川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

北朝鮮核実験抗議声明案⑤カツヨシさんのコメント

2009-06-01 07:04:05 | 韓国・北朝鮮
【川越だより】のアクセス・ランキング

過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)

日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2009.05.31(日) 658 PV 221 IP 4475 位 / 1238180ブログ
2009.05.30(土) 597 PV 259 IP 3466 位 / 1237540ブログ
2009.05.29(金) 606 PV 207 IP 4318 位 / 1236989ブログ
2009.05.28(木) 611 PV 199 IP 4538 位 / 1236480ブログ
2009.05.27(水) 598 PV 191 IP 4166 位 / 1235934ブログ
2009.05.26(火) 608 PV 213 IP 3966 位 / 1235441ブログ
2009.05.25(月) 480 PV 222 IP 3783 位 / 1234936ブログ

過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)


日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2009.05.24 ~ 2009.05.30 3957 PV 1478 IP 4161 位 / 1237540ブログ
2009.05.17 ~ 2009.05.23 4249 PV 1327 IP 4777 位 / 1233760ブログ
2009.05.10 ~ 2009.05.16 4126 PV 1191 IP 5105 位 / 1229853ブログ


    わがこととして (カツヨシ)

●けいすけさんの、「これを認めてしまったら、私たちがこの数十年間、大事に育ててきた『私たち自身』が崩れ、壊されてしまいます。ぼくの命も輝きを失います」という言葉に深く共鳴しながら、「少しでも若い人が(声明文を)書いてくれませんか」という提起に甘えて、何も発信せずにいました。そして今、ハンさんの、身を切られるように痛切な感懐をはじめ、続く皆さんのどこまでも自己に根ざした鋭い論考に接し、多くの人々がこの問題を「わがこととして」捉えることの大切さを改めて痛感しています。
●「原爆の図」を初めて見たのは9歳。その中の「少年少女」(無数の死体が折り重なる中、涙も枯れ果てた少女が二人、裸のままひざまずき抱き合っている)が、とりわけ、人間の優しさや尊さを圧殺する原爆というものの脅威と理不尽を伝えて衝撃的でした。「おれ、せんそう、やです」……わが「三つ子の魂」。わが人生のメルクマール。幼い日の鮮烈な記憶が、その後の歩みを支え、突き上げてくる原点となりました。
 そういう歩みをあざ笑うような、丸ごと否定するような暴挙、脅迫外交の手段として核を弄ぶような愚挙に大きな憤りを感じます。
●数年前、韓国の「日本語教師」のグループを丸木美術館に案内したことがあります。ところが、人々は30分もたたないうちに展示室から出てきてしまいました。「どうして?」という
ぼくの質問に彼らは薄く笑って「原爆投下は早期に戦争を終結させるための正しい選択だった。この絵はそこをごまかしている」「わが国は植民地時代にもっともっと悲惨な目にあっている。これとは比べ物にならない」
 ここには自分の視座へのこだわりがあるばかりで、他人の痛みを「わがこととして」捉える視点が欠落しています。他人の痛み(勿論この場合は「原爆」という全人類的課題なのですが)に対して自分の痛みを対置して、共感や共闘や共生の道を閉ざしてしまう。眼前の現実を素直に見つめることをせず、既成のものさしでしか判断しない。「拉致」問題のときもそうでした。 
 今回の問題も、単に日本の安全にとっての脅威という捉え方だけではなく、北朝鮮の人々の状況と思いを「わがこととして」考える見方が重要だと思います。
●「なぜ核を巡る日本の非難が北朝鮮だけに集中するのか、これが不思議でならない。(略)北朝鮮が話題になると、必ず大騒ぎになるのはちょっと問題だと思う。(略)本気で核のない平和な世界を求めるのなら、最大の核保有国である米国などに対し、きちんと主張し、今ある核を無くす努力から、しっかりやっていくべきだ」(「朝日」09・5・30「声」「既に核持つ国をまず心配せよ」)
 一見尤もそうに見えるこの意見も、ここでは現実を「わがこととして」見ずにいたずらに議論を拡散させるだけのように思えます。


カツヨシさんが昨夜のうちにいれて置いてくれたコメントを読んで大いに励まされました。ぼくが伝えたいことを的確に受け止めて発信してくれました。
 日中韓の人々が北朝鮮の物言えぬ人たちの言葉を受け止めることが出来るようになるかどうかがキイポイントだとぼくは書きましたが、それがどんなに困難なことか、カツヨシさんの体験が語っています。この10年間の韓国の反日ウリ民族主義左派政権はこのような偏狭な価値観を鼓舞してきたといえます。日本の左派の人たちの中にこうした流れに迎合する意識が広がったことも事実です。
 そのような現実をふまえながら人々の心に届く言葉を声明として発したいものです。
 ぼくのように暇な人はいないのかも知れません。生活に追われて大変なことはわかります。でも、どなたか「私が書いてみよう」という人はいないでしょうか。言うべき時に言い、やるべき時にやらなければ「自分」が腐っていくだけです。
 ちなみにぼくは東京のどこかで一日ただ黙って座って抗議するということなら出来そうです。どこかでそういうことをやっている方々はいるのでしょうか。広島なら平和公園で座り込んでいるかたがいます。