川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

三浦三崎 三浦半島の旅(下)

2013-01-25 10:42:58 | 東京・関東

1月23日(水)晴れ

午前中に鎌倉方面の観音さんを歴訪・参詣。

坂東33観音②岩殿寺(逗子)①杉本寺(鎌倉)③安養院(鎌倉)。④長谷寺は他日を期す。

観音めぐりを思いつかなければ訪ねることのなかった寺寺である。最初に訪ねた岩殿寺で妻は「納経帳」を買った。住職が「おまけ」だといって「干支お守り・巳」を付けてくれた。

ウィークデイだが杉本寺付近を歩く人の姿が目に付いた。

葉山の磯魚料理店で昼食。同席した女性たちの中に四国88箇所を巡った方が居られた。近頃は高野山に詣でたあと中国・インドと巡礼の旅をするのが流行っているらしい。西域・チベットをとおるのだろうか?

旅の終わりは城ヶ島。北原白秋詩碑。

「雨がふるふる 城ヶ島の磯に 利休ねずみの 雨がふる」●http://www.youtube.com/watch?v=g7BQc5XgB8Y

 

46年前の今頃、わたしたちは浦賀に住む平野の祖母(母の叔母)を訪ねた足でここに寄った。

同じようにして写真を撮った。

白秋記念館の職員の方が遠い昔の話をしてくれた。

短大を出て三崎漁協に就職したのが68年4月、鮪漁の活況で働くことの喜びを体で感じた。友人には徳島や高知の人が多く、四国の言葉が飛び交っていた。父は鯖漁の船主で今では想像すらできない豊漁が続いた。

いま、対岸の三崎港に係留している船はいわき海星高校の実習船だけである。街は年寄りだけになった。この急変振りには驚くばかりだ。

それでも7月中旬の土日の海南神社の夏祭りは賑わうらしい。近隣から若い人たちも帰ってきて神輿を担ぐのだろう。ぜひ、来てくださいといってくれた。

三浦三崎は小さいときから聞きなれた港町。1949年10月、パトリシア台風のため伯父の「三号富佐丸」が遭難し、全員が死亡した。岩貞という先生が「時は10月秋深く ふるさと遠く三崎沖 行く手を阻む台風は 怨みぞ深し パトリシア」という歌を作って教えてくれた。

川越だより「水掛地蔵」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/581e21f2e58f7670c399224b933fdc65

 

 

 

 


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