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田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

三条京阪の座像 高山彦九郎の終焉地

2015年10月06日 | 日々の出来事

  高山彦九郎の終焉の地へ行ってきました。

 彼は林子平、蒲生君平と並んで寛政の三奇人と呼ばれた人で、江戸中期の尊王思想家です。歴史に興味のある方でないとご存じない方が多いでしょう。

 それよりも京都 三条京阪の駅前にある座像で知られています。

 口さがない人は土下座像といいますが、正しくは望拝の像です。勤王家である彼が京都に着いて、三条大橋のたもとで皇居を拝んでいる像です。大昔、私が京都に住んでいた頃は、待ち合わせの場所になっていました。今はどうなっているのでしょう。

 当時は京阪電車は三条が終点だったと思うのですが、地図を見ると、今は出町柳まで延伸しているのですね。確か、三条から大津行きの路面電車で琵琶湖に行ったことがあります。

 高山彦九郎は、尊王思想で幕府ににらまれます。そして九州を歴訪した末、久留米藩の友人、森嘉膳宅で自刃します。その理由ははっきりとはわかっていません。幕末の勤王の志士たちに思想的な影響を与えた人物です。

 久留米市にある彦九郎終焉の地です。

 

 墓所は近くの寺町、遍照院にあります。

 

 戦前は皇室の崇敬が厚く、明治44年に久留米で大演習があった際には、勅使や皇族、軍の高官が墓所を訪れて植樹をしています。それぞれのお手植えの記念碑が今も残っています。

 戦後は一転して、取り上げられることは少なくなりました。久留米市には高山彦九郎先生史蹟顕彰会があり命日に墓前祭が行われています。また生地の群馬県太田市には高山彦九郎記念館があります。

 彦九郎の墓の向こうには長州藩の大楽源太郎など、明治4年の久留米藩難事件に関係した人たちの墓があります。この話は別の機会に。

 高山彦九郎の銅像です。

 

 

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