川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

ある感想文 『遙かなる絆』

2009-06-12 17:33:24 | 中国残留日本人孤児
 昨日、失業中のAくんが『遙かなる絆』(NHK)の感想を書いてFAXで送ってくれました。20年前にぼくの生徒だった「中国残留孤児」2世の一人です。この不況で仕事を失い、転職準備中です。
 中一で来日しました。日本語も中国語も中途半端なため社会に出てからも苦労の連続ではなかったかと思います。高校3年間は私たちの学校で学んだのですからその責任のいったんはぼくにもあります。
 この際、あらためて日本語に挑戦しようと、感想文を書くことを強く勧めたのです。
 日本語で長い文章を書くのはほとんど初めてだといいます。悪戦苦闘して書き上げたのではないかと思います。原文にぼくが手を加えたのが次の文章です。骨格や語彙(ごい)はそのままです。


     「遙かなる絆」   A
 
 このドラマが終わり、寂しい感じがします。私は生まれ故郷へ帰りたくてたまらなくなりました。

 このドラマは事実に基づいており、孤児たち全体が経験したことの一部だと思います。
 孤児たちは日中戦争の犠牲者です。戦乱の中に生まれ、幼い時、親に棄てられました。
 当時、日本軍は中国で悪事を重ね、たくさんの人を殺したため反日運動が強く、中国人は日本人を強く憎んでいました。

 こうした時期に、中国に捨てられたこどもは何人いるだろうか。何人死んだんだろうか。
 日本人に強い憎しみを持っている状況の中で、運よく、拾われ、育てられた人は捨てられたこどもの何割いるだろう?ほかの子どもたちの運命は?

 運よく中国人に拾われた子どもたちも悪い状況の中で生きのびられた確率はどのくらいだろう?
 無事生きのびられたとしてもその後直面したさまざまな偏見や差別、日本人に対する監視など、その苦労は当事者・孤児本人しか理解できないと思います。

 孤児のこどもである私は実際どのくらい理解できるかわかりません。普通の日本人は理解できるだろうか?

 さまざまな苦労を乗り越え、日本へ帰国してもまず直面したのは言葉や生活習慣の違いから来る壁です。職の変更という苦労に直面しただけでなく、日本語が話せないので「中国人!」と差別されました。

 中国にいる時は「日本鬼子」と呼ばれ、いろいろな差別を受けました。祖国・日本に帰っても「中国人!」と差別されるとは…。
 孤児たちの運命は戦争に翻弄され、戦争が終わって日本に帰っても未だに犠牲になっています。

 孤児は戦争の犠牲者の真の鏡です。
 戦争は二度と起こしてはならない。戦争は世の中に絶対あってはならない、と私は思います。


 「思ったことがなかなか書けない。20数年も日本にいるのに恥ずかしい。」と本人はいいます。
「そんなことをいってもはじまらない。文章の骨格は出来ている、自信を持って毎日一枚ずつ自分の人生について書いてみろ。ぼくが添削するから」とぼくはいいます。

 読まれた皆さんはどう思いますか。40近くなって日本語に挑戦する父親の姿を見て子どもたちはどう思うかな。ぼくだったらお父さんも頑張っているんだな、と蔭ながら声援を送るのですが。

 ぼくの命令に屈したのか、A君は「やってみる」といいました。頑張ってほしいものです。

 Aくんがコンピューター関連の職業訓練校に合格したという報せがありました。けっこう倍率が高く諦めかけていたのです。ほんとうに良かった。
 勝ち取った絶好の機会です。半年間の訓練中に日本語の実力もきっと向上させることでしょう。

 ぼくの夢はいつの日かAくんたちと一緒に「遙かなる絆」の舞台になった辺りを訪ねることです。彼らの故郷もこのドラマの主人公の故郷とほとんど重なるのです。
 Aくんは来日以来一度も故郷に帰ったことがありません。「帰りたくてたまらなくなった」と書いています。帰るときには連れて行ってやるといってくれます。
 日本での生活を安定させ、そのような日が遠くないうちにやってくることを期待しています。 

 

平和を「創る」市民になろう

2009-06-11 17:49:15 | 政治・社会
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川越は梅雨空です。我が家の一応庭に珍しくたくさん花をつけたツツジがあります。今朝の小糠雨で生き生きしています。
 我が家では娘につづいて妻が風邪にやられました。日曜日から連日休養中です。明日には恢復するかと思われます。
 ぼくはあちこちからいただいたニンニクのせいか元気です。体の重い日が続きましたが昨日は久しぶりに川越公園の河川敷の森を歩くことが出来ました。池の畔の花菖蒲が季節を感じさせてくれます。
 多忙な日々を過ごされている方が多いと思います。どうぞ、健康第一でお願いします。

 「北朝鮮の核実験に抗議する市民有志の声明」を2週間かかってやっと発信することが出来ました。
 
 誰かと相談して始めたことではありません。反応が乏しく不安にもなりましたがここぞというときに「核実験反対」の一言をいれてくれた上村さんなど友人達の言葉に勇気づけられました。
 ことの顛末はほぼこのブログに反映されています。舞台裏は何もありません。ぼくにとってはブログとメールを道具にして社会に共通の意志を伝えていく最初の例になりました。どういう成果を生みだしていくのかはわかりませんが、皆さんが引き続き協力くださるようにお願いします。
 ぼくの書いた声明文に違和感がある方は是非、ご自分の声明文を書いてください。送ってくだされば「川越だより」で紹介することが出来ます。

 ぼくがこういうことを通して皆さんに訴えたいことは市民の一人として政治(社会)に参加することの大切さです。

 昔の生徒の会合などぼくはどこにでも出かけて若い人の話を聞きます。それはとても楽しい一時です。デモ何かが足りません。それは一言でいえば社会とどうかかわってきたか、どうかかわっていくか、と言う視点の話が少なすぎるということです。人の親となった人たちがこれでいいのかと思うのです。

 一人一人は皆、市民として誠実に生きてきた人ばかりです。社会や政治に対してもそれぞれの考えがあるはずです。それを表に出して議論することがなぜ少ないのでしょうか。
 今回の北朝鮮の核実験は実に恐るべき現実に私たちが置かれていることを否が応でも自覚させます。麻生首相は「戦うべき時には戦わなければならない」といったそうです。首相がどんな「戦い」を呼びかけているのかはわかりませんが、私たちが智慧を結集して闘いに立ち上がらなければならないことはたしかです。
 
 どんなことがあっても日本海の対岸で三度核実験を許してはなりません。北朝鮮を核保有国にしてはなりません。それは北東アジアの生態系を破壊し、軍事的な緊張(戦争の危機)を高めます。北朝鮮の人々の飢餓状況をさらにいっそう絶望的にします。

 私たちは戦争と核を放棄した国に住んでいます。相手はなめてかかっているのかも知れません。平和を求める民主主義の市民の力がいざというときにどんなに強いか、行動で示していこうではありませんか。

 私たちがやろうとしていることはほんとうに小さなことですが多くの人がやれば力になるかも知れません。声明で呼びかけたことを一つ一つやっていきたいと思います。
 民主主義と絶対平和主義の憲法の下(もと)で生きる幸運に恵まれた私たちは市民として発言し行動する責務を負っているのです。それを曖昧にしたら国家主義と軍国主義がこの国に台頭してくることを覚悟しなければなりません。

 先月のバス旅行に参加したFさんのブログにこんな文章があります。Fさんはもっとも若い友人の一人です。元気づけられます。

 

 この度の二日に渡る旅のプログラムの中でも、最も印象的であったのが、今回の主役のひとり、高山すみ子さんを交えての交流。
高山さんは、現在木島平村在住。
高社郷開拓団集団自決事件後、奇跡的に生存した方で、さすがに言葉一つひとつに重みがある。

その夜、再びホテルに高山さんを招いての交流会。
開拓団の事、戦争の事、年齢を感じさせない流暢な表現に感心しながらも、開拓団の想像を絶する体験に、歴史の重みと戦争の凄惨さに改めて感じ入る。
「政治に関心と自覚を持って下さい」
高山さんは、しきりに力説されていた。

国民が政治に関心を持たなくなる事、それはある程度豊かな証しではあるが、同時に、自分の事しか考えられなくなる人間を多くするだけだ。
二十世紀を「世界は地獄を見た」と表した人がいるが、その地獄を再び繰り返さぬ様、平和を保つ事は我々の使命だ。
しかも、平和は当然に「ある」のではない、「創る」という意識が、政治に参加するという事なのだろう。
その事を、我々は肝に命じなければなるまい。

人は、忘れた時に、再び過ちを繰り返すと云う。
最後に、原爆死没者慰霊碑に刻まれた碑文から。

…安らかに眠って下さい。
   過ちは繰返しませぬから…

出典http://blog.livedoor.jp/ptjys132/


 
 

北朝鮮の核実験に抗議する 市民有志の声明

2009-06-10 04:28:26 | 韓国・北朝鮮
 
  北朝鮮の核実験に抗議する 市民有志の声明

 
 北朝鮮は5月25日、二回目の核実験を行った。

 北朝鮮の核実験・核武装は日本海の対岸の列島に住む私たちの生存を脅(おびや)かすこれ以上はない蛮行であり、満腔(まんこう)の怒りをもってこれに抗議します。

(一) 広島・長崎・ビキニの被爆体験を学ぶことを通して私たちはこの数十年間、非戦非核の思想を身につけ、東アジアに平和を定着させるために民族を越えた努力を続けてきました。
 北朝鮮の核実験は私たちの不断の努力をあざ笑い貶(おとし)める、傲岸(ごうがん)にして不遜(ふそん)な者の仕業(しわざ)です。私たちはこのような人間を冒涜(ぼうとく)する者たちの脅かしに屈することなく、非戦・非核の思想をうち堅め、東アジアの平和構築のため引き続き努力します。
 
(二) 核実験による脅威にさらされているのは人間だけではありません。核実験は、生きとし生けるもの、私たちを生かしてくれる地球生態系そのものへの敵対行為です。
 日本列島は古来「蓬莱(ほうらい)の島」と言われるほど自然に恵まれたところです。朝鮮半島の北部も地下資源と豊かな風光に恵まれていると聞きます。
 豊かな自然に恵まれた私たちの祖先は、自然を畏(おそ)れ自然と共に生きる思想や生活態度を、私たちの体内に宿してくれました。地球温暖化が進み地球の生態系に危機が訪れているいま、私たちはかつて暮らしの中に貫かれていた自然観を蘇(よみがえ)らせ、人間第一・科学万能の近代思想に警鐘を鳴らす、人類史的な役割を担っているとも言えます。
 このように考えるとき、北朝鮮の核実験は、東アジアに生きる私たちの、人として依って立つべきところそのものを否定する、許し難い行為です。

(三) 北朝鮮の核実験は金正日を頭目とする権力者集団が自己の独裁者としての地位を引き続き守ろうとするための悪あがきであり、北朝鮮の大多数の人々の犠牲の上に咲いた悪の華(はな)です。
 国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルは「北朝鮮は『過去10年間で見られなかった規模』の飢餓に見舞われ、何百万人もが苦境に陥っている。大半は雑穀などで胃を満たすことを余儀なくされ、野草で食いつないでいる人も多い。当局は人々の生存に最低限必要な食料を確保する対策さえ怠っている」と指摘しています。(09年版年次報告・09・5・28)
 90年代の前半に300万人を上回る餓死者を出したといわれましたが、今またそのときに匹敵する飢餓に見舞われているというのです。いかに「先軍政治」とは言え、自国民をこれほどの飢餓状態に放置したまま軍備増強に狂奔している国がほかにあるでしょうか。
 核兵器を保有するということは、核兵器の製造、実験を繰り返すということです。そのために、私たちの想像を絶するような多額の国家予算が、半永久的につぎ込まれていくことになります。核実験の成功によって、北朝鮮の人たちの暮らしは良くなるどころか、これまで以上に苦しいものになっていくことは、火を見るより明らかだと思われます。
 さらに、どんな人々が、どんな状況の下で核兵器の製造や実験用地下施設の構築現場で働かされているのか。また、地下施設は数次使用されるものなのか、それとも、一回ごとに、あの狭い国土の山中のあちこちに作られ続けていくものなのか。日本海を隔てた直ぐ向こうで、考えれば考えるほど恐ろしいことが繰り広げられようとしています。
 人々を働かせるだけ働かせ、搾(しぼ)り取れるだけ搾り取る。後は野となれ山となれ。これが独裁者たちがやっていることです。古代の奴隷制王朝を彷彿(ほうふつ)とさせます。今、三代目の王位継承の時で、権力の中枢にいる者たちは、首領への忠誠競争に血眼になっています。核実験も王権の威力を内外に誇示するためで、民の暮らしを思う気配はどこにもありません。

 私たちは02年9月の『拉致』発覚以来、遅まきながら北朝鮮の人々の声にならない声に耳を傾ける努力を続けてきました。恐怖と絶望の中に置かれている人々の状況を想像する力はいくらか付いてきたのかも知れません。しかし、状況を改善し、希望の在処(ありか)を示す努力は決定的に不足しています。

 私たちは市民の有志として民主主義と人権の確立を願う全てのひとびとが諦(あきら)めることなく北朝鮮の独裁者たちの暴挙に抗議し、東アジアに非核非戦の秩序を構築するための行動に立ち上がるよう訴え、以下のことを提案します。

 ①各人各グループがそれぞれの方法で核実験に抗議する声明を出す。これを報道機関や政党に送る。

 ②北朝鮮の出先機関になっている朝鮮総連にこれまでのあり方を反省・謝罪し、核実験に抗議するよう求める公開の手紙や声明を送る。

 ③東アジアの核大国である中国政府がその責任の大きさに鑑(かんが)み、北朝鮮の核武装を阻止するために効果的な措置をとるよう求める公開の手紙や声明を駐日大使館に送る。
 ④私たちのこの声明に賛同する方は賛同署名に協力する。

       2009年6月10日

 鈴木啓介  鈴木倫子(のりこ)  田中勝義  ゆん・すんじゃ  李 敬宰

(イ・キョンジェ) 黄 哲秀(ふぁん・ちょるす) 洪 大杓(ホン・ テピ

ョ) 小綿 剛   渡部鋭幸  呉 崙柄(オ・ユンビョン)


賛同署名  崔 正媛(チェ・ジョンウォン) 黄  信一(ファン・シニル)
 

   黄  亜美  黄  亜有(アユ)  高橋一夫  大木 薫(しげる)


   田中秀成  田中実花子  新井 精  渡辺泰子 泉田俊英


 

 連絡先 鈴木啓介 keisukelap@yahoo.co.jp

皆さんにお願い  私たちの声明に賛同していただける方は出来れば賛同署名にご協力ください。連絡はメールや「川越だより」の コメント欄をご利用ください。
 宜しかったらこの声明文を知友のかたがたに紹介してください。また、御意見があれば遠慮なく届けてください。市民の一人として出来ることを見つけて少しでもやっていければと思います。





北朝鮮核実験に抗議する  市民有志の声明(確定案)

2009-06-08 11:31:56 | 韓国・北朝鮮
 数名の方が原案に意見を寄せてくれました。原案作成者としてはわかりにくい言葉を一部修正してこれを確定案にしたいと思います。ご協力に感謝します。

 皆さんへ。
 この抗議声明(確定案)に私とともに署名してくださるようにお願いします。熟読してよしとされたら、なるべく早くご連絡ください。原署名者が数名でも集まれば直ちに正式に発表します。「川越だより」に掲載するとともに報道機関などに送付します。

 発表後、賛同署名を寄せてくださった方々の芳名を折を見て紹介します。
  連絡はコメント欄、またはメールを利用してください。
  メールアドレス keisukelap@yahoo.co.jp
                        鈴木啓介

  北朝鮮の核実験に抗議する 市民有志の声明

 北朝鮮は5月25日、二回目の核実験を行った。

 北朝鮮の核実験・核武装は日本海の対岸の列島に住む私たちの生存を脅かすこれ以上はない蛮行であり、満腔の怒りをもってこれに抗議します。

(一) 広島・長崎・ビキニの被爆体験を学ぶことを通して私たちはこの数十年間、非戦非核の思想を身につけ、東アジアに平和を定着させるために民族を越えた努力を続けてきました。
 北朝鮮の核実験は私たちの不断の努力をあざ笑い貶(おとし)める、傲岸(ごうがん)にして不遜(ふそん)な者の仕業(しわざ)です。私たちはこのような人間を冒涜(ぼうとく)する者たちの脅かしに屈することなく、非戦・非核の思想をうち堅め、東アジアの平和構築のため引き続き努力します。
 
(二) 核実験による脅威にさらされているのは人間だけではありません。核実験は、生きとし生けるもの、私たちを生かしてくれる地球生態系そのものへの敵対行為です。
 日本列島は古来「蓬莱(ほうらい)の島」と言われるほど自然に恵まれたところです。朝鮮半島の北部も地下資源と豊かな風光に恵まれていると聞きます。
 豊かな自然に恵まれた私たちの祖先は、自然を畏(おそ)れ自然と共に生きる思想や生活態度を、私たちの体内に宿してくれました。地球温暖化が進み地球の生態系に危機が訪れているいま、私たちはかつて暮らしの中に貫かれていた自然観を蘇(よみがえ)らせ、人間第一・科学万能の近代思想に警鐘を鳴らす、人類史的な役割を担っているとも言えます。
 このように考えるとき、北朝鮮の核実験は、東アジアに生きる私たちの、人として依って立つべきところそのものを否定する、許し難い行為です。

(三) 北朝鮮の核実験は金正日を頭目とする権力者集団が自己の独裁者としての地位を引き続き守ろうとするための悪あがきであり、北朝鮮の大多数の人々の犠牲の上に咲いた悪の華です。
 国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルは「北朝鮮は『過去10年間で見られなかった規模』の飢餓に見舞われ、何百万人もが苦境に陥っている。大半は雑穀などで胃を満たすことを余儀なくされ、野草で食いつないでいる人も多い。当局は人々の生存に最低限必要な食料を確保する対策さえ怠っている」と指摘しています。(09年版年次報告・09・5・28)
 90年代の前半に300万人を上回る餓死者を出したといわれましたが、今またそのときに匹敵する飢餓に見舞われているというのです。いかに「先軍政治」とは言え、自国民をこれほどの飢餓状態に放置したまま軍備増強に狂奔している国がほかにあるでしょうか。
 核兵器を保有するということは、核兵器の製造、実験を繰り返すということです。そのために、私たちの想像を絶するような多額の国家予算が、半永久的につぎ込まれていくことになります。核実験の成功によって、北朝鮮の人たちの暮らしは良くなるどころか、これまで以上に苦しいものになっていくことは、火を見るより明らかだと思われます。
 さらに、どんな人々が、どんな状況の下で核兵器の製造や実験用地下施設の構築現場で働かされているのか。また、地下施設は数次使用されるものなのか、それとも、一回ごとに、あの狭い国土の山中のあちこちに作られ続けていくものなのか。日本海を隔てた直ぐ向こうで、考えれば考えるほど恐ろしいことが繰り広げられようとしています。
 人々を働かせるだけ働かせ、搾り取れるだけ搾り取る。後は野となれ山となれ。これが独裁者たちがやっていることです。古代の奴隷制王朝を彷彿(ほうふつ)とさせます。今、三代目の王位継承の時で、権力の中枢にいる者たちは、首領への忠誠競争に血眼になっています。核実験も王権の威力を内外に誇示するためで、民の暮らしを思う気配はどこにもありません。

 私たちは02年9月の『拉致』発覚以来、遅まきながら北朝鮮の人々の声にならない声に耳を傾ける努力を続けてきました。恐怖と絶望の中に置かれている人々の状況を想像する力はいくらか付いてきたのかも知れません。しかし、状況を改善し、希望の在処(ありか)を示す努力は決定的に不足しています。

 私たちは市民の有志として民主主義と人権の確立を願う全てのひとびとが諦めることなく北朝鮮の独裁者たちの暴挙に抗議し、東アジアに非核非戦の秩序を構築するための行動に立ち上がるよう訴え、以下のことを提案します。

 ①各人各グループがそれぞれの方法で核実験に抗議する声明を出す。これを報道機関や政党に送る。

 ②北朝鮮の出先機関になっている朝鮮総連にこれまでのあり方を反省・謝罪し、核実験に抗議するよう求める公開の手紙や声明を送る。

 ③東アジアの核大国である中国政府がその責任の大きさに鑑(かんが)み、北朝鮮の核武装を阻止するために効果的な措置をとるよう求める公開の手紙や声明を駐日大使館に送る。
 ④私たちのこの声明に賛同する方は賛同署名に協力する。

       2009年6月 日

 鈴木啓介  鈴木倫子  田中勝義  ゆん・すんじゃ  李 敬宰(イ・キョンジ

ェ) 黄 哲秀(ふぁん・ちょるす) 洪 大杓(ホン・ テピョ) 小綿 剛

渡部鋭幸 呉 崙柄(オ・ユンビョン)




 

 


 
 
 

北朝鮮の核実験に抗議する 市民有志の声明(案)

2009-06-05 10:29:48 | 韓国・北朝鮮
 ようやく北朝鮮の核実験に抗議する声明(案)が出来ました。皆さんの御意見を寄せてください。必要な修正を加えた上、確定したいと思います。署名していただける方はご芳名も連絡してください。コメント欄を活用していただくか、メールを利用してください。 keisukelap@yahoo.co.jp



 北朝鮮は5月25日、二回目の核実験を行った。

 北朝鮮の核実験・核武装は日本海の対岸の列島に住む私たちの生存を脅かすこれ以上はない蛮行であり、満腔の怒りをもってこれに抗議します。

(一) 広島・長崎・ビキニの被爆体験を学ぶことを通して私たちはこの数十年間、非戦非核の思想を身につけ、東アジアに平和を定着させるために民族を越えた努力を続けてきました。
 北朝鮮の核実験は私たちの不断の努力をあざ笑い貶(おとし)める、傲岸(ごうがん)にして不遜(ふそん)な者の仕業(しわざ)です。私たちはこのような人間を冒涜(ぼうとく)する者たちの脅かしに屈することなく、非戦・非核の思想をうち堅め、東アジアの平和構築のため引き続き努力します。
 
(二) 核実験による脅威にさらされているのは人間だけではありません。核実験は、生きとし生けるもの、私たちを生かしてくれる地球生態系そのものへの敵対行為です。
 日本列島は古来「蓬莱(ほうらい)の島」と言われるほど自然に恵まれたところです。朝鮮半島の北部も地下資源と豊かな風光に恵まれていると聞きます。
 豊かな自然に恵まれた私たちの祖先は、自然を畏(おそ)れ自然と共に生きる思想や生活態度を、私たちの体内に宿してくれました。地球温暖化が進み地球の生態系に危機が訪れているいま、私たちはかつて暮らしの中に貫かれていた自然観を蘇(よみがえ)らせ、人間第一・科学万能の近代思想に警鐘を鳴らす、人類史的な役割を担っているとも言えます。
 このように考えるとき、北朝鮮の核実験は東アジアに生きる私たちのレーゾンデートルを否定する許し難い行為です。

(三) 北朝鮮の核実験は金正日を頭目とする権力者集団が自己の独裁者としての地位を引き続き守ろうとするための悪あがきであり、北朝鮮の大多数の人々の犠牲の上に咲いた悪の華です。
 国際人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルは「北朝鮮は『過去10年間で見られなかった規模』の飢餓に見舞われ、何百万人もが苦境に陥っている。大半は雑穀などで胃を満たすことを余儀なくされ、野草で食いつないでいる人も多い。当局は人々の生存に最低限必要な食料を確保する対策さえ怠っている」と指摘しています。(09年版年次報告・09・5・28)
 90年代の前半に300万人を上回る餓死者を出したといわれましたが、今またそのときに匹敵する飢餓に見舞われているというのです。いかに「先軍政治」とは言え、自国民をこれほどの飢餓状態に放置したまま軍備増強に狂奔している国がほかにあるでしょうか。
 核兵器を保有するということは、核兵器の製造、実験を繰り返すということです。そのために、私たちの想像を絶するような多額の国家予算が、永久的につぎ込まれていくことになります。核実験の成功によって、北朝鮮の人たちの暮らしは良くなるどころか、これまで以上に苦しいものになっていくことは、火を見るより明らかだと思われます。
 さらに、どんな人々が、どんな状況の下で核兵器の製造や実験用地下施設の構築現場で働かされているのか。また、地下施設は数次使用されるものなのか、それとも、一回ごとに、あの狭い国土の山中のあちこちに作られ続けていくものなのか。日本海を隔てた直ぐ向こうで、考えれば考えるほど恐ろしいことが繰り広げられようとしています。
 人々を働かせるだけ働かせ、搾り取れるだけ搾り取る。後は野となれ山となれ。これが独裁者たちがやっていることです。古代の奴隷制王朝を彷彿(ほうふつ)とさせます。今、三代目の王位継承の時で、首領への忠誠競争に血眼になっています。核実験も王権の威力を内外に誇示するためで、民のたつきを思う気配はどこにもありません。

 私たちは02年9月の『拉致』発覚以来、遅まきながら北朝鮮の人々の声にならない声に耳を傾ける努力を続けてきました。恐怖と絶望の中に置かれている人々の状況を想像する力はいくらか付いてきたのかも知れません。しかし、状況を改善し、希望の在処(ありか)を示す努力は決定的に不足しています。

 私たちは市民の有志として民主主義と人権の確立を願う全てのひとびとが諦めることなく北朝鮮の独裁者たちの暴挙に抗議し、東アジアに非核非戦の秩序を構築するための行動に立ち上がるよう訴え、以下のことを提案します。

 ①各人各グループがそれぞれの方法で核実験に抗議する声明を出す。これを報道機関や政党に送る。

 ②北朝鮮の出先機関になっている朝鮮総連にこれまでのあり方を反省・謝罪し、核実験に抗議するよう求める公開の手紙や声明を送る。

 ③アジアの核大国である中国政府がその責任の大きさに鑑み、北朝鮮の核開発を阻止するために効果的な措置を執るよう求める公開の手紙や声明を駐日大使館に送る。
 ④私たちのこの声明に賛同する方は賛同署名に協力する。

       2009年6月 日

 署名 

 

 


 
 
 

天安門事件20周年

2009-06-04 09:27:53 | 中国
 6・4天安門事件から20年になります。今朝、こんなニュースを読みました。
  

 中国、民主運動リーダー入国拒否 天安門事件で手配ウアルカイシ氏 

                  (東京新聞 2009年6月3日 23時33分)

 【マカオ3日共同】1989年の天安門事件で民主化運動の主役の一人となり、中国公安省から「反革命宣伝扇動罪」で指名手配されて亡命生活を送っていた元学生運動リーダー、ウアルカイシ氏(41)が3日午後、出頭するため、亡命先の台北から空路で中国特別行政区マカオに到着した。入国管理当局が空港で同氏を連行、一室に閉じ込め、入国を拒否し送還すると通告した。

 同氏は、共同通信の電話取材に対し、送還を拒んでいると語った。

 ウアルカイシ氏は、指名手配リストで王丹氏(40)に次ぎ、2番目に挙げられ、フランスや米国でも亡命生活を送り国際的に名が知られる活動家。中国政府は、拘束に踏み切れば、国際社会から強い批判を浴び、国内でも抗議活動に火が付くことを恐れ、送還する方針を決めたとみられる。

 目撃者によると、ウアルカイシ氏が入国審査の際に旅券を提示すると、直ちに入管職員4、5人が現れ取り囲んだ。職員が何かを告げると、同氏は大きくうなずき、連行されたという。

 同氏はマカオ入りを前に台北で「出頭は罪を認めるのではない。公開裁判で中国共産党の事件の責任を追及する」と今回の行動の狙いを語っていた。また「20年間両親に会えず亡命生活を続けてきた。拘束の長期化を予想しているが、老いてゆく親に一目でも会いたい」と述べ、新疆ウイグル自治区ウルムチに住む両親に会いたいという思いも理由と説明した。

 同氏は2004年、知人の葬儀出席のため香港への訪問を認められ、記者会見で、 中国を「独裁軍事国家」と批判。同氏が香港を離れた後、中国当局者が「指名手配は永遠に有効。帰国すれば捕まえる」と香港紙記者に伝えたという。

   出典http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009060301000843.html

 
 今も中国本土で活動する弁護士の浦志強さんは共産党独裁政権には合法性がないと主張するとともに、ウアルカイシさんのような海外に亡命した当時の学生運動の指導者たちにも反省を求め、次のように述べています。

 「天安門事件の時期には、多くの学生指導者が自らを救世主と考えた。庶民らは、救ってやる必要があるというわけだ。事件から20年が経過し、そのような考え方は影をひそめた。多くの人にとって、民主と人権の獲得が現実味を帯びてきたと考えてよい。」

   出典 天安門事件:共産党には「懺悔の資格」もなし
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0603&f=politics_0603_004.shtml

 
 今日、東京では民主主義と人権の獲得を目指す在日中国人による集会があるようです。その呼びかけ文にこうあります。 

 「昨年12月に世間に知られました«零八憲章»の作者達の一人である劉曉波氏が、まだ拘束されたままである。」

 08憲章についてはこのブログで紹介したことがあります。

08憲章http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/7705c3f8751a381d92e1bce527490263
   


 言論をもって新しい中国のあり方を提起する人たちを監獄に閉じこめ続けているのが事実だとしたら中国政府は全世界の民主主義と人権を求める人々の敵です。世界人権宣言に明白に違反しており、国連の安保理事国としても失格です。
 
 日本政府はこの際はっきりと態度を表明すべきです。北朝鮮をはじめ、世界の各地で独裁政権の後ろ盾となっている中国政府は国内でも傲慢きわまりない独裁を続けているという他はありません。民主党政権になったらはっきりとものが言えるようになるのでしょうか。

  出典 六四天安門事件20周年の日本での行動計画
 http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/9da13126f72c6acee64e5db5e6ccd234

朝鮮人学校

2009-06-03 04:21:39 | 韓国・北朝鮮
 昨日は好天に恵まれたので、自転車でこども動物自然公園までいって遊んできました。キリンのいるひろばの観察舎でキリンと一緒に昼食をした風景を想像できるでしょうか。目の前で草をはむキリンと対面してコンビニで買ったそばを30分懸けて食べました。ぼくの頭上2・3mであのキリンがぼくの方を向いてゆっくりゆっくり草をはむのですよ。

  http://blog.ecity.ne.jp/kodomozoo/blog/detail/33669.html 

 往復4時間、動物公園3時間。帰りはもうくたくたになってあちこちで休み休み自転車を漕ぎました。でも、心地よく一日が過ぎていきました。

 元さんの書かれた貴重な文章をもう一つ紹介します。ぼくはこういう文章を書くことができる青年と出会えたことをほんとうに誇りに思います。冷静で、優しさに満ちた在日コリアン3世です。教育とはどういう営みでなければならないのか、誰もが静に自らに問うべきです。

 今日はぼくも「声明」案を書かねばなりません。その馬力がでてくるのかなあ。

 
  ある在日の告白(3) 

          元 智慧 (『木苺』123号 05年7月)

    民族学校の教師
 
 日本の学校であろうと、民族学校であろうと、人は青春時代に様々な教師に巡り合うものである。また、どの様な教師に巡り合うかで、人生が少なからず左右される場合も大いにあり得ると言っても過言ではない。特に、中学や高校では進路の問題が切実な問題となり、その際、教師が果たす役割は非常に大きい。
 私も例に洩れず、この時期は大いに悩み、苦しんだ。しかし、そこは民族学校。様々な弊害や試練が待ち受けていた。
 さて、民族学校では、私の様に小中高と一貫して進む者もいれば、途中で日本の学校に転入する者も少なからず存在した。理由としては、やはり進路の問題が最も多く、特に日本の学歴社会のレールに乗るためには、出来るだけ早い内より方向転換した方が良いのは、火を見るよりも明らかである。
 この頃に自らの進むべき道が明白であるならば、ある意味においていずれの学校を選択しても良い様なものであるが、しかし大多数の生徒は中学の時、それ程真剣に進路問題を捉えている訳ではない。従って、特に問題意識を持たぬまま、歳月だけが過ぎ去っていく。
 しかし、日本の学校に転入する場合、事はそう簡単な事ではないのである。現在の事情は、多少変わっているであろうが、当時は幾多の障害を乗り越えなければならなかったのである。
 その障害とは、一つに教師の妨害がある。何しろ、表向きには日本の国民と手を取って、共存すべしなどと豪語しているものの、実際の教育では、日本は敵国であり、日本国民は忌むべき存在であると説いているのである。
 教師というよりも学校全体が、生徒が日本学校へ流れ込む事を阻んでいるのである。様々な形でそれは表れるが、例えば親が総連などの組織にいる場合、推薦入試の際の推薦状を書いてもらえないなどである。
 民族学校では、高校進学の際、生徒から進路相談を受ける事はない。生徒たちは、ごく当たり前にそのまま民族高校に進むものであると普段より刷り込まれており、全体主義の中では、個人の進路や将来などどうでも良い事なのである。
 最も問題ある事の一つに、教師自身が一度も日本の社会に出ず、民族系の大学を経て教壇に立つ事が何とも嘆かわしいのである。(そういった意味では、日本学校の教師の中にも同じ様な場合もあるが…。上記の理由により、民族学校の場合は教員免許を取得する事なく、教壇に立っている。)
 従って、もし仮に生徒から進路について相談を受けたとしても、それに対応しうる能力を持ち合わせていないのが実状である。自らの世界の全てが、北朝鮮であり、総連である人に、これから日本の社会、さらには世界にはばたこうとする生徒に対する人材育成の心持は、そもそも微塵もないのである。
 彼らにとって人材育成とは、組織の中でのそれであり、またそういった事は、国や組織に仕える者こそ、優れた人材なのである。そこに、個人の夢や希望、能力などはもはやどうでも良い代物なのである。
 今でもある教師の言ったセリフが忘れられない。「民族教育において、人材育成とは総連の幹部を育てる事である。クラスの中に、そういう者がある一定の割合で存在し、その他の者はもはや学校とは関係がない。」
 また、校内暴力に関して言えば、日本の学校ならば暴力を振るった教師は当然処分を受けるであろうし、ニュースに流れ、問題になるであろう。しかし、民族学校では、生徒に対する暴力は日常茶飯事であったし、ほとんど表沙汰になる事なく、繰り返されていた。
 教育とは、人として正しい道を歩むためのもの。その教育の場での、この様な人間を人間として大切に扱わない教師と学校。それは、紛れもなく北朝鮮や総連の戦略なのである。
 総連が掲げている標語、「一人は全体のために、全体は一人のために」というものがある。あの独裁国家を民主主義と謳っている愚かなる体制同様、この様な有名無実な標語は、上記の様に現実と余りにもかけ離れている。やはり、人生とは全ての局面において、自らの意思によって判断・選択し、決定する。これこそ、真の民主主義、そして自由ではなかろうか。
 民族学校の教師とは、この様に生徒一人ひとりの人生をないがしろにする人が多い。人の人生がどうでも良いという事は、言ってみれば自らの人生もそれ程大切に考えていないのである。個人の人生よりも、国家や組織を優先する学校を学校と呼べるであろうか。
 私がいつも考える事は、まず人間が大切であるという事。それ以上でも以下でもない。また、人間が生きるという事は一体どういう事なのかを教えない教師も、到底教師とは言えないのではなかろうか。


    非公然組織「学習組」
 

 拉致問題発覚以降、民族学校から消えたとされるものがある。現状は分からないが、当時高級学校(日本の高校に当たるもの)に入学すると、学校側よりあるものに“勧誘”される者が少なからずいた。
 私もその一人なのであるが、ある放課後、担任に呼ばれ、こう切り出された。
「君、学習組に入る気はないかね?」
「学習組?」
「そうだ。名誉ある盟員になれば、祖国のために貢献する事が出来る。」
「はぁ。で、そこではどの様な『学習』をするのですか?」
「金日成主席の教えについて、さらに深く学び、祖国に命を捧げるために、身も心も鍛錬に鍛錬を重ねるのだ。どうかね?」
「…。折角のお誘いですが、お断り致します。純粋な教養の為の学習ならともかく、その様な活動に身を投ずる事には、興味がありませんので。」
「(やや怒った表情で)そうか、分かった。仕方がない。しかし、今日のこの事はくれぐれも口外しない様に。最高機密の一つなのだから。何も聞かなかった事にしておいてくれ。」 
 
 「学習組」とは、北朝鮮と朝鮮労働党に絶対の忠誠を誓う北朝鮮直轄の「革命組織」で、 在日朝鮮人系の朝銀信用組合に強い影響力を行使してきたとされる、メンバー約2,000人(当時)から成る、非公然組織である。
 通常、日本の社会、特に会社や学校においては、一切の政治・宗教活動は禁じられている筈である。それは、過去の戦争に対する猛省に拠る所が大きいと思われるが、集団がある特定の思想に染まった時の恐ろしさは、計り知れないものがある事を知っているからであり、当時の日本の軍国主義を始め、ナチズムやスターリン主義はその最たる例である。
 しかし、ここへ来て、また新たな動きがある様である。総連が、解散していた「学習組」の復活・再編を進めているという情報が流れた。総連の資金調達や組織の強化・引き締めなどの他、拉致事件や核開発問題で、日朝間の正規ルートによる交渉の行き詰まりを受け、対日工作を強化する狙いがあるそうである。その翌年には、ミサイル開発に使用可能な機械をイランへ輸出したとして、 警視庁が摘発した都内の工学機器製造会社による不正事件にも関与した他、対韓国工作も担当していた事が明らかになっている。
 また、公安当局によると、「学習組」は日朝首脳会談直前、つまり拉致問題発覚直前に、金正日の指令で解散したとされている。総連の中でも、秘密工作機関として公安当局にマークされていた学習組解散の背景には、北朝鮮の「民主化イメージ」を打ち出す戦術があったとも言われている。

 「学習組」は、校内においても「最高機密」という扱いであった。従って、その活動も秘密裏に行われ、その様子は茶番そのものであったが、盟員の各々は何ら疑いを持つ事なく、活動していく事となる。金日成思想を唯一の思想として。

 高校時代などは、年齢を重ねたとは言え、まだまだ自らの人生観の確立には至っていない場合がほとんどであろう。また、在日社会は、マイノリティーであり、かなり閉鎖的な社会である。ある意味、その「温室」で育った現在の三世や四世の大部分は、ある年齢に達するまで、外界を知らずに育つ。現在、民族学校の教壇に立つ者などが、良い例であろう。民族系の大学を出るまでの16年をその中でのみ過ごし、日本のこの厳しい社会を全く知らずに来た未熟者に、次の世代を担う子どもに、一体何を伝える事が出来るであろうか。
 
 終戦から、60年が過ぎようとしている現在でも、世界各地では紛争が絶えない。米ソの冷戦はとうの昔に終焉を迎えたが、宗教が絡んだテロリズムという新たな脅威が出現している。
 在日の子どもたちが、自らが背負った歴史的背景を知る事は確かに切実な問題である。しかし、世界はこの在日社会、さらには北朝鮮が中心で動いているのではない。複雑な世界情勢を常にグローバルな視点を持って見つめ、その中で自分たちはどの様に生きるべきなのか。
 この様に、民族教育の問題点の一つは、常に在日や北朝鮮社会を中心にしか見ないという点である。それでは、いくら言語教育や歴史教育を施した所で、何の意味も持たない無益なもので終わってしまう。
 緊迫した世界情勢が刻々と変化する中で、この様なシステムが崩壊する日は、そう遠くない。


   北朝鮮、万景峰号、そして朝鮮総連
 

 朝鮮総連の傘下にあるのは、何も朝鮮学校などの教育機関だけではない。その中には、金融機関、出版社、保険会社、さらには歌劇団や歌舞団にまで及ぶ。
 数年前、公的資金投入や破綻などで話題となった朝銀の全国組織「在日本朝鮮信用組合協会(朝信協)」は、民族系の金融機関である。因みに民族系の金融機関とは、在日朝鮮人・韓国人たちから預金を集め、在日系企業や市民への融資を行っている金融機関を指す。また、「朝銀」という名前が付いたものが北朝鮮(総連)系で、韓国(民団)系には「商銀」という名が付いている。
 当局直属の機関であり、全国各地の朝銀は総連に人事権を握られた機関であった。この朝銀の存在こそが、総連、さらには金政権をも支えていたと言っても過言ではあるまい。何故ならば、朝銀は莫大な預金をせっせと本国へ送金しており、それがミサイル開発や核開発の温床となっている可能性、何よりも、民族を破滅へと向かわせる金一族にとっての資金源ともなっている可能性がある事はほぼ間違いないと見られている。多くの国民が餓死していく中で、彼らだけが私腹を肥やしているのである。
 送金ルートは、大方次の通りである。現金の場合は船で北朝鮮まで運ぶのが一般的、日本へ寄港する北朝鮮の万景峰号で、北朝鮮への親族訪問などで乗船する人の手荷物に、数千万円ずつ入れ運ばせて無事持ち出す事が出来る。また、日本各地の海岸に接岸する北朝鮮の密入工作船に運び込み、持ち帰るというルートもある。
 
 万景峰号には、私も数回乗船した事があるが、友人の中には決して少なくない額を親や親族から預かり、本国に持ち込むケースが多く見られた。因みに、私が持ち込んだ物資は、ほぼ全て当局に没収されたのであるが…。
 帰国運動により北へ渡った者を持つ在日の多くには、現在でも北朝鮮へと送金している者が少なくない。本国の紙幣などは紙屑同然であるし、北朝鮮では外貨(主にドルや円)しか流通が出来なくなっている状態である。送金された金銭が、当局へと没収されるのはまず間違いなく、また物資なども、一部の特権階級の中で横流しされているのが実状である。
 この様な、北朝鮮への送金システムの歴史は古くに遡る。それにより、総連の一部のトップたち、北朝鮮特権階層の資金となり、総連の故・韓徳銖議長ら一族も、本国での贅を尽くした生活ぶりが時折伝わって来た事を思い出す。
 しかし、何と言っても先に述べた在日朝鮮人の帰国運動が何よりの原点である。帰国した10万近い者の多くは日本に親族を残して海を渡った。金日成の狙いの一つは、彼らを“人質”に取り、多くの在日から莫大な金をむしり取る事であった。
 日本においての著しい差別に耐え切れず、藁をも掴む思いで海を渡り、そこに待ち受けていたものは、日本のそれより遥かに厳しい差別と貧しい生活であった。何一つ自由はなく、反抗した者は即刻、収容所へと送られる。生き長らえた者は人質として利用され、また、日本に残った在日も北朝鮮により翻弄された者は後を絶たない。全財産を没収され、無一文になった者も大勢いる。
 新潟発の船には、現在でも親族訪問の為に乗る人が多数存在する。何を思い、決して安くない代金を支払い、繰り返し訪問するのか。私には、到底理解出来ない事である。はっきり言って全くの無意味である。
 しかも、親族訪問の際の面会日時や場所などは、全て当局によって決められ、徹底的に監視が付く。焼け石に水とは、まさにこの事。あの政権を打倒しない限り、あの国への金や物の流れは一切断ち切るべきである。さらに、総連支部や分会など小規模集会での募金、朝銀の預金、そして民族学校の教職員の給料や生徒の学費など、何かしらの形でこれら全てのものから北朝鮮へ送られる資金が集められる。
 
 有史以来、一体どこに自らの国民を人質に取り、海外の同胞から金を奪い、軍事最優先の独裁政権を維持する為に使った政権があっただろうか。歴史上、最も非人道的で、自国民を微塵も愛さず、有名無実な社会主義体制を維持する愚かな国家が、現在まで地球上に存在し得ている事は、これはもはやこの国だけの問題ではなく、地球の恥である。
 個人的には、総連は日本の中にある第二の北朝鮮であると思っている。いや、見方を変えれば総連なくしては北朝鮮の現在までの存続はあり得なかった様に思う。空前絶後の愚かなる体制は、チャウシェスク政権の様に民衆によって打倒されるべきであり、それを支え続けた総連の大罪は、もはや拭い様がない。

「祖国」訪問

2009-06-02 07:24:46 | 韓国・北朝鮮
 朝鮮総連の機関誌『朝鮮新報』のHPをご覧ください。

  http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/Default.htm

相変わらず、北当局の伝声管です。こんな組織が今なお生き続けているとはどういうことでしょう。そのこと自体に対して在日朝鮮人の闘いがないことにあきれます。70年代に韓国の民主化に動き回った人々はどうしているのでしょう。たとえば徐勝さんらは?
 神戸朝高の記事があったので同校のHPを覗いてみると3年生の祖国訪問の記事があります。いわば修学旅行で6月に実施されるようです。


神戸朝高 高3のジオログ
 http://geocities.yahoo.co.jp/gl/sobi1974/view/20090529/1243571851

  



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 このようなことが今なお続いていることは僕にはほとんど信じられません。核実験を成功させ「強盛大国」をめざす独裁国家をたたえることが12年間の「民族教育」の総決算として行われるということです。ストップをかける人はいないのでしょうか。

 『木苺』に連載された元智慧さんの「ある在日の告白」から関係の記事を紹介します。90年代に朝鮮高校生として「祖国訪問」を体験した人です。
 

 「祖国」訪問  


      元智慧(うぉんちへ) 『木苺』124号(05年10月)


 朝鮮学校へ通う生徒も日本学校の生徒同様、在学中に幾度か修学旅行というものを体験する。殊に重要視されているのが、高級学校(日本の高校に相当)三年の時に企画される、「祖国訪問」である。
 全国にある高級学校の生徒のほぼ全員が、一年をかけて順次、新潟港より渡航する。船は、あの悪名高い「万景峰号」である。
 拉致関連のニュースなどで、チマチョゴリ(朝鮮学校の女子の制服)を着た女子生徒やブレザーを着た男子生徒が一斉に下船する姿をご覧になった方も多いと思われるが、あの光景がまさにそれである。

 一昔前、特に金日成が存命中は、この修学旅行の他に、芸術やスポーツなどの各分野で選抜された者が、「偉大なる首領様」の前で自らの腕を披露する公演などの機会もあったが、それも彼が亡くなった後は、下火になった様である。
 さてこの修学旅行、私も例に洩れず参加した訳であるが、個人的にはその一昨年、別の機会に訪れており、結果的には二度訪朝する事となった。
 船の中では、夜毎集会が開かれ、修学旅行中、より一層の国家と金一族への絶対なる忠誠、この修学旅行での「得難い」体験を、今後どの様に自らの人生に反映していくか、勿論それは前提に国家の為に生きるという事があるのだが、教師たちはいつになく力が入って、生徒たちにその決心を迫るのであった。
 新潟港を出発した我々が、二泊三日の船旅を終えてまず目に入るのが、元山(ウォンサン)の港である。北朝鮮がどの様な国家であるか熟知していない殆どの生徒は、只々純粋に初めて見る「祖国」の光景に感無量になる。そして、次々と起こる歓喜の声。両足で祖国の地を踏む者もいれば、敢えて片足で踏みしめる者もいる。
 到着後、まずパスしなければならない事は、厳しい荷物の検閲である。アメリカ製の全てのもの、そして北朝鮮の思想にそぐわないものは、否応無しに没収される。そして、それ以上に、北朝鮮の文化度の低さを露呈させる様なもの、例えば音楽機器など電子機器類は実に厳しかった。その行為自体、自らの後進性を露呈している様なものであるのだが。カセットテープやCD、そしてビデオテープなどはその内容まで調べられ、特に「問題」がなければ後日返却されるという状態であった。恐らく当局は、国家体制が文化によって崩されるという事を、熟知しているからであろう。
 港町元山はお世辞にも美しい街とは云えず、特に目立っているものといえば、船舶と在日朝鮮人の生徒や、観光客相手に営業している飲食店ぐらいのものである。この飲食店、基本的には北朝鮮が外貨を得るためのものであり、そこに住む人たちは利用できない。海外より訪れた人たちが、山盛りの肉や松茸、そしてにぎり寿司などを頬張っている姿を、現地民、特に子どもたちが窓越しに生唾を飲み込んでいる光景に、この国が抱える経済や食糧事情などの一端を垣間見る様な気がした。日本と北朝鮮、そして現地民と在日朝鮮人の歪みきった戦後の関係を如実に物語っている。
 元山には長居せず、我々は直ぐ様一路、首都平壌(ピョンヤン)へ向かう事となる。使い古されたバスに揺られ、道なき道をまっしぐらに走っていく。目に入る光景はとてものどかなものであり、人の姿はあまり見られない。禿山が多い北朝鮮の山道を数時間走り、我々は修学旅行の大半を過ごす事となる平壌へと入っていく。
 平壌という街は、しばしば「写真用・写真用の街」と云われる。紛れもなく海外メディア向けの宣伝シティであり、そこに暮らす人々も、「選ばれた人」たちである。まるで、遊園地にでも入るかの様に、首都の入り口には、「ようこそ、平壌へ」という看板が掲げられており、周りは子どものようにはしゃいでいた。
平壌は北朝鮮の街の一つである事には違いないのであるが、それは北朝鮮の本当の姿ではない。朝鮮総連や在日の資本家から掻き集めた金を注いで、戦後「祖国復興」という名の元に労働を課せられた人たちの血と汗を思えば、何ともやりきれない想いが胸を占めた。それが平壌なのであり、労働を強いられた人たちはもう殆どいない。
 首都に入った我々の最初の義務、それは金日成像に「礼を尽くす」事である。滞在中、事ある毎に訪れる事になる訳であるが、一昨年行っている事とは云え、私はうんざりする思いであった。人が人を奉り崇めるという事を何よりも嫌っていた私は、もはや溜め息しか出なかった。そして、これから始まる想像も出来ない事に、皆胸をはずませている中で、この尋常ならざる国家体制に一人大いなる疑問を抱いていた。


 永久保存された遺体
 

  初日は慌しく過ぎ、宿泊先へと向かった我々は休む間もなく、クラスごと一同に会する事となる。これから始まるこの「意義ある」訪朝における、各々の決意を否応なしに述べさせられる。心にもない事を適当に述べた後、一息ついて夕食時間となる。
 北朝鮮においてこの様なホテル住まいをしているだけでは、とても日本において報道されている様な貧困や飢餓に喘ぐ人々の姿は想像できない。それ程、平壌における宿所の食事は豪勢である。
 しかし、それ以上に驚くのは、それを見て何も感じない同級生たちの姿である。北朝鮮の人民が飢えようと死のうとまるで他人事、という顔で目の前の食事にありついている。ここでそういった話は禁句だと思っているのか、或いは只単に無関心なのか、とにかくその様な話題が出る事は、最後までなかった。
 北朝鮮では、言論の自由がない。言論の自由のみならず、一切の自由が許されない。しかし、その様な説明を事前に受ける事など一切ないし、教師はいかに素晴らしいかを連呼するばかりである。真の意味においての修学旅行であるならば、現実をあるがままに伝えるべきである。生徒たちは戦後の北朝鮮がどの様な道のりを歩んできたのか知らないし、いうなれば北朝鮮という国についてまるで無知である。
 さて、その翌日我々は、北朝鮮において「第一の聖地」と呼ばれる、錦繍山記念宮殿へと向かう事となる。他でもない。故・金日成の遺体が安置されている、建築物全てが大理石という贅を尽くしたものである。独裁者の遺体を永久保存する事は、何も北朝鮮が初めてではなく、旧ソ連などで既に行われている。その昔、スターリンがレーニンの死後、遺体を永久保存する様に命じた事は有名な話である。因みに、レーニン廟付属研究所の遺体保存技術者たちは、第二次世界大戦後も共産圏の独裁者たち、金日成の他にもベトナムのホー・チ・ミンらの遺体永久保存を次々と手掛ける事となる。
 話を元に戻して、とてつもなく巨大な建物で、どこが入り口なのかすら分からない。我々は一列に並び案内されるままに進んでいく。この宮殿には、彼にまつわるものが数々展示されており、とにかく圧巻である。そして、ついに遺体安置場へと入る事となるが、その前に全身に殺菌シャワーを浴びせられる。ここまでして見る価値があるのかと疑問にも思ったが、良くも悪くも歴史上の人物との「対面」はもう目の前である。誰もが息を殺して、やや緊張感を伴って、赤く薄暗い照明だけがあるその場へと向かう。
 ここを訪れるのは二度目であるが、まるで初めて訪れたかの様な緊張感が身を包む。一歩一歩踏みしめながら、その瞬間が近付く。透明な箱の中に彼はまるで生きているかの如く眠っていた。どの様な想いを秘めている人でも、これを目の当たりにすれば、激動の歴史を生き抜いてきた指導者を偲ばずにはいられないであろう。
 しかし、静かにその厳かな空間を抜け出した次の瞬間、やはり大いなる疑問を抱かずにはいられない。彼がどれ程の人物か定かではないにしても、これ程の建築に一体どれ程莫大なる工費がかけられているのであろう。聞く所によると、優に数十億はつぎ込まれていると。当然、朝鮮総連の強力なバックがある訳であるが、一方で人民が刻一刻と倒れていく姿を想像すると、やはり憤りを抑えきれない。かつての共産国家がそうであった様に、こういった体制の下では、一人の人民の命よりも、「偉大なる指導者」の遺体の方がよほど価値があるのであろうか。
 政治的指導者の遺体を永久保存して神格化してしまうという何とおぞましい事。しかしそれよりさらにおぞましいのは、そういった事を推し進める共産主義体制そのものである。
 金日成という人物の事に関しては、実の所現在でも謎が多いとされている。確かな事といえば、元来スターリンの傀儡政府としてソ連軍の後押しで彼は北朝鮮に入り込んだが、政治闘争で親ソビエト派であった政敵を粛清する事で権力を掌握し、息子に権力を譲る事で、体制を盤石なものとしたという事である。
 いつの世も、独裁国家は滅びの途を歩む事となる。何もかもが完全に常軌を逸した世界、それがプロレタリアート独裁という名のファシズムがもたらしたものの正体である。
 現在に至るまでこの国を取り巻く情勢は常に緊迫しており変化し続けているが、北朝鮮の歴史は、血塗られた「粛清」の歴史でもある。有史以来、最も悲惨な歴史の一つとして名高い在日朝鮮人の帰還事業。あの十万近い人々は今いずこへ。金日成によりその殆どが粛清され、信じた自らの指導者と国家により裏切られ、物言わず逝った事を思うと、今ここにいる己の姿が滑稽に思われた。


    国境の町


 訪朝した者が必ず訪れなければならない場所、それはもう一つの北朝鮮の聖地である白頭山である。飛行機に乗り平壌からさらに北へと向かう。聖地と呼ばれる所以、ここは金正日生誕の「伝説」の地であり、朝鮮民族の霊峰とも言われる。
 しかし、山脈が連なる土地は特有の気候があり、「天池」があるとされる頂上付近はおろか、登る事さえ余程天候が芳しい時以外は難しいとされている。私は結局二度訪れ、この山に登る事はなかった。
 中国との国境があるこの町、両江道恵山市はやはり、首都平壌とはかけ離れた田舎町である。我々は殆ど何も手が加わっていないこの町で一泊する事になる。
 その日、北朝鮮では電力不足で頻繁に起きる停電が止まず、私は急に思い立ち友人数人と部屋を抜け出し、町へと繰り出した。北朝鮮でのむやみな行動は慎むようにと厳しく指導されてはいたが、時間を持て余していたので、やや興奮気味で教師たちの目を盗んで出掛けていった。
 まず眼に飛び込んで来るもの、それは町に人の姿が見当たらない事、そして禿げた山々である。恐る恐る歩き始めてしばらくして、やっと民家らしいものが見えてきた。勿論人もいる。
 日本の服を身にまとった我々をじっと睨む様に凝視する貧しい人たち。民家といっても日本の様なそれではない。只、人がやっと住めるか住めないか、といった程度の何ともお粗末なものである。
 そして、恐らくまともに食べていないのであろう。顔色はひどく悪く、頬も黒ずみこけている。
 我々はそれらを尻目に、先へと進んでいく。やがて、何やら行列をなしている光景が目に入った。一体何なのか、確かめるべく近付いてみる。行列の原因はすぐに判明した。食糧の配給である。
 戦後日本においても、配給が行われたが、自由経済がないこの国では、いまだに(当時)配給制度なのである。トラックが到着し、皆抱えている幾つもの袋を差し出す。米なのか、他の食糧もあるのだろうか。初めて見る、めったに見る事のできない光景に、我々はしばらく立ち尽くしていた。
 「食べる」事が決して当たり前ではないこの国で、人々は一体何が人生の歓びなのであろうか。それが生まれた時からそうなので、そういった感覚はもはや麻痺されているのであろうか。その様な事をふと考えながら、さらに先へと進んだ。
 しばらく怖い程静かな町を歩き続けた我々の前には、大きな金日成とスローガンが描かれた看板があった。「偉大なる首領、金日成大元帥は永遠に我々といらっしゃる」、確かこの様な内容であったと記憶する。
 思わず吹き出してしまった私は、次の瞬間には呆れ果て、妙な脱力感に見舞われた。この様なスローガンを突き付けられて、しかしその結果は極度の飢えと貧困である。何故この国は、これ程までに貧しく、一向に発展しないのか、歴史や国家体制の歪みから生じた仕方のない事なのであろうか。そして、国民はその様な体制に反旗を翻し立ち上がる気力すら、もはやないのであろうか。先程我々を見つめていた人々の目には妙な鋭さがあったが、しかし光は失せ、目は完全に死んでいた。
 しばらく様々な事に想いを巡らせていたが、あまり宿所を離れすぎると問題になる恐れがあるので、適当の頃合いを見て、戻る事とした。
 ここで見た光景はいまだに私の目に焼き付いて離れない。国家が抱える矛盾をこの目で見た感覚は、日本にいては決して体験出来るものではなかったであろう。
 宿所へ戻ったが特にお咎めはなしで、何事もなかったかの様に、しばらくは所内で過ごした。
 その昔、日本では「国境の町」という歌が流行った。国境というものは、人の心を揺さぶる何かがあるのだろう。この歌が流行った頃、日本にはまだ国境というものがあり、人々は何か言いようのない魅力がある国境に想いを馳せて、この歌を口ずさんだに違いない。
 国境の向こうはもう中国である。近年脱北、つまり飢餓や政治的な迫害により北朝鮮を抜け出し、中国を始めとする近隣諸国へと逃げる者が後を絶たない。北朝鮮では、移動の自由もない為、幾ら苦しかろうと、現住している場所から離れる事は至難の業である。事実、国境付近に住む者たちは、決死の覚悟で越境する者が多い。リスクが多過ぎるこの命懸けの亡命は、彼らに残された最後の生きる道なのであろう。失敗し強制送還され、死の収容所が待っているにもかかわらず決行する。ここに住む者たちが、最低限の「人間らしさ」をも与えられず、国家の奴隷と化しているその姿を見ていると、私はもはや修学旅行以上のものを見た充足感と、愚かな体制への怒りが微妙に入り混じり交差していた。(つづく)

北朝鮮核実験抗議声明案⑤カツヨシさんのコメント

2009-06-01 07:04:05 | 韓国・北朝鮮
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    わがこととして (カツヨシ)

●けいすけさんの、「これを認めてしまったら、私たちがこの数十年間、大事に育ててきた『私たち自身』が崩れ、壊されてしまいます。ぼくの命も輝きを失います」という言葉に深く共鳴しながら、「少しでも若い人が(声明文を)書いてくれませんか」という提起に甘えて、何も発信せずにいました。そして今、ハンさんの、身を切られるように痛切な感懐をはじめ、続く皆さんのどこまでも自己に根ざした鋭い論考に接し、多くの人々がこの問題を「わがこととして」捉えることの大切さを改めて痛感しています。
●「原爆の図」を初めて見たのは9歳。その中の「少年少女」(無数の死体が折り重なる中、涙も枯れ果てた少女が二人、裸のままひざまずき抱き合っている)が、とりわけ、人間の優しさや尊さを圧殺する原爆というものの脅威と理不尽を伝えて衝撃的でした。「おれ、せんそう、やです」……わが「三つ子の魂」。わが人生のメルクマール。幼い日の鮮烈な記憶が、その後の歩みを支え、突き上げてくる原点となりました。
 そういう歩みをあざ笑うような、丸ごと否定するような暴挙、脅迫外交の手段として核を弄ぶような愚挙に大きな憤りを感じます。
●数年前、韓国の「日本語教師」のグループを丸木美術館に案内したことがあります。ところが、人々は30分もたたないうちに展示室から出てきてしまいました。「どうして?」という
ぼくの質問に彼らは薄く笑って「原爆投下は早期に戦争を終結させるための正しい選択だった。この絵はそこをごまかしている」「わが国は植民地時代にもっともっと悲惨な目にあっている。これとは比べ物にならない」
 ここには自分の視座へのこだわりがあるばかりで、他人の痛みを「わがこととして」捉える視点が欠落しています。他人の痛み(勿論この場合は「原爆」という全人類的課題なのですが)に対して自分の痛みを対置して、共感や共闘や共生の道を閉ざしてしまう。眼前の現実を素直に見つめることをせず、既成のものさしでしか判断しない。「拉致」問題のときもそうでした。 
 今回の問題も、単に日本の安全にとっての脅威という捉え方だけではなく、北朝鮮の人々の状況と思いを「わがこととして」考える見方が重要だと思います。
●「なぜ核を巡る日本の非難が北朝鮮だけに集中するのか、これが不思議でならない。(略)北朝鮮が話題になると、必ず大騒ぎになるのはちょっと問題だと思う。(略)本気で核のない平和な世界を求めるのなら、最大の核保有国である米国などに対し、きちんと主張し、今ある核を無くす努力から、しっかりやっていくべきだ」(「朝日」09・5・30「声」「既に核持つ国をまず心配せよ」)
 一見尤もそうに見えるこの意見も、ここでは現実を「わがこととして」見ずにいたずらに議論を拡散させるだけのように思えます。


カツヨシさんが昨夜のうちにいれて置いてくれたコメントを読んで大いに励まされました。ぼくが伝えたいことを的確に受け止めて発信してくれました。
 日中韓の人々が北朝鮮の物言えぬ人たちの言葉を受け止めることが出来るようになるかどうかがキイポイントだとぼくは書きましたが、それがどんなに困難なことか、カツヨシさんの体験が語っています。この10年間の韓国の反日ウリ民族主義左派政権はこのような偏狭な価値観を鼓舞してきたといえます。日本の左派の人たちの中にこうした流れに迎合する意識が広がったことも事実です。
 そのような現実をふまえながら人々の心に届く言葉を声明として発したいものです。
 ぼくのように暇な人はいないのかも知れません。生活に追われて大変なことはわかります。でも、どなたか「私が書いてみよう」という人はいないでしょうか。言うべき時に言い、やるべき時にやらなければ「自分」が腐っていくだけです。
 ちなみにぼくは東京のどこかで一日ただ黙って座って抗議するということなら出来そうです。どこかでそういうことをやっている方々はいるのでしょうか。広島なら平和公園で座り込んでいるかたがいます。