第2の人生サイゴンで

1日の滞在でサイゴンに惚れて
知らぬ間に6年が経過
サイゴンの生活を
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お別れそして死の癒し方

2021-07-18 13:15:09 | 日記

11年前の我がブログから

 

お別れ

そして死の癒し方

 

葉っぱのフレディ  2010年3月6日 土曜日

2010-03-06 09:35:53 | Weblog
Saturday, Mar 6, 2010

土曜日のせいか
はたまた昨日亡くなった
陽子君の親父の旅立ちを
小鳥たちがととのえているのか
とにかくここサイゴンはことのほか
小鳥達のさえずりだけが聞こえる静かな朝を迎えています。

10年ほど前に日野原さんやモリシゲさんが
葉っぱのフレディの絵本に興味を示し
日本中に命の大切さを訴えました。
小生もすぐに感染しました。
講義でもよく紹介しました。

ワイフの親父さんが亡くなったお通夜の日に
丁寧に読み返しながら
子供でなくても大人でもこの絵本によって
あの世への旅立ちは輝いているって
思いました。
コピーをワイフの妹達にも見せました。

陽子君 何かのときに葉っぱのフレディを見て!!
原著でも翻訳本でも。
生きていることの意味 
死ぬことの意味が
とても明るくやさしく理解できます。

無数にある葉っぱのフレディのインターネット情報から
原著の絵本に忠実に翻訳されたというページを
掲載します。
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春はとっくに すぎました。 
 
夏もとうとう すぎました。
 
葉っぱのフレディは、 もうすっかり 大きくなっていました。

からだはつよくて たくましく、 五つにわかれた葉っぱのさきは、

ぴんととがって しゃんとしていました。
 
フレディが生まれたのは 春でした。 背高のっぽの大木の 
てっぺん近くの大ぶりの枝に かわいい新芽を のぞかせました。
 

フレディのまわりには、 数えきれないほど たくさんの葉っぱが 

しげっていました。

「みんな ぼくとそっくりだね」

そう思っていたフレディは、 まもなく 気づきました。

おなじ木から 生まれてきたのに、

みんなそれぞれ どこかが ちがっているのです。 

となりにいるのは アルフレッド。 右にいるのは ベン。 そして 上にいるのは 

かわいい葉っぱの クレアです。 
みんないっしょに 大きくなりました。 

春は そよ風にさそわれて みんなでダンスをおどり、

夏は おそろいで のんびり ひなたぼっこにふけり、

夕立がくると、 みんなでいっせいに からだを洗って、

すっきり しゃっきり さわやか気分で 涼みました。
 

けれども フレディのいちばんの仲よしは、

なんといっても ダニエルでした。 

みんながいる大枝の中で いちばん大柄(おおがら)なダニエルは、

どうやら 生まれたのも いちばん早くて、 

おまけに みんなの中では いちばんかしこそうでした。 

「みんなは 一本の木の 一部分なんだよ」

こう 教えてくれたのは ダニエルでした。

「みんなは 公園で大きくなっているんだよ」

そう教えてくれたのも ダニエルでした。

「みんながいる木には じょうぶな根っこが いっぱいはえていて

地面のおくふかくに しっかりとのばしているんだよ」

これもやはり ダニエルが 教えてくれたことでした。

朝になると みんなのいる枝にやってきて、 

せっせと歌をきかせてくれる 小鳥たちのことや、 

お日さまや お月さまや お星さまや 

うつりかわる季節のことについても、 

ダニエルは いろいろと 教えてくれました。
 
フレディは、 自分が葉っぱであることが だいすきでした。 

自分がいる枝も だいすきだったし、 

身がるな葉っぱの仲間たちも だいすきでした。

自分が空高くにいることも だいすきだったし、 

さわさわと からだをゆすってくれる風も だいすきでした。 

ぽかぽかと からだを温めてくれるお日さまの光も 

だいすきだったし、 ほんわかほの白い光で やさしくそっと

つつんでくれるお月さまも だいすきでした。
 
とりわけ すてきだったのは 夏でした。 

昼間(ひるま)の長い暑さも 心地よかったし、 

ほとぼりの残る夜の暑さも やすらかな 夢路(ゆめじ)へと 

いざなってくれました。
 
その夏には、 たくさんの人が 公園へやってきて、 

フレディのいる木の下に よくすわりました。 

ダニエルは フレディにいいました。

「この人たちの 日かげになってあげることも、 

いつかきみがたずねていた 生きる目標の一つになるんだよ」、と。
 
それはね、 いつだったかフレディが ダニエルに 
こうたずねたことが あったからなんだ。

「ぼくたちは いったいなにを目標にして 生きていったら 

いいんだろうね?」、って。
 

そのときダニエルは、 こう教えてくれたんだ。

「生きたあかしを しめすことだよ。

自分がこの世に生まれて 今ここにいることには 

ちゃんとした意味があるんだなって、 

そう思えるような 生きたあかしをね」、と。

そしてダニエルは さらにつづけて こういったんだ。

「なにか ほかの人のやくに立つようなことをして 

よろこんでもらえるのは、 生きたあかしになるんだよ。 

じぶんの家が あつくるしいからって この公園へのがれてきている

お年よりの人たちに 木かげをつくってあげることも、 

生きたあかしに なるんだよ。 この公園へきてあそべるようにと 

子供たちに 涼しい場所をつくってあげたり、 

この公園に チェック模様のテーブルかけをしいて 

その上で お弁当をたべようかなとやってきた ピクニックの人たちを 

ぼくらの葉っぱで あおいであげるのも、 

ぜんぶ 生きたあかしになるんだよ」、と。
 
フレディがとりわけすきなのは お年よりの人たちでした。 

みんなは、 ひんやりした草むらへ そっとすわると、 

もう ほとんど動こうともせずに、 昔の思い出話を
ささめき合っていました。
 

フレディは 子供たちも だいすきでした。
もっとも彼らはときどき、 フレディのいる木に穴をあけたり、 

自分の名前をほりこんだりする いたずらもしたけれど、 

それでもフレディは、 子供たちのすばしっこく走りまわる姿や 

大声で笑いころげる 元気なようすをながめていると、

とても楽しかったのでした。
 

けれども、 フレディのだいすきな夏は 見る間にすぎてゆきました。
 
そして 夏のなごりが すっかり消えたのは、 

十月の ある夜のことでした。 

いままでに出あったことのないような寒さが 

おそってきたのです。 

葉っぱはみんな 寒さにふるえました。 

白いものが うっすらと みんなのからだ一面を 

おおいました。 それは 朝日にあたると 

たちまちとけて しずくになって 葉っぱをぬらし、

きらきらと 輝きました。
 
こんどもまた、 あれこれと教えてくれたのは、

やはり ダニエルでした。 

みんなのからだにくっついたのは 初霜(はつしも)で、 

これは 秋になったしるしで、 やがて冬がくるよという 
しらせなのだ、 と。
 

ほとんど一瞬のうちに フレディのいる木は まるごと・・・・

おやおや、 よく見ると なんと公園ぜんたいが まるごと 

あざやかに 色づいているではありませんか。 もう、 緑色をした葉っぱなんて、

ほとんどどこにも 見当たりません。

アルフレッドは こい黄色に、 ベンは 明るいオレンジ色に、 

クレアは もえ立つような赤色に、 そしてダニエルは こい紫色にと 

それぞれ すっかり衣がえをしていました。 

そして フレディったら、 なんと  赤・青・金の三つの色で 

すっかり めかしこんでいるではありませんか。 

みんなは、 それはそれはほんとうに みごとなものでした。

なにしろ フレディとそのともだちは、 自分たちのいる木を 

まるで虹のように 染めかえてしまったほどですからね。
 
「ぼくたちは みんな同じ木にいるのに、 どうして 

ちがった色に なるのかな?」  

フレディには どうもふしぎでした。
 
「ぼくらはみんな、 それぞれ どこかがちがっているからだよ。

体験したことも 一人ひとりちがっているし、 

お日さまへの向き方も みんなまちまちだった。
ぼくらのつくる影だって 同じものは ひとつとしてなかっただろう。

だから、みんなそれぞれ 別々の色になったって、

ちっとも 不思議じゃないんだよ」  

ダニエルは 淡々と答えました。 そして、 

「このすばらしい季節は、 秋というんだよ」、と 

フレディに教えました。
 

ある日、 とてもおかしなことが おこりました。

いままで ダンスにさそってくれていたそよ風が、 

葉っぱのつけねを ぐさぐさと ゆさぶりはじめたのです。

まるで 八つ当たりをするみたいにね。 

そのために、 葉っぱのなかには 枝から引きちぎられて

風に舞い、 あちらへ投げられ、 こちらへほうり出されては

ふらふらと 地面に落ちていくものも でてきました。
 
葉っぱという葉っぱは みんな おびえだしました。
 
「いったい、 なにがおこっているんだろう?」

おたがいに ひそひそとたずね合いました。
 
「これは、 秋になるとおきることなんだよ」

みんなにこう教えたのは、 ダニエルでした。

「葉っぱのぼくらが すみかを変えるときが きたんだよ。 

なかにはこれを“葉っぱが死ぬときだ”なんていう人も

いるけどね」
 
「ぼくたちは、みんな死ぬの?」

フレディは もう びっくりぎょうてんです。
 
「そうだよ」、とダニエルが答えました。 「どんなものでも、

かならず 死ぬんだ。 どんなに大きくても 小さくても、

どんなに強くても 弱くてもね。 

ぼくらはまず、 自分のつとめをはたす。

お日さまの光をあびて、 お月さまの光につつまれる。 

風にふかれて、 雨に洗われる。 みんなでダンスをおぼえて、 

みんなで笑う。 そして 死んでいくんだよ」
 
「ぼくは 死なないぞ!」

フレディは きっぱりと言いました。

「きみは どうするの、 ダニエル?」
 
「ぼくは 死ぬよ。 そのときがきたらね」
 
「それは いつくるの?」

フレディは 気が気ではないようです。
 
「はっきりしたことは、 だれにも わからないんだ」

ダニエルは 答えました。
 
フレディは、 ほかの葉っぱがつぎつぎと散っていくのに気がついて、 
ふと思いました。 「きっとこれが 葉っぱの死ぬときなんだろうな」、と。

フレディが見ていると、 なかには けんめいに風にさからってはみたものの 

とうとうふき飛ばされてしまう葉っぱもあれば、

はじめから あっさり手をはなして 

だまって落ちていく葉っぱも ありました。 
 

やがて フレディのいる木には 葉っぱはほとんどなくなりました。
 
「ぼくは 死ぬのがこわいよ」

フレディは ダニエルに いいました。

「死んだあと どうなるのか わからないんだもの」
 
「フレディ。 ぼくらはだれだって、 よくわからないことは 

こわいと思うものなのさ。 あたりまえだよね」

ダニエルは、 フレディの気持ちをやわらげるように いいました。

「でもきみは、 春が夏になっても こわくはなかっただろう。

夏が秋になったときも そうだったよね。 

季節がかわるのは 自然のなりゆきなんだ。

だから、 いつの日か ぼくらが死ぬ季節というのが やってきたとしても 

こわがることなんか ないんだよ」
 
「ぼくたちがいるこの木も 死ぬのかな?」

フレディは たずねました。
 
「いつかはね。 でも、 この木より もっと強いものがあるよ。

それは いのちなんだ。 いのちは 永遠(とこしえ)につづくんだ。 
そして ぼくらはみんな その いのち の一部分っていう わけなのさ」
 

「ぼくたちは、 死んだら どこへ行くのかな?」
 
「はっきりしたことは だれにも わからないんだよ。

なにしろこれは 昔から、 とっても大きな なぞなんだから」
 
「ぼくたちは、 春になったら またここへ 

もどってこれるのかな?」
 
「ぼくらは だめかもしれないね。 でも、いのちはまた

もどってくるだろう」
 
「じゃあ なんのために こんなことが おこっているの?」

フレディは さらに たずねつづけました。

「ぼくたちは けっきょく、 落ち葉になって死んでいくだけだけだとしたら、
じゃあいったい なんのために この世に生まれてきたんだろう?」


 

ダニエルは、 いつものように 淡々と答えました。

「お日さまや お月さまだって、 生まれてきても いつかは 
消えていかなくっちゃ ならないんだ。 みんなで いっしょにすごす 

しあわせなひとときだって そうなんだ。

木かげや、 お年よりや、 子供たちだって、 そうなんだ。

秋のあのあざやかな色どりだって そうなんだ。

春、夏、秋、冬の季節だって、 そうなんだ。

どれもこれも、 昔からぜんぶ、 ずっとそうだったんだ。  

さあ、 これだけいうと もうわかっただろう」
 

その日の夕方、 金色の夕日をあびながら、
ダニエルは そっとしずかに 枝をはなれていきました。

そして 落ちる間じゅうもずっと、

おだやかにほほ笑んでいるように 見えました。 

「それじゃあ またね、フレディ」

ダニエルは そう言いました。
 

こうしてフレディは、 一人ぼっちになりました。

あの枝にのこっている たった一枚の葉っぱでした。
 
つぎの朝、 初雪がふりました。 やわらかで、おだやかで、

まっ白な雪でした。 でも、 なんと冷たいのでしょう。 

その日 お日さまはほとんど顔をださず、 早くから

日が暮れました。 フレディは、 自分のからだが色あせて、

もろくなっていることに 気づきました。 

気温は まったくあがらず、 フレディは 雪の重みを

ひしひしと感じました。
 
明け方に 風がふいて、 フレディはとうとう

枝から引きはなされて しまいました。 でも、 フレディは
ぜんぜん いたくはなかったのです。

フレディには、 自分のからだが すーっとういて、

それから ゆっくり ふわーっと 下に落ちていくのが 

自分でもわかりました。
 

落ちるとちゅうで フレディははじめて見たのです。
自分が生まれそだった木の、 そのまるごとの姿を。

なんとつよくて 丈夫そうなのでしょう。

「これならきっと、 うんと長生きしてくれるぞ」

フレディは そう思いました。 そして、 

「ぼくはやっぱり この木の一部分だったんだ」

そうわかると、 誇らしく思えてきたのでした。
 

フレディが舞い落ちた先は、 雪だまりの上でした。

そこは なぜだかやわらかくて、ぬくもりすら 

感じられました。 こんなに居ごこちのいいところは、

はじめてでした。
フレディは 目をとじると、

永遠(とわ)の眠りにつきました。

 

 

ところでフレディは、 冬のあとには春がきて、

雪がとけると水になるなんて、 ちっとも知らなかったのでした。

また、 まったくの役立たずのようにみえる 自分のひからびた

からだでも、 やがては土にかえって 水にとけ、 

自分が生まれそだったあの木を いっそうじょうぶにさせる 

役目をはたすのに、 そんなことも フレディはまったく 

知りませんでした。

ましてや、 自分がいた木や 地面の中では、 

春になったら 若葉をいっぱい芽ぶかせる準備が

すっかりととのっていて、 冬の間じゅう 

じっと静かに出番をまっていたなんて、 

フレディには とてもわかりっこなかったのでした。

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1回目の休憩 7:35AM

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