昨日、
夫は結局朝から会社に出勤。
ヨッシャーと思った反面、
1ヶ月ほど前に
これからは土曜日は仕事は休み、という宣言は
どこへいったの??
振り回される。
これからは土曜は家にいるんやぁ
憂鬱でも
じゃぁ、
みーくん置いて、買い物ゆっくりできるな、
とか、
みーちゃんの部活懇談に
参加オッケーだな、とか。
みーくんがいる家庭で
私ひとりじゃ諦めることも、
夫がいるなら行けるやん、と
心算があるのに。狂う。
宣言は撤回でもいいのよ。
そりゃぁ変更もあるだろうし。
でもちゃんとその都度、
報告してくれないとね。
宣言したまんま、
撤回しないまんま、変更して報告ないから
困るのよ。
当日の朝、は困る。
言う、しかないんだけど、
夫自身が必要性を感じなければ、受け入れられないし、定着もしない。どうしたもんか。
土曜にいつもみたくスーツでなく
ラフな私服で出勤すること、
みーくんにも受け入れられず、
みーくんも一緒に出かけるーとパニックになり、
あともしばらく不機嫌でこれまた困る。
話変わり、
今朝はまた3時起きみーくん。
暗い間は布団内にいるので、
見守りつつ、
フォローしてるみなさまのブログを読みに行きます。
そこであるブログに
心が痛み、胸が苦しくなりました。
同じく、障害を持つ子供の親として抱く
切なく痛すぎる思い。
周りの目や親や親族などの目が
疎遠になり、
それが、現実か、と
思いしるのです。
わかりみが深すぎて、
真夜中に涙が止まらなくなった。
うちも
みーくんが自閉症の症状が出てから、
これまで
ほんとにいろいろなことがあり、
私の心が傷ついたことは全部覚えてる。
相手に悪気ないのも
一般的にそういう反応になってしまうことも、
すべて、
致し方ないことだとは思ってる。
だけど傷つくんだよ。
みーくんの育児では
ほんとにたくさんの優しさや暖かさに包まれ、助けてもらいながら、ここまでこれた、
この育児がなかったら、ここまで
人の暖かさに触れ、感謝の気持ちを持つこともなかった、
一方で、
厳しい現実とも
毎回直面するのも、
これまた現実。
慣れっこっちゃぁ、慣れっこなんだけど。
回を重ねて、慣れても
傷つかなくなるわけではない。
先日、
約8ヶ月ぶりに
夫の両親や次男一家と墓参りで会った。
義母さんは
みーちゃんと、
のんちゃんに
手作りの
マスクと
手作りのボールペンをくれた。
みーくんは無し。
代わりの、なにか、とかも無い。
いつも
泊まりにおいで、と言ってくれるのも、
暑中お見舞いや、
年賀状などを
くれるときも、
みーちゃん、のんちゃんだけ。
みーくんの名前だけがない。
孫として認められてない、とか
そういうことじゃないの。
そういうことする親じゃないし、良い親だし。
ただ、みーくんからのコミュニケーションの働きかけがないので、
印象になかったり、
意識しなかったり。ただそれだけだと思う。
もちろん、私を傷つけてるなんて、まったくそんな気持ちないと思う。
卑屈かな?と自分でも思うときもある。
でも、周りが変わったと感じることは明らかだ。
夫の親も
私の親も、
みーくんがこうなってから、
あきらかに、
引いてる。距離を置かれてる。
(本人たちはそんなつもりはまったくないはず)
みーちゃんとのんちゃんのときは、
もうちょっと、ほおっておいて、と言いたくなるくらいの
干渉ぶりで、
誕生日会、や幼稚園、学校の行事ごと、参観までがっつり親のように参加し、
卒園式や入学式も
1年前から
予定を聞いてきて、参加。。。
していた夫の親も、
今は
コロナだから、、じゃなくて、
ひっそりとしてる。
うちの親も、
みーちゃんとのんちゃんのときから、
夫にはまったく協力を得られなかったので、
親に助けを求めたときは、
すぐに、遠くからでもきてくれてた。
みーくんの育児には
しんどい、という愚痴すら吐かせてくれない。
どっちの親も
まぁ、大変やろうけど、頑張りなさい。
と、
完全に他人事。
人は変化する、から、
親の年齢が上がった、とか、周りのきょうだいのところにも孫ができて、忙しくなった、とか
さまざまな理由もあって、
みーくんがどうこう、じゃない部分もあるだろう。
夫にお墓参りのあと、
チラッとだけど、この思いを話してみた。
お義母さん、みーちゃんとのんちゃんだけ、
プレゼントくれて、
みーくんにはなかったよね。。。
と言うと、
どうやって接したらいいかわからんのやろうな。と言われた。
まさにそうなんだろうな。
頭ではわかっているけど、
いつも
とてもさみしく感じてしまい、傷ついてしまう。
みーくんの卒園式や入学式は
誰も
連絡すらこなかった、
何日だとかも誰も聞いてこない。
去年に
私の父親の7回忌を
やったときも、
実家の母に
みーくんはごめんやけど遠慮してな、と言われた。
言われなくても
遠慮して、夫と2人でお留守番してもらうつもりではいたけど、ショックだった。
その7回忌の場で、
母の旧知の友達で、私も小さいころからよく知ってる人たちが来ていて、
私に3人子供がいることは知ってるから、
「一番下のイケメン(みーくんのこと)は??なんで来てないの??」と
言われた。
母は、近しい友人にすら、
私の子どもが自閉症で知的障害があることを
言ってないのか、、と
愕然とした。
みーくんに障害があることは
そんなに隠すようなことなのか?
私が生まれたときに
右手指全欠損で生まれて、
育てあげるまでのあいだに
私の母は、
今の私と同じようなきもちを
数えきれないくらい味わったはずなのに。
私もなにも言わずにサラッと流した。
母にも特にあとからも何も言わなかった。
障害があることは
恥ずかしいことなのか???
恥ずかしいことであるはずがないのに、
なぜだか
肩身が狭く
コソコソと生きなければならない。
私、そして我が家にとって、
永遠の課題。
私自身が右手の指が全欠損の障害があり、
それこそ、
みーくんと違って、長い人生、これまでも今も、
数えきれないくらいの
奇異の目にさらされ続けてきた。
私の手をはじめてみる人は、
絶対にギョッ!!!とした顔になる。
それは
当たり前の反応。
見たことがない形、
普通でない形の手を見たら
誰だってそんな反応になってもおかしくはない。
大人になってから、
そう思えるようになったけど、
子どものころは、
相手の立場になってまだ
そこまで考えられないので、
変な目で見てきたやつを
睨み返したり、とかね。笑
私なにも悪いことしてないのに、
なんでそんな変な目で見られないとあかんの??って、噛み付いてたね。笑
猫の手、とか
手無し人間とか、さんざんクラスメイトに
ののしられて、
そう言ってきたやつに
椅子を投げつけて、
逆に私が怒られたりね。笑
武勇伝数々。。。
いや、
弱気になることもありました。
毎年キャンプ場にキャンプに子供会から行っていたけど、
そこで、
別の子供の団体に会ったときは、
恐怖で
その団体の近くを通ることが
怖くて怖くて、、、
自分の団体は
もちろん私が手がないことは知ってる、
けど、別の子供会の団体の
たったひとりにでも、私の手が見つかってしまったら。。。。
当時は、
ひとりに知れたら、
まるで、伝言ゲームのように、
コソコソ話で、周りの子にどんどん
伝えられていき、
一斉に
私の手を変な目で見てくる。
子供の反応ってほんとに純粋なだけ
残酷なのよね。
私の友達が、すぐにそんな私の様子に
気づいて、
私の右手を
上から覆い隠すように
そっと手を繋いで、
その団体のあいだを
堂々とすり抜けてくれた。今でも忘れられない思い出。
エレクトーンの発表会やコンクール、
中学のときは
バトンダンス部だったから、
人前の舞台に
出て、
発表する機会が多くて、
内心はすごく戸惑っていたけど、
それでも
私は隠したり、コソコソとすることなく
堂々としてた。
なにも悪いことはしてない。
でも
今でも
もちろん
後ろ指さされることは、
日常茶飯事。
さらにその上に
みーくんまで
後ろ指さされる事態に。。。笑
その後ろ指に
傷つかなくなることも、
怖くなくなることも、
一生ないけど、
その後ろ指が
なくなることも一生ない。それが現実。
もう
半分
ヤケクソだね。
後ろ指さされついでじゃー!!みたいに。
のんちゃんもみーちゃんにも
いっぱい
嫌な思いを
させてる。
なんで
お母さん、手無いん??
と、
何度も何度も聞かれてる。しつこいほどに。
のんちゃんが幼稚園のころの
家族でフォークダンスには
もう、カーカ参加せんといて、
家族じゃないから。
と、
手がない私は家族じゃない、とまで
言われた。
のんちゃんがそう言ってしまうのも
また、無理もない、と思った。
これから先も
ずっとずっと
この思いとは
共存していかないといけない。
たまに
ゴッソリ吐き出させてもらいますね!!
いつも見てくださってるみなさま
ありがとうございます。