思ったよりも早く、雨模様になりました。バスのフロントガラスに雨滴のようなものがつき始めたのです。大房岬がもうすぐの所です。
どうなるかと心配しましたが、岬の散歩は予定通り楽しむことができました。満開のサクラのもとを歩き、展望台から浦賀水道の景観を望みます。崖を下った海岸では磯の生物の観察。黄さんが大きなたこが泳ぐ姿を発見して教えてくれました。海の側で少年期を過ごした僕にもこんな体験はありません。中国の黒竜江省や青海省から来たひとびとにはとくに嬉しい一時だったことでしょう。この頃には雨がやみ、ゆっくり海の気を吸うことができました。
昼食は展望塔の一階のひろばにシートを敷いて、家族、グループごとにかたまってとります。周りのサクラをながめながら。このころからまた雨。昼食後、展望塔に登って見ました。上から見る雨に打たれるサクラもなかなかのものです。忠幸さんと精さんが代わる代わるに写真を撮ってくれました。
予定を早めて、2時に帰途につきました。道の駅や海ほたるに立ち寄りながら、5時半には日暮里着、解散。
今回のバスの旅でとくに嬉しかったのは、都立北高校90年卒業の李さんが通訳として活躍してくれたことです。残留孤児二世として小学生の時来日した彼女が、様々ないきさつを経て、4月1日からは特別職の公務員として、残留孤児の方々の世話をする仕事に就きます。その仕事始めに先駆けて、通訳の任を果たしてくれたのです。この日のバス旅行の参加者のほとんどは残留孤児とその家族です。
忠幸さんの活躍も目立ちました。私たちの最長老ですが、学生の時以来身につけてきた中国語を駆使して、細かい心使いをされます。生き生きとしていました。北高時代に馴染んだ李さんと一緒に仕事をするのが嬉しいのかも知れません。
忠幸さんが選曲してきた中国の歌曲をいきなり歌わされた黄さんには驚きました。在日コリアンの青年です。いかにこの道のプロ(ピアノの演奏家)とはいえ、渡されたばかりの楽譜を見ながら、中国語で歌うのです。しかも、それをみんなに指導するのです。美しい歌声に魅了されながら、誰もが尊敬の念を深めたのではないでしょうか。「海よ、我が故郷」。ぼくもメロディにはなじみがあります。
最近、中国から来日した花嫁、花婿を紹介し、祝福しました。花嫁さんのひとり、吉林省延吉から来た劉さんがお返しに「海よ、我が故郷」を歌ってくれました。
雨の日暮里で参加者の方々と別れたあと、忠幸さん、精さん、私たち夫婦で李さんの就職祝いをしました。李さんに卒業以来の歩みを語って貰いました。中国山東大学に留学して「人生の師」と仰ぐ夫君と出会ったことが、この人の人生を豊かなものにしています。この人ならその愛情を残留孤児の人たちにも注ぐことができるに違いないという私たちの目にも、狂いはありません。きっと。
川越に着いたのは真夜中。疲れ果てて、ひたすら眠りました。
どうなるかと心配しましたが、岬の散歩は予定通り楽しむことができました。満開のサクラのもとを歩き、展望台から浦賀水道の景観を望みます。崖を下った海岸では磯の生物の観察。黄さんが大きなたこが泳ぐ姿を発見して教えてくれました。海の側で少年期を過ごした僕にもこんな体験はありません。中国の黒竜江省や青海省から来たひとびとにはとくに嬉しい一時だったことでしょう。この頃には雨がやみ、ゆっくり海の気を吸うことができました。
昼食は展望塔の一階のひろばにシートを敷いて、家族、グループごとにかたまってとります。周りのサクラをながめながら。このころからまた雨。昼食後、展望塔に登って見ました。上から見る雨に打たれるサクラもなかなかのものです。忠幸さんと精さんが代わる代わるに写真を撮ってくれました。
予定を早めて、2時に帰途につきました。道の駅や海ほたるに立ち寄りながら、5時半には日暮里着、解散。
今回のバスの旅でとくに嬉しかったのは、都立北高校90年卒業の李さんが通訳として活躍してくれたことです。残留孤児二世として小学生の時来日した彼女が、様々ないきさつを経て、4月1日からは特別職の公務員として、残留孤児の方々の世話をする仕事に就きます。その仕事始めに先駆けて、通訳の任を果たしてくれたのです。この日のバス旅行の参加者のほとんどは残留孤児とその家族です。
忠幸さんの活躍も目立ちました。私たちの最長老ですが、学生の時以来身につけてきた中国語を駆使して、細かい心使いをされます。生き生きとしていました。北高時代に馴染んだ李さんと一緒に仕事をするのが嬉しいのかも知れません。
忠幸さんが選曲してきた中国の歌曲をいきなり歌わされた黄さんには驚きました。在日コリアンの青年です。いかにこの道のプロ(ピアノの演奏家)とはいえ、渡されたばかりの楽譜を見ながら、中国語で歌うのです。しかも、それをみんなに指導するのです。美しい歌声に魅了されながら、誰もが尊敬の念を深めたのではないでしょうか。「海よ、我が故郷」。ぼくもメロディにはなじみがあります。
最近、中国から来日した花嫁、花婿を紹介し、祝福しました。花嫁さんのひとり、吉林省延吉から来た劉さんがお返しに「海よ、我が故郷」を歌ってくれました。
雨の日暮里で参加者の方々と別れたあと、忠幸さん、精さん、私たち夫婦で李さんの就職祝いをしました。李さんに卒業以来の歩みを語って貰いました。中国山東大学に留学して「人生の師」と仰ぐ夫君と出会ったことが、この人の人生を豊かなものにしています。この人ならその愛情を残留孤児の人たちにも注ぐことができるに違いないという私たちの目にも、狂いはありません。きっと。
川越に着いたのは真夜中。疲れ果てて、ひたすら眠りました。
、さぞ「快い疲れ」でお休みなのだろうと、昨日何度も「川越だより」を訪ねながら思いました。小雨の中の満開の桜の風情、初めての磯遊びに興じタコやウミウシに遭遇した人々の驚喜、黄青年の巧みな歌唱指導の伸びやかさ・温かさ、賑やかで楽しい雰囲気が「53番目の(想像力の)参加者」にもしっかりと伝わってきます。多くの出会いをが生まれて、5月の「第7回きいちご移動教室」がますます楽しみです。
どうぞゆっくりご静養ください。
ぼくのほうは順調に美声(?)への道を進んでいます。筆談にも慣れて、「ホットココアMサイズ」とか「メガネのゆるみを直してください」とか注文して、最後に「ありがとうございます」という言葉を示すと
、必ず笑顔が返ってきます。嬉しくなります。ところが、家族には甘えてジェスチャーで間に合わせようとします。かなり複雑なことでも身振りで表現しようとしてお互いにじれてきます。結局筆談に頼ることになるのですが、そんな時改めて家族に支えられている自分の日常に思い当たります。「無言」の中から見えて来るものがあります。
久々にゆっくり養生して心身ともに好調です。
5月25日は足尾の旅です。煙害で荒廃した山々に緑を取り戻す営みを続けてこられたかたがたに学ぶ旅になるでしょう。申込者は既に30名を越えました。
コメント欄を借りて、取り急ぎ感謝の煮をお伝えいたします。