「戦争の責任」にかかわるアンネの考えに対してこれを読んでくださった皆さんからの意見は残念ながら届いていません。
「川越だより」を覗いてくださる方は一日に百数十人はおられます。短い感想でも結構です。よせてくだされば張り合いがあります。
かつてぼくの生徒だった人たちの意見を紹介します。受講者にはプリントして配布し意見交換の資料としたものの一部です。
Aくん
北朝鮮や昔の日本のように国民に全く政治・外交に関して何も出来ない状況の国、時代もあるので、一般の人たちにも責任があるというのはどうかと思います。たとえばヒトラーのように社会情勢を利用し、国民の関心をユダヤ人迫害・世界大戦へ向けていったのだって、仕方がないと思います。個人個人で固い意識を持ち、他人や世間に流されない、というのは発達した脳を持つ人間にとって大変に難しいことだと思うからです。
自分の意見としては 全人類が心を入れ替えるのではなく、すべての人が戦争に対しての知識を持ち、過去の反省を学び、国家を戦争をしないようなつくりにしていき、絶対、国民の手により政治をしていけば、戦争がなくなるような気がします。
Bさん
70%は共感出来ました。でも納得できないこともあります。
戦争の責任はもちろん私たち一般人にもあると思うし、自分たちでも政治家が下す結果をただ待つだけではなく何か行動を起こすべきだと思う。でも、政治家と私たちとの責任の重さは違うと思う。上の人たちにはそれなりの責任と、国の代表という立場での正しい結論を出す「義務」がある。
人間にはもともと破壊本能や殺戮本能があるということにも反論はしません。私にはすべての人間にあてはまる本質なんてものは難しくてわからないので。しかし、人間には死への恐怖というものがたいていの人にあるだろうし、自分が死ぬかもという考え以上に殺戮本能などというものは強いものだとは思いません。ただ一つ、私が思うのは、戦争はこどもを除く全てのひとびとと世界の政治家の責任で、戦争に正しいものはないということです。
Cさん
私も、戦争の責任が政治家たちだけにあるとは思わない。しかし、アンネは一般の人たちがどのようにかかわっていると考えたのか。
戦争を正当化するような政治家を選んでしまったこと?
戦争を事前に止めるような動きがたりなかったこと?
戦争が始まってしまったら助長するような人のこと?
どれも考えられる。確かに、武器をつくっているのは一般の人たちだし、戦場で実際戦う兵士も元は一般の人であった。これらの人たちが一斉に動きを止めれば戦争はおわるのだろうか。やはり、アンネの言うとおり、世界中の人たちが戦争の無意味さを理解し、気づかなければ戦争を地球上から消すことなど出来ないのだろうか。
Dさん
確かに全ての人に責任があるのだろうと思います。ですが、誰もが戦争をしたくて仕方がなかったわけではありません。でも、心の中で反対と思っていたり、安全な場所で戦争反対と叫んでいるだけでは何にもならないのです。しかし、目に見えた行動をすれば命が危険になります。そんなとき、いったいどうすればいいのでしょうか?
安全な立場に逃げ込み、騒動が収まるのをまてばいいのか、それとも、戦争に反対し、政府に反対し、殺されればいいのか?
私はある本で、「誇りは命より重い」という文を読んだことがあります。これは犬死にしろ、ということではありません。全ての人が命よりも誇りを尊重するようになれば、戦争は無くなるかも知れません。戦争に反対する人の方が、賛成する人よりも多いはずなのに、戦争がなくならないのはどうしてか。それは全てに人に保身の心があるからではないかと思います。戦争に賛成していなくとも、命に危険が及ぶとなると、強い側に廻ってしまうという人間の行動にこそ、原因があるのではないでしょうか。(略)
しかし、自分の意見を言えば殺されるとわかっていて、それでも誇りを守るというのは並大抵の勇気でできるものではありません。たとえば、私には、そんなこと出来るだろうか?自分から痛い目に向かっていくようなことが?せめて闘っているのは自分だけではないという救いがほしくなります。
しかし、誇りをなくしていく痛みのほうが、命をなくす痛みよりも大きいのかも知れません。実際に痛んだりはしませんが、心の中の明かりが一つずつ消えていくような、そんな悲しいものかもしれないと私は思います。(略)
Eさん
私もアンネが語るように、破壊本能とまでは言いませんが、相手を支配したい、うち負かしたい、誰よりも優位に立ちたいという気持ちを人間は誰でも少なからず、持っていると思います。同時に、誰かに頼って生きたい、状況に流されていたいという気持ちも、人間にはあると思います。どちらも人間として当たり前なような気がします。でも、だから仕方がないじゃないかと思うことは次の戦争を生むことになると思います。
自分の弱さに目を向けて生きることは、もしかしたら、、自分を守ることと、人を守ることにつながるのではないでしょうか。
「川越だより」を覗いてくださる方は一日に百数十人はおられます。短い感想でも結構です。よせてくだされば張り合いがあります。
かつてぼくの生徒だった人たちの意見を紹介します。受講者にはプリントして配布し意見交換の資料としたものの一部です。
Aくん
北朝鮮や昔の日本のように国民に全く政治・外交に関して何も出来ない状況の国、時代もあるので、一般の人たちにも責任があるというのはどうかと思います。たとえばヒトラーのように社会情勢を利用し、国民の関心をユダヤ人迫害・世界大戦へ向けていったのだって、仕方がないと思います。個人個人で固い意識を持ち、他人や世間に流されない、というのは発達した脳を持つ人間にとって大変に難しいことだと思うからです。
自分の意見としては 全人類が心を入れ替えるのではなく、すべての人が戦争に対しての知識を持ち、過去の反省を学び、国家を戦争をしないようなつくりにしていき、絶対、国民の手により政治をしていけば、戦争がなくなるような気がします。
Bさん
70%は共感出来ました。でも納得できないこともあります。
戦争の責任はもちろん私たち一般人にもあると思うし、自分たちでも政治家が下す結果をただ待つだけではなく何か行動を起こすべきだと思う。でも、政治家と私たちとの責任の重さは違うと思う。上の人たちにはそれなりの責任と、国の代表という立場での正しい結論を出す「義務」がある。
人間にはもともと破壊本能や殺戮本能があるということにも反論はしません。私にはすべての人間にあてはまる本質なんてものは難しくてわからないので。しかし、人間には死への恐怖というものがたいていの人にあるだろうし、自分が死ぬかもという考え以上に殺戮本能などというものは強いものだとは思いません。ただ一つ、私が思うのは、戦争はこどもを除く全てのひとびとと世界の政治家の責任で、戦争に正しいものはないということです。
Cさん
私も、戦争の責任が政治家たちだけにあるとは思わない。しかし、アンネは一般の人たちがどのようにかかわっていると考えたのか。
戦争を正当化するような政治家を選んでしまったこと?
戦争を事前に止めるような動きがたりなかったこと?
戦争が始まってしまったら助長するような人のこと?
どれも考えられる。確かに、武器をつくっているのは一般の人たちだし、戦場で実際戦う兵士も元は一般の人であった。これらの人たちが一斉に動きを止めれば戦争はおわるのだろうか。やはり、アンネの言うとおり、世界中の人たちが戦争の無意味さを理解し、気づかなければ戦争を地球上から消すことなど出来ないのだろうか。
Dさん
確かに全ての人に責任があるのだろうと思います。ですが、誰もが戦争をしたくて仕方がなかったわけではありません。でも、心の中で反対と思っていたり、安全な場所で戦争反対と叫んでいるだけでは何にもならないのです。しかし、目に見えた行動をすれば命が危険になります。そんなとき、いったいどうすればいいのでしょうか?
安全な立場に逃げ込み、騒動が収まるのをまてばいいのか、それとも、戦争に反対し、政府に反対し、殺されればいいのか?
私はある本で、「誇りは命より重い」という文を読んだことがあります。これは犬死にしろ、ということではありません。全ての人が命よりも誇りを尊重するようになれば、戦争は無くなるかも知れません。戦争に反対する人の方が、賛成する人よりも多いはずなのに、戦争がなくならないのはどうしてか。それは全てに人に保身の心があるからではないかと思います。戦争に賛成していなくとも、命に危険が及ぶとなると、強い側に廻ってしまうという人間の行動にこそ、原因があるのではないでしょうか。(略)
しかし、自分の意見を言えば殺されるとわかっていて、それでも誇りを守るというのは並大抵の勇気でできるものではありません。たとえば、私には、そんなこと出来るだろうか?自分から痛い目に向かっていくようなことが?せめて闘っているのは自分だけではないという救いがほしくなります。
しかし、誇りをなくしていく痛みのほうが、命をなくす痛みよりも大きいのかも知れません。実際に痛んだりはしませんが、心の中の明かりが一つずつ消えていくような、そんな悲しいものかもしれないと私は思います。(略)
Eさん
私もアンネが語るように、破壊本能とまでは言いませんが、相手を支配したい、うち負かしたい、誰よりも優位に立ちたいという気持ちを人間は誰でも少なからず、持っていると思います。同時に、誰かに頼って生きたい、状況に流されていたいという気持ちも、人間にはあると思います。どちらも人間として当たり前なような気がします。でも、だから仕方がないじゃないかと思うことは次の戦争を生むことになると思います。
自分の弱さに目を向けて生きることは、もしかしたら、、自分を守ることと、人を守ることにつながるのではないでしょうか。