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川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

三六災害から50年 秋葉街道の旅メモ①

2011-11-23 19:47:36 | 出会いの旅

11月9日(水)の午後大鹿村の大西公園に寄った。ここには三六災害の後が今もなお生々しい姿で残っていた。1961年(昭和36年)6月梅雨末期の集中豪雨が伊那谷一帯を襲い甚大な被害を出した。この辺りでは「三六災害」というらしい。

 象徴的なのがこの大西山の崩落である。

6月29日

午前9時10分、大西山西側斜面が崩壊。崩壊した土砂はすぐ下を流れる小渋川を超え、対岸にある村の中心部を襲う。分速1000mで押し寄せたとされるその勢いは、風圧で家屋や自動車が吹き飛ばされるほどであり、42名の方が犠牲となった。

 

崩落現場の一部は今もそのまま保存され自然災害の凄まじさを今に伝えている。土砂に埋まった山麓は公園として整備され今は桜の名所となっている。

 出典●http://kuzure.jp/wiki.cgipage=%A1%D6%CA%F8%A4%EC%A1%D7%A5%EA%A5%B9%A5%C8%2F%C2%E7%C0%BE%BB%B3%CA%F8%B2%F5%C3%C

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 帰ってから高柳さんに貰ったDVDで「演劇的記録 三六災害五十年」を見た。今年があれから50年になるということで災害に学び災害に備える地域づくりの一環としてふじたあさやさんの作・演出で6月19日に飯田で上演されたものだ。劇団員の他に大鹿村の老若男女総出演という感じで大西山崩壊という未曾有の災害の下で繰り広げられた人間のドキュメントを描いた。現場に立ってみたあとだけに僕にもいくらか切実感があった。

市民演劇集団「演劇宿」と大鹿村民らが演じた「演劇的記録三六災害五十年」=19日、飯田市の飯田文化会館   

 この旅では三六災害の後廃村となった中川村四徳も訪ねた。残っているのは丘の上の神社だけだった。人々は駒ヶ根市に集団移住したという。

 今年は東日本大震災という途方もない自然災害を体験した。伊那谷に住む若い人々も50年前の災害を身にしみて捉え返すことになったのだろう。

 それでもと思ってしまう。50年も経てば悲しみは薄れ、人々のたゆみない努力の結果、被災地で花見を楽しむこともできる。

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 (大西公園の桜)

それに引き換え人間が引き起こした原発事故はどうだ。50年で何が片付くというのだろう?

 参考資料・三六災害から50年●http://www.cbr.mlit.go.jp/tenjyo/think/saburoku/index.html

 

 


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