紅葉を見に先月の下旬、秋月へ行きました。杉ノ馬場を歩きます。藩政時代は杉並木だった道です。ここを訪れるのは半年ぶりで、春には見事な桜のトンネルになります。
戸波半九郎屋敷跡です。彼は代々、藩の重臣の家柄で、明治9年の秋月の乱に加担し敗れて自刃しました。
城の石垣と柿の木。秋月城は天守閣はなく陣屋形式の城でした。
長屋門です。ここから奥御殿があった所に上ります。
長屋門の向こうに黒門が見えています。その前に、いつもの写真を撮りに行きます。
奥御殿から見る秋月中学校です。三十数年前の改築の際、城跡にふさわしい校舎にと木造建築になりました。この日は体育の授業があっていたので、遠目からの撮影です。
先ほどの長屋門です。
黒門付近は紅葉撮影のポイントで、人が多かったです。
黒門は藩祖を祀る垂裕神社の参道にありますが、もともとは秋月城の大手門でした。明治になってここに移築されました。
垂裕神社の参道の紅葉です。
秋月城は背面が山手で、前面に城堀がありました。向こうに長屋門があります。
城跡から坂道を下り、昔の町割りを歩きます。このあたりは武家地でした。
久野邸。公開されており昔の武家屋敷の様子がわかります。
歩いていると、こうした廃屋が目につきます。
左の建物は酒店で、この前来た時は営業していました。右手に観光組合の木札がさがっています。以前はここに事務所があったのでしょうか。
秋月の本通り。秋月街道といった方が良いかもしれません。久留米から八丁峠を越えて小倉藩に通じる街道でした。この街道はいまでも主要道路で、すぐそばにバイパスが出来ました。
峠越えをすることもあって、この街道には旅人相手や流通関係の商家が建ち並んでいました。
通りから路地を見ると、繁栄していた街道筋の面影が残っていたりします。
ここに来ると、いつも1時間あまり散策をします。士族による秋月の乱の印象が強いためか、歩いていると尚武の気風を感じます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます