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川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

早春賦(そうしゅんふ)

2012-02-03 20:32:59 | 映画  音楽 美術など

2月4日(土)☼

寒い日が続きますが今日は立春です。冬至と春分との真ん中で暦の上では春が始まる日だとか。

この頃になると決まって思い出すのが「早春賦(そうしゅんふ)」です。

こんな曲です。

 早春賦●http://www.youtube.com/watch?v=BlhV3BwDgvI

吉丸一昌の詩を声に出して読んでみましょう。「角ぐむ」は葦(あし)が芽吹く様子を表現した言葉です。

 

 早春賦(そうしゅんふ) 作詞:吉丸一昌 作曲:中田 章

春は名のみの 風の寒さや 

谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど 

時にあらずと 声も立てず 

時にあらずと 声も立てず


  氷融(と)け去り 葦は角(つの)ぐむ 

  さては時ぞと 思うあやにく 

  今日も昨日も 雪の空 

  今日も昨日も 雪の空   




春と聞かねば 知らでありしを 

聞けば急(せ)かるる 胸の思いを 

いかにせよとの この頃か いかにせよとの この頃か


 吉丸の詩想は信州・安曇野で生まれたといいます。昨春、「きいちご移動教室」でここを訪ね、春を迎える喜びを満喫したものです。 


 人生にも四季があります。青春・朱夏・白秋・玄冬。春を迎えようとする季節のワクワク、ドキドキ‥。玄冬期を迎えても忘れることはありません。世界中の青春に祝福を送りたくなります。


早春賦(安曇野)●http://www.youtube.com/watch?v=lZawuVwTxvo&feature=g-upl&context=G2e7fcc1AUAAAAAAAAAA

早春賦(東京放送兒童合唱団)●http://www.youtube.com/watch?v=n_vWpnYv2FA


『お兄ちゃん』 倍賞千恵子著

2012-01-26 09:10:23 | 映画  音楽 美術など

1月25日(水)晴れ

昼前風もなく日差しもあったので久しぶりに市街に。ベーグルを買ったあと丸広に寄ってお弁当などをゲット。たったこれだけのお使いなのにすっかり疲れてしまった。寒さで閉じこもる日が続いたので体がなまっているのだろう。

 午後は日差しのあるベッドで『お兄ちゃん』(倍賞千恵子著、廣済堂出版)を読む。娘がインターネットで取り寄せてくれた古本。渥美清がなくなった翌年・1997年の刊行だ。

       お兄ちゃん 倍賞千恵子

渥美清の思い出に触れながら自分の半生を語る‥そんな本である。一気に読んだ。

第2章が「滝野川から『下町の太陽』へ」。

 僕にとっても懐かしい滝野川での一家の生活が彷彿としてくる。階段の途中に並んでとった5人姉弟の写真がいい。1950年代半ば、千恵子さんは中学生か?

お姉さんの節子さんは中学を出ると万年筆会社で働きながら定時制に通った人だ。池商はまだなかったから、北園高校かな?

あるとき突然「ブラジルに行きます」と言って一家を大騒動に巻き込んだらしい。妙なことだがこの辺が一番印象に残った。

著者はこう書いている。

「ただやさしいだけじゃなくて、人には見せびらかさないけど、心の中にはいろいろドラマを持っていて、でもわがままを通さずに、周りの人たちのためを考えているような、そんなさくらさんを演じられればなあと、節ちゃんを見ていて思ったものでした。」

寅さんの台本とともに「さくら」役が降ってきたときに倍賞さんは節子姉さんの姿を観察して「さくらになーれ」と呪文を唱えたという。

寅さんの葛飾・柴又は倍賞さんにとって「滝野川でなじんだ世界」「知り尽くしている世界」だった。

 

「あー、こんな人たちにまた会えるんだ、こんな人たちが住んでいるところが映画の舞台になるんだ」感激して、声をだして滝野川の人たちに伝えたいほどでした。

 

自分のなじんだ世界で自分の大好きな「節っちゃん」を思い浮かべながら役作りをするのですから心強く嬉しい映画づくりだったろう。

倍賞さんに「さくら」役が回ってきたのは69年5月頃だったという。

僕が滝野川の池袋商業に転勤したのは69年4月のことだ。八木茂夫さん一家をはじめこの地域で世話になった方々も「寅さん」に出てきて少しも違和感のない人たちだ。そんなことも思った。

八木さんはガリ版と鉄筆で製版(蝋原紙)する筆耕を仕事とする方だった。


丸木スマ展

2012-01-09 04:17:53 | 映画  音楽 美術など

1月9日(祝)

原爆の図・丸木美術館で丸木スマ展が始まったということです。

    丸木スマ展

 

スマ肖像     おんどりめんどり丸木スマ8枚はがき丸木スマ展●http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kikaku/2011/2011suma.html

自転車で都幾川をさかのぼって丸木美術館を訪ねるのは僕の楽しみのひとつです。今回のようにスマさんの展覧会をやっているならなおさらのことです。

 伊里画伯のお母さんです。労働に明け暮れて「無学文盲」の人です。70をすぎてから描き始めたといいます。

こんなふうになれたらいいなあ。とは思ってもただ眺めるしか芸のない僕です。

「大きな悲しみを経たからこそ、見えてくる世界がある。どんな状況でも希望を失ってはならない。スマの絵から見いだせるユーモアや喜びが、人々の励みになることを願ってやみません」

 美術館から送られてきたビラの終わりにあった言葉です。

来週には行ってみようと思います。

 2月11日からは「生誕100年 丸木俊 人間を描く」です。

俊先生には親しくお話を伺ったこともあります。僕のようなものにも優しい言葉をかけてくれました。お元気だったら100に成られるとか。

僕の母・直恵はあす1月10日が誕生日です。生きていたら100歳です。俊先生と同い年だったのか。

今日はこれから伊豆高原に行きます。4,5日海辺を歩いてきます。

 


滝野川5丁目  倍賞千恵子さん

2011-12-28 07:05:22 | 映画  音楽 美術など

僕は近年まで倍賞千恵子さんが歌手だということを知らなかった。女優「さくら」としか。

 パソコンをやるようになってから時々聞いている。いい歌声に魅了される。

 アニー・ローリー●http://www.youtube.com/watch?v=RhDqoceIpmA&feature=related

倍賞さんにはなんとはなしに親しみがある。年も同じ(1941年生まれ)だが北区滝野川に縁があったことが共通しているからかもしれない。

 倍賞千恵子

東京都北区滝野川に育つ。戦時中は茨城県疎開北区立滝野川第六小学校北区立紅葉中学校(現・北区立滝野川紅葉中学校)卒業。父は都電運転士だった。

1957年松竹音楽舞踊学校に入学。1960年、同校を首席で卒業し、松竹歌劇団(SKD)13期生として入団する。」(http://ja.wikipedia.org/wiki/

 

 僕が池袋商業高校に赴任したのは1969年でこの年に寅さんの第一作が出ている。(キラキラと輝くような魅力に昨日は魅了された。)ヴェトナム戦争の真っ盛りで王子野戦病院撤去闘争のさなかだ。

 お父さんが都電の運転手であることは僕でも知っていたし、生徒間でも話題になっていたろう。しかし、池商の隣にある「紅葉中」の卒業生だと知ったのは近頃のことだ。池商生なら誰もが覚えているガスタンクの近くに住み、あの坂を上り下りして通学していたのだ。

 69年にはもう著名な俳優になっていたから実家には居なかったのかな。残念ながら「生で見る」幸運には恵まれなかった。

市民運動を共にした八木さんの家は「滝六」の見える高台にあった。省悟くんたちとお邪魔しては語り合った。辺りは古い民家が密集していた。倍賞さんはご近所さんだったのかなあ。

   

 「東京ガス」となっている辺りに巨大なガスタンクがあり、池商生は嫌でも見上げるしかなかった。「公園」となっている辺りからが池商跡だが、来春からフランス人学校がここに開校する。

 倍賞さんの映画を見て通いなれた滝野川を思い出した。来春には「順子号」で訪ねてみよう。八木さんの奥さんやキツネ塚商店街の金秀軒のご夫婦にお会いできるかもしれない。

 倍賞さんのコンサートにも一度は行ってみたいものだ。

 きつね塚通

キツネ塚商店街●http://blog.livedoor.jp/burzum_555/archives/173305.html


シューベルト「あふるる涙」(「冬の旅」から)

2011-11-23 07:11:47 | 映画  音楽 美術など

11月22日(火)晴れ

 午前中、妻は義母が引っ越したあとの家の整理を全て終え、いつでも大家にひきわたせるようにしました。そういえば今日は義父の命日です。

 僕はと言えば久しぶりに川越公園の土手の道を歩きました。富士山が真正面。富士に向かって歩きました。河川敷の林は秋色が深まってなかなかの風景です。

 「家園」で昼食。ここ数日片付けに疲れた妻の「ご苦労さん会」。

昼寝時にFM放送から昔聞いたことがある曲が流れてきました。

  ●http://duarbo.air-nifty.com/songs/2010/05/post-0e53.html

中学か高校の音楽の時間に習ったシューベルトの「冬の旅」かな。

 「木の葉は散りて風は寒し 我が行く旅の道は遠し‥」あとは思い出せません。

パソコンで調べてみたら訳詩違いの上記の「あふるる涙」が出てきました。この曲は連作歌曲集「冬の旅」の6番目の曲であり5番目があの「菩提樹」だということを初めて知りました。失恋した若者の絶望的なさすらいの旅を歌ったものであったのです。若くして死んだシューベルト晩年の作品だといいます。なんにも知らなかったなあ。都築先生はこんなこと教えてくれたのかな?

  「冬の旅」●http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%AC%E3%81%AE%E6%97%85

ヒュッシュhttp://www.youtube.com/watch?v=LD1TarJcqD4

ディートリッヒ・フィシャー・ディースカウhttp://www5a.biglobe.ne.jp/~bunza/classic/wasserflut.htm

「菩提樹」 倍賞千恵子●http://www.youtube.com/watch?v=qgL_rJpEgc0&feature=related

 


男はつらいよ 望郷篇

2011-11-03 05:55:52 | 映画  音楽 美術など

出典〇http://www.tora-san.jp/toranomaki/movie05/index.html

 10月22日(土)

 10時半から川越スカラ座で「男はつらいよ 望郷篇」を見た。満杯になるかと心配して行ったら僕が二人目で結局観客は10人ぐらいだった。一番前の席で台に足を載せて見ることができた。こうすると冷えがこなくて楽だ。

 寅さんシリーズの5作目で1970年8月の封切り。当然ながら寅さんを演ずる渥美清もさくらの倍賞千恵子も若々しい。

長山藍子に恋してふられる「つらい」物語は身につまされるが僕にはこの頃の風物が懐かしかった。

例えば函館線を疾走する蒸気機関車。世話になった親分の息子が機関士だ。死に際に会わせたい寅さんが車で追いかける。迫力満点の場面の連続。山田監督のサービス満点。小樽築港機関区などが撮影現場になったらしい。

 江戸川の渡し船で昼寝しているうちに流されてたどり着いたのが浦安。江戸川の風景もなかなか。昔、妻の実家が市川にあって時に眺めに行った。60年代の後半だ。

 浦安は行ったことがないままだ。小説を読まない僕がこの頃、珍しく山本周五郎の作品に熱中した。浦安はその舞台になっていた。

 54-176.jpg

 出典〇http://tokyodeep.info/2010/07/24/113826.html

 浦安に郷土博物館があり昔の風景が再現されているらしい。東京に置いてある自転車・「順子号」で訪ねて見ることにしよう。この辺りに住む友人たちにも会えるかもしれない。

 この映画が作られた70年といえば6月に娘が生まれ8月には家族3人で大島に滞在した。かつて勤めた大島高校の生徒たちが反乱を起こした直後だった。卒業生たちと「大島高校を考える」集まりをもったりした。

 大学時代の友人・晃くんが「ケイスケくんが寅さんを見るようになれば鬼に金棒だがなあ」と言っていたのはこの頃か。

 


朴信江さんサルプリ舞  韓国舞踊発表会

2011-09-23 11:38:13 | 映画  音楽 美術など

9月22日(木)晴れ夕方から小雨

 「趙寿玉チュムパンの会」の「韓国舞踊発表会」に行ってきました。渋谷区文化総合センター大和田・伝承ホール。

 「韓国舞踊」の良さが何も分からない僕が喜んで出かけたのは招待主の朴信江(パク・シンガン)さんの晴れ姿を見てみたかったからです。長年の友人です。

 会場でお連れ合いの河さんに会いました。こんな日を迎えるまで妻の活動を影で支えてきたに違いありません。

 この会場には両脇に座布団席があり、僕はおお助かり。舞台に一番近い席で両足を伸ばして見ることが出来ます。こうすると足の冷えを少なくすることが出来るのです。

 配られた「会報」に信江さんの「つぶやき」が載っています。

 ‥サルプリ舞の練習中に、先生が「自分のこれまでの人生を振り返るように」とおっしゃいました。右手を少しずつ上にあげ、前に一歩進むその時に、それだけのものを振り返る。左手を上から下におろす時も「遠くに何か大切な思いを届けて」とも。

 どんな衣装の踊りでも、表現するのは自分の中の思い。踊り続けた年月を振り返ると、いろいろなことがありました。踊ることで自分を見つめ、乗り越えることができました。修行の場であり、癒しの場でありました。‥

 間に短い休みはありましたが2時間を超える熱演が続きました。この文章を読んでいたせいか「サルプリ舞」が印象に残っています。信江ちゃんは今何を思い出しているのか、どういう思いを届けようとしているのか、あれこれと想像しながら見たことでした。

 子育ての時期もそれが一段落した今も母として妻として社会人として一生懸命生きてきた人です。その人生がこの踊りの中に昇華して生きる喜びを感じさせてくれるのでしょう。心からの拍手を贈りました。

 2009年12月14日に見た趙寿玉さんの踊りは忘れられません。氷雨ふる新潟港の埠頭でした。

  「趙 寿玉(ちょう・すおく)さんの鎮魂の踊りは形容のしようがありません。雨と風の中で舞う趙さんと招き寄せられた諸霊たちが交遊しています。50年の恨みを語り、やっと会えた喜びに抱き合っているのでしょうか。雨の地べたに半跏して祈る姿はただごとではありません。この方の修業の極相に立ち会っているようです。」

   「川越だより」●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/d/20091215

 趙さんの活動日誌にはこうあります。踊られたのはやはり「サルプリ舞」だったようです。

 

  12月14日(月)新潟港(新潟市) において、新潟港追悼集会「あの日を…忘れない」 に参加。 

         サルプリ舞を踊る。 

 

 「北」の地で50年の恨みを抱えたままさまよう在日コリアン帰国者や日本人妻の諸霊とたしかに出会っているように見えたのです。この場面を目撃できたのはほんの数十人でした。信江さんもその一人です。

 ぼくはどうしても思ってしまいます。舞踊家であれ、音楽家であれ、小説家であれ、人間であれば、ましてコリアン系の人々や日本人であれば、「北」の地で50年間も助けを求める人々の思いに心を致し、行動を起こさないでどうして「生きている」といえるのか。

 これもまた僕の正直な気持ちです。芸術家、表現を仕事とする人に特に聞いてみたいことです。

 参考資料●サルプリ舞http://iruchi.com/dance/sarupuriサルプリ舞

 


追悼 大道あや展

2011-09-07 21:56:39 | 映画  音楽 美術など

9月7日(水)快晴

 10時頃、家をでて1ヶ月ぶりに「原爆の図・丸木美術館」を目指すことにしました。入間川・越辺川・都幾川の土手上の道を辿ります。どこもかしこも黄金の穂波です。

 美術館では「追悼 大道あや展」が始まったところでした。大道あやさん、丸木位里さんの妹さんです。いつの頃からだったか美術館を訪ねるとよくお見かけしました。越生の蹴飛ばし山に住んで自宅を小さな美術館にしているころに訪ねてお目にかかったことを思い出します。昨年、故郷・広島で101才の生涯を閉じられたとのことです。

小江戸祭

 出典●追悼 大道あや展http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kikaku/2011/2011aya.html

お母さん(丸木スマさん)の絵に似てるなあと感じました。鳥や花など見ていた世界が共通するからでしょう。スマさんはピカソ的なところがありますが娘さんの絵は緻密で丁寧です。

川越祭りを描いた大作が二つ三つありました。見慣れた祭りですがこうやって描かれると昔の祭りのただ中にいるような懐かしさを感じます。埼玉に住むことになってここはここでまたいいなあと思われていたのでしょう。

 兄夫婦の原爆の図にはどこか違和感を持っていたといいます。被爆当時のヒロシマのスケッチもありますが目にした光景をとても描けないと筆をなげたとか。そうだろうなあと思うばかりです。

 丸木スマ 丸木位里 大道あや 丸木俊。この4人の親子、兄妹、夫婦の画業が一堂に揃った「丸木美術館」。こんな機会がまたあるとも思えません。よかったらどうぞお出かけください。僕でよかったらいつでもお供します。

 昼食後、嵐山の国立女性教育会館を訪ねました。10月29日~30日に予定している第13回きいちご移動教室の下見のつもりで。ここを宿泊地にして奥武蔵・秩父の秋を楽しむ企画を考えています。温泉ではないという問題点はありますが施設も環境も良く、廉価です。皆さんが気に入ってくれるといいなあ。

  国立女性教育会館●http://www.nwec.jp/jp/about/facilities/

 

 


鬼島太鼓  湾岸だより(7)

2011-08-19 11:04:01 | 映画  音楽 美術など

8月19日(金)

 入院してからは毎日のように「東京新聞」を買って隅々まで読んでいます。このところ連続して「東京国際和太鼓コンテスト」の広告が大きく出ています。今年は8月27・28日に行われるようです。

  第10回東京国際和太鼓コンテスト●http://www.tokyo-np.co.jp/event/taiko/index.html

 この和太鼓コンテストといえば「鬼島太鼓」を思い出します。毎年のように訪ねる長野県木島平村の女の子たちのグループの太鼓です。このコンテストで何回も大賞をとったと聞いています。

 09年春には「きいちご移動教室」で泊まった「パノラマランド木島平」でその熱演を見ました。中国から帰った「残留孤児」の方々が口々に感動の思いを語りました。今でも時に話題になるくらいです。

 山野文雄さんは漢詩でその喜びを表しました。

       信濃千曲川

       春来菜花黄

       故郷有故郷

       木島響太鼓

 村の小学生から高校生までの若々しい女性たちのうつ太鼓の響きは枯れかけている僕の命にもしびれるような躍動感をもたらしてくれました。

  

  よろしかったら彼女たちの太鼓の響きに耳を傾けて見てください。

鬼島太鼓●http://www.youtube.com/watch?v=Jyx_UzqpLK4&feature=related


「ライフ イズ ビューティフル」

2011-08-08 04:46:46 | 映画  音楽 美術など

昨夕は雷鳴が轟いて神明町の盆踊りも中止になりました。おかげで朝夕は涼しくおお助かりです。

 8月7日(日)晴れ

6日の丸木美術館の原爆忌にAくん(山吹高校OB)もボランティアで来ていて久しぶりに会いました。70の誕生祝いだと言ってカエルの置物をもらいました。今日それを部屋に飾りました。恵美ちゃんが描いてくれたカエルの絵は居間の電話器の横でこの5年間、僕を見守ってくれました。

 「元気な先生にカエル」ようにというエールになんとか応えていきたいものです。

 カエルの絵●http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/212b1f6099c96fea6ee87db5426131cc

午後、図書館の「平和映画会」で「ライフ イズ ビューティフル」というイタリア映画を見ました。

 

 「ライフ イズ ビューティフル」予告篇 ●http://www.youtube.com/watch?v=lh44dI5YHdo

昔?、どこかで見たことがあったかなと時々思うふしがあるのですが確かな記憶はありません。過酷な現実から子供を守ろうとする主人公の「芝居」にただただ驚くばかりです。こんなふうにまでこどもや妻を思うことが出来るのかと我が身に引きつけて考えさせられたものです。

ロベルト・ロニーニ監督自身の父親に寄せる深い思いが作品の背後にあるようです。ユーモア精神に貫かれた映画ですから楽しんで見ることが出来ます。見終わってからこの作者の思いに思い至ると言う始末です。川越中央図書館の企画者に拍手。

 参考資料●http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD1970/

 

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「ヒロシマの有る国で」

2011-08-06 10:18:19 | 映画  音楽 美術など

66回目の8月6日です。

 作夕、山吹高校OBのT岡くんが泊まりに来てくれました。東松山市にある「原爆の図・丸木美術館」で行われる原爆忌の裏方として昨日から働いています。ぼくの最後の生徒の一人です。我が家に来てくれるのは本当に久しぶりです。大学生。山吹では料理の科目も2年続けて取得したという料理ずきです。

 今日は娘と妻と三人で朝早く出かけました。福島第一原発の事故が丸木美術館の存在を再認識させています。どういう一日になるのでしょう。

 山本さとしという方が来てくれて「ヒロシマの有る国で」という歌を唄ってくれるようです。午後、元気が残っていたら山本さんの歌を聞きに行きます。

 ヒロシマの有る国はフクシマの有る国にもなってしまいました。世界のなかで生きていくためには私たちに覚悟がいります。原水爆も原発もない国を創るぞ。原水爆も原発もない地球を創るぞ!

   「ヒロシマの有る国で」

 

作詞
作曲
山本さとし


八月の青空に 今もこだまするのは
若き詩人の叫び 遠き被爆者の声
あなたに感じますか 手のひらの温もりが
人のくやし涙が 生き続ける苦しみが
わたしの国とかの国の 人の生命(いのち)は同じ
このあおい大地のうえに 同じ生を得たのに
ヒロシマの有る国で しなければならないことは
ともるいくさの火種を 消すことだろう

かの南の国では 大国がのしかかり
寡黙な少年らが 重い銃に身をやく
やせた母の胸に 乳飲み子が泣き叫び
はだしで裸のまま 逃げまどう子どもたち
故国の土をふむことも 家族と暮らすことも
許されない戦争が なぜ今も起こる
ヒロシマの有る国で しなければならないことは
ともるいくさの火種を 消すことだろう

わたしの国とかの国の 人の生命は同じ(平等)
このあおい大地のうえに 同じ生を得たのに
ヒロシマの有る国で しなければならないことは
ともるいくさの火種を 消すことだろう

 合唱●「ヒロシマの有る国で」http://www.youtube.com/watch?v=cEZpKbHkgcE&feature=related

 丸木美術館「原爆忌」●http://www.aya.or.jp/~marukimsn/top/0806.html


祝島のひとびとが敗けるはずがない

2011-08-04 04:44:00 | 映画  音楽 美術など

8月3日(曇)

 川越スカラ座で映画「祝(ほうり)の島」を見た。ある人がこんなコメントを寄せている。

原発反対運動の根は祝島の人たちの暮らしであり、自然との共生の­歴史だと感じた。これがくつがえることはないだろう。」

   出典・映画「祝の島」予告篇●http://www.youtube.com/watch?v=fn2qN9kp204&feature=player_embedded

僕としてはこの方のコメントに付け加えることはない。「これがくつがえることはない」。闘いは必ず勝利し、人々が平和のうちに生きる日々がやがて来るに違いない。そう確信した。

 便利さと引き換えに私たちは何を失ってしまったのか。札束や強権を恐れず、力強く生きる力はどういう生活の中で育まれるのか、そんなことをしっかりと考えさせてくれる。

 この映画を見ていると60年も昔の漁業が盛んだった頃の故郷の村の風景やオンチャン、オバサンの姿を思い出した。海で生きる人々の日常にそれほどの違いはなかった。「ハレ」の日の盛り上がりもよく似ている。遠い昔に消え去った漁村の暮らしが祝島には今なお生き続けているということだろう。

 歴史をもとに戻すということはできないが大自然に生かされているという思想を取り戻し、自然を畏れ自然に感謝する心を我がものとしない限り私たちに未来はない。一次産業の価値を見直し産業構造のアンバランスを是正しなければならない。

2011年8月1日100万筆署名提出4

上関原発阻止の闘いは休むことなく続いている。8月1日には100万人の署名を経済産業省に届けたという。

祝島島民の会●http://blog.shimabito.net/

 

 


映画「祝の島(ほうりのしま)」

2011-08-02 04:17:34 | 映画  音楽 美術など

1000年前、沖で難破した船を助けたことから

農耕がもたらされ、 子孫が栄え、

現在に至るまでいのちをつないできた小さな島がある。


山口県上関町祝島。

瀬戸内海に浮かぶこの島は、台風が直撃することも多く、

岩だらけの土地には確保できる真水も限られ、

人が暮らしやすい環境とは決していえない。

その中で人々は、海からもたらされる豊穣な恵みに支えられ、

岩山を開墾し、暮らしを営んできた。そして互いに助け合い、

分かちあう共同体としての結びつきが育まれた。

人間の営みが自然の循環の一部であることが、祝島でははっきりと見える。

 

「海は私たちのいのち」と島の人は言う。

1982年、島の対岸4kmに原子力発電所の建設計画が持ち上がった。

「海と山さえあれば生きていける。だからわしらの代で海は売れん」

という祝島の人々は、

以来28年間反対を続けている。

 

効率と利益を追い求める社会が生み出した原発。

大きな時間の流れと共にある島の生活。

原発予定地と祝島の集落は、海を挟んで向かい合っている。

 

1000年先の未来が今の暮らしの続きにあると思うとき、

私たちは何を選ぶのか。

いのちをつなぐ暮らし。

祝島にはそのヒントがたくさん詰まっている。 

 

出典「祝の島」●http://www.hourinoshima.com/%E7%A5%9D%E5%B3%B6%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/

 

川越スカラ座でも上映中だという。さあ、いってみるか。上映スケジュール●http://k-scalaza.com/

 


 丸木美術館  貝原浩『風しもの村 チェルノブイリスケッチ』

2011-05-05 07:04:38 | 映画  音楽 美術など

5月3日~6月11日「チェルノブイリから見えるもの」展

チェルノブイリから見えるもの 貝原浩『風しもの村 チェルノブイリスケッチ』を中心に

風下の村 原画1

2011年3月11日は、東日本の広い範囲をおそった巨大地震と津波によって、私たちの歴史が大きく変わった一日と 記憶されることでしょう。
とりわけ、福島原発の深刻な事故による放射能汚染は、日本の在り方を根底から問い直される出来事となりました。
《原爆の図》を描いた丸木夫妻は、生前一貫して原発に反対の立場をとり、被害を受ける人びとの視点で事故を未然に 防ごうと努力してきました。
しかし、そのおそれがついに身近な現実として突きつけられる日がきてしまいました。

史上最大の事故と言われるチェルノブイリ原発事故から25年。
私たちが、その教訓から何を学び、あるいは学んでこなかったのか。
いまだに事態が収束していない福島原発事故の現実に、どのように向き合っていけばよいのか。
チェルノブイリの事故で被害を受けた“風しもの村”チェチェルスクに生きる人びとのつつましくたくましい 暮らしぶりを丹念に描いた画家・貝原浩のスケッチや、写真家の広河隆一、本橋成一がカメラを向けた現実を通して、 ひとりひとりが考え、想像力を広げることのできる展覧会を、緊急企画として立ち上げます。

画像:貝原浩画文集『風しもの村 チェルノブイリスケッチ』原画


貝原浩 チェルノブイリの風しもの村を描いた画家

風下の村 原画2

チェルノブイリ原発事故の当日、爆発によって巻きあげられた放射能が、強い北風によってベラルーシ(白ロシア) 一帯の穀倉地帯に広範囲、無制限にまき散らされました。
風向きの悪戯で、死の灰が集中的に降ってきた場所が数多く点在しています。それが「風しもの村」です。
初めて訪れた1992年2月、写真家の本橋成一さんと、零下20度のベラルーシの「風しもの村」チェチェルスクに 立っていました。
精力的に動き回る彼の横で、背後に広がるとらえきりようのない大地に、こわばる自分を感じていました。
横なぐりの雪の中、動くこともままならず、平衡感覚さえもマヒしてくる。(中略)
そして5月再度、樹々の花咲き乱れる春のチェチェルスクを訪ね、出会う人の片っぱしから印象につめ、 人々を通して楽天すぎるほどの「人間だもの」をつめ込んできました。
それと共に私にとっては、想い出すことのできるたくさんの友人が彼の地にできたという喜びが大きいのです。
彼らの、つましく、温かく、たくましい、そして伝えるべき生き方の一端を、感じとっていただけたらと思います。
(貝原浩画文集『風しもの村チェルノブイリスケッチ』(1992年平原社、2010年パロル社)より)

風下の村 原画3

貝原浩(かいはら・ひろし) 略歴
1947年11月24日 岡山県倉敷市に生まれる
1966年 岡山県立倉敷天城高校卒業
1970年 東京芸術大学工芸科VD専攻卒業
1980年代から東京・大阪・京都・福岡などで個展を多数開く
1992年には丸木美術館企画展《大地の結び展》に出品した
2005年6月30日 耳下腺がんにより闘病の末、永眠。享年57歳
その後も現在まで各地で展覧会が開かれている。
ウェブサイト 絵描き・貝原浩

 

●原爆の図・丸木美術館http://www.aya.or.jp/~marukimsn/

 

 

5月4日(水)晴れ

 久しぶりに上尾・丸山公園までサイクリング。親子連れでいっぱい。榎本牧場も同じでアイスクリーム売り場は長蛇の列。横目に見ながら通過するほかはなかった。

 花粉シーズンは終わったというのに花粉症が出て気分は今ひとつ。四国や九州では出なかった。空気の汚れが影響しているのだろう。放射能のほうは大丈夫だろうか。親たちはどんな風に考えているのだろう?

 娘や妻の話によると丸木美術館は大にぎわいだったらしい。昨日から始まった「チェルノブイリからみえるもの」がNHK(関東ローカル)で紹介されたせいか、300人近い人が来館したという。マスメディアの役割の大きさを思う。

 今日(5日)はぼくもいってみよう。自転車で2時間くらいか。越辺川・都幾川の岸辺の菜の花はまだ残っているかな?

 


夏奈さん  「小さな音楽会」

2011-03-07 03:31:08 | 映画  音楽 美術など

3月6日(日)晴れ 

「そごう」の10階のウナギ屋で明子さんと昼食。今秋には上の娘さんが結婚とのこと。同級の友人たち(81年3月・池商卒)の中には最近、おばあちゃんになった人もいるという。卒業から30年だ。自然でめでたいことだが高校生の時代の印象が強く実感がわかない。

 2時から川口市民会館の大ホールで明子さんの次女・荒木夏奈(なつな)さんらの弦楽合奏が始まった。澤和樹さんという先生と東京芸大器楽科3年生24名のユニット。芥川也寸志・タルティーニ・チャイコフスキー。会場の一番前で、2時間近く夢心地。夏奈さんをはじめ演奏する若者の表情もよく見える。

 ●TGS24弦楽合奏団http://d.hatena.ne.jp/kiku-art/20110301/1298905290

 演奏が終わって私たちに気づいた夏奈さんが舞台の上から挨拶してくれた。この前会ったときから二年近がたっている。僕はただただ嬉しかった。僕のことを憶えていて声をかけてくれたのだ。

 お母さんが読んだ『小蓮の恋人』を夏奈さんも読んでくれたらしい。お母さんには昨年、主人公「小蓮」こと上村満智子さん(「中国残留孤児二世」)との出会いがあった。母娘がそれぞれどんな感想を持ったか、上村さんも聞きたいだろう。今年はそんな出会いを作れるといいなあ。

 若い人が技術はもちろん心を磨いてどんどん魅力的になっていく。そういう人と出会うことが出来て僕にも精気がよみがえる。花粉症に耐えて出かけて良かったなあ。

 ●「上野での出会い」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/bcd4327b28ff6bc322b2bc1bea1d1a97

 ●「小蓮の恋人」http://randomkobe.cocolog-nifty.com/center/2010/01/100-116a.html


 

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