んでいく。スペインに帰った主人公は、政権の要職についている大物とのコネを利用してクッキー会社を経営している伯父のもとに身を寄せる。伯父には愛人がいて、伯母がある日その愛人のもとへ乗り込んでケガを負わせるという場面の続き。主人公は昔なじみのカルロタの家に集まった元共和国兵士たちと食事をする。
(左上)エミリアはひどい傷を負ったにもかかわらず生き延びた。一週間の入院と傷跡数針で済んだのだ…。もちろんエミリアは訴えもせず警察にすら行かなかった…。私はあの場所に二度と戻ることはなかったが、エミリアの店は閉まったと聞いた。
(右上)犯罪者は事件現場に戻るのか…。私が言えるのは、人はかつて優しくしてもらった場所に戻る、ということだ。私はカルロタの下宿に戻った。/アントニオ、スープのおかわりは?/ありがとう、こいつは最高だね。
(中央)カルロタは息子のフアンに死なれてから別人になっていた…。フアンは37年に下宿を後にし、サラゴサを出て共和国軍に加わろうとしたのだ…。その後の消息は不明になっていた…。/配給手帳がもう今月は切れちゃって。月末まで粉団子とニンニクスープで我慢してもらわなきゃ。/心配ないさ、カルロタ。すぐによくなる。今は外国の連中が不買運動をやってるからな。でもフランコがきっとなんとかしてくれる。みんなが少し頑張って愛国心を発揮すればいいことさ、だろう、アントニオ?/ああ…どうかな…。
(左下)下宿人たちも別人になっていた…。いちばん変わってしまっていたのは、サラゴサから離れなかった連中だった。私にアナーキズムのイロハを教えてくれたルシオは熱心なフランコ支持者になっていた。/スペインには平和と秩序が必要だ…。大帝国としての使命を果たすには団結せねば。やたらと騒ぎ立てるばかりでは経済は上向きにならんよ。この国はようやく今になってマトモになりつつあるのさ…。/そう思わんか、アントニオ?
(右下)スペインに何が必要かなんてわたしにはわかりませんけどね、アントニオに必要なのは奥さんじゃないのかしら。あなたにお似合いの綺麗な姪っ子がいるのよ。/またあの姪っ子の話か…。/ルシオさん、スープはもう要らんのかい? だったら冷めちまう前にわしがいただくがね…。
ニンニクスープはこの後も再三登場。仕事仲間の背信で破産したアントニオ一家、妻が「この歳になってニンニクスープを飲む羽目になるとは…」と愚痴る。sopa de ajo というのはそういう料理、日本風に言えばスイトンみたいなもんでしょうか。
貧しさの記憶が本書全般を覆う。
特にペニャフロールのようなスペインの寒村が20世紀初頭に置かれていた状況は、多くの内戦を描いたグラフィックノベルに共通してみられる。過激なアナーキズムがスペインを覆ったとき、そこに同調したのは「明日から好きなだけ飯が食える」と勘違いした貧しい田舎者だった、ということが痛いほどよくわかる。
それにしても上の細かい字。
途中で何度も投げ出しそうになりながら読み進めたが、悔しいことに慣れてしまった。愚かな女と付き合ううち、その愚かさ自体もなぜか好きになってくるのに近い感じ?
父アントニオが行った先々で出会う人々がいちいち丁寧に描かれている。戦場で右往左往する連中。愚かなスローガンのもとで何も世のなかのことを知らないまま若くして死んでいった青年たち。逃れた先のフランスでの収容所暮らし。ドイツ占領下の農村で主人公をかくまってくれた心優しい農家の人々。マルセイユで闇商売をしきっていた亡命スペイン人。
そして帰国した主人公を待ち受けていた偽善者の群れ。この本でいちばん面白かったのはフランコ体制下で「生きていかざるを得なくなった人々」の無体もない日常である。性についても踏み込んで描いてあるのが面白い。主人公は結局カルロタの姪と結婚するが、ファナティックなカトリック信者となっていた妻とのセックスでは「罪を犯している」気持ちにしかなれない。フランスで気楽な恋愛を経てきていた主人公は息子が生まれた段階で「そういうこと」に見切りをつける。ところが周りの男どもは妻以外の女や娼婦と寝ることしか頭にない。そういうシンドイ生き方をしている彼らにとっては過去も未来も存在していない。とにかく今を心安らかにサバイブしていくだけなのだ。
やがて75年がやってくる。
常に現在以外の時間と向き合っていた主人公は、自分の老化する肉体という現在と真剣に向き合わざるを得なくなる。そして老人ホームのなかでまた人間模様はスペイン的。
主人公はなぜ自殺という道を選んだか。
丹念に読んでいけば最後に分かる。
そしてそれを補完する後日譚も素敵だ。この部分はこの第二版に付け加えられたもの。
仮に日本語版をつくるとすれば、上のような文字のところをどうするかという問題に直面することになるが、はしょると作品のもっているデリケートな構造が壊れてしまうので、なるたけ少ない文字で全訳するしかないだろう。
内戦を描いたどんな活字小説よりも本書が優れている点はまさにそこ、ディティールにある。活字本であれば注意が向かない木々や、街路、食事の風景、ちょっとした表情、そうしたディティールは映画のような「時間経過芸術」でも見過ごしがちだ。グラフィックノベルというジャンルの大きな可能性を改めて示してくれたという意味でも、やはりオールタイムベストの称号にふさわしい力作である。
Antonio Altarriba, Kim, El arte de volar. 2da ed. 2017, Norma, pp.222.