昨日は2時から9時過ぎまで、「きいちご多文化共生基金」の世話人会と忘年会。5人のかたが我が家に来てくれました。高校教師3人、元高校教師2人、それに私たち。4月に発足して以来全員がそろうのははじめてです。来年の活動計画を相談するのが目的ですが学校での悩みや困難を語り、あれこれと意見や体験を交流する場でもあります。
妻が土佐の料理を振る舞ってくれます。姉が送ってくれたカツオのタタキ、昭正くんが室戸の沖で釣って持たしてくれたキンメダイの鍋、親戚のお姉さんのツワブキとイタドリの煮物、等々。お酒もあちこちからいただいた心づくし。北海道・池田町の北山さん(僕の農業の先生)の十勝ワイン、共通の友人であった鈴木淳さん(故人)の奥さんが土産に持ってきてくれた秩父の酒。せんべいやお菓子も昔の生徒が送ってくれたもの。私たちの大切な友人に召し上がってもらって、各地の知己も喜んでくれることでしょう。妻は張り切りすぎたせいか、風邪気味で今日は休養です。(ここまで書いてきて、二本の電話。これからあとは28日の記)
一本目は和歌山に住む李さんから。在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会(確立協)のニュースを読み、会費送付についての問い合わせです。今年は活動が低調であったため、ニュース発送の際、会費納入のお願いをしなかったのです。それでも会費をきちんと払っておきたいという有り難い電話です。僕も毎年、諸会費をきちんと払い終わらないと年が越せない気持ちがするので、かえって、迷惑をかけたかとすこし反省。
小中といじめを受けながら立派に成長した長兄を筆頭に4人のお子さんたちがそれぞれに高等教育を受け活躍している様子が伝わってきます。マイノリティー問題を専攻した娘さんは今春、東京外大を卒業してTBSのアナウンサーになったそうです。
ソウル生まれの奥さんは早くから在日コリアンは日本国籍をとってこの社会での発言力を強めるよう主張していますが、李さんはあれこれと思案中です。日本人教員が関わっていることに驚いたらしく、僕もつい長話をしました。今秋、熊野への途中に李さんのお宅の前を通ったことになります。機会を作って、今度はゆっくり交流しようと約束しました。
嬉しい電話のあとにさびしい報せが兄から届きます。大阪に住む秀司くんが死去したというのです。この春、甲子園で室戸高校を一緒に応援したのが最後になりました。病気の話は何も聞いておらず、これから大阪で働きながら学ぶ親戚の青年にいろいろとアドバイスしていた元気な姿を思い出します。
秀司くんは松山の将史兄さんのただ一人の兄弟です。僕から見ると苦労するために生まれてきた人生かと思えるほどですが、笑顔の印象的な優しい人です。一緒に生活した時期はほとんどありませんが、僕には弟のような存在です。妻とは同年で仲良しです。
従兄弟を亡くしたばかりのところに仲のよい弟を喪った将史兄さんはさびしい思いをしているに違いありません。大阪に駆けつけなければならないところですが、ここは<自愛>に徹することにしました。
思えば今年はこのブログを書き始めてだけでも何人もの親しい人を亡くしました。最後に秀司くんまでとは。さびしい年の暮れです。
妻が土佐の料理を振る舞ってくれます。姉が送ってくれたカツオのタタキ、昭正くんが室戸の沖で釣って持たしてくれたキンメダイの鍋、親戚のお姉さんのツワブキとイタドリの煮物、等々。お酒もあちこちからいただいた心づくし。北海道・池田町の北山さん(僕の農業の先生)の十勝ワイン、共通の友人であった鈴木淳さん(故人)の奥さんが土産に持ってきてくれた秩父の酒。せんべいやお菓子も昔の生徒が送ってくれたもの。私たちの大切な友人に召し上がってもらって、各地の知己も喜んでくれることでしょう。妻は張り切りすぎたせいか、風邪気味で今日は休養です。(ここまで書いてきて、二本の電話。これからあとは28日の記)
一本目は和歌山に住む李さんから。在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会(確立協)のニュースを読み、会費送付についての問い合わせです。今年は活動が低調であったため、ニュース発送の際、会費納入のお願いをしなかったのです。それでも会費をきちんと払っておきたいという有り難い電話です。僕も毎年、諸会費をきちんと払い終わらないと年が越せない気持ちがするので、かえって、迷惑をかけたかとすこし反省。
小中といじめを受けながら立派に成長した長兄を筆頭に4人のお子さんたちがそれぞれに高等教育を受け活躍している様子が伝わってきます。マイノリティー問題を専攻した娘さんは今春、東京外大を卒業してTBSのアナウンサーになったそうです。
ソウル生まれの奥さんは早くから在日コリアンは日本国籍をとってこの社会での発言力を強めるよう主張していますが、李さんはあれこれと思案中です。日本人教員が関わっていることに驚いたらしく、僕もつい長話をしました。今秋、熊野への途中に李さんのお宅の前を通ったことになります。機会を作って、今度はゆっくり交流しようと約束しました。
嬉しい電話のあとにさびしい報せが兄から届きます。大阪に住む秀司くんが死去したというのです。この春、甲子園で室戸高校を一緒に応援したのが最後になりました。病気の話は何も聞いておらず、これから大阪で働きながら学ぶ親戚の青年にいろいろとアドバイスしていた元気な姿を思い出します。
秀司くんは松山の将史兄さんのただ一人の兄弟です。僕から見ると苦労するために生まれてきた人生かと思えるほどですが、笑顔の印象的な優しい人です。一緒に生活した時期はほとんどありませんが、僕には弟のような存在です。妻とは同年で仲良しです。
従兄弟を亡くしたばかりのところに仲のよい弟を喪った将史兄さんはさびしい思いをしているに違いありません。大阪に駆けつけなければならないところですが、ここは<自愛>に徹することにしました。
思えば今年はこのブログを書き始めてだけでも何人もの親しい人を亡くしました。最後に秀司くんまでとは。さびしい年の暮れです。
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