昨日は『きいちご』5号の発送をしました。5月の北信濃の旅の記憶を多くの方が記してくれました。カツヨシさんの心のこもった編集で私たちの営みが何をもたらしているのかをそれとなく伝えています。今まで参加してくれた方々を中心に97通をメール便に載せました。読んでみるよという方がおられたらご一報下さい。喜んでお届けします。
7月8日(水)雨のち晴れ
岩内神社が祭礼中だというので参拝のあと余市・小樽方面に向かう。前夜来の雨で積丹半島巡りは翌日に変更。
仁木という町の国道脇にサクランボの直売所が並んでいたのでその一つに寄る。傷ついたり割れたりして出荷できないサクランボが1パック500円也。試食してみるとこれがえもいわれぬ美味。この日一日かかって堪能する。
長崎に行ったときこうして買ったびわ(1パック100円也)が本当においしかったことを思い出す。
◎ニッカウィスキー余市蒸留所
1930年代に建てられたという蒸留所のかなりの部分が今も動いていて公開されている。蒸留棟では今も石炭をスコップでくべる労働者の姿がある。こんな風景は映画や写真で見ることはあったが生で見たことがあっただろうか?
創業者の竹鶴政孝という人を少しだけ知って、こういう人のおかげで私たちの社会が成り立ってきたのだなあ、と感動する。竹鶴の留学先のスコットランド生まれのリタ夫人は親の反対を押し切って結婚し、竹鶴とこの日本で生涯をともにしたという。
竹鶴政孝http://www.geocities.jp/alfa323japan/taketuru.html
◎フゴッペ洞窟
小樽に向かう国道脇に見つける。洞窟壁面の線刻画。アルタミラもかくやとおもわせる。
フゴッペ洞窟http://www3.ocn.ne.jp/~yoiti/fugoppe.html
横田滋さん(拉致被害者・めぐみさんの父上)が発見者だという説についてはどこにも記述がないので職員の方に聞いてみると、北方島文化研究会の機関誌『Drift Ice』10号(09年3月発行)をみせてくれた。
それには1950年頃札幌南高校の郷土研究部の顧問だった島田善造という人のお子さん島田和武さんの小文が掲載されている。この文章によれば島田善造さんは当時札幌から2時間かけてやってきては発掘調査に励んだが生徒達も一緒だった。その中に滋さんもいて当時の写真も掲載されている。滋さんのお父さんが札幌南高校の教頭だったという。和武さんは当時幼少だったが往事を偲んで此の地を訪ねたという。
滋さんは発見者ではないが顧問の先生についてたびたび此の地を訪れ、此の不思議な芸術の解明に日々を送ったのだろう。父に連れられてやってきた和武さんは海で遊んだ日々が楽しかったと書いている。滋さんたちに遊んでもらったのだろうか。この辺りはフゴッペ岬のやや余市寄りで海岸はすぐ近くである。
我が家の2人の子どもたちも夏休みになればぼくが顧問をしているクラブや担任しているHRの生徒たちに遊んでもらったものである。この人たちが今もときどき僕たちのことを思いだして遊んでくれる。嬉しくて元気が出るときである。
今日も全国を飛び回っておられる横田ご夫妻に平穏な日が訪れるのはいつのことだろう。
◎小樽運河
小樽に着いた頃にはスッカリ晴れ上がって気持ちがいい。運河の周辺を歩いた。
格別の感慨はない。
小樽運河写真http://ksan.sakura.ne.jp/N/NDB/data/N800/851-11.html
7月8日(水)雨のち晴れ
岩内神社が祭礼中だというので参拝のあと余市・小樽方面に向かう。前夜来の雨で積丹半島巡りは翌日に変更。
仁木という町の国道脇にサクランボの直売所が並んでいたのでその一つに寄る。傷ついたり割れたりして出荷できないサクランボが1パック500円也。試食してみるとこれがえもいわれぬ美味。この日一日かかって堪能する。
長崎に行ったときこうして買ったびわ(1パック100円也)が本当においしかったことを思い出す。
◎ニッカウィスキー余市蒸留所
1930年代に建てられたという蒸留所のかなりの部分が今も動いていて公開されている。蒸留棟では今も石炭をスコップでくべる労働者の姿がある。こんな風景は映画や写真で見ることはあったが生で見たことがあっただろうか?
創業者の竹鶴政孝という人を少しだけ知って、こういう人のおかげで私たちの社会が成り立ってきたのだなあ、と感動する。竹鶴の留学先のスコットランド生まれのリタ夫人は親の反対を押し切って結婚し、竹鶴とこの日本で生涯をともにしたという。
竹鶴政孝http://www.geocities.jp/alfa323japan/taketuru.html
◎フゴッペ洞窟
小樽に向かう国道脇に見つける。洞窟壁面の線刻画。アルタミラもかくやとおもわせる。
フゴッペ洞窟http://www3.ocn.ne.jp/~yoiti/fugoppe.html
横田滋さん(拉致被害者・めぐみさんの父上)が発見者だという説についてはどこにも記述がないので職員の方に聞いてみると、北方島文化研究会の機関誌『Drift Ice』10号(09年3月発行)をみせてくれた。
それには1950年頃札幌南高校の郷土研究部の顧問だった島田善造という人のお子さん島田和武さんの小文が掲載されている。この文章によれば島田善造さんは当時札幌から2時間かけてやってきては発掘調査に励んだが生徒達も一緒だった。その中に滋さんもいて当時の写真も掲載されている。滋さんのお父さんが札幌南高校の教頭だったという。和武さんは当時幼少だったが往事を偲んで此の地を訪ねたという。
滋さんは発見者ではないが顧問の先生についてたびたび此の地を訪れ、此の不思議な芸術の解明に日々を送ったのだろう。父に連れられてやってきた和武さんは海で遊んだ日々が楽しかったと書いている。滋さんたちに遊んでもらったのだろうか。この辺りはフゴッペ岬のやや余市寄りで海岸はすぐ近くである。
我が家の2人の子どもたちも夏休みになればぼくが顧問をしているクラブや担任しているHRの生徒たちに遊んでもらったものである。この人たちが今もときどき僕たちのことを思いだして遊んでくれる。嬉しくて元気が出るときである。
今日も全国を飛び回っておられる横田ご夫妻に平穏な日が訪れるのはいつのことだろう。
◎小樽運河
小樽に着いた頃にはスッカリ晴れ上がって気持ちがいい。運河の周辺を歩いた。
格別の感慨はない。
小樽運河写真http://ksan.sakura.ne.jp/N/NDB/data/N800/851-11.html