田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

晩秋の秋月を歩く

2021年12月07日 | 朝倉

 紅葉を見に先月の下旬、秋月へ行きました。杉ノ馬場を歩きます。藩政時代は杉並木だった道です。ここを訪れるのは半年ぶりで、春には見事な桜のトンネルになります。

 

 戸波半九郎屋敷跡です。彼は代々、藩の重臣の家柄で、明治9年の秋月の乱に加担し敗れて自刃しました。

 城の石垣と柿の木。秋月城は天守閣はなく陣屋形式の城でした。

 長屋門です。ここから奥御殿があった所に上ります。

 長屋門の向こうに黒門が見えています。その前に、いつもの写真を撮りに行きます。

 奥御殿から見る秋月中学校です。三十数年前の改築の際、城跡にふさわしい校舎にと木造建築になりました。この日は体育の授業があっていたので、遠目からの撮影です。

 先ほどの長屋門です。

 黒門付近は紅葉撮影のポイントで、人が多かったです。

 黒門は藩祖を祀る垂裕神社の参道にありますが、もともとは秋月城の大手門でした。明治になってここに移築されました。

 垂裕神社の参道の紅葉です。

 秋月城は背面が山手で、前面に城堀がありました。向こうに長屋門があります。

 城跡から坂道を下り、昔の町割りを歩きます。このあたりは武家地でした。

 久野邸。公開されており昔の武家屋敷の様子がわかります。

 

 歩いていると、こうした廃屋が目につきます。

 左の建物は酒店で、この前来た時は営業していました。右手に観光組合の木札がさがっています。以前はここに事務所があったのでしょうか。

 秋月の本通り。秋月街道といった方が良いかもしれません。久留米から八丁峠を越えて小倉藩に通じる街道でした。この街道はいまでも主要道路で、すぐそばにバイパスが出来ました。

 峠越えをすることもあって、この街道には旅人相手や流通関係の商家が建ち並んでいました。

 通りから路地を見ると、繁栄していた街道筋の面影が残っていたりします。

 ここに来ると、いつも1時間あまり散策をします。士族による秋月の乱の印象が強いためか、歩いていると尚武の気風を感じます。

 

 

 

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