川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

土肥・前三鷹高校長の裁判闘争を支持する

2009-06-25 04:09:09 | こどもたち 学校 教育
 都教委という公権力を私物化しやりたい放題を続けている一部のならず者たちに対する土肥さんの闘いは裁判という形になったようです。JANJANにこんな記事を見つけました。
 民主主義の原点を守り抜こうという主張にどんな反論があるというのでしょう。とくと聞かせてほしいものです。
 石原都政に対する都民の支持(選挙で圧勝)を背景にウルトラ右派分子が台頭し命令を連発する行政をやってきました。今度の都議選で流れを変えることが出来るのでしょうか。
 土肥さんの声に耳を傾けて下さい。こういう声を孤立させてはなりません。


言論の自由を抑える都教委を「公開討論」の場へ

  東京都を訴えた都立三鷹高校の土肥信雄・前校長に聞く
               三上英次2009/06/16
 

 都立三鷹高校の校長在職中から、「挙手・採決禁止」通知をはじめとする都教委による「言論統制」に異を唱えていた土肥信雄氏が6月4日、ついに都教委を相手どり訴訟を起こした。東京都の非常勤教員への不採用に関し、都教委の教育施策の違法性を明らかにするため、無効確認でなく損害賠償のみを求めたという。訴状を提出した土肥氏に話を聴いた。

 都教委の施策に広く審判を仰ぐのが目的

 記者 今回のことは、「前校長が教育委員会を提訴」と聞けば、事情をよく知る人はともかく、初めての人は驚くでしょう。また、私も、非常勤教員不採用の無効確認訴訟かと思っていましたが、どうやらそうではないということで、今日は訴訟の理由、そのねらい、あるいは広く土肥先生の考える望ましい教育行政などについてお話をうかがえればと思います。 



 土肥 まず、訴訟の内容ですが、表向きは非常勤教員の不採用等による慰謝料1,850万円を求めたものですが、実質は今までの都教委の教育施策に対する審判を仰ぐものと私は考えています。都教委は、本来民主的であるべき教育現場には「言論の自由」を認めず、都教委に都合の悪いことはことごとく抑えて表に出さないという方針でやって来ました。

 都教委の「挙手・採決禁止」通知は2006年4月に出されましたが、私は現職中の07年秋頃から、「これは学校から言論の自由を奪うものだから撤回してほしい、撤回できないのなら、通知の理由や根拠についてきちんと説明してもらいたい」と言って来ました。08年5月以後は、外の社会に向けても同様のことを言い、「公開討論」も呼びかけました。しかし、都教委は、それについて一切の説明を拒んでいます。 

 私が都教委に公開討論をお願いしたのは、「挙手・採決禁止」通知をはじめ、都の教育施策が、どういういきさつで決まり、何をねらいとするのか、全く「藪の中」だったからです。しかし、教育は、国の将来を決める大事な事業なのです。健全な青少年を育てられなければ、その国は滅びます。健全な青少年を育てる施策が不健全であってよいはずがない。私は自分の独断で「都教委が不健全だ」と決めつけるのではなく、健全か不健全かについて、より多くの人と問題を共有し、公正な判断を仰ぎたいということです。 

 提訴の理由についても、私は自分自身の不採用そのものを問題視しているのではなく、不採用は都教委の不健全さの一部だととらえています。その不健全さを正すには、一部にだけ焦点を当ててはいけません。都の教育行政のありかたそのものを問うというねらいで、今回の訴訟を決断したのです。 

 記者 裁判になれば、都教委としても応じないわけには行かない。つまり土肥先生が前から求めていた「公開討論」ということですね。 

 土肥 そうなんです(笑)。おおやけの場で意見を戦わせることが大事なんです。そうすれば、都民だけではなく他府県の人も、つまり国民全体が都教委の実態を知ることになるし、それだけではなく、情報を共有することで、より望ましい方向をみんなで模索していくことができる、これこそ民主的なあり方だと思いませんか。 

 パワハラや「見せしめ」への異議申し立て

 記者 そう思います。土肥先生にとっては「裁判に勝つかどうか」ではなく、「公開討論」「問題の共有」が、目的なのですね。 

 土肥 私は、自分の考えに信念を持っていますから、裁判に勝つに越したことはありません。けれども、さきの「岩波ブックレット」でも言いましたが、私は自分だけが正しいとは思いません。より多くの人、つまり裁判所や国民などが、都教委のやり方を支持するなら、私はそれでいいと思います。そうではなく、都教委の一部の人間が、…ここが大事なのですが…、私は「都教委」「都教委」と、都教委全体が悪いように言っていますが、正確には、都教委の、ごく一部の人間が、都の教育施策を私物化して来たのです。それを正していかなければなりません。 

 記者 私物化と言えば、非常勤教員への不採用も、全く恣意的で、理不尽なものでした。 

 土肥 そうですね、むちゃくちゃですよ(苦笑)。私の聞くところでは「日の丸・君が代」不起立者以外は、定年後ほとんどが非常勤教員に採用されています。昨年の採用率は98.66%ですよ。私は、法令違反などにより処分を受けたことはありません。都教委の出した通達や通知にも従っていますし、三鷹高校では、もちろん職員の意向を尋ねるのに、挙手や採決は行っていませんでした。 

 記者 それが土肥先生らしいところです。先日お会いした際も「日本は法治国家だから、法令に従った上で、現状を変えていくよう声を上げる」という姿勢をうかがいました。先生は、極端な革命思想家でもアナーキストでもないのですね(笑)。 

 土肥 善良な小市民ですよ、声は大きいですが(笑)。だから、私は都教委の施策に従った上で、「将来の日本のためにならない」と考えて公平に意見を戦わせる公開討論を求めたり、書面による質問などをしたりして来たのです。間違ったことをしている組織(都教委)を批判したことで不採用にするなんて、納得できない。それは権力の濫用であり、パワハラであり、まわりへの萎縮効果をねらった見せしめだというのが、私の意見です。 



 基本的人権、言論の自由を互いに認め合うよう教えてきた

 記者 土肥先生には、以前お尋ねしたことがあります。「これから教育現場に入ってくる若い教員に何かアドバイスはありますか」という質問に対して、先生は「生徒たちのために、汗をかける教員になれ」――それはすなわち「子どもたちのために労苦を厭わない教師であれ」というようにお聞きしました。今回の訴訟は、今の高校生、広くはこれからの子供たちのためのアクションだということ、先生は、まだまだ「子どもたちのために汗をかき続ける」ということでもあるのですね。 

 土肥 そのつもりでいます。自分に対して、何かちょっかいを出されたぐらいで、私は怒りませんよ(笑)。でも、私にそういうちょっかいを出す相手というのは、他でも同じことをやって来たし、誰かが止めなければ、これからもやるんです。だから、もし改めるべきことがあるのであれば、それは、将来の子どもたちのため、ひいては将来の日本のためということです。 

 それから、ぜひもう1つ言わせて下さい。私は教員になった時から、教頭、校長になっても、「基本的人権」を生徒たちに教えて来ました。中でも政経の教員として、私は、民主的な社会を築いていく上で「言論の自由」を最も大切なものとして位置づけています。そして、彼らには次の2つを繰り返し言って来たのです。 

 それは、「自分が正しいと思ったことは、相手が誰であれ、きちんと発言せよ」と、「お互いが言論の自由を行使し合うことで、相手がこちらに納得することもある。向こうが正しいと思えば、それに従えばいい」という2つです。 

 この2つを私が生徒にやかましく言っているからには、私自身が実践できていなければなりません。私が権力の前に平伏したり、自分の信念に従ってものを言わなかったりしたら、私は生徒に対して責任がとれません。 

 私は将来の子どもたちに望ましい教育環境を用意するためにも、そしてまた、私が教えて来た生徒たちに対して責任を果たすためにも、「言論の自由」を封じ込めようとして来た都教委の姿勢について、異を唱え続けるつもりです。 

 第3者機関設け、教委と教員がオープンな発言を

 記者 最後に、これからの適正な教育行政についてお聞きします。先生は08年秋に東京都の公益通報者保護条例に基づいて、都教委の「業績評価実施要領」違反を告発されましたね。 

 土肥 そうです。00年4月に導入された校長の教員に対する業績評価も、実施要領では「絶対評価」でよいと定めながら、「全体の20%は悪い評価にせよ」と言って校長の裁量を認めず、こちらからの書類をつき返して来るわけです。そして、そういう都教委の実施要領違反を告発しようと思っても、告発書類は、都教委関係機関が受理することになっていて、結局「告発不受理」になってしまいました。こんなおかしなことはありません。 

 記者 考えてみると、国民は、行政不服申し立てができることになっています。ところが、教員は、人事権を握った教育委員会に対して表立った「不服申し立て」や「抗弁」をする制度が、確立されていないように思うのです。例えば、地域住民や保護者等から成る「学校運営協議会」の制度が、2004年からとりあえず始まりました。この制度は、校長にのみ意見を言える「学校評議員」制度よりもさらに一歩進んで、教育委員会にも意見を言えるという、ある意味では、画期的な制度です。同様に、校長が、教育委員会にもっと物を言える制度が必要だということでしょうか。 

 土肥 直接教育委員会にものを言えなくてもいいですから、教育委員会からも校長からも中立な、第3者機関は絶対必要だと思います。そういう機関を作って、お互いに意見を出し合えば、そんなに極端な考え方だけが幅を利かすことはなくなるはずです。とにかく、問題をオープンにして、誰もが自分の意見を言えるようにする教育環境が必要なのです。 

 記者 そのお考えは、よく理解できます。引き続き、裁判の経緯については見守って行きたいと思います。ありがとうございました。 

    出典http://www.news.janjan.jp/living/0906/0906155123/1.php